残雪の只見線を行く

「つげ義春」的な旅を好ましく思っている。
九州、四国、佐渡ヶ島、桧枝岐、奥多摩等々、バイクでいろんなところをテント携行ツーリングもした。若くなくなってからは、もっぱらローカル線の旅が性に合っている。

2007年4月初旬、只見線全線に乗り沿線の美しさに魅了され、もう一度乗りたいと思っていた。
JR只見線は、福島県会津若松駅と新潟県小出駅をむすぶローカル線である。
会津若松駅から只見駅までは、平地から只見川沿いの山あいの町をつないで走る。
只見からは福島と新潟県境の豪雪地帯を峠越えして、米どころ魚沼を通り小出駅までむすぶ。

水力発電のためのダムがたくさんある只見川は、2011年7月の大雨で大きな被害を受け、会津川口駅から只見駅までいまだ復旧のめどがたっておらず、代行バスが運用されている。

昨年は会津川口駅の民宿に一泊した。
宿のご主人が洪水災害の写真集を見せてくださり、被害の甚大さに驚いた。

これは今回行った只見町だが、青い表示板まで冠水した。只見川より国道はずいぶん高い位置にあるが、さらに上まで水に浸かった。

今年3月末、念願かなって残雪の只見線を再訪した。
ただし、只見駅から新潟県側の大白川駅間はなだれ注意のため不通になっていたので全線乗車はかなわなかった。

会津若松市内はすっかり雪は溶けていたが、会津坂下駅をすぎ山間部に入ってからは残雪がちらほらと。

会津川口駅にて

会津川口駅で少し待ったあと代行バスに乗り込むと、先生に引率された高校生のグループと一緒になり、とちゅう、只見川の鉄橋が寸断された箇所を先生が生徒に説明される。
景色より生徒たちのおしゃべりについつい耳を奪われてしまい、写真を撮りそこなう。

さて、只見駅に着いて引き返さねばならないが、1本バスを見送ってひと駅歩くことに。
只見駅には只見町の方の工芸品が置いてあり、ていねいにつるで編まれたかごに目を惹かれる。
駅前には麹屋さんが2件ほどあり、これは寄ってみればよかったと後悔。
道路はきれいに除雪してあり、雪の壁ができている。

只見駅から国道に出て歩く。

只見川へ降りていくと真っ白の積雪が目に痛いほど。
空の青と雪の白と落葉樹のグレー、針葉樹の濃緑の世界。

只見川

あちらこちら道路わきの作業ヤードに除雪車やブルドーザーなどの重機が置いてある。厳冬期は毎日稼動するのだろう。
暖かくなってきて、雪の壁を崩して広い場所に移動する作業も見かけた。
雪国の生活の厳しさを思う。

2011年7月から走っていない只見線の高架橋

道路わきに並ぶ墓石。すべて~信女とあるので女性のものか。
どういうわけでこんな場所に女性だけひとまとめにあるのか気になる。
tadami09江戸時代後期の曲り屋、旧長谷部住宅。会津と越後を結ぶ八十里越えの番所として使われたそうである。

旧長谷部住宅(叶津番所)

そのおとなりには、不可思議な蔵が・・・。仏陀の目か、蔵盗人よけなのか、これは新しそうだ。

tadami11

叶津番所となりの蔵。雪の壁にはばまれて、どこからも入っていけなかった。

5~6キロ歩いたところで会津蒲生駅に着き、代行バスで会津川口駅に戻り、只見線復旧のためのカンパをいくばくかして帰途に着く。新鶴駅付近で、会津平野に広がる田んぼに白鳥がたくさんいるのを見た。

帰宅して只見駅でもらった「奥会津だより」というパンフレットを読んでみると、ただの観光案内にあらず。
パンフ1 パンフ2
こどもが同居している祖父母に昔の話を聞く、というすばらしいコーナーがあって、とても楽しめた。発行元をみると只見川電源流域振興協議会であるが、編集しているのは奥会津書房とある。
奥会津地方の文化と生活に関した良書を発行している出版社である。得心がいった。

只見線に限らず、多くのローカル線は赤字路線である。
過疎化の進む地方は震災、原発事故以前からの問題として活性化に頭を悩ましている。
ただお気楽に旅していた頃とは違って、ほとんどの自治体が助成を受けて地域振興を行うきびしい現実を今にして知る。

私たちのこころの財産として守らなければいけないものが、採算がとれないという理由で次々と失われるようなことがあってはいけない。
奥会津は、世界遺産の白神山地よりも広大なブナの原生林がひろがっている。
この宝物をあまねく味わうために、私はこれからも訪ねつづけるだろう。

 

参考:会津若松市HP 「只見線の全線復旧に向けて」
http://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/docs/2013070900048/

