ヤノベケンジさんと福島文化会議 吉田邦吉

前回までの話こちら
NHKが「福島と向き合って!」と報道してくれて有難い。

English
Modern Artist Yanobe Kenji’ work, which is called, “Sunchild” was criticized by several tens of people who are interested in Fukushima. The top of Fukushima administrator and Yanobe Kenji decided to move Sunchild for the time being and Yanobe is going to hold a meeting to talk about what art or culture should be in Fukushima.

今までのまとめ
現代美術家ヤノベケンジさんの現代アート作品「サンチャイルド(子ども像)」が文化施設こむこむ内にて展示されることについて、市内外とくにTwitterにて批判され、アンケートをとると数十件で批判された。ヤノベケンジさんと福島市長は、批判者に配慮して一度、撤去することに決めた。

一方で、撤去したことで傷ついた人達も居る(毎日新聞)。それでは現代アートひいては文化そのものについて、福島では、どうあるべきなのか、ヤノベケンジさんは話し合う場を設けることにしたい。

後の意見まとめ
中日新聞はこう述べる。
また「震災や被災者をテーマにすると面倒だ」という風潮が広がっては、災害の教訓や被災者の無念を風化させず後世へと伝える上で、逆効果ではないか。その点、撤去が決まったとはいえ、福島市の木幡浩市長が当初、批判に対し「サン・チャイルド」の制作と設置の真意を丁寧に説いたのは、意義深い対応だったといえよう。美術も文芸も、創作の営みはなべて自由な思念や感情の表れだ。社会の規範や科学の知識のしもべではなく、逆に常識や先入観を疑い、揺さぶり、社会に問題を提起する意味合いも大きい。心ある表現者による創作とそれに対する意見が、反目や排除に向かうのではなく、互いの主張を認めつつ社会をより豊かにしていく対話の起点となるよう、議論を深めたい。震災とアート 反目より対話の起点に 中日新聞 20180905

ジャーナリストの七沢 潔さんはこう述べる。

NHKはこう述べる。
今回のいきさつを謝罪したうえで、「さまざまな声を聞きながら、これからも堂々と福島に関わり続けたい」と述べました。9月5日福島大学で開かれた、今月9日から県内で行われる現代アートの祭典「福島ビエンナーレ」の記者会見に、現代美術作家のヤノベケンジさんは参加アーティストとして出席しました。ヤノベさんは、平成23年に復興への思いを込めて防護服を着た子どもがヘルメットを外して立ち、遠くを見つめてほほえむ作品「サン・チャイルド」を制作しました。この像は市に寄贈されて、ことし7月から子育て支援施設の前に設置されましたが、「福島市では防護服が必要だったと誤解を招く」などといった撤去を求める批判的な意見が寄せられ、先月、市が撤去を決めました。
会見の冒頭でヤノベさんは謝罪したうえで、批判や撤去の判断については、「市民の声を置き去りにして設置を急ぎすぎたことに反省とふがいなさを感じている。このままでは対立や分断が広がると考えると、一度撤去してから冷静に丁寧に議論した方がよく、撤去の判断を真摯に受け入れたい」と述べました。そのうえで、「このままではほかの表現者の萎縮にもつながりかねない。これで終わるのではなく、さまざまな声を聞きながら何をすべきか探すチャンスがほしい。これからも福島のことを勉強して福島にしがみついて福島に堂々と関わり続けたい」と抱負を語りました。ヤノベさんは今後、福島の人たちと意見を交わすことを検討しているということです。ヤノベケンジさん会見の場に 福島 NEWS WEB NHK 20180905 ※東京新聞でも話し合いを続けていきたいとヤノベさんは仰っていた。

佐藤彌右衛門さんはこう述べる。

新井浩教授はこう述べる。新井教授は「彫刻制作・環境と彫刻設置の研究・立体教材の研究をテーマ」にしている。

東北大学教授で建築史建築批評の五十嵐太郎さんはサンチャイルドがそもそも見えづらい場所にあることを考えるべきだとしたうえで、「いったん撤去が決まったが、これから対話の場が生まれることを期待したい。」とのことである(ヤノベケンジ《サン・チャイルド》DNP museum information Japan artscape 20180915

* 以上

・私の意見
続きがありそうで良かった。へこたれない姿勢を学びたい。サンチャイルドに関する当方のページを読み、「よくまとめてくれて分かりやすかった」という反響が寄せられて有難い。いっぽうで、「人の言葉を出さないと何も言えないのか」という批判もあった。

むろん人の言葉を引用しなくても私はここで書いてきた。それも可能だ。しかし可能な限りで開かれた話の場をもうけるには、多様な声がやわらかく響きあうほうが好ましいとわたしは考えるので、無理のない範囲でSNSにもうけられている機能を用いた。

また、誰かが福島への行き過ぎた放射能被害イメージの拡散をしたことの責任をサンチャイルドが負わせられる理由はない。この7年間、放射能についての議論によって日本中が疲弊したと言ってよい。放射能は福島にだけあるのでもない。

