郡上踊りとローカル線と   伊藤千惠

ことしの盆休みの最後、どうしても岐阜県郡上八幡の郡上踊りに行きたくなって青春18切符で在来線を乗り継ぎ、片道400キロ、約9時間半かけて行ってきた。

日本三大盆踊りのひとつに数えられる郡上踊りは、江戸時代より400年、城下町郡上八幡で歌い踊り継がれてきた。
盆踊りは、中世におこった鎌倉仏教系の踊り念仏が起源と言われている。宮廷ではなく民草のあいだで流行ったのがかっこいい。
藝能のはじまりである「祭り」は、外からまれびと(客人)がやってきて、訪問された家の人がまれびとを歓待するために踊りや歌を供したことからくるのではないか、と民俗学者、折口信夫はいう。思うに、まれびとは神や霊や森羅万象の具現化したものなんだろう。
むろん生きた人間、村人が神や霊に扮して村の家を訪れるのであるが、歌や踊りを供してまれびとの魂を鎮めることに意味がある。
盆踊りもこの時期、この世に戻ってくる死者の魂を鎮めて、ちゃんとあの世に帰ってねという意味あいでなされる。
一遍上人のような諸国を遍歴した遊行僧がはじめた念仏踊りが盆踊りや風流踊りに、そして宗教性が薄まり田楽や猿楽といった藝能へ発展していく。

ずっと気になっていることがある。
この全国を漂泊した僧たちや藝能者は後世、と賤民して差別されるのだ。
動物の解体や皮はぎ、死者の埋葬などを職業とした人たちはもとより、山の民、海の民、巫、巫覡、神人とよばれる神社に属する下級職も含まれる。
死者の埋葬や動物の解体に携わる人が死や血のけがれにさわるという理由で差別されたという解釈は理解できる。
では藝能者や遊行僧のような人たちは定住しないから差別されたのだろうか?
藝能、祭りの淵源は神事につながる。古代天皇は祭祀王であったのか?
聖と俗。ハレとケ。けがれときよめ。聖なるものが賤視される。
諸国遍歴した遊行僧は聖(ひじり)と呼ばれた。
すべての研究書を読むほどのことはできていないが、定説はない。
決して歴史の表舞台で多くの人が熱狂する人物が登場することもないフィールドではあるけれど、私たちのこころのあり方や考え方を意識下で形成してきたものがそこにあるのではないか、と私は思っている。これからもずっと考え続けていくだろう。

それはさておき、私の踊りたい歌いたいという欲求が、「自分の内部に良き魂を招じ入れることが鎮魂ということ」という折口説に自然にフィットしてしまったので、誰が参加しても良いという郡上の盆踊りに行くしかないではないか。

期間は、なんと7月中旬から9月上旬にかけて33夜も行われ、8月の盂蘭盆会には徹夜踊りが4日間行われる。その徹夜おどり最後の16日、浴衣と下駄持参で行ってきた。
会場は毎日かわるが基本、ストリート。お囃子の山車を中心に細長く輪になって踊る。
踊り手が多いので2重3重の輪になって踊る。10種類の曲があり、緩急それぞれ組み合わせた配列で演奏されるので、飽きずにとても踊りやすい。
よく見る盆踊りの所作とはかなり違う。こぶしをあげたり、下駄で地面を蹴る所作が多い。
これは、歌舞伎や能、日本舞踊にみる足で地を踏む所作反閇(へんばい)からきていると言われているのと同じだろう。反閇は、陰陽道の足の運び方で邪気を鎮める呪法である。相撲のしこを踏むことも、歌舞伎で六法を踏むのもそこから来ている。
まさに「郡上甚句」という相撲甚句からきた曲もあり、ナンバ(右手と右足、左手と左足が同時に出る動き)でこぶしをあげる所作が相撲取りのようでおもしろいものであった。

特筆すべきは、踊る人の年齢層も男女比も極端な偏りがないこと。高齢の方も小中学生も男女同じくらいの数が楽しそうに踊っていた。中心になるのは30代のようだったが、それも珍しいのではないだろうか。端正な浴衣の着方をしている人が多く、郡上踊りにかける意気込みを感じた。
街並みの古さと水路がはりめぐされた水の町といった風情が、ちょっとした時空を超えた旅の趣きがあったことを申し添えておこう。

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蛇足ながら旅のルートとその感想
《往き》―下図の青いルート
JR東海道本線 東京⇒岐阜、
JR高山本線 岐阜⇒美濃太田
長良川鉄道 美濃太田⇒郡上八幡(すべて各駅停車)
《帰り》―下図の赤いルート
長良川鉄道 郡上八幡⇒美濃太田
JR太多線 美濃太田⇒多治見
JR中央西線 多治見⇒塩尻
JR中央本線 塩尻⇒東京

往きの東海道側は、人口密集地らしく在来線の本数、車両の数も多く、乗り継ぎ時間があきすぎることもなかった。が、乗り換えでホームに降りるも、殺人的な日差しにめまいが。
長良川鉄道は1車両だけのワンマン運転で本数も少ない。始発の美濃太田は人口密集地だが、美濃市をすぎたあたりから長良川に沿って自然がひろがる。終点まで乗ってみたい。
帰りの中央西線は山の中を4両編成でゆく。統計GISを見ていただく通り、駅前にも人家はまばらである。車窓から見える木曽川が上流であるからだろうか、水深が浅く岩が突出していることに驚く。木曽の山の中とて製材する前の木材が線路脇に積まれている。
過疎を思わずにはいられない。

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(出典:株式会社東京教育公論HPより)

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(出典:総務省統計局 地図で見る統計(統計GIS)

・郡上踊り公式HP(郡上八幡観光協会)
http://www.gujohachiman.com/kanko/odori.html

参考文献
「日本藝能史六講」:折口信夫
「折口信夫全集 第二巻」:中央公論社
「ケガレの民俗誌」:宮田登
「柳田国男を読む」:赤坂憲雄
「辺界の輝き」:五木寛之・沖浦和光
「日本の歴史を読みなおす(全)」:網野善彦
「東北学 vol.7」:東北芸術工科大学東北文化研究センター