紹介コーナー 『歌集 青白き光』 佐藤祐禎 : いりの舎文庫  -伊藤千惠

歌集「青白き光」 :佐藤祐禎 入りの舎文庫

歌集「青白き光」 :佐藤祐禎
入りの舎文庫

いつ爆ぜむ青白き光を深く秘め原子炉六基の白亜列なる

わが町に稲あり魚あり果樹多し雪は降らねどああ原発がある

鼠通るごとき道さへ舗装され富む原発の町心貧しき

「この海の魚ではない」との表示あり原発の町のスーパー店に

反原発のわが歌に心寄せくるは大方力なき地区の人々

原発に勤むる一人また逝きぬ病名今度も不明なるまま

原発に怒りを持たぬ町に住む主張さへなき若者見つつ

(歌集 青白き光〈いりの舎文庫1〉より)



これらの短歌は、いずれも2011年3月11日以前に詠まれたものです。
詠み人は、福島県双葉郡大熊町で農業を営みながら、反原発をうたってきた佐藤祐偵氏。

75歳にして初めて上梓された歌集「青白き光」は、平成16年発行当時、安全神話がまかり通っていた時代ゆえに問題作とはならなかった、とあとがきにあります。
原発事故後、「予言の書」として注目され、平成23年12月に文庫版としていりの舎から再版。カバー裏の写真は、まぎれもない農業者の朴訥な顔を映しだしています。

「青白き光」というタイトルを見て、私はまっさきに東海村JCO事故を思い出しました。
短歌や俳句、古典などに浅学な私にも祐禎氏のうたはまっすぐに入ってきます。

事故後、家族バラバラの避難生活を余儀なくされ、2年後の平成25年3月12日にいわきの病院で逝去されています。


七人の家族が五ヶ所に別れ住みケイタイに日々の言葉をつなぐ (福島県短歌選集 H23)

原発にわれの予言はぴたりなりもう一度いふ人間の滅亡 (避難後、歌集未収録)

(いりの舎発行:うた新聞 2014年3月号より)


祐禎氏が師に言われたという、『今歌わなければいけないものを詠め』
ということばが深く刺さりました。

 

 

「放射能を過剰に怖がるな論」に反論 吉田邦吉

そこかしこでささやかれる「放射能を過剰に怖がる必要ないし、福島の誇りを発信論」に私は唖然としています。放射能が怖くないなら避難してないし原発作業でタイベック着用してないしロボットで溶融燃料とりだそうとしないし100Bq基準で大騒ぎされません。

4年前の今日、わたしは大変な恐怖に包まれていました。この世から放逐されたと思いました。生きていけないんだと思いました。半分の人生は終わりだと思いました。ものと思い出と先祖伝来の土地や家や人々の笑顔や避難中の生命や毎日毎日の苦労や何気ない自分の暮らしなど、全てが、「恐怖と強奪」によって引き裂かれていきました。

その気持ち、わかりますか。
簡単に「過剰に怖がるな」などと言わないでください。

わたしたちが何か悪いことをしたんでしょうか。
放射能を怖がるわたしたちが何か悪いことをしたんでしょうか。

悪いことをしたのは、誰ですか。
大人の責任をとらないのは誰ですか。
野放しに黙っているのは誰ですか。

放射能で人生を奪われ、放射能で人が死に、放射能で悩ませられています。
決して「ハッピーフクシマ」など、わたしにとって、全く腹立たしい内容です。

放射線被曝で染色体異常が一度でたらその後の子供らは取り返しがつかないミスコピーが遺伝していくのに、ほとんど回復と言われ、「じゃあ大丈夫、過剰に怖がる必要ない論」こそが「危険」なのを、忘れていると思います。「過剰に怖がるな論」ではなく、真剣に話し合うべきです。

安全神話やめてください。

ハッキリ言う、本当のことを言う、それでこそ「信頼」は、勝ち取れるものだと思います。それがどうですか。責任者は逃げる。汚染水は垂れ流しだんまり。中間貯蔵施設だなどと福島をゴミ箱にし、原発事故はいつ終わるのかさっぱり見通しがつかず計画は伸び放題。これのどこが、「安心安全」でしょうか。

無理もたいがいにしてください。
そんなことより責任をしっかりとってください。
「過剰に怖がるな」ではなく「責任とれ」と言ってください。
本当に、うんざりです。