福島への風評被害について、しばしばネットで見受けられる「反原発がデマを拡散して悪い」という言い方がある。しかしこれも、反原発は国策エネルギーをどうするかという有権者として選択の自由の一種であり、選択がデマを流すことは出来ない。

わざわざ過剰に個人にデマ責任を取れと魔女狩りのごとく持ち出すと、それこそデマを目立たせて冷静な議論を頓挫させているようにも感じられる事がある。「このデマが悪い」と言うためにそのデマの画像をネットに流すと、何が広がるのだろう。

それに昨今は炎上と言っても千単位だ。しかし、こちらで私が出した記事は大反響だった。風評被害ではなく実害(※「18k」とは1万8千ライクの意)。すなわち風評被害を含む実害のすべてを政府東電が丁寧真摯に何とかすべきなのであり、サンチャイルドは関係ない。

むしろサンチャイルドを撤去せよという方向の人達から私はTwitterで罵詈雑言や悪口デマを流され、傷ついている。そこまで言われるとは精神的にがっかりした。設置派から言われたという人も中には居るだろうが、撤去までの時点Twitterでサンチャイルドと検索して見れば大多数が分かる。今回、全く熱狂が支配しなかったとは言えないのではないか。

なぜそこの風評被害は言われないのか。
もっと人は人に寛大になれないものか。

またあまりに過剰に「この部分が風評被害だから撤去」「この部分が誰にとってトラウマだから撤去」とやっていったら、どのような表現の範囲になるであろうか。どのようにパブリックな物体が許容されるだろうか。ほとんど何も許容されないと言って良い。

そうではなく、過去の事例にのっとってどのような物体が公に置かれているかを検討し、目的効果を考え、一定程度公共の受忍限度と思われるような、社会的に許容され得る範囲内のものを、行政裁量の範囲内または有識者会議など専門家の意見を通じて、社会通念の観点から妥当性の認められるものを置くのが相当である。

完全に民主的とは言えなくても、このような事例において全て直接選挙まで実行するほどの必要性を満たす根拠が見当たらないので、なるべく多くの人達の目に触れるような事前の取り組みが数度ないし一定の期間あれば妥当であり、それは既に達成されてもいた。

撤去決定後しばらく、たまたまルツ記を読んでいたら画家ミレーの絵「落穂拾い」が気になって読むと、人によってあらゆる政治的な評価を受けたりもしたようだ。いつの時代もあるのかもしれない。

(サンチャイルドに話を戻して)
この件も
福島だけの話題でない。

私たちは次世代の日本を、
原発事故でどうしてしまったのか。

これからどういう社会にしていきたいのか。
いつでも問われている。

サンチャイルドと福島市長と子どもたち https://twitter.com/hatabohk/status/1025526254697476096

サンチャイルドと福島市長と子どもたち https://twitter.com/hatabohk/status/1025526254697476096

* 話し合いの場へ
ヤノベさんは、2004年から隔年開催されている「福島ビエンナーレ」に12年から毎回出品。今秋のビエンナーレでは二本松、南相馬両市の主会場とJR福島駅を結ぶシャトルバスが運行され、参加者は最後にサン・チャイルドを鑑賞する予定だった。代わりに開催中にヤノベさんと市民らと対話する機会を設ける予定で、実行委員長の渡辺晃一・福島大教授(現代美術)らが今回の開催説明の会見に招いた。ヤノベさんは「(作品を説明するなどの)プロセスを踏めていなかったのが反省すべき点」と話し、常設前の期間限定での展示や意見を募集する機会を設けるべきだったとした。(福島)サン・チャイルド制作者「対立分断を望まない」古源盛一2018年9月6日 朝日新聞

すなわち、ヤノベさんは福島ビエンナーレにてサンチャイルドに関するイベントを予定していたが、撤去になったことでそのイベントが出来なくなった。よって、その代わりに、市民らと対話する機会を設けることにしたため、実行委員長で現代美術が専門の渡辺晃一さんらが同ビエンナーレ開催の説明会にヤノベさんを招いて、「話し合いの場へ進むこと」の説明をした、ということである。

・現代美術教授、渡邊晃一さんの意見

「事前の議論必要だった」 福大の渡辺教授 絵画・現代美術が専門の渡辺晃一福島大教授(50)は「芸術作品は、大きさや色彩などの感覚的なものと知識や記憶による影響がある。『サン・チャイルド』を見て、感覚的に勇気づけられた人がいたことも事実。一方で、つらい記憶を思い出した人がいた。作品の価値とそれを設置する場の問題は切り離して考えるべき」と指摘した。  さらに「作品を公共の場に恒久設置する際、福島市は市民と語り合う場を設ける必要があった。今後は市民と意見交換することで、批判的な意見が出た背景にある本質的な問題を学べるはずだ」と語った。(福島民報新聞2018年8月29日 ほか、一般の方々から「残念だ」「折り合いをつけられなかったのか」などといった意見が寄せられている)

