土地を見て人を思わず  酒井政秋

今、福島の問題は多岐にわたる。
原発事故処理の問題・避難区域の解除の問題・放射性物質の問題・風評被害の問題。
国側は粛々と解決していない問題も含めて、解決をしたように見せかけた方策をとっている気がするのはわたしだけだろうか?
住民側にとってはどうだろうか。多様な意見があるのも確かだ。
元々の生活・コミュニティー・その中での文化、価値観の在り方。それらをとってみても科学的根拠だけでは限界がある。社会生活のなかで、何が今、問題になって人々は怒り、落胆し不満なのか、丁寧に”声”を聴き見極めなければ、根本的な解決には決して至らない。そのうえで最も大切なことは、その土地固有の生活を知る必要がある。
ただ単に、放射性物質を取り除く努力をしても住民のそれらの問題は解決しない。だからといって、国側のやり方は100%無駄だという事では決してないが、放射性物質を取り除くという作業だけに偏り、人々の根本的な心のしこりは取り除くことができず、現実世界に目線を下げなければ、将来が見えてこないのではないだろうか。
そこに一番必要なことは、たとえ少数派の意見であろうと真正面から向き合い、いかに「住民側」の思いに耳を傾け、そして、その思いを真正面からしっかりと認識し体感としてわかろうとすること。それでもわからない場合はそこに居住してみるというのもいい案かもしれない。

しかし、国側(政府)はどうだろうか・・・。
「土地を見て人を思わず。」
今の現状は、そんな言葉がしっくりと当てはまるかもしれない。

今、米軍北部訓練場の一部返還に伴う東村高江周辺のヘリパッド建設問題にしても、そこに゜住まう住民の事を考えず、住民の意見にも耳を傾けずに卑劣で強硬的なことが行われているが、ほんとうの優先順位は、「国民があっての国や土地であるということ。国民との十分な議論の中で同意のもとに決断すること。」ではないだろうか。

そして、国民を守ることが大前提ではないのだろうか。それが、アメリカ軍を守り、日本国民を排除しようとしていることは、あまりにも理不尽なことではないだろうか。
住民の叫びにも近い声も、恐怖におびえる思いも、悲しみにくれる姿さえも組織人には伝わらないのだろうか。

ましてや、国(政府)は民を守ろうともせずに、住民を訴えてくる有様だ。
守ってくれるはずの国は、守ってくれない。
権力を容赦なく振りかざしてくる。

組織の中の人は、”仕事”だから仕方のないこと。で片付けてほんとに良いのだろうか。国に携わる仕事をしている人たちには、国民一人ひとりの人生を左右する権力を持っているという事を強く自覚してほしい。
それぞれの人生も握っているという事を。

国が関わる大きく長引く問題は、いつも権力によって人が踏みにじられていく。
そして、のどかな生活さえも奪ってしまう。
そんな社会からどうしたら卒業できるのだろうか。
国はいつになったら国民の声に耳を傾けるのだろうか。

最後に、憲法第十一条、十二条、十三条、十四条を。

※1 第十一条  国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

※2 第十二条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

※3 第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

※4第十四条  すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

※1・※2・※3・※4日本国憲法(昭和二十一年十一月三日憲法)より引用

 

天国への手紙 米田ひろし

2015-05-12-12-31-49_deco前略、亡くなってもう70年が経つのですね…天国でばぁちゃんとアンマと3人で「あぐ〜もう70年も経つちば~びっくりするね~」って話しをしていることと思います。