おくたび紀行 ~ 縄文の息吹 ~ 下

  
  
おくたび紀行 上
おくたび紀行 中

生活工芸館までの近道。短時間ではあるが、久しぶりの山歩きがうれしかった。

生活工芸館までの近道。短時間ではあるが、久しぶりの山歩きがうれしかった。

登り切った先の平地に営業中の山小屋風蕎麦店を発見。
山の上に在った人の温かさは意外にもわたしの気持ちをホッとさせた。

ものづくり

ものづくり 生活工芸館

わたしは次に来る電車の時間までの見学組だったが、ものづくりをするならヒロロコースターを編みたいと思っていた。自分の名前と似ていたのも理由の一つではあるが、「編み組」には以前から興味があったのだ。

1階に到着すると、職員の方たちは早速それぞれの指導を始められた。
ヒロロはまず “縄ない” から。縄を作ってようやく細工に取り掛かれる……気が遠くなりそうな工程だが丈夫に違いない。もし参加していたら時間内に終わらなかっただろう。そんな不器用なわたしだが、近い将来編み方を習い、笊や草履を編んで活かし、出来ることなら次世代に伝えたいと思っている。

1階では、ヒロロコースター700円(約2時間)と、山ブドウストラップ 700円(約1時間)の編み組体験。
2階では、桐トンボ 600円(約2時間)キーホルダー 500円(約90分)マイはし作り 600円(約90分)の木工体験。

雪深い奥会津での冬の手しごと。三島町では約2,500年前の縄文時代の荒屋敷遺跡から編み組細工が発見されている。親から子へと伝承され、また、ものづくりの文化を後世に伝えるため、昭和56年から生活工芸運動が三島町で始まっている。
– 下記 Website 参照 –
「福島県ホームページ 福島の伝統的工芸品」
「雪国の手仕事 奥会津編み組細工」

わたしは一足お先に退出、ここから先は一人おくたび。

山から降りたら桃源郷・・・

山から降りたら桃源郷・・・

民家に人の気配はあるものの、全てが静けさに包まれていた。

忘れてはいけない、忘れていた何かを思い出させてくれた、おくたび。
現代(いま)を生きるわたしたちに流れている「縄文の血」はなお、未来へと息づくのだ。
  
  
冬でも会津はアツイ☆2014年のCMに只見線が採用された。
「行くぜ、東北。CMギャラリー2014 冬」
会津鉄道は4位。なんと会津地方で2路線がランクイン。
「楽天トラベルローカル鉄道ランキング第5位にえらばれました!」
  
  

おくたび紀行 ~ 縄文の息吹 ~ 中

※(上)はこちら

会津西方駅に到着。駅近辺出身の主催者の方を含めたお三方が自己紹介と、旅のスケジュールなどをお話してくださり、心の準備は万端。そして村歩きがスタートした。

会津西方駅に到着。駅近辺出身の主催者の方を含めたお三方が自己紹介と、旅のスケジュールなどをお話してくださり、心の準備は万端。そして村歩きがスタートした。

川沿いの細い道を歩く。殆ど車が通ることはないというこの道で、十数名で歩いているわたしたち然り、車も1台通り過ぎた。この光景を見た地元の方は祭りの日を思い出されていたかもしれない。

川沿いの細い道を歩く。殆ど車が通ることはないというこの道で、十数名で歩いているわたしたち然り、車も1台通り過ぎた。この光景を見た地元の方は祭りの日を思い出されていたかもしれない。


名入地区出身の方から「材木を筏(いかだ)にして只見川に流して運んでいた」と教えていただいた。
この「筏流し」の歴史については大変興味深いので、お聞きしたお話を含め、別の機会に改めて寄稿しようと思う。

おくたびに参加する2週間前、奇跡的に読了した赤坂憲雄さんの「子守り唄の誕生~五木の子守唄をめぐる精神史~」の一説を、このとき思い出していた。「おどんがお父っつぁんな、川流しの船頭、さぞや寒かろ、川風に」
ナガレモンである守り子とその父親「ナガシ山師」の存在だ。
じわじわと「奥会津」への関心が高まる。

西方地区出身の方とお話していると「夜、会津西方駅から隣駅まで歩いたことがあるんだけど、本当に、真っ暗!!何にも見えない!」とおっしゃっていた。出身者だからこその、貴重な体験談である。
この辺りを夜歩く際には懐中電灯は必須だ。替えの電池も忘れずに!そんなことを話しながら、真っ暗な夜歩きに手持ちの灯りが必要なことはむしろ、とても自然なことなのだと考えていた。そんなことも気づけない現代人でありながら、かなり希釈されたわたしの中に在る縄文の血に寄り添ってみる。

