7年目の原発事故避難生活(第1章)~村民の声2017~ 酒井政秋

第1章)村民の声2017

わたしは2012年~2014年まで「飯舘村の1人1人の想い~伝えたいメッセージ~」(HP:https://iitatemessege.jimdo.com/ )を運営していた。これは、事故後、各仮設住宅の傾聴を始めていくうちに一人ひとりがちゃんと自分の意見や想いがありながらも口にすることができず、一人ひとりが苦しみを抱えていた。なぜこの声が村・県・国には届かないのだろうと…もどかしい気持ちでいた。村民一人ひとりの「声」は大切な声なのに…と。わたしは当時政治家にお会いする機会や行政区説明会などが頻繁にあったのでその大切な声を伝えていこうと思った。実際に相馬仮設住宅の不備などを役場担当職員に要望してきたこともあった。月日は流れ関心が薄れつつある県外の人たちにもこの想いを知り村民一人ひとりが、どんな状況にあるのかを想像して欲しいと思うようになり、ホームページ開設とSNSで専用ページ(現在閉鎖)を作成して公開してきた。

あれから早3年、わたし自身も色々と忙しくなり、中々思うように‟伝える活動”さえも出来ない状況になっていた。

そこで今回、原発事故7年目・3月末避難指示解除(帰還困難区域を除く)を迎えるにあたって村民は何を思い、どんな心情で日々を送っているのだろうか。1度限りの復活として、何名かの村民にご協力してもらい質問用紙にて声を聴かせてもらった。回答(順不同)を原文そのまま伝えていくことにする。

それぞれの考えや思いは村民一人ひとりで変わる。そして、その気持ちは6年間、波のように情報や状況や環境で揺れ動いていることをご理解いただきながら読んでほしいと切に願う。

撮影ー筆者 飯舘村の夕焼け

撮影ー筆者 飯舘村の夕焼け

 

①震災・原発事故から7年目になるわけですが、あなたは今、どのような心境ですか?
(例えば、悩みや不安、怒り、将来への展望など、書ける範囲で字数には制限ありませんので、ご自由にお書きください。)

・家族が笑って暮らせればそれでいい、3月から新しい職場での仕事が(スムーズに)務まるか不安、部落での役割と責任が増していくのが負担、子どもが福島市の高校に入るので「いじめ」られないか不安。              (40代 男性)

・飯舘村には、あと10年以上戻らないと決めている。その先戻るかは、その時になってみないとわからない。飯舘村は、生まれ育った故郷。それでいい。これからの人生が大事だから、生活する場所にこだわる必要はないと考えている。原子力発電所がまだ不安定な状態なので、地震等の災害が来たら、行く先は決めていないが、すぐに逃げる覚悟はいつも持っている。                 (40代 男性)

・ストレスが富士の山よりも高く積もりました。         (80代 女性)

・避難先での生活としては長い年月が経ったのだなと思います。小学1年生の子供たちが、中学生になるほどの年月です。しかし、子供から高齢者の老若男女が、生活していけるような村になるという意味では、まだまだ短すぎる年月だと思います。山林の除染も何とかしてほしいと思います。自然と共に飯舘村の暮らしがありました。仮に除染をしても、元の暮らしが出来るとは思えないのが、正直なところですが…。100年、200年、300年経って、子供たちが何の不安も無しに、山や川など、外で楽しく遊べる日が来ることを願ってやみません。私は、飯舘村の写真を撮っているので、避難指示解除後、村に戻って精力的に活動している方や住民などにスポットをあてた写真も撮りたいと考えています。            (20代 男性)

・子供たちを自分と同じような環境で育てられない、地域社会の中で育てられない、そしてそれらを諦めてしまっていることを時折辛く感じる。別の場所に移り住んでそういう環境づくりをすればいいのだけれど、それでは地元に帰れなくなる。                (30代 男性)

②2017年3月末日で飯舘村が避難指示解除になりますが、まず、はじめにあなたは飯舘村に帰村しますか?それとも新天地で生活を継続していきますか?

