「風評被害」について考える。 吉田邦吉

「デマのせい」「消費者側のせい」、これが風評被害という概念だろうと思われる。「東電のせい」とはならないようだ。そんなに良い言葉なのだろうか。この言葉によって、誰かが救われるのだろうか。賠償が出るなら名目それでもよかったかもしれないが、段々どうなるのだろう。

当ヴェルト・マガジンは福島県から始まる汚染地域の放射能について、危険実害論である。当然ながら、一部のブーム的な復興派とは違って、福島産とか汚染とかについて、しっかり考えていく必要を感じている。今日も私はほとんど福島産で暮らしている。

今まで本当に「気にするしない論」「データ論」「検査してます論」「あれと比較して汚染されてない論」。山ほどの「安心させる論」が不安を招きまくってきたため、逆に不安であり怖がって良いことを私は表明してきたところ、大変な反響を得た。

なかには「絶対回避派」「ちょっとなら派」とか「データ派」など、様々な「食への考え方の派閥」を作り出した論もあったそうで、同時に様々なリアクションが沸き起こったそうだ。みなで考えるためには致し方ないことなのだろうと思う。隠していくと怪しまれる。

よって「表示」は大事だと思うのだが「国産」という表示もあるようだ。国産表示。おそらく、こだわりの消費者は「国産」という表示には一定の疑問を感じていて、どの会社がどの産地から入れているかを検索し、押さえていて、買わない。見えないならいいやで買っている人も居るだろう。

買う買わないは自由なのに「食べないと被災地応援でないのか」という強烈な反発を招いてしまったあの「原発事故直後の復興政策」のあと、何が残るのだろう。おそらく「安全なんだから売れないのは自己責任」という「風評被害論」だ。スタートからして様々なイメージやデータについて、割を食っているのに切り捨てられる。

風化したらどうなるのだろう。
風化という言葉も本当ひどい。

2020年オリンピック以降は、「もう安全だから補助しない」のだろうか。補助しなければ倒産する可能性も高まるかもしれない。それは「風評被害」なのか、それとも「実害」なのか。ふつう、商売ごとには「営業力」「信頼」「内容」「人間関係」など、いくつかのパラメータがあると思う。

しかしそのパラメータを東電が傷つけたことつまり「実害」は、あたかもどこかへ、デマを言う超少数のネットの匿名たちへ向けられ、「やっぱり政府東電は何もしなくていい論」になっていくようにしか見えない。デマを言う人間が何千億円を賠償したり加害したりできるはずがない。道を歩いていて思うが、誰も放射能を気にしてないように見える。

しかし私が例えば大熊でイネを育てても誰も食べないだろう。なぜならほとんど誰も帰らないからだ。これは何なのか。最初から実害と営業損害が予想される。町自体が一度消滅し、ほんの少し帰還すれば、それでOKとする政府東電にはがっかりするほかない。一時的にはいくつかのところにおろせるのだろうと思うが、一生涯続くのだろうか。

今まで「デマだ~!」とつるし上げを食らってきた人達の言葉を、そもそも私ですら一つも覚えていない。人間、そんなに記憶力が良いのだろうか。やはり、「多くのパラメータを傷つけた責任」を、東電に取らせるべきだ。スタートが同じでないのに、「安全ですから知りません」だけでは、無理があると思う。どこにでも放射能があるのに。

当然ながら、ケミカルを気にしている人はケミカル系のモノ売り場には来ない。排気ガスや震災や戦争を嫌がる人は田舎に住む可能性が高まる。西のPM2.5もそうだろう。いずれにせよ、問題は「とりあえずブームにして売ればいい」ということなのか、「太い顧客を確保すること」なのか。または、放射能の問題をもっと深く見ていくべきなのか。

全てだろう。政府東電は何もしない。何もしないからデマが悪いではない。何かさせるよう言わないといけない。押しつぶせば押しつぶすほど、反発は高まる。言論は自由で良いのだ。どのみち、食べない人は食べない。食べる人は食べる。だから「食べる人だけに売る」という方向を持っている人も当然ながら多いというか、恐らく全員がそうである。