2012年にお二人は対談している(光臨プロジェクト KENJI YANOBE Archive Project)。

サンチャイルドを福島で展示しようと誘ってくれたのは渡邊晃一さんだった。で、こうある。【渡邊さん:震災後、原発後の福島に住んでいる人間が、どのように福島のイメージを支えていくのか。福島大学で美術を教えている立場として、私は、学生や子どもたちへ、どのような未来を与えていくのかという「継続的」な活動が重要な鍵であると思っています。特に震災後は、雑誌などでも「美術の側から何が出来るのか」ということがいろいろと問われていましたよね。それに、持ってきた作品を避難所などにただ置かれていかれた方、ワークショップをしてすぐ帰っていくような「一回限りの人」がすごく多かった。また、美術関係者の方からも「どこか避難所でワークショップを出来ないか」というオファーも多く受けました。私は自宅の屋根や壁が未だ崩れ、日常生活が安定しない状況の中で、そういった要望に対応してきました。しかしながら多くの作家の方々は、震災後も御自分の今までやってきたスタイルを変えないで、たまたま震災が起きたから、その媒体として福島という場を利用しながら自己宣伝をしているような、そんなニュアンスが多かったですね。一方で、美術のチャリティーも多くなされましたが、ほとんどのお金は、私たちのように被災地で行っている地元の文化活動には入ってこない。そんな中、福島に住んでいる人間として、「継続的」に福島のことを考え、つなげられる活動をしなければと思ったのですね。】

一回限りも確かにありがたい一方で、私たち県民の抱えている寂しさのようなものを、渡邊さんは仰ったのだろうと私は思う。どれだけあっただろう。活動するときだけ関係性を持ち、あとは知らない。誰でもない。ただ「福島の人」そういう立場からの関係を求められ続けることの、苦しみにも似た寂しさを。もう少し個性を見てもらいたいということだ。無理な人間関係まで求めてない。ただ人として自然にあってもらいたいという。

【今年行う『福島現代美術ビエンナーレ』は「SORA」をテーマにしました。そこでは決して、どの作品でも良いというわけでもなかった。アートを見た人たちが、何かを感じたり、深く考えたり、もっと前に向かって進んでいけるようなスタイルの作品が必要だと思っていました。そういう点において、《サン・チャイルド》という作品はものすごく象徴的な作品なのではないでしょうか。】

【渡邊さん:たしかにヤノベさんは、放射線や原発の問題と直接的に関わる作品だからどうなのだろうかと、すごく心配されておられましたね。それは震災で原発事故が起きたことによって、福島大学が置かれている立場も同じなのかなと思いました。学生たちや教員、福島に住んでいる人たちの反応は、震災後、だいたい大きく二つの振り子に分かれていましたから。一つは、福島から離れて住むことを促すような意識。こんな危険な所には子どもたちは居るべきではないと唱え、家族と一緒に避難し、県外から通っている職員もおります。私は、ともに生活している学生たちのことを考えたら、同じ不安な中に居るわけですから、なかなかそのような行動は出来なかった。ましてや報道で福島県外から通っていると大々的に言える心境はわからない。ただ、もう一方で、別の振り子というか、原発は問題ない、放射線はもう大丈夫だよ、という考え方もありますが、それも違うんじゃないでしょうか。私たちは、震災以前と同じ生活を続けることは出来ないはずだし、むしろ現実に起きたことを受けとめながら、どう次に進んでいくのか、考えなくてはならない。】(同サイト引用)

昨今の気象と言いたくなるほど福島の言論も二極化したことで、いわば普通の被災者が居場所を失い、普通の県民が居場所を失う、そんなことになっていることは間違いない。すべて危険だから福島を出なければ悪人だと悪口まで押し付けるのも間違っているし、すべて安全だから何でも何しても絶対安心でありそう思わない人を悪人で悪口まで押し付けるのも違う。そんなの物事として当たり前のことである。

当たり前のこと、いわば社会の秩序がしかし、大災害とSNS革命をきっかけに、私怨をテコにした正義がぶつかる分断の渦に福島が投げ込まれている。(むろん私は風評でなく実害の方面から訴えているのは、被災を回復せずして復旧復興などあり得ないからだが、私はそれは極論の二極化とは関係がないと言いたい。論でなく事実的被害だからだ)。いずれにせよ、渡邊さんの意見に私は賛成であり、この二極化への危惧や中道バランスを取りたくなる道への動きは、既出であり、新井さんにも同様の流れがあり、私も同意見だ。

