世の中には違う意見があるという常識を確認しよう。吉田邦吉

インターネットは、あらゆることの一部を可視化した。いろんなことが同時に見える探せるようになったことで、調べに行かずとも知ることができる場合もあって非常に便利であり、また、ひとつのことに、特段関わらずとも、さも知識がついたような気がする人々がとても、増えただろう。現場不在の時代に説得力は薄っぺらい。

世の中には、いろんな未解決の課題がある。その課題について、安易な解決を与えてくれそうなものも沢山あるのだろう。けれども他方では、自分の考えとは違う意見が、沢山あることも見える化されたはずだ。そこで自分の正義に凝り固まって熱くなりすぎて、自分とは違う意見があって世の中は当たり前だという、ごく普通の感覚を失ってしまってないか。

そして、言葉を発しあった相手に敬意を失いすぎていないだろうか。権力を傘に相手の存在までも徹底的に集団で落としていくその様は、まるで言論監視部隊であり、表現の自由を監視するファシズム・パノプティコンである。世の中には違う意見があって当たり前だという常識を持ち続けたい。そもそも画一化された社会は退屈だ。

同じ顔、同じファッション、同じ生き方、同じ価値観、そんなことでは日本独自なんてものすらなくなっていくだろう。同じだけにとどまらず、自分とは違う意見をもつ人達を何度も何度も常に叩いて排除しすぎるような社会に未来はない。常に、あらゆる小さな違いを敵にし続けていることで団結が得られていく社会は不幸である。

世界には、いろんな文化があって、差異があるから愉しいのである。いろんな食べ物をいろんな食べ方で食べたり、いろんな服飾があったり、いろんな美の基準もあり、生活充実への考え方も違う。仕方や方法も違う。とにかく違って当たり前。もし世の中が同調圧力を強めても、自分の人生の答えまで右ならえで決めてしまわないようにしよう。あなたの人生はあなたのものだ。