霧の海へ

この夏、青春18きっぷでJR常磐線竜田駅へ行ってきた。
来年の春以降に帰還が決まった楢葉町にある「原発に一番近い駅」である。

前日は会津若松に一泊し、早朝の磐越西線・東線を乗り継ぎいわきから常磐線で北上する。平日でも思いのほか人が乗ってくる。終点の竜田駅でも数人降りる人がいた。
駅前にはタクシーが数台と一部復帰した役場への送迎バスがとまっている。

最初は7月にオープンした仮設商店街まで行ってみようと思ったが、県民でもジャーナリストでもない私がひとりで行くのは気が引けて、闇雲に歩き出した。
よく考えてみると、「観光客」が町の用意した施設に行くのは当然であったのだが。

画一化された観光がいやで、バックパッカーのようなかたちの旅ばかりしていた。それが、ひなびた風情の好感の持てる旅先では、多少なりとも地元に還元しなくては
と思うようになったのは、齢を重ねたせいだろうか。

ただこのときはそれもせず、取材行為と言ってはおこがましく、何がしたいのか自分でも持て余しつつ、住民のいない町へ土足で入り込んでしまったのだ。あてどもなく。

いかにも不思議な光景ではあった。
すまいも店も誰もいないけれど、手入れはされているゆえに、荒廃した感じは少しもない。一般人が絶対入ることのできないフクイチや警戒区域*内が非日常であるとするなら、ここは日常へとグラデーションしていく途上にあるのだろうか。
あくまでも非当事者、よそ者の視点である。

※参考 福島県HP「避難指示等の経緯(PDF)

幹線道路に出ると、歩道の植樹帯にスコップを持ってかがんでいる女性が遠くに見えた。話しかけてみようか逡巡したが、どうにも気後れして通り過ぎてしまった。

線路際の神社にお参りをしたあと、海に向って歩いてみる。
駅周辺の集落から太平洋側は、雑草の刈り取られた田畑が広がっており、海に近づくにつれ、少しずつ霧がにじみだして視界が白くなる。

除染した土嚢を積む作業員や重機が遠目に見え、ときおり、除染作業のためのトラックが通り過ぎるが、汗をふきふき、ひとり歩く私を気にも留めない様子がありがたい。

堤防にたどりつくも、ますます霧は濃く海面も空も見えない。山での経験はよくあるが、海上からなんてはじめてのことだ。
天神岬スポーツ公園という、太平洋を眼下にみおろす公園まで歩く途中、自生している山ユリを処々に見かける。可憐。町の花であるそうだ。

高台にある公園では、芝生や植木の手入れを数人の方がされていたが、ここでも話はできず、会釈して通り過ぎただけである。情けない思いに苛まされる。

避難指示解除準備区域の何を私は知りたかったのだろうか。
歩きながらも心の中で自問自答しつつ、ただこっそりとのぞき見たような、後ろめたい思いが頭を離れない。

天神岬スポーツ公園  高木の向こう側は太平洋(2014年8月22日撮影:伊藤千惠)

天神岬スポーツ公園  高木の向こう側は太平洋(2014年8月22日撮影:伊藤千惠)

自分のことに限っていえば、原発事故後の福島を国全体のこととして捉えてきたつもりだが、そこに住まう人の心情と、よそ者の勝手な見解は常にずれを生じる。
ずれを埋めたい想いがここまで来させたのかもしれない。

しかし、住まう人との交流もできず、徘徊するだけの私に、楢葉の海は最後まで姿を見せてはくれなかった。
ただ、湿り気を帯びた濃霧を肌にまといながら、途方にくれて歩くも、
山側から吹きおろすひとすじの風は冷たく心地よかったのだ。

註:【福島県双葉郡楢葉町】
面 積:103.45km2
世帯数:2,718戸/人口:7,474人(2014.10.1時点)
2011.3.11 東日本大震災に伴う原発事故により全町避難、いわき市・会津美里町に役場機能を置く
2012.8.1 警戒区域から避難指示解除準備区域(立入可、宿泊不可)に再編
(出典:楢葉町公式HP、Wikipedia 2014年10月閲覧)