・「サン・チャイルドと福島 事故・風化させないために」渡邊晃一 東奥日報 2018年9月18日
空港の展示の時には「000」への「科学的にあり得ない」批判や「風評被害を助長させる」という批判などは無かったと書いてある。そして以下。【それは大きさや色合いなどの体感的な出会いからはじまったのではなく、批判についての報道を受け、原発事故を巡る個人の記憶(知識)や経験を重ねる中で、違和感を持った人が居たことを示すようにも思います。実際、私にとって防護服は不織布の白いタイベック・スーツです。黄色いロボットのような服はなじみがありません。しかも君のヘルメットには「鉄腕アトム」を思わせる黒い角があります。インターネットなどで「科学的真実」ばかりが強調された一方で、「福島の真実」に目を向けられなかったのはなぜでしょうか。」略「福島市に住む私たちは大きな被害を受けました。」略「風化させてはいけない」略「現実を伝える必要性を感じています。】

【サン・チャイルド、君がいた場所は教育文化施設でした。未来の子どもたちに君は、線量ゼロがあり得ないという事実を教えたり、福島が受けた被害の現実を伝える役割を担ったりするはずでした。除幕式には市内の児童が参加し、記念に写真を撮りました。君への愛称を200人近い子どもたちが一生懸命に考えて応募しました。子どもたちの目線からは君は「物」ではなく、心を通わせた「友だち」だったように思います。君は希望を持ち続ける私たちのようでもあります。(岡本太郎「明日の神話」に触れ)サン・チャイルド、君もまた未来の子どもたちにとって身近な友だちとして、「人類の明日の神話」を語る存在になったのではないでしょうか。】

いろいろな議論を通して、ある意味、今度こそサン・チャイルドは、福島市に恒久展示される(必要を超えて充分に近づいた)資格を得つつあるのかもしれない。むろんこれからどうなるか分からないのだが、少なくとも、たとえば新しい作品を置いて、それで納得し得るかと言われると、私個人は、結構な違和感を抱くだろう。もし新しく何かを置くにしたら、相応の納得し得る物語が必要に思われる。なぜならそこには、何も悪いことなどしていないサンちゃんが、居た、否、「居る」からだ。ぼくらは目に見えないものの尊さをも、この大災害を経験して、身に染みるほどよく分かったのである。

福島市、防護服姿の像の撤去開始 「原発事故の風評増幅」批判で 共同通信社 2018/09/18 10:40

【通院で前を通っていたという女性(74)は「市内の放射線量は既にかなり低く、個人的に風評のことは気にならなかった。撤去されてかわいそうにね…」と残念そうだった。】

福島民友に三名のかたの意見が掲載されている(子ども立像「サン・チャイルド」展示終了 最後まで市民賛否両論2018年09月18日 08時50分 福島民友新聞)。同日にテレ朝newsにも一般のかたの意見が出ていたようだ(福島・防護服の子ども像撤去へ 風評招くと批判受け 2018年9月18日 11時56分 テレ朝news)。

20180916 福島駅 撮影吉田邦吉

20180916 福島駅 撮影吉田邦吉

9月16日 会津若松から猪苗代湖をつたってそう遠くない中通り県北の福島市へ車で向かい現場のサン・チャイルドな空気感を確認する。顔にアザがあるが、皮膚の質感が桃にも似ていると思った。今回サン・チャイルド関連の資料をヴェルトに集約していて一体自分はどうするか。ヴェルトはこういうのを冊子として出そうと思えば出せるところが利点ではあるものの、特段いま何を私がというわけではなく、ただ人様の補助になれば良いことなのでひとまず静観して先達の意見を学びつつ普段の自分の研究テーマを引き続き学び続けるだろう。私は私でエッセイストをしながら随筆とは違うものも育てていきたいのである。この駅の見た目なかなか良いデザインだ。まさか新聞の取材まで受けるとは思わなかった。偶然、相馬移民の編著者である二上英朗さんが居てご挨拶もできた。感謝。それにしても、恒久になるほどの財産を取り上げられてしまった結末は市民の人達にとって残念だと思われる。

こむこむ高校の投手サンちゃの瞳に燃える魂の光を、流転スージーのキャッチャーミットが捕らえた瞬間をヴェルトにてFacebookシェアした。(※スージー=中筋純さんのこと)

片桐功敦さんと中筋純さんがFacebook投稿していたのでリプライをつけてヴェルトでシェアした。

んだよなあ。
さすけねえサンちゃ、
とは言えねえ。
かわいそうでなんね。

木枠台の上で
恒久設置だなんて
なんか
嘘だったみたいだべなあ。

んだら、
お兄ちゃんらに
連れてってもらあべ
西方の良いとこさ

(吉
(お二人の文は下記リンクをクリック!)