《帰村するを選んだ方》

・村の指示に基づいて村に帰ります。飯舘村の自然と共に土で生きた人生でした。いのちの終焉は飯舘村の「土」になる覚悟で生きていきたいと思っています。

(80代 女性)

・いずれ帰村をする。そして、村での仕事をする。農地を守る。地域社会を守る。子供たちにつなげるかどうかは自分たち次第だと思う。       (30代 男性)

《新天地での生活継続を選んだ方》

・新天地に家を建てるので当面は新天地で生活していきますが、飯舘にも家を建て直すので、いずれは帰村するかもしれない・・・わからない。    (40代 男性)

・帰村しない。当分は、避難先で生活する。その後は、妻と一緒に永住できるような土地を探し、小さな家を建てる。
汚染された土地、フレコンバックがある風景。
そんなところに子供を連れて戻りたくない。
飯舘村は、まだ、元に戻る途中の状態である。まだまだ時間がかかる。

(40代 男性)

・まだ、帰りたいと思える場所ではないため。家族と一緒に新天地で暮らすことにした為。放射性物質、汚染の心配。避難先での生活の基盤が出来てきている中、早々に帰るメリットや理由が見いだせない。              (20代 男性)

・今は避難してからの生活が定着していて、現在の飯舘村で生活していけるのか?を考えると不安が多くあり(病院・買い物などのインフラ・放射能・フレコンバックなど)現時点では帰らないと決めて新天地で生活していきたいと考えています。   (40代 女性)

③避難指示解除について今のあなたの心境をお聞かせください。
・帰りたい方々が自宅や地域で過ごすことができて、大変良かったと思う。

(30代 男性)

・まず、避難指示解除の方針が示された時に思ったのは、「なんで?早すぎる」でした。その思いは、今でもまったく変わりません。そして、方針を知った村民の方たちの反応を見て、「こういう風になったのか」と思いました。避難指示が解除されたからといって、みんながやっと帰れるということではないんだな。
帰りたいけど帰れないんだな。
仕方なく帰るしかないんだな。
帰る気はないから帰らないんだな。
帰れるところじゃないから帰らないんだな。
帰っても、どう生活していくのか、何が出来るのか。
避難先での生活の基盤ができている方も多いと思います。
放射線量、汚染、単純にそれだけの問題ではないのが現状だと思います。

(20代 男性)

・避難指示になったときから、いつかは解除するとは思っていましたが、現況だと安心して帰れる状態ではないと思います。             (40代 女性)

・安心して村で生きる事への対応を!!とても不安に感じています。(80代 女性)

・仕方ないと思う。                      (40代 男性)

・汚染土が入ったフレコンバックが至る所にある状態で、避難指示が解除されることは到底許されるべきことではない。時の政府、県、村が責任不在のまま、自分たちの思いのまま決めているに過ぎない。そこに、避難している村民の声など反映されていない。村長選挙で今の村長が選ばれてしまったことに残念さ、無念さを感じる。

(40代 男性)

④今の行政に対してあなたが今、感じている事・思う事をご自由にお書きください。
・聴く耳、聴く場、伝えようとする場を持たない村なんて、本当の飯舘村じゃない!本当の飯舘村は村民の夢や将来、仕事継続等に向かってサポートする裏方!(村政が村民より)全面に出てどうする。誰がついていくのか?勝手にやってろと言われても、しょうがない。                      (40代 男性)

・村内での学校再開も、やはり本当にそれで良いものかと疑問です。
通学する際、子供を乗せた車やバスで、フレコンバッグが置かれているすぐ横を通り過ぎる。こんなことはあってほしくありませんし、とても悲しいことです。

(20代 男性)

