【特集 熊本地震:2】私にできること。それは伝えること。 酒井政秋

6月24日-

つぎに訪れた場所は熊本県益城町だ。
益城町は熊本県のほぼ中央からやや北寄りにあり、熊本市東部に隣接しており、熊本市のベッドタウンとしての役割も果たしている。
そこに、4月14日21時26分の前震とその28時間後の4月16日1時25分には本震が、熊本県をはじめとする巨大地震が相次いで襲った。
益城町に行くと、そこは無残にも家が崩れており、車道に覆いかぶさるかのように傾いた家やコンクリートの建物、1階が押しつぶされ2階だけが残っている建物、全部が斜めに崩れ落ちている家などが数多く点在していた。倒壊した家の前に、花束やお供え物が置いてあるところもあった。
被害がひどい地区は全く別世界のような、なんとも言葉にしがたい不思議な感覚に襲われた。
崩れた家並みの細い路地を歩いていくと、傾いた家の軒先にテントを張って生活をしている人、道路が崩れ落ちて、車が覆いかぶさっているところ、様々な光景が自分の目の前に飛び込んでくる。

シャッターを押す手も震えるとはこういう事なんだと初めて体験した。倒壊している建物 益城町にて
暮らしが揺れ動き、一瞬にして日常が崩れ落ち、そして、非日常の日々を送っている事はいかばかりか。想像はできるものの、全く東北の地震と質の違いに唯々、呆然としながらもこの状況をどう伝えればいいのか分からない時を過ごした。唯一、そんな時でも花はけなげに咲いていた。自然は時に、牙をむくときがある。けれども、自然でまた、癒されることもある。そうして、この困難を乗り越えてほしいと花を見ていてそう思った。

倒壊している街並みに咲く花。益城町にて
今は必死で日々を過ごしているのだろう。けれど、仮設住宅や借り上げ住宅に移ったとき、ホッとするのと同時に様々な喪失感と向き合わなければならない。その時、心身の疲れが噴出するときでもあるだろう。
そこをどうやって人支えで踏ん張っていくことができるのだろうか。
これは正直、地域、地域で全くニーズややり方が違う。被害の差によって生まれてくるであろう格差と生活再建までのスピードの差。その地域、地区に合う生活再建までの道のりをどう議論していくかが今後の課題でもあるように思えた。
旅の最後に訪れた喫茶店で、たまたま喫茶店の奥様とお話しすることができた。

「実は毎日不安で不安で、でも、そんなこと口にできないですから、みんな頑張ってますから。私も頑張ります。」

と笑顔で仰ってて、わたしはとっさに「頑張らなくていいと思います。悲しい時は泣いていいし、辛いなら辛いと誰か信頼できる人に言ってください。そうしないと、後々、心がつぶれてしまいますから。」と言わずにはいられなかった。奥様の笑顔はとても優しくその奥がとても疲れたように感じたからだ。

今回、西原村、熊本市、益城町を見てきた。それぞれの土地で被害の質と問題が違うこと、共通の問題もあること。それぞれに時間のかかる課題と天候によって、復旧するまでにながい道のりになるだろうなと感じた。
わたしに何ができるわけではないが、極論を言えば、最後に歩いていくのは個人個人だから。自分の歩幅で1歩1歩。疲れたら立ち止まり、周りを見渡し、また歩めばいい。絶対に無理して頑張ろうとしないこと、弱音だって信頼できる人には吐いたっていい。人間そんなに完璧な人間はいないのだから。そんなエールを個人的に送りたい気持ちだ。

九州が揺れたとき、自分が3.11に揺り戻された。

必死で熊本の友人・知人に情報を伝えた。
けれど、今回の自分は当事者ではない。
外側から何ができるだろうか。
物資を送ること、募金、それぞれ、一通りやった。
それでも、すっきりしない心があった。
揺れ動いた心が落ち着かなかった。
そして、やはり、自分の目で、耳で聴いて、視て、確かめたかった。
そして、やはり自分は震災後”伝えること”を大切にしているので、自分らしい支援の形、それは「伝えること」だった。
それがとても大切な気がしてこうしてペンを走らせた。

最後に、今回の地震によって尊い命に鎮魂の祈りと、今なお避難所で大変な暮らしをなさっている方々の日常が一日も早く取り戻せることを祈りつつこの文章を締めくくりたい。

熊本城