華道家の片桐功敦さんがラジオに出ている。サン・チャイルドやご自身の活動経験に関連しつつ、現場を知ることが重要であること、これからの福島にこそアートが必要になってくるのだから今からが重要であること、社会として無かったこと隠すことなどをしないことの重要さが述べられている、と私は解した。渋谷のラジオhttps://note.mu/shiburadi/n/ndbc949771a0a

【撤去作業はクレーンなどを使って行われ、惜しむように眺める人や写真に収める人の姿も見られました。通勤で前を通るという女性は「撤去は残念で別の施設が引き受けるなど福島のどこかで活用してほしい」と話していました。市内に住む60代の男性は「撤去して終わりにするのではなく、原発事故とどう向き合うのか市民が議論していかなくてはいけない」と話していました。福島市は今後の活用方法について、関係者の意見も聞いて検討するとしています。】(引用 「サン・チャイルド」像 誤解招くとの批判で解体 福島 2018年9月19日 NHK

この件でいったん〆として私は、安藤栄作さんとの話し合いをSNSで持った。サン・チャイルド設置に関して批判的な意見を書いたかたである。お会いしたこともないのにだいぶ無理な相談だったとは思うが、安藤さんは気を使って付き合ってくれた。しかし私はTwitterの罵詈雑言を読むのにグサグサ来て疲れていたこともあり、ついつい、サン・チャイルドを批判してライク数もフレンド数も非常に多い安藤さんに最初から嫌味もかましつついろいろと言ってしまったこの9月21日。

しかしもし立場が違っていたら私もサンチャイルドに関して安藤さんのような批判を書いてもおかしくないかもしれないと思って実は読んでいた面も多分にあったのは、ある。そうであれば、もっと歩み寄るような話を最初からできたはずなのに、Twitterでのストレスごと持ち込んでギザギザしてしまったかもしれないと反省した。安藤さんからしたら、想定内ほどの福島を思う批評に対して、降ってわいた災難だったに違いない。

お互い最終的に丸く話が終えられて今はほっとしている。最初から丸く言えなかったのは私の不徳の致すところだと自認する。今回はとても良い学びになったのも、安藤さんが付き合ってくださったからだ。相手に敬意を持っている場合の話し合いはやはりためになると思った。議論や話し合いの基礎的な入口に、そもそも敬意を持っているか、相手の幸せを願っているaaか、などは、話し合う際の、重要なキー・チケットなのかもしれない。

本当の意味で大人たちが和を大事にできたら、サンチャも笑顔だろう。

* その後の論考に評論をしていく。

念のため補足すると、「意図は伝わりきらなかった」というよりは、「伝わる時間を持たされなかった」ということのほうが正確かもしれない。撤去要望者の数は、100も居なかったからだ。コラム凡語 サン・チャイルド 京都新聞 20180922

『発信で人を傷つけることは良くないことでしょう。では、「誰かが傷つく」ことを免罪符に善意の発信者をどこまでも、いつまでも傷つけることは許されるのでしょうか。SNSの普及により発信者と受信者の強弱関係がますます曖昧になる今、改めてそれを問うべきではないかと思います。』コラムSalonから 「サンチャイルド」撤去の象徴したもの 東京慈恵会医科大学臨床検査医学講座 講師 越智小枝 一般社団法人 日本原子力産業協会 20181001 これに関してTwitterあの界隈をすぐ思い付くが、いわば身内のような側からこうして言われたほうが聞くだろう。今回の全貌もほぼ公然の秘密化した界隈が主だ。

「心地良いものだけがアートでない」「ひっかかり」「考えさせる」。とても良い論考だ。ただし他の記事でも軒並みあるように「サンチャイルドだけ他と比較的に設置を急ぎすぎたかどうか」は、今後の検証があって初めて断定可能なことであるから、現段階では、「恒久設置という硬い決定を、1度断念するのに、果たして説得力を備えた理由なり状況なりが認められたかの検証」そして未来へは「もういちど恒久設置を復帰するためには、合意形成の場は何度開かれたら妥当か」などが重視されよう。 社説 福島の「サン・チャイルド」 設置と撤去が残した教訓 20180924

以下のブログは良いところを突いていると思った。
《サン・チャイルド》の何が問題なのか D Slender氏 20180926

特に私が目を見張った点は、表現者の表現を完全規制するには、受け手側に具体的な侵害またhその恐れが明白である必要があるということだ。人権と人権が衝突する場面を想定して、一方の人権が制限されるには、もう片方の人権が侵害されることが明らかでなければならないという意味である。人権相互の調整が問題とされる、公共の福祉の議論になっていく。

そして政治的争いをサン・チャイルドというアートに背負わせた点そして、「極端なデマ的反原発論を叩く意義は薄れている」(ファクトチェック福島などは例になるであろう)、「この勢力が、この度の美術作品排除に大きな役割を果たしたことは、決して忘れません。」そして最後も興味深い。いわば、デマを流し続けた人達とデマ叩き過ぎの人達が、サン・チャイルドへレッテルを貼るほど対立を煽っている面もあるのではないかという問題提起である。

むろん私は頷く。

以降、このページは、いちど書いたら終わりという記事ではなく、追記ができるウェブマガジンの特性を最大に活かし、時間とともに多様な記事が出てきたとき、追記なり応答なりといったウェブでの傾聴と対話の活動を丁寧にしていく予定なので時折閲覧願う(「前回までの話」も同様)。