・もう少し早い段階で村民からの意見に耳を傾け、話し合いをすれば、村民が知恵を出し合い、協調しながら解除に向けて準備ができたように思います。村政は、村民の為ではなく、「飯舘村」という名前だけ残ればいいように思えてなりません。

(40代 女性)

・役場職員のテンションは上がらないだろうが、前向きに頑張ってほしい。見る人は見ているから。応援・共同できるところはしていきたい。     (40代 男性)

・村職員の方々は大変忙しいのではないかと感じる。行政も続けられる体制でいてもらいたい。                          (30代 男性)

⑤さいごに上記の質問事項以外で何か伝えたいことがあれば、ご自由にお書きください。

・個々が懸命に生きていけば、それで良い。それぞれが家族を守りながら楽しく元気に暮らしていく事。行政には期待もしていないが、文句も全くない。大変だろうなと思う。俺にはできない。                    (40代 男性)

・村内で保護されている犬もこれから先どうなっていくか、気になるところです。
お世話してくださっている方の優しさとご苦労、そして、村内をパトロールされている方々、除染作業員の方々へ、感謝の気持ちでいっぱいの思いです。(20代 男性)

・誰も責任を取るつもりのないまま、ことが進んでいる。
飯舘村にこの先10年戻らない。飯舘村がどうなろうと構わないと思えれば楽なのだが、今の飯舘村のやり方を見ていると、どうしても我慢ならない。
我慢を抑えて生活しているとストレスがたまり、自分がダメになってしまうので、思うままに言い、思うままに行動するんだー!という気持ちで生きていきたい。

(40代 男性)

・高齢者が終の場所として選択した・・・村・国は安全、安心(人間が最低限度生活していく為に)をどう対応されるのか・・・?種々の角度から情報を頂いていきたいと思っております。私たちも村民として(自立・自律)と共生!!を常に心して生きていきたいと思っております。                  (80代 女性)

撮影ー筆者 2017年2月 飯舘村

撮影ー筆者 2017年2月 飯舘村

おわりにご協力いただいた村民の皆様に感謝をしたい。

この6年で村民の「声」はより重く響いてくる。

そして、言葉の裏にこれまで歩んできた平坦ではない道のりがどれほど険しかったことだろう…。

それぞれの苦渋の決断が迫られている。

 

 

フクシマは「風評ではなく実害」論に追い風 吉田邦吉

若松道端の薪 2015年4月 撮影:吉田邦吉

若松道端の薪 2015年4月 撮影:吉田邦吉

今こそ立ち上がる時が来た。ずっとこの時を待っていた。

「『風評ではなく実害』原発事故後の苦悩伝える 県農民連会長、国際シンポで訴え」という記事が朝日新聞で「2015年4月13日」、本田雅和氏によって書かれた。

引用はじめ ――
「風評被害」について県農民連の根本敬(さとし)会長は「風評とは根も葉もないことをいう。我々の農作物は根にも葉にも放射性物質を付けられた。実害だ」とし、加害責任をあいまいにする用語の使われ方を批判した。

……根本氏は、「国の基準値を少しでも下回れば安全ですって売っていいのか。それ以下なら風評被害だというのは消費者を敵に回す行為では?」という農民の悩みを伝えた。「核被害地で農民として生きていく」決意をした根本氏は「損害の自覚と覚悟が必要」と強調、「農村での食糧自立、原子力に頼らないエネルギーの自立」を説いた。

「……基準値が、科学ではなく政治的に決められ、住民は説得の対象になっている」と述べ、日本政府の住民帰還政策を「二重基準だ」とした。
――― 引用終わり

この記事の主張者は、福島県農民連の会長」であることに注目。つまり福島県の地元がそう言っている。他の新聞でも生産者は出ていたが再びこれによって今までの「反デマ論者(危険神話を作り上げた~、デマが悪い~、反原発が悪い~、差別が~、承認欲求が~、ナルシシズムが~、分断で複雑多様が~)」のみみっちい野次などは雲散霧消することになる。