あなたが沖縄に行った時はまだ沖縄は美しい島だった

あなたが沖縄に行った時はまだハガキをだせていた

艦砲射撃で島の形が変わるまで砲弾を撃ち込んだアメリカ

爆弾を落としまくったアメリカ

あなたは、若くて招集されたから高射砲の弾を運んだんだろうか…

それとも、弾を込めたんだろうか…

一発撃てば、居場所がわかる

一発撃てば、グラマンが掃射しにくる

一発撃てば、艦砲の的

そんな所にあなたはいた

どんな、思いでそこにいたんですか…

怖くなかったんですか…

それとも必死だったんですか…

アメリカが上陸した近くにあなたはいた

ガマに入って戦ったんですよね

そこには住民もいたんですか…

住民と話したんですか…

避難していた住民を外に追いだしたんですか…

爆撃がひどい外に住民を出した時、どう思いましたか…

あなたは、住民と話したんですか…

自決用の手榴弾を渡したんですか…

泣く子を撃ったんですか…

それとも、投降するように話したんですか…

あなたは、どのように死んだのですか…

爆風…銃弾…

約束します

私は、あなたの事だけは忘れません

私は、あなたが経験したことは忘れません

ひろしより

受け継がれた戦争の記憶【序章】(下) 米田ひろし

上巻から続く)

2015-05-18-08-18-10_deco

70年前の沖縄で戦死した父の叔父である 國 清秀

清秀が沖縄に配属になった昭和19年に、母親宛に出したハガキに 「球第12517部隊」と書いてあった。

球第12517部隊は、 独立高射砲第27大隊・第一中隊、(通称)中村隊、小禄飛行場の防衛に当たり、高射砲でアメリカの飛行機と戦闘した。

2015-05-12-12-36-59_deco 昭和20年4月1日の米軍上陸後は、対空ばかりでなく高射砲で対地攻撃も行ったという…
一発撃てば、発泡炎で居場所が判明しすぐに反撃の的にされてしまう高射砲部隊…
ガマと呼ばれる避難壕は、死体と負傷兵であふれかえったという….
6月22日当時の550余名のうち、戦傷者を含んで僅か150余名…. 死亡報告書が正しければ、 その150名に清秀さんは入っている。

2015-05-12-12-33-45_deco部隊は残存兵力を結集して、 6月22日から 3日の払暁にかけて優勢なる敵に肉薄戦闘を敢行し、遂に壮烈なる最後を飾ったという….
清秀が亡くなった真栄平では、日本兵による住民虐殺もあった場所… (下記サイトより引用) http://hb4.seikyou.ne.jp/home/okinawasennokioku/okinawasentoheiwakyouiku/ptakatudoutoheiwagakusyuminikouza.htm 米軍との戦闘が始まると、ガマを使った抵抗戦が計画され、日本軍の命により地元住民をガマから追い出し、住民を米軍の猛爆に晒した。

(第一次ガマ追い出し)
・首里戦線を突破された日本軍は組織的な戦闘はできず、小集団がそれぞれにガマの避難民を追い出し、ガマを根城に散発的な抵抗戦に入る。その結果、住民および避難民を米軍の猛爆に晒した。

(第二次ガマ追い出し)
・米軍の掃討戦の状況の中で、日本兵は敗残兵として住民をガマから追い出し、或いは雑居し住民を巻き込んでの玉砕戦の様相を呈する。

(第三次ガマ追い出し)
・日本兵は、住民の食糧や飲料水を奪った。
・米軍の攻撃に対して住民を楯にした。
・住民の投降に対して阻止、妨害した。
・住民をスパイ容疑等で殺した。
・泣く子どもを殺したり、殺害強要をした。
・ごく一部、日本兵の虐待から住民を助けたり、米軍への投降を勧める日本兵もいた。

父は「清兄は、すごく優しい人だった」と言う。 祖母は終戦後、死亡報告書が届くまでの2年間、毎日深夜に来る密航船が着く港に迎えに行き、夕暮れ時には沖縄の方向を見ながら泣いていたという…
2015-05-12-12-39-09_deco 清秀の書いたハガキに父の名前…「一夫君も元気に…」というのが書いてあった。それを手にしていた読んでいた父の姿が忘れられない。 これが、ハガキと死亡報告書が私に教えてくれたこと 、「これで受け継がれた記憶」と史実の「点と点」がつながり「線」になった。

清秀さんは、住民と話したんだろうか…

自決用の手榴弾を渡したんだろうか…

米軍へ投降を促したんだろうか…

「日本人は…忠誠心が他の国より強い …もう…清秀さんが生きた時代はくり返しちゃいけない。 」

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