ピカソを超える反逆児、岡本太郎さんは時代に合わせた「きれい」とは異なる「美しさ」という概念を持ち、醜悪すらも美とするところがあるので、たぶん、サンチャイルドが気持ち悪いなどと猛烈に言われてるのを岡本さんが聞いたら「良かったね、ヤノベさん、大成功だよ」と言うに違いないと思うに至る。批判も含めてアートなのだ。サンチャはいろいろなことを浮き彫りにした。本物とは、光が強いのである。(20181020挿入)※読売が取材してくれたときに批判も含めてアートという趣旨を撤去前に言ったのだが、記事が出ないようなので、書き記す。

サン・チャイルドは、パブリック・アートとして問題となったことで、その歴史性を頂上にまで押し上げた。パブリックな場所に置こうというチャレンジャーが居なければ、このようなことが美術史として残ることもなかったのである。チャレンジャーが、パイオニアとなった。サン・チャイルドは現時点で撤去になってしまったが、実のところ、温室から出してパブリックへ挑戦したからこその収穫は歴史的に大きいのではないかと私は考えている。

それというのも、被災の経験を伝達し、共有し、「公共の知」としていくことが、目的だったはずで、原子力災害を発端としたある現代アートをパブリックアートにすることへ挑戦していくことは「公共の知を構築していくことへの挑戦でもあった」のである。だから温室へ戻すという考えだと、そのことについて後退することは否めないだろう。それでも歴史的な転換点になったことは確かで、3・11福島の歴史に残ったことも確かだ。希望的な方向へ共感の輪を広げていきたい。

◇月いちリレーエッセー◇ 共に過ごしてきた「我が家」が無くなるとき~酒井 政秋~

2017年も残すところあと14日。

今年は3月末日に飯舘村避難指示解除になり、ようやく解除後に我が家の除染がはじまり、我が家の家屋解体をした。

家が無くなるという事は、はじめは想像すらつかないし実感すら持っていなかった。ただ、漠然と家を解体するんだな。という事だけだった…。

家屋2017しかし、いざ、除染が始まり、土が削られ、家屋周辺、田畑などがどんどん剥がされていくたび、心の中で何かが削られるような、いや、何かをえぐられる様なそんな気持ちがした。それは自分が育んできた生活をむしり取られるような感覚かもしれない。

除染も終わり、いよいよ家屋を解体するという連絡が入った。
祖父母が一代で築きあげた家が壊されていく。祖母からしてみたら、どれほどの心の傷なのかは孫であるわたしにも想像できない。もしかしたら、今まで生きた人生を一瞬で奪われる様な気持ちなのかもしれない。けれど、本心は分からない。
9月解体現場を見に行こうと決めた。家にたどり着くまで何を思って車を走らせたのかその時の記憶はないけれど、解体がはじまった家を見て、心臓がバクバク音を立てて早くなっていくのは感じた。この時にようやくこの家が、私が生まれてから共に生活をし、台風の日も、雪の日も、あの地震の時にさえも共に過ごしてきた「我が家」が無くなるときだと実感したのである。

壊されていく我が家変わりゆく姿を行ける日に足を運び写真で撮り収めた。
だんだんと崩れていく我が家が哀愁を帯びてゆく。

解体家屋

季節は初秋から本格的な秋へと変わる中、一軒の家は、更地になった。

更地

幼い頃、囲炉裏の淵でどこまで遠くに飛べるか姉と競い合っている中、誤って落ち大やけどをした囲炉裏も、よく寝坊をしそうになって急いで滑り落ちてた階段も、親戚がお盆に集まり従妹たちと蚊帳に入って遊んでいた客間も、受験勉強を夜遅くまでやっていた部屋も今では私や家族の心の中にしか存在しない。そこに行っても、影も形も今はない。けれども、そこは私が生まれた故郷ではあることは確かなわけである。

原発事故というものは、どこまで私たちの心を汚していくのだろうか。
わたしの住んでいた集落(わたしたちは「組」とも言っている)は帰村する人はゼロである。いずれ誰かが住むにはもう一度、先代が行ってきた「開拓・開墾」をしなければ住めないであろう。そういう「時の継承」をも失ってしまったのである。

これから、集落に祀ってある神様はどう継承していくのか、今の世代の人たちですら年配者である。次世代と言ってもこの集落では私を含めて2名しかいない。話し合いを重ねながら解決していくとは思うが、20年後の未来が原発事故のおかげで時を越えてのしかかってくる。緩やかに継承するはずがそうもいかない状況にさらされている。それもまた問題である。こうして、一つの集落、個々の問題だけでも問題は山積しているのである。飯舘村全体で大小問わずにどれだけの問題が日々増えていってるか予想をはるかに超えるだろう。そのなかで、当事者が沈黙してはダメ。と風の便りでそういう声が聞こえてくる。しかし、それ以上に現場では日々その問題と向き合い打開策を考えている人もいるという事を知ってほしい。そのうえで、無理のない範囲で発信を出来る人はやっていると理解をしてほしい。