ある人が福島県の米は遠慮すると隣県の人から言われたのを直接に聞いて、ショックだった。震災までは買っていたのにだそうだ。中には確かに「福島のキノコは全てダメ」と思っている人も居るには居る。東北にもいる。例えばキノコにはハウス栽培があるのをそもそも知らない。教えても「あ~」で終わるように見えなくもない。

隣県も汚染していると思うがなぜなのか。福島産というだけで悩ましい気持ちになるのかもしれない。あの「原発事故」は、それほど巨大だった。世界を変えたのだ。しかし、「原発事故」は「デマ」なのか、違う。

「原発事故のイメージ」がデマなのか。違う。イメージはイメージだ。私一人にどうこうできるサイズのことでない。今日のニュースでは、いわき市の山林にて除染廃棄物が不法投棄されていた。ああいうことで、また信頼を失う。2~3マイクロ毎時では高すぎる。

しかし、刻一刻と、福島の生産者は「自分でやらないと」と、追い詰められていく。そのなかで、周囲は「安全です」だけ言っていれば良いのだろうか。逆に無責任にも思える。なぜなら、売れなくて苦労しているのだ。特に関東、国会などの公務員には全員に食べて頂きたいと思う。安全ならば食べられるはずだ。

絶対に食うべきではない作らせるべきではないと考える人も、政府東電に責任を取らせる方向へは、協力できる。その後に、「継続」「パラメータ」「放射能」など、様々なことについて、じっくり議論していけるようには、ならないのだろうか。とりあえず「デマ糾弾」では、「反発」または「みな黙り潜伏化」し、風化が待っている。

風化して、それでデマが消えるなら良いと考える人も居るのかもしれないが、デマは前からほとんど誰も見ていないので、やっぱりパラメータを傷つけられたことと放射能だけが、残ってしまうのだ。それはデマではなく、「実害が残る」ということだ。負のイメージ論などではない。

よって、「まず政府東電に責任を取らせ」、「表示」や「パラメータ」や「放射能」について非常に議論を深め、現場で物事をいつでも見学できる状態ほどに透明化するのが良いのだろうと思われる。今のように「デマが悪い」なんて言っていても何も解決しないことだけは明らかだ。日本人は1億3千万人もいる。人の口に戸は立てられない。

一時的な復興ブームは残酷な気がする。「食べて応援が終わったあと」、どうなっているのだろうか。誰も知らないのではなかろうか。その後は。「安全無事に暮らしてます」と、なっているのだろうか。福島DCのあとは?少なくとも私の耳に入ってくるニュースはバッドがある。

それを「不幸のフクシマでいてほしい人達」というのも、なんだかバカげている。実際に「東電のせいで不幸だ、実害だ、賠償せよ」と主張している人達の声は、そういう論壇では、全然届いていない。一次産業を「守るフリ」だけなのだ。本当に守るなら「賠償」だろう。

その言論人、一体だれの利益代表なのか。風評被害での賠償を切りたいからそういう論が出てくるのではないか。よく見る顔ぶれ。プロ御用だからこそ「プロ左翼が~」と喧伝するのだろう。焦って政府東電の話を代弁しているようにしか見えない。放射能はまるで「消えた」かのような話しぶり。もう一度言っておこう。

ここには放射能がある。だれの?

フクシマは「風評ではなく実害」論に追い風 吉田邦吉

若松道端の薪 2015年4月 撮影:吉田邦吉

若松道端の薪 2015年4月 撮影:吉田邦吉

今こそ立ち上がる時が来た。ずっとこの時を待っていた。

「『風評ではなく実害』原発事故後の苦悩伝える 県農民連会長、国際シンポで訴え」という記事が朝日新聞で「2015年4月13日」、本田雅和氏によって書かれた。

引用はじめ ――
「風評被害」について県農民連の根本敬(さとし)会長は「風評とは根も葉もないことをいう。我々の農作物は根にも葉にも放射性物質を付けられた。実害だ」とし、加害責任をあいまいにする用語の使われ方を批判した。