同年4月末には、産経新聞もドローン事件に際して私吉田に取材してくれた。その内容にも放射能があるのは事実。生産者や生活者は苦しいというようにきっぱり書いてくれた。つまり放射能という根拠のある実害の意味だと当然に考えられる。

なお、朝日の同記事によれば福島市のフリージャーナリスト藍原寛子さんはマーシャルの被ばくでは小児甲状腺がんだけでなく30以上の疾患・障害に対する補償制度が確立されていると紹介したそうだ。こちらは健康被害・医療の問題だ。こういうことが福島県内部ではなかなか声が上がらない実態があるが、なるのは自分らだ。

このように今や、心ある人には、この土地と人を愛するのに、左右がないのだ。東日本大震災、原発事故、このような巨大な災厄と業務上の過失大事故に対して、そもそも右左の思想など、本来ないと私も思う。あくまで偽善的右傾化、ウヨ、そういうものだけがマスコミやネットで独り歩きしていた。

この発言が5年目の4月」であることにも注目されたし。「もう5年目だからそろそろ安全に」など、放射能がなるはずないことを如実に、克明に表している。現場の生産者の会長が言うのだ。

なおブロゴス記事2011年4月の国家公務員一般労働組合の記事のほうで根本さんは「福島を放射能で汚した東電はあらゆる損害を補償せよ!」と強く訴えている。一部さらに引用しよう。

引用はじめ――
……「危ないとわかっていても、つくらないと損害(賠償)の対象にならない」こんな馬鹿げた話があるでしょうか。まだ原発事故は収束の見通しもたっていないのです。

放射性物質の飛散は止まっていません。土壌の汚染は続いていると思います。作物の汚染も続いていると思います。……

消費者の過剰な反応を「風評被害」だといいます。いま現実に起こっていることは、根も葉もない風評ではありません。東電が起こした原発事故による放射能が大地と作物を汚染している実害です。「風評被害」で片付けることは、消費者に責任をなすりつけ東電を免罪することです。

心ある方々から「福島の産品」を買い支えたいという申し出がきます。こういうみなさんに、私はこう応えています。「お気持ちはうれしい。でも、みなさんにお願いしたいのは東電はあらゆる損害をすべて補償せよという世論を消費地で起こしてほしい。
引用おわり――
(※太字と丸括弧は筆者吉田)

震災直後から今まで、4年間ずっと彼は同じことを言ってきたのかもしれない(違うことだとウソになり損をするのは生産者自身だ、風評被害つまり売れないのは自己責任論などと同義にされる可能性)。根本さんはいつの間にか事務局長から会長になっていた。今でもこの文が通じることにも悲しみを覚える。

東京新聞も「風評被害」という表現を安易に使うな、なぜなら、東京電力福島原発事故をめぐっても、「風評被害」はともすれば、放射性物質による汚染を矮小化する文脈で乱用された(篠ケ瀬祐司、榊原崇仁)からだというように2015年5月12日に特報で書いている。

今までの通り一遍「ふくしま」キャンペーンのままで福島に待っているのは、「被害のまま風化の一途を辿る」だろう。うっすら感じている人もいるに違いない。いろんな人達が思想の違いをそのままに、まず一致団結して政府東電に責任をとってもらい、福島を保護救済していくことが大事だと私は考える。

放射能のせいなんだから。

「放射能を過剰に怖がるな論」に反論 吉田邦吉

そこかしこでささやかれる「放射能を過剰に怖がる必要ないし、福島の誇りを発信論」に私は唖然としています。放射能が怖くないなら避難してないし原発作業でタイベック着用してないしロボットで溶融燃料とりだそうとしないし100Bq基準で大騒ぎされません。

4年前の今日、わたしは大変な恐怖に包まれていました。この世から放逐されたと思いました。生きていけないんだと思いました。半分の人生は終わりだと思いました。ものと思い出と先祖伝来の土地や家や人々の笑顔や避難中の生命や毎日毎日の苦労や何気ない自分の暮らしなど、全てが、「恐怖と強奪」によって引き裂かれていきました。