来年は原発事故から8年目、時だけが足早に過ぎ去っていくが、それとともに県内の中での温度差、県外の温度差、自分の中での記憶の風化、どれだけ「自分事」として考えられるのか、当事者としても試される1年になるのではないかと思う。

 

本年もご愛読くださり誠にありがとうございました。

来年もできるだけ発信できるように精進していく所存でございます。

7年目の原発事故避難生活(序章) 酒井政秋

   <序章>

2011年に起こった東日本大震災とその後に起きた原発事故からまもなく6年が経とうとしている。問題は果たして解決へ向けて進んでいるのだろうか。何か置き去りにされていないだろうか。
3月11日に向けて、これから幾週にわたり各章ごとに区切って伝えていきたい。

序章では、あの日から今までについて軽く触れておきたい。

第1章は。村民の声をお届けする予定でおります。

最終章では、あの日から今まで、そしてこれから未来への個人的な体験と展望、思いを書くつもりでいる。

では、あの日から振り返ることにしよう。
2011年3月、飯舘村一帯が高濃度の放射性物質に包まれ、大地は汚染され、そして人々は何も知識がない放射性物質による汚染によって飯舘村でかなうはずだった未来も、その地での生活さえも一瞬にして奪われた。国は年間積算線量20ミリシーベルト/年を超えるとして同年4月11日計画的避難区域に指定した。しかし、いろんな事情や状況で避難が遅れ、飯舘村の住民は初期被ばくを浴びることになってしまった。わたし自身も、ペットの問題や高齢者を抱える家族など様々な状況で、避難できない状況にいた。仮設住宅ができる7月まで、ほとんどを飯舘村に居るしかなかった。今、思えば、この時に無理にでも避難していれば、体調の悪化は避けれたのではないか。これまで6年間大きな病や小さな体の変調との闘いの日々だった。それでも、わたしは生かされた者として、飯舘村の現状を発信できる場で、発信し、村民と傾聴、小さな声を政治家に届ける事、ワカモノ・村民との対話など、様々な角度から、この困難を一つでも解決するように、いや、今考えると、とにかく必死だった。それをやっていることで生きる事を感じていたのかもしれない。しかし、次から次へと現状は刻々と変わる。政権交代、行政との溝が深まっていく、放射性物質の考え方や価値観の違いからの意思疎通の困難さ。時には、脱原発・反原発の活動をしている人からの罵声や脅威にも感じるほど責められることもあった。また、逆に(福島は)安全だ。という人からも時には責められた「風評を煽ることは言わないでくれ。」「あなただけが当事者ではない。」なども言われた。誰も間違っていない。誰にだって守りたいものはある。それは分かっている。どちらも「守りたい正義」なのだから。けれど、わたしは実害しか話していないし、書いていない。正義と正義のぶつかり合いは何も生まない。お互いを尊重し、議論をすることが一番必要なはずなのに。それができない現実。

なぜ理不尽に叶えたかった未来も人生も奪われて未だに真摯な謝罪も加害者である東電や国からはない。そして社会的責任をとらない。いや、意図的に取ろうとしないことは過去の公害歴史を見てもわかる。
あの日、一瞬世界が止まった原発事故をも現在、忘れ去られようと感じるのはわたしだけだろうか。この3月末で飯舘村も帰宅困難区域を除き避難指示が解除される。しかし、この解除間際になっても、細部にわたる具体的な方針は行政側から提示されないままだ。提示されるのは、帰らない村民・帰れない村民は、いずれ切り捨てられるということだけだ。わたしたちは好きで避難をしたわけでもないし、好きで村外に住むわけではない。根本的な問題が解決していれば気持ちよく帰村を受け入れたであろう。しかし、放射線量はまだまだ低下せず、除染をしても、完全に放射性物質は消えない。特に私の住んでいた実家は山の中。線量はいまだに1マイクロシーベルト/毎時を超える値だ。わたしは帰らないという選択をしなければならなかった。
これからは村外に住む村民は飯舘村民とは見なされない日が近い将来来るであろう。

