ようやく戻れた町…まだ戻れぬ町を歩く(下)  米田博

(中巻から続く)

2016-01-03-21-08-05_deco長い坂道をのぼりながら楢葉の竜田駅へ向かう

福島第二原発の社員専用と書かれたバスを何度も見る

乗っているのは、1人か2人…

なんだかなぁと思いつつ歩いた

15時の水戸行きの電車に乗り込んだ。

広野、いわき、そして水戸

どんどん乗客が増えていった。

耳に聴こえてくる言葉が福島弁から茨城弁にかわる

福島から離れていくんだなって感じた

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お腹が空いたから駅のすき家に入ってカウンターに座った。座ってびっくり、私以外、カウンターに座っているのはインド人。インド人がすき家のカレー食べてる。甘くて口にあうのかなぁ

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また、電車に乗り込んだ

人が多く座れない。足が痛ってぇと思いつつ

こんなに人がいるんだ…

人がいない町を見たあと

この差に戸惑う

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東京駅で降りてみた…

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薄気味悪い空に高層ビルが建ち並ぶ東京

澄みきった青空のもとにひっそりしているまだ戻れぬ富岡

同じ日本なんだよね…

被災地を置き去りにして、私の故郷の鹿児島では2基の原子炉が稼働している

偉い人が口にする福島の復興…ますます意味がわかんない

復興すべきは、この薄気味悪い空の下の

人の心じゃないのかな…

ようやく戻れた町…まだ戻れぬ町を歩く(上)  米田博

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2015年12月31日

鹿児島から東京にでてきて4ヶ月…

日々の仕事と生活に揉まれ流され…

現実を忘れそうになっていた。

それを取りもどそうと青春18切符で電車に乗った。

東京じゃ、座ることもできなかった電車も終点間際になると貸切り状態

2016-01-02-00-47-46_deco2016-01-02-00-48-10_deco6時間かけて着いたのは、福島のいわき

フクイチから30km、そこには、普通の暮らしがある…

2016-01-02-00-49-18_deco2016-01-03-16-00-26_deco2016年 元旦 8:50

常磐線の突当りの町、楢葉町へ向かった。昨年の9月に避難解除された町

ようやく戻れるようになった町…

暖かい元日の朝、降り立った町はとても淋しく人気が少ない…

道ばたで老人とすれ違う…「お前…誰だ…」というような目で私を見ていた。

小さい女の子と散歩していた老人…ボールを拾いに私の方向にきた女の子に「そっちには、行くな」と声をかけた。

見知らぬ顔が歩いているのを見れば

まぁ、そうかもね。

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103.64 k㎡ある町で人気を感じるのには少なずぎる数

2016-01-02-00-51-15_deco2016-01-02-00-51-42_deco西には、阿武隈山系が美しく

川の水もとてもきれい

自然豊かな町     楢葉

所々で上がる線量…

仮設のスーパーがひとつ、コンビニが2つ

病院はなく、町内の小中学校の再開時期も平成29年4月

ここ普通に生活するには…

国のお偉いさんが「復興!復興!」とよく口にするが…

復興って何なんだろうね…

(中巻へ続く

霧の海へ

この夏、青春18きっぷでJR常磐線竜田駅へ行ってきた。
来年の春以降に帰還が決まった楢葉町にある「原発に一番近い駅」である。

前日は会津若松に一泊し、早朝の磐越西線・東線を乗り継ぎいわきから常磐線で北上する。平日でも思いのほか人が乗ってくる。終点の竜田駅でも数人降りる人がいた。
駅前にはタクシーが数台と一部復帰した役場への送迎バスがとまっている。

最初は7月にオープンした仮設商店街まで行ってみようと思ったが、県民でもジャーナリストでもない私がひとりで行くのは気が引けて、闇雲に歩き出した。
よく考えてみると、「観光客」が町の用意した施設に行くのは当然であったのだが。

画一化された観光がいやで、バックパッカーのようなかたちの旅ばかりしていた。それが、ひなびた風情の好感の持てる旅先では、多少なりとも地元に還元しなくては
と思うようになったのは、齢を重ねたせいだろうか。

ただこのときはそれもせず、取材行為と言ってはおこがましく、何がしたいのか自分でも持て余しつつ、住民のいない町へ土足で入り込んでしまったのだ。あてどもなく。

いかにも不思議な光景ではあった。
すまいも店も誰もいないけれど、手入れはされているゆえに、荒廃した感じは少しもない。一般人が絶対入ることのできないフクイチや警戒区域*内が非日常であるとするなら、ここは日常へとグラデーションしていく途上にあるのだろうか。
あくまでも非当事者、よそ者の視点である。

※参考 福島県HP「避難指示等の経緯(PDF)

幹線道路に出ると、歩道の植樹帯にスコップを持ってかがんでいる女性が遠くに見えた。話しかけてみようか逡巡したが、どうにも気後れして通り過ぎてしまった。

線路際の神社にお参りをしたあと、海に向って歩いてみる。
駅周辺の集落から太平洋側は、雑草の刈り取られた田畑が広がっており、海に近づくにつれ、少しずつ霧がにじみだして視界が白くなる。

除染した土嚢を積む作業員や重機が遠目に見え、ときおり、除染作業のためのトラックが通り過ぎるが、汗をふきふき、ひとり歩く私を気にも留めない様子がありがたい。

堤防にたどりつくも、ますます霧は濃く海面も空も見えない。山での経験はよくあるが、海上からなんてはじめてのことだ。
天神岬スポーツ公園という、太平洋を眼下にみおろす公園まで歩く途中、自生している山ユリを処々に見かける。可憐。町の花であるそうだ。

高台にある公園では、芝生や植木の手入れを数人の方がされていたが、ここでも話はできず、会釈して通り過ぎただけである。情けない思いに苛まされる。

避難指示解除準備区域の何を私は知りたかったのだろうか。
歩きながらも心の中で自問自答しつつ、ただこっそりとのぞき見たような、後ろめたい思いが頭を離れない。

天神岬スポーツ公園  高木の向こう側は太平洋(2014年8月22日撮影:伊藤千惠)

天神岬スポーツ公園  高木の向こう側は太平洋(2014年8月22日撮影:伊藤千惠)

自分のことに限っていえば、原発事故後の福島を国全体のこととして捉えてきたつもりだが、そこに住まう人の心情と、よそ者の勝手な見解は常にずれを生じる。
ずれを埋めたい想いがここまで来させたのかもしれない。

しかし、住まう人との交流もできず、徘徊するだけの私に、楢葉の海は最後まで姿を見せてはくれなかった。
ただ、湿り気を帯びた濃霧を肌にまといながら、途方にくれて歩くも、
山側から吹きおろすひとすじの風は冷たく心地よかったのだ。

註:【福島県双葉郡楢葉町】
面 積:103.45km2
世帯数:2,718戸/人口:7,474人(2014.10.1時点)
2011.3.11 東日本大震災に伴う原発事故により全町避難、いわき市・会津美里町に役場機能を置く
2012.8.1 警戒区域から避難指示解除準備区域(立入可、宿泊不可)に再編
(出典:楢葉町公式HP、Wikipedia 2014年10月閲覧)