その気持ち、わかりますか。
簡単に「過剰に怖がるな」などと言わないでください。

わたしたちが何か悪いことをしたんでしょうか。
放射能を怖がるわたしたちが何か悪いことをしたんでしょうか。

悪いことをしたのは、誰ですか。
大人の責任をとらないのは誰ですか。
野放しに黙っているのは誰ですか。

放射能で人生を奪われ、放射能で人が死に、放射能で悩ませられています。
決して「ハッピーフクシマ」など、わたしにとって、全く腹立たしい内容です。

放射線被曝で染色体異常が一度でたらその後の子供らは取り返しがつかないミスコピーが遺伝していくのに、ほとんど回復と言われ、「じゃあ大丈夫、過剰に怖がる必要ない論」こそが「危険」なのを、忘れていると思います。「過剰に怖がるな論」ではなく、真剣に話し合うべきです。

安全神話やめてください。

ハッキリ言う、本当のことを言う、それでこそ「信頼」は、勝ち取れるものだと思います。それがどうですか。責任者は逃げる。汚染水は垂れ流しだんまり。中間貯蔵施設だなどと福島をゴミ箱にし、原発事故はいつ終わるのかさっぱり見通しがつかず計画は伸び放題。これのどこが、「安心安全」でしょうか。

無理もたいがいにしてください。
そんなことより責任をしっかりとってください。
「過剰に怖がるな」ではなく「責任とれ」と言ってください。
本当に、うんざりです。

「風にたじろがず日々を生きる ~ 5回目の3・11によせて ~」 酒井政秋

2011年3月のあの日からもうすぐ4年。

未だ置かれている状況は『避難』という中の非日常のような日常を送っている。

いつ日常という平穏な暮らしに辿り着けるのだろうか。

4年という月日で自立再建の決断をそれぞれ迫られている。

その中でいつも心は揺れ動き定まらない状況だ。

「安住の住まい」とは、プライバシーが守られ、日々の中で最も落ち着く空間でなくてはならない大切な場所。そこが未だないというのは落ち着かない。

日々、仮設住宅では救急車のサイレンや隣の足音や物音の中で生きるというのは、心を乱される。

飯舘村で育ち暮らしてきたものにとって『音』の変化でもあったと思う。

飯舘村にいるときは鳥の鳴き声、カエルの鳴き声・川のせせらぎ、風の音それが生活の中での『音』だった。

そして、その『音』は四季を感じるとても心休まる当たり前の音だった。

 

原発事故というのはひとり一人の人生や生活を一変させ、住み慣れた環境だった故郷を汚染された。

確かにそこにあっても、自由に入ることが出来ても『生活』ができぬ土地になってしまった。

原発事故前の暮らしは二度と元には戻らない。

あの日あの時の厳しくとも心は豊だった暮らしは、思い出でしか味わえない。

未来へとゆく者として原発事故は日本のどの地域においても、世界のどの地域においても起きてはならない事だと思う。もう歴史は繰り返されてはならない。

 

風が運んできた放射性物質。

いつもわたしたちはこの4年、

ある意味で風に心を乱され続けた日々であった気がする。

風潮であったり風化であったり、良いも悪いも常に取り巻く風がある。

追い風にも向かい風にも成り得る風。

その風にたじろがぬように。

 

歴史の中で人は誰かが最先端として作ったもので、時を経てまた別の関係のない誰かが苦しめられるという現実がある。

そんな歴史の繰り返しで良いのだろうか。

いつもこの時期はやけに大きなプレッシャーがのしかかる。

そして

結びに2011年3月11日から現在まで多くの尊い命が旅立たれた。

人・ペット・家畜・自然

静かに深く祈りたい。

 

 

2015年3月5日 飯舘村の風景

2015年3月5日 飯舘村の風景