芸能のちから

20年ほど前、東京は浅草の木馬亭で盲目の琵琶法師、山鹿良之さんの公演を見たことがあります。古典芸術としての琵琶奏者はたくさんいますが、山鹿さんは、家々を門づけ(注)してまわったり、かまど祓いや新築のときのお祓いのような民間祈祷に呼ばれて演奏する、まさに昔ながらの琵琶法師でした。

郷里の知人からの情報で聞きに行ったわけですが、肥後琵琶や座頭琵琶というカテゴリーも知らなければ、琵琶そのものを聞くこともはじめてのことでした。

山鹿さんは当時90歳で、私は、はじめは同行の友人に熊本弁がわかるだろうか?とか、声がはっきり出るのだろうか?などといらぬ心配をしましたが、いざはじまると、語りに入る前の時事をふまえたたくみな話芸といい、手数は少ないけれど腹の底にしみわたるような琵琶の音に、太く艶のある声といい、一気にひきこまれてしまいました。

演目は小栗判官からの一段と平家物語から壇ノ浦での安徳帝入水のくだりだったと思います。芸能のルーツを見るような、とても新鮮な感動を覚えました。

教えてくれた知人は、山鹿さんは、ひととおり語りが終わってお酒が入ってからする話がまた抜群に面白いんだよ、とも言っていました。

「芸能」ということのはじまりについて、折口信夫という作家でもあり歌人でもある民俗学者は、遠いところから来る神様=「まれびと」をお迎えする饗宴のようなもの(まつり)から起こっているのではないかと推論しています。

まれびとが共同体の大きな家にやってきて、あるじ側はまいびとを踊らせたり歌をうたったりして饗応する。それが発展して芸能といわれるようになったのではないか。まれびとは、家の周りにいる悪いものを饗宴のときに屈服してくれる。そして、まつりの場でのまれびとによる鎮魂が芸能の大きな目的となっていったのではないか、というようなことです。

「鎮魂ということは、外から来たよい魂を身体中に鎮定させるというのが最初のかたち」
「歌を謡うということなども、歌に乗ってくるところの清らかな魂が、人間の身体の中に入る」と言っています。 (引用―「日本藝能史六講」折口信夫著)

いま考えると、山鹿さんの語りは、まさにその根源にぴたりと合って私に訴えかけてきたわけです。折口信夫は、野球やテニスのようなものの中からでもわれわれの新しい芸能的情熱を刺激するものを発見してゆけば、新しい芸能の世界に引き入れてゆくことができるとも言っています。

この、一事が万事、モノ、カネ、という現代において、コマーシャリズムに乗せられた軽々しいスピリチュアリズムではない、芸能の持つ深い精神性をいまほど必要としている時代はないような気がします。

山鹿さんは1996年に他界されて、その芸を体験することはできませんが、その精神を受けつぐ芸能者は、かたちを変えてどこかにいるのでは、いえ、いてほしいと切に願うばかりです。

(注):門付(かどづけ)は、日本の大道芸の一種で、門口に立ち行い金品を受け取る形式の芸能の総称であり、およびそれを行う者の総称である。芸については門付芸(かどづけげい)、行う者については門付芸人(かどづけげいにん)ともいう。
(Wikipedia 2014年11月9日閲覧)

参考文献
・「日本藝能史六講」折口信夫著(1944年刊行)
・「古代からきた未来人 折口信夫」中沢新一著(2008年刊行)
山鹿良之さんについて:お弟子さん片山旭星氏のサイトから 「山鹿良之師のこと」
日本伝統文化振興財団のブログから「肥後の琵琶弾き 山鹿良之」