……根本氏は、「国の基準値を少しでも下回れば安全ですって売っていいのか。それ以下なら風評被害だというのは消費者を敵に回す行為では?」という農民の悩みを伝えた。「核被害地で農民として生きていく」決意をした根本氏は「損害の自覚と覚悟が必要」と強調、「農村での食糧自立、原子力に頼らないエネルギーの自立」を説いた。

「……基準値が、科学ではなく政治的に決められ、住民は説得の対象になっている」と述べ、日本政府の住民帰還政策を「二重基準だ」とした。
――― 引用終わり

この記事の主張者は、福島県農民連の会長」であることに注目。つまり福島県の地元がそう言っている。他の新聞でも生産者は出ていたが再びこれによって今までの「反デマ論者(危険神話を作り上げた~、デマが悪い~、反原発が悪い~、差別が~、承認欲求が~、ナルシシズムが~、分断で複雑多様が~)」のみみっちい野次などは雲散霧消することになる。

同年4月末には、産経新聞もドローン事件に際して私吉田に取材してくれた。その内容にも放射能があるのは事実。生産者や生活者は苦しいというようにきっぱり書いてくれた。つまり放射能という根拠のある実害の意味だと当然に考えられる。

なお、朝日の同記事によれば福島市のフリージャーナリスト藍原寛子さんはマーシャルの被ばくでは小児甲状腺がんだけでなく30以上の疾患・障害に対する補償制度が確立されていると紹介したそうだ。こちらは健康被害・医療の問題だ。こういうことが福島県内部ではなかなか声が上がらない実態があるが、なるのは自分らだ。

このように今や、心ある人には、この土地と人を愛するのに、左右がないのだ。東日本大震災、原発事故、このような巨大な災厄と業務上の過失大事故に対して、そもそも右左の思想など、本来ないと私も思う。あくまで偽善的右傾化、ウヨ、そういうものだけがマスコミやネットで独り歩きしていた。

この発言が5年目の4月」であることにも注目されたし。「もう5年目だからそろそろ安全に」など、放射能がなるはずないことを如実に、克明に表している。現場の生産者の会長が言うのだ。

なおブロゴス記事2011年4月の国家公務員一般労働組合の記事のほうで根本さんは「福島を放射能で汚した東電はあらゆる損害を補償せよ!」と強く訴えている。一部さらに引用しよう。

引用はじめ――
……「危ないとわかっていても、つくらないと損害(賠償)の対象にならない」こんな馬鹿げた話があるでしょうか。まだ原発事故は収束の見通しもたっていないのです。

放射性物質の飛散は止まっていません。土壌の汚染は続いていると思います。作物の汚染も続いていると思います。……

消費者の過剰な反応を「風評被害」だといいます。いま現実に起こっていることは、根も葉もない風評ではありません。東電が起こした原発事故による放射能が大地と作物を汚染している実害です。「風評被害」で片付けることは、消費者に責任をなすりつけ東電を免罪することです。

心ある方々から「福島の産品」を買い支えたいという申し出がきます。こういうみなさんに、私はこう応えています。「お気持ちはうれしい。でも、みなさんにお願いしたいのは東電はあらゆる損害をすべて補償せよという世論を消費地で起こしてほしい。
引用おわり――
(※太字と丸括弧は筆者吉田)

震災直後から今まで、4年間ずっと彼は同じことを言ってきたのかもしれない(違うことだとウソになり損をするのは生産者自身だ、風評被害つまり売れないのは自己責任論などと同義にされる可能性)。根本さんはいつの間にか事務局長から会長になっていた。今でもこの文が通じることにも悲しみを覚える。

東京新聞も「風評被害」という表現を安易に使うな、なぜなら、東京電力福島原発事故をめぐっても、「風評被害」はともすれば、放射性物質による汚染を矮小化する文脈で乱用された(篠ケ瀬祐司、榊原崇仁)からだというように2015年5月12日に特報で書いている。

今までの通り一遍「ふくしま」キャンペーンのままで福島に待っているのは、「被害のまま風化の一途を辿る」だろう。うっすら感じている人もいるに違いない。いろんな人達が思想の違いをそのままに、まず一致団結して政府東電に責任をとってもらい、福島を保護救済していくことが大事だと私は考える。

放射能のせいなんだから。