これは「『NO OWNER SUBSTANCES 無主物A.D.2015』壷井 明 Akira Tsuboi」のこと① の続きです。
東北本線に乗って栃木県に帰る。ずっとKENでのことを思い出していた。
家族が暮らす、借り上げ住宅の畳に座る。
都市の緊張から解き放たれて、ふと、我に返る。そして気付いた。
自身を当事者から外してやらないと、あの絵とトークは、まともに受け入れられないものだったな、ということ。それほど惨い光景が見えてしまったのだ。
壷井明さんの表現と、その人が語った事についてあらためて思い返す。
当事者たちにとって、あるいは、当事者らを見守る多くの人たちにとっても、重要である事柄と言えそうなことであるにもかかわらず、聴かなければそのまま埋もれてしまいそうな現地の声や姿があるのだろう。私は、それを壷井さんの絵や言葉から感じ取った。
また、現地に赴きながらの制作スタイルに、私は一人静かに胸を打たれてもいた。
目には捉えにくいけれど、現地に漂っているものを捉えてしまった。
言葉にするとどこかで冷たく伝播されていくかもしれない。伝えたいけれど、伝えることに恐れを抱かせる現実。そんな中、絵画と呼べる表現にこそ出来る事があるのだという思いが浮かぶ。
そう思ったきっかけは、おそらく壷井さんがこう話しだした事に端を発するだろう。
「原発作業員に話を聴きたかった。だけど、どうやって出会えば分からなかった」
壷井さんが東京の路上で自身の絵を置いてみると、ほとんどの人が、怖いものに触れたくないというような面持ちで、それを避けていったそうだ。そんな中、たまに興味を持って近づいてくる人たちもいる。若者もいる。そんな人たちは壷井さんに、描かれている物に関する疑問を投げかけたり、感想を述べたりする。それに壷井さんが答える。対話が生まれるのだ。
或る時の事。路上生活者のような出で立ちの人がじっと壷井さんの『無主物』を見ているのに気付いたそうだ。
壷井さんが声を掛けてみる。
すると、その人は、
「以前、自分は福島で原発作業員だった」と話し出したという。
絵を置いてみたことで出会いが生じ、対話が生まれた。
おそらく、私も『無主物』に触れて、対話を始めようとする一人である。
家族や近所同士などの近しい間柄であればこそ、かえって開示しにくくなる思いもあるだろう。
外部に溜息が漏れないようにと、きつく縫い付けてしまった魂の入れ物。その入れ物の糸が外部からの介在によって、緩みを見せた時、内にあるものが溢れ出る。そんな景色が壷井さんが私に見せた景色だ。原発や放射能に翻弄され続けている人が救われ、世界とひとつとなれるような願いが、壷井さんの絵に込められている。
私はそう感じた。
壷井明さんは『無主物』をこれからも描き続けるのだそうだ。