降りた側と反対側の会津西方駅、先ほどと大分違って見えたため線が違うのだと勘違い。「只見線は単線です」

降りた側と反対側の会津西方駅、先ほどと大分違って見えたため線が違うのだと勘違い。「只見線は単線です」

紅葉が残っている線路沿いを眺めながらテクテク

紅葉が残っている線路沿いを眺めながらテクテク


毎週、郡山市から乗りに来られているという只見線フリークの方とお話しをしていた。「只見線の景色を見ていると落ち着く」のだそうだ。
「このような場所には住んだこともないのに、懐かしさを感じる不思議さ」を口にしたわたしに、彼はこう言った「原点に還るのだろう」と。
閃光が走ったように感じた。
彼や参加者の方々に、わたしの中にも流れている遠いご先祖様の血が、きっとこの風景を記憶しているのだ。
この「懐かしい感覚」は気のせいではなく、「誰もが思い出すことのできる記憶」なのだろう。

後に読んだ 奥会津書房出版の 会津学 Vol.1では、菅家博昭さん、遠藤由美子さんとの【特別座談会】の中で、赤坂憲雄さんはこのような現象を「内なる異文化」と表現されていた。
祖父母、父母の「人生の断片」
それは自分の中に繋がる、糸……。

おくたび紀行 ~ 縄文の息吹 ~ 上

  
  
さわやかな秋晴れの日、古代の記憶に遡る奥会津の旅に出た。
  
  
「第1弾は『西方』を舞台にした”静けさ”に浸るたび」
「昔ながらのものづくりが息づく地域、冬は豪雪地帯でもある」
「私たちが知らないたくさんの宝が眠っている地域」
そうだ 宝さがし、行こう!
  
  
会津若松市に住み始めて3年目。
未だ会津地方をよく理解していないため
“西会津”と“奥会津”とが頭の中で混乱しつつも、第一弾は
「初めて乗る只見線」がメインの『おくたび』を楽しむこととした。

西本浩幸さん主催の「おくたび」。
ジャズセッションを通して知り合った西本さんは、会津若松で大学生時代を過ごされ卒業した後上京、10年間働いて会津若松にUターンされたという “愉しい感性”の持ち主である。

イベント詳細:Facebook
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会津西方駅の所在地は福島県大沼郡三島町大字名入、「三島町」に該当する。只見川流域の発電所建設工事に伴う労働者の転入などにより、1950年には7,721人と三島町の人口はピークに達するが工事完了後、急速な人口減少と少子高齢化が進む。2010年は1,926人、60年間で約1/3に減少。
三島町
桐の里会津三島町 町の推計人口・世帯数

わたしは関東の都心部に長く住み、電車社会を当たり前として過ごしてきた。10分と待たないうちに次の電車が来る感覚を、そろそろ切り替えなくてはならない。
只見線は会津若松駅から1時間に1本、多い時間帯で2本、会津西方駅からの上りは一日6本。車社会の山間部ではこのくらい控えめが丁度良いのだ。

会津若松駅から15駅先の会津西方駅までの運賃 840円で切符を購入し只見線に乗り込んだ。駅のホームに止まっていた何台かの電車には、赤べこや、見覚えのあるアニメが描かれていた覚えがある。ただでさえワクワクな旅心を更に盛り上げてくれる計らいだ。

13:09 出発進行。
晴れた空と、収穫後の田園風景が、窓のキャンバスいっぱいに広がる。それは紙芝居のように、一枚一枚の瞬間に見える景色の連続が流れて行くのだった。
SLが展示されている柳津駅を過ぎると山が深くなり、駅もこじんまりとしてきた。
駅初めての只見線。コンテナのような駅を初めて見てゴキゲンの一枚。

ひろき旅している感満載のボックスシートで、郡山から参加された方の差し入れ「飛露喜」をいただいて嬉しき舌鼓。西本さん「メロンのような…」ご感想の通り、大変フルーティでおいしい日本酒だ。

車窓の只見川車窓に映る只見川に、「わー!すごーい!きれー!」なーんて甲高い声が、ガラにもなく自然に出てきた。

間もなく会津西方駅。
景色とお話を楽しみながら過ごす時間は短く感じられる。
仲間と一緒の旅は、一人のときとは違う「何か」を発見できるものだ。

只見線は、東日本大震災から4ヶ月後の豪雨の影響を受け、今尚、会津川口駅~只見駅間は再開の目処が立っていない。
今回書きたかった内容の一部をまとめ上げられていた記事を12/9 の福島民報新聞で見つけた。
「ふくしまを詠む 黛まどかの俳句紀行 只見線 人々の心つなぐ鉄道」

西本さんが講師を務められる東京でのイベント
「地域を変えて行く力を学ぶ講座@稲城」