おくたび紀行 ~ 縄文の息吹 ~ 中

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会津西方駅に到着。駅近辺出身の主催者の方を含めたお三方が自己紹介と、旅のスケジュールなどをお話してくださり、心の準備は万端。そして村歩きがスタートした。

会津西方駅に到着。駅近辺出身の主催者の方を含めたお三方が自己紹介と、旅のスケジュールなどをお話してくださり、心の準備は万端。そして村歩きがスタートした。

川沿いの細い道を歩く。殆ど車が通ることはないというこの道で、十数名で歩いているわたしたち然り、車も1台通り過ぎた。この光景を見た地元の方は祭りの日を思い出されていたかもしれない。

川沿いの細い道を歩く。殆ど車が通ることはないというこの道で、十数名で歩いているわたしたち然り、車も1台通り過ぎた。この光景を見た地元の方は祭りの日を思い出されていたかもしれない。


名入地区出身の方から「材木を筏(いかだ)にして只見川に流して運んでいた」と教えていただいた。
この「筏流し」の歴史については大変興味深いので、お聞きしたお話を含め、別の機会に改めて寄稿しようと思う。

おくたびに参加する2週間前、奇跡的に読了した赤坂憲雄さんの「子守り唄の誕生~五木の子守唄をめぐる精神史~」の一説を、このとき思い出していた。「おどんがお父っつぁんな、川流しの船頭、さぞや寒かろ、川風に」
ナガレモンである守り子とその父親「ナガシ山師」の存在だ。
じわじわと「奥会津」への関心が高まる。

西方地区出身の方とお話していると「夜、会津西方駅から隣駅まで歩いたことがあるんだけど、本当に、真っ暗!!何にも見えない!」とおっしゃっていた。出身者だからこその、貴重な体験談である。
この辺りを夜歩く際には懐中電灯は必須だ。替えの電池も忘れずに!そんなことを話しながら、真っ暗な夜歩きに手持ちの灯りが必要なことはむしろ、とても自然なことなのだと考えていた。そんなことも気づけない現代人でありながら、かなり希釈されたわたしの中に在る縄文の血に寄り添ってみる。

降りた側と反対側の会津西方駅、先ほどと大分違って見えたため線が違うのだと勘違い。「只見線は単線です」

降りた側と反対側の会津西方駅、先ほどと大分違って見えたため線が違うのだと勘違い。「只見線は単線です」

紅葉が残っている線路沿いを眺めながらテクテク

紅葉が残っている線路沿いを眺めながらテクテク


毎週、郡山市から乗りに来られているという只見線フリークの方とお話しをしていた。「只見線の景色を見ていると落ち着く」のだそうだ。
「このような場所には住んだこともないのに、懐かしさを感じる不思議さ」を口にしたわたしに、彼はこう言った「原点に還るのだろう」と。
閃光が走ったように感じた。
彼や参加者の方々に、わたしの中にも流れている遠いご先祖様の血が、きっとこの風景を記憶しているのだ。
この「懐かしい感覚」は気のせいではなく、「誰もが思い出すことのできる記憶」なのだろう。

後に読んだ 奥会津書房出版の 会津学 Vol.1では、菅家博昭さん、遠藤由美子さんとの【特別座談会】の中で、赤坂憲雄さんはこのような現象を「内なる異文化」と表現されていた。
祖父母、父母の「人生の断片」
それは自分の中に繋がる、糸……。

おくたび紀行 ~ 縄文の息吹 ~ 上

  
  
さわやかな秋晴れの日、古代の記憶に遡る奥会津の旅に出た。
  
  
「第1弾は『西方』を舞台にした”静けさ”に浸るたび」
「昔ながらのものづくりが息づく地域、冬は豪雪地帯でもある」
「私たちが知らないたくさんの宝が眠っている地域」
そうだ 宝さがし、行こう!
  
  
会津若松市に住み始めて3年目。
未だ会津地方をよく理解していないため
“西会津”と“奥会津”とが頭の中で混乱しつつも、第一弾は
「初めて乗る只見線」がメインの『おくたび』を楽しむこととした。

西本浩幸さん主催の「おくたび」。
ジャズセッションを通して知り合った西本さんは、会津若松で大学生時代を過ごされ卒業した後上京、10年間働いて会津若松にUターンされたという “愉しい感性”の持ち主である。

イベント詳細:Facebook
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会津西方駅の所在地は福島県大沼郡三島町大字名入、「三島町」に該当する。只見川流域の発電所建設工事に伴う労働者の転入などにより、1950年には7,721人と三島町の人口はピークに達するが工事完了後、急速な人口減少と少子高齢化が進む。2010年は1,926人、60年間で約1/3に減少。
三島町
桐の里会津三島町 町の推計人口・世帯数

わたしは関東の都心部に長く住み、電車社会を当たり前として過ごしてきた。10分と待たないうちに次の電車が来る感覚を、そろそろ切り替えなくてはならない。
只見線は会津若松駅から1時間に1本、多い時間帯で2本、会津西方駅からの上りは一日6本。車社会の山間部ではこのくらい控えめが丁度良いのだ。

会津若松駅から15駅先の会津西方駅までの運賃 840円で切符を購入し只見線に乗り込んだ。駅のホームに止まっていた何台かの電車には、赤べこや、見覚えのあるアニメが描かれていた覚えがある。ただでさえワクワクな旅心を更に盛り上げてくれる計らいだ。

13:09 出発進行。
晴れた空と、収穫後の田園風景が、窓のキャンバスいっぱいに広がる。それは紙芝居のように、一枚一枚の瞬間に見える景色の連続が流れて行くのだった。
SLが展示されている柳津駅を過ぎると山が深くなり、駅もこじんまりとしてきた。
駅初めての只見線。コンテナのような駅を初めて見てゴキゲンの一枚。

ひろき旅している感満載のボックスシートで、郡山から参加された方の差し入れ「飛露喜」をいただいて嬉しき舌鼓。西本さん「メロンのような…」ご感想の通り、大変フルーティでおいしい日本酒だ。

車窓の只見川車窓に映る只見川に、「わー!すごーい!きれー!」なーんて甲高い声が、ガラにもなく自然に出てきた。

間もなく会津西方駅。
景色とお話を楽しみながら過ごす時間は短く感じられる。
仲間と一緒の旅は、一人のときとは違う「何か」を発見できるものだ。

只見線は、東日本大震災から4ヶ月後の豪雨の影響を受け、今尚、会津川口駅~只見駅間は再開の目処が立っていない。
今回書きたかった内容の一部をまとめ上げられていた記事を12/9 の福島民報新聞で見つけた。
「ふくしまを詠む 黛まどかの俳句紀行 只見線 人々の心つなぐ鉄道」

西本さんが講師を務められる東京でのイベント
「地域を変えて行く力を学ぶ講座@稲城」