書の海を漂う~乱読日記*その四  ダークツーリズム・ジャパンVol.2    伊藤千惠

DTJ

ダークツーリズム・ジャパンVol.2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダークツーリズム・ジャパンVol.2  東邦出版 2016.1.4発行

以前、1号を紹介したが、2号も大変に内容が濃い。
たとえば、産業遺産の持つ人間の英知ともいうべきわくわくするような技術力と、公害や差別など負の遺産と、光と影の両方にアタッチするような、ひととおりではない旅のかたちを提言している。

わがヴェルトガイスト・フクシマ吉田邦吉編集長の「会津三方道路の痕跡を往く」という記事が非常におもしろい。
明治初頭、喜多方で勃興した自由民権運動のきっかけとなった会津三方道路をたどる旅である。
戊辰戦争後の明治15年に敷設された、会津若松を起点として山形、東京、新潟のそれぞれ三方を結ぶ会津三方道路も、喜多方の自由民権運動も浅学にして知らなかった。
政府から派遣されてきた県令のもとで、会津民が人夫として過酷な土木工事に賦役させられて完成した道路が、わずか15年後に鉄道に輸送の主役をとってかわられるという運命になんとも重層的な哀しみを感じる。
東北の歴史が大和朝廷の時代からつねに中央に侵略され恭順させられてきたことを考えると、近代まで、いや原発事故後の現在までも、赤坂憲雄さんが福島はいまだに中央の植民地であると言ったことが頷ける。

詳細は本文を読んでいただくとして、
何より、ふるびた道標を頼りに草むした旧道跡をたどるのは楽しそうである。
山歩きやローカル線、極力幹線道路を使わないバイクツーリング好きとしては、何から何までおぜん立てされた旅より好奇心をそそられる。
鉄道廃線跡を歩くとか旧街道をたどる歴史ファンは数多いが、ネガティブな面も含めて忘れられた歴史を掘り起こし、自分の足で歩きながら痕跡をたどることは、ただ「知る」ことみならず幾重にも「考える」ことをも掘り起こす。

ほかにも実に興味深い記事がたくさんある。
近代の産業遺跡をたどることで、より現在の日本が見えてくる。それは構造的なものだけではなく、日本人の精神性をたどることの意味でもある。

 

書の海を漂う~乱読日記*その一  ダークツーリズム・ジャパンVol.1    伊藤千惠

本を読むことが好きである。自分にとっては娯楽と学びの両方を兼ねそなえた至上の趣味。本の中には人が経験が思想が世界が凝縮されている、と思っている。

たとえば「薔薇の名前」を読むと、純粋な信仰心と暗鬱な因習のせめぎあう中世ヨーロッパのキリスト教社会の雰囲気を、現代イタリア人よりも体感できるかもしれない。実際に史跡をめぐるよりも深い理解を与えてくれるかもしれない。もちろん、経験に勝ることはないかもしれないが、過去は体験できないし他人にはなれない。すぐれた示唆を与えてくれる書物はたくさんある。フィクションでもノンフィクションでも。

評論・解説などおこがましいことは身に余るので、ぐっときたりはっとした一文に出会った記憶をここにとどめておきたいと思う。

0821_01

ダークツーリズム・ジャパンVol.1

ダークツーリズム・ジャパンVol.1  ミリオン出版 2015.9.10発行

“ダークツーリズムとは何か?”という副題がついている。
「あえて地域の悲しみの跡をたどる」と、ダークツーリズムの第一人者、井出明氏は言う。
1990年代からイギリスで提唱され始めた概念で、自然災害や戦争のいわゆる負の遺産を観光として取り入れたものだ。アウシュビッツやチェルノブイリがあげられるだろう。
日本では、悲劇の場への来訪は不謹慎とみなす風潮はダークツーリズム普及のための足かせになっていると井出氏。
これは、時間が関係するかもしれない。沖縄のひめゆりの塔などは時間がたっているから観光地として成立しているのかもしれない。
はっとしたのは、防災の世界では「人は二度死ぬ」と言われている、という一文。
肉体的死のあとに、その人を知る人が誰もいなくなってしまうことが二度目の死。多重の意味もある。災害の頻発するような土地に、蛇崩、蛇谷というような地名がつけられても、開発で地名がなくなり、土地の記憶が消失することで、同じような災害がまた起こる。
悲しみの記憶を失うことで、災害への備えも