映画「飯舘村 わたしの記録」上映&長谷川健一さんトークを聞く       伊藤千恵

2月28日、東京中野区にあるポレポレ坐でのイベント ~映画「飯舘村 わたしの記録」上映&長谷川健一さんトーク~  に行ってきました。

飯舘村は東京電力福島第一原子力発電所の事故のあと、全域が避難指示区域に指定されており、放射線量に応じて、帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域の3つに分かれています。

避難指示解除準備区域の前田行政区の区長であり酪農家の長谷川健一さんが2011年4月から8月までの4ヶ月間、ホー ムビデオに撮りためた映像が上映されました。

田んぼはすべて雑草畑となり、飼っていた牛もすべて手放し、4世代で暮らしていた家族はばらばらの生活。
なかなか搬送車に乗ろうとしない牛を避難させ、あるいは屠畜に送り出す牧場のスタッフたちをとりまく取材陣。
大家族で暮らしていた長谷川さんの大きな家と、仮設住宅とのあまりも大きな落差。
スクリーンに映し出されるこれらの映像に、あらためてがく然とさぜるを得ません。
原発事故ですべてが変わってしまった飯舘村の人たち、原発避難を強いられているすべての人たちのことを私たちはどれだけ想像しうるのか。

政府は、帰還困難区域を除いた避難指示解除準備、居住制限の両区域を2017年3月までに解除する方針を打ち出しましたが、飯舘村の除染は宅地は終わったものの農地はまだ進んでいません。環境省は生活圏外の森林は除染しない方針とのこと。
しかし、山すそにある宅地は放射線量が高いという長谷川さんのお話でした。
汚染土の入ったフレコンバッグを積み上げた光景は異様ではありますが、ひんぱんに目にするようになり、耐性ができつつあることに悲しさと憤りを感じます。

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ドローンで撮影された“仮仮置き場”

村の方針も国に準ずるとのことですが、除染の効果の上がらない地域があり、来年帰還しても子どもたちが本当に安全に暮らせるのか、長谷川さんは非常に危惧しています。
なにより、村の“までい”(手間ひまおしまない、ていねいなという意味の方言)な暮らしが、原発事故で根底から失われてしまったことに対して、国や東電が誠実な対応をしているようにはとても思えません。
原発事故で避難を余儀なくされたすべての人たち(自主避難者ふくめ)が思うところでしょう。

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モニタリングポストの周囲は入念に除染がしてあるとのこと

スクリーンには村長さんと長谷川さんが帰村について話し合う場面が流れましたが、平行線のままに終わりました。
避難解除されるということは賠償も打ち切られるということ。
長谷川さんはじめ飯舘村民の半数近くの人たちが国の機関、原子力損害賠償紛争解決センターに、裁判外紛争解決手続き〈ADR〉を申し立てしています。
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コミュティを失うということは、衣食住や人が生きるうえでの生活基盤だけのことだけではなく、代々培われてきたその土地らしさ、住む人のこころの拠りどころを失うということでもあります。
そのことの本当の価値は失ってみないとわからないのかもしれません。

今回の長谷川さんのお話や、今までに私が福島のすばらしい自然や友人たちに接して感じていること。
飯舘村はじめ原発避難自治体の多くは過疎の地域であり、日本の抱える地域の問題を如実にあらわしています。
一次産業、特に農業の担い手が減少し続ける地域と、大消費地である都市との格差。
農業が衰退しても人は食べないと生きられませんから、輸入に頼るか工業型農業で効率化をはかるか、大企業が関与しないと存続できないようになり、農業のグローバル化も懸念されます。地方の問題ではなく日本全体の問題でもあるわけです。
“までい”な生活とは対極にある未来のように思え、うすら寒い気持ちがしてなりません。地方をないがしろにしてきた結果が今であるように思えてなりません。
私たちがめざすものは何であるのか。
地方の充実なくしては日本の未来はあり得ないと心から思います。

※飯舘村のライター、酒井政秋さんの記事「心を失った除染」と「11月14日2837名ADR1次申立書提出を終えて」もどうぞあわせてお読みください。

 

ようやく戻れた町…まだ戻れぬ町を歩く(上)  米田博

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2015年12月31日

鹿児島から東京にでてきて4ヶ月…

日々の仕事と生活に揉まれ流され…

現実を忘れそうになっていた。

それを取りもどそうと青春18切符で電車に乗った。

東京じゃ、座ることもできなかった電車も終点間際になると貸切り状態

2016-01-02-00-47-46_deco2016-01-02-00-48-10_deco6時間かけて着いたのは、福島のいわき

フクイチから30km、そこには、普通の暮らしがある…

2016-01-02-00-49-18_deco2016-01-03-16-00-26_deco2016年 元旦 8:50

常磐線の突当りの町、楢葉町へ向かった。昨年の9月に避難解除された町

ようやく戻れるようになった町…

暖かい元日の朝、降り立った町はとても淋しく人気が少ない…

道ばたで老人とすれ違う…「お前…誰だ…」というような目で私を見ていた。

小さい女の子と散歩していた老人…ボールを拾いに私の方向にきた女の子に「そっちには、行くな」と声をかけた。

見知らぬ顔が歩いているのを見れば

まぁ、そうかもね。

2016-01-02-00-50-46_deco2016-01-03-15-58-20_deco2016-01-03-15-58-53_deco2016-01-03-17-01-44_deco2016-01-03-17-00-18_deco2016-01-03-16-59-36_deco現在の町の人口は7364人。帰還した人の数は1割ほど

103.64 k㎡ある町で人気を感じるのには少なずぎる数

2016-01-02-00-51-15_deco2016-01-02-00-51-42_deco西には、阿武隈山系が美しく

川の水もとてもきれい

自然豊かな町     楢葉

所々で上がる線量…

仮設のスーパーがひとつ、コンビニが2つ

病院はなく、町内の小中学校の再開時期も平成29年4月

ここ普通に生活するには…

国のお偉いさんが「復興!復興!」とよく口にするが…

復興って何なんだろうね…

(中巻へ続く