わたしたちは「飯舘村村民 避難者」から「自主避難者」となるのだ。

これからますます、発言しづらい空気感が強まるだろう。

本当の「沈黙」が訪れさせないために。

小さな声でも伝えていきたい。微かな声になっても伝えていきたい。

わたしの発信の場であるWELTGEIST FKUSHIMAにて。

序章のおわりに
この場を運営してくれる編集長はじめライターの皆さんに感謝の意を込めて。

撮影:筆者

撮影:筆者

土地を見て人を思わず  酒井政秋

今、福島の問題は多岐にわたる。
原発事故処理の問題・避難区域の解除の問題・放射性物質の問題・風評被害の問題。
国側は粛々と解決していない問題も含めて、解決をしたように見せかけた方策をとっている気がするのはわたしだけだろうか?
住民側にとってはどうだろうか。多様な意見があるのも確かだ。
元々の生活・コミュニティー・その中での文化、価値観の在り方。それらをとってみても科学的根拠だけでは限界がある。社会生活のなかで、何が今、問題になって人々は怒り、落胆し不満なのか、丁寧に”声”を聴き見極めなければ、根本的な解決には決して至らない。そのうえで最も大切なことは、その土地固有の生活を知る必要がある。
ただ単に、放射性物質を取り除く努力をしても住民のそれらの問題は解決しない。だからといって、国側のやり方は100%無駄だという事では決してないが、放射性物質を取り除くという作業だけに偏り、人々の根本的な心のしこりは取り除くことができず、現実世界に目線を下げなければ、将来が見えてこないのではないだろうか。
そこに一番必要なことは、たとえ少数派の意見であろうと真正面から向き合い、いかに「住民側」の思いに耳を傾け、そして、その思いを真正面からしっかりと認識し体感としてわかろうとすること。それでもわからない場合はそこに居住してみるというのもいい案かもしれない。

しかし、国側(政府)はどうだろうか・・・。
「土地を見て人を思わず。」
今の現状は、そんな言葉がしっくりと当てはまるかもしれない。

今、米軍北部訓練場の一部返還に伴う東村高江周辺のヘリパッド建設問題にしても、そこに゜住まう住民の事を考えず、住民の意見にも耳を傾けずに卑劣で強硬的なことが行われているが、ほんとうの優先順位は、「国民があっての国や土地であるということ。国民との十分な議論の中で同意のもとに決断すること。」ではないだろうか。

そして、国民を守ることが大前提ではないのだろうか。それが、アメリカ軍を守り、日本国民を排除しようとしていることは、あまりにも理不尽なことではないだろうか。
住民の叫びにも近い声も、恐怖におびえる思いも、悲しみにくれる姿さえも組織人には伝わらないのだろうか。

ましてや、国(政府)は民を守ろうともせずに、住民を訴えてくる有様だ。
守ってくれるはずの国は、守ってくれない。
権力を容赦なく振りかざしてくる。

組織の中の人は、”仕事”だから仕方のないこと。で片付けてほんとに良いのだろうか。国に携わる仕事をしている人たちには、国民一人ひとりの人生を左右する権力を持っているという事を強く自覚してほしい。
それぞれの人生も握っているという事を。

国が関わる大きく長引く問題は、いつも権力によって人が踏みにじられていく。
そして、のどかな生活さえも奪ってしまう。
そんな社会からどうしたら卒業できるのだろうか。
国はいつになったら国民の声に耳を傾けるのだろうか。

最後に、憲法第十一条、十二条、十三条、十四条を。

※1 第十一条  国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

※2 第十二条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

※3 第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

※4第十四条  すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

※1・※2・※3・※4日本国憲法(昭和二十一年十一月三日憲法)より引用

 

5年目の3.11 ~空も海も大地もつながっている~ 伊藤千惠

4年前の3月11日のことを克明に覚えている。
仕事場から家まで歩いて帰った。
そのとき東北の地で何がおきているか知る由もなく、夜中に幹線道路をぞろぞろと歩く東京のわたしたちは、ちょっと非日常的なうきうきとした気分でさえあった。
帰宅し、テレビをつけ尋常ならざる風景に息をのみ声を失いうちのめされた。
生活のすべてを災厄にうばわれた人々。
そして、東京で消費するための電力を作っていた東京電力福島第一原子力発電所の事故。

責任の重大さを認めない政府と東電に憤りを感じた人たちの抗議のデモへ行った。
今まで知ろうとしなかった政府の、中央省庁の、産・学界の功罪。自分の無知。
この国の経済成長の陰画のように存在する環境汚染や地方の衰退。日米関係。
いろんなものを読み漁り雑多に理解し、書き散らし、叫んだ。

以前から知っていた福島在住の知人のブログには、東京人の活動は違和感を持つとあった。
それにまたうちのめされた。理解されていると勝手に思い込んでいた。
困窮している人のことを考えるのが先じゃないか?
ネットでは多様な声はひびいてこない。

町ごと避難、という考えられない事態を体験した人たちのところへ行った。
福島県内に戻ったり、県外へ自主避難したり、ずっと住み続けたり、
さまざまな状況にいる人のことを自分の目で知りたいと思った。
取材対象としてではなく、欠落した知識を埋める情報としてではなく、
お隣に住んでいる人として、友だちとして話を聞きたいと思った。
今は、何をするべきかではなくて、自分はどうしたいかと思って生きている。

先のことはわからない。
空も海も大地もどこまでもつながっているように
隔絶するのではなく、やわらかく受け止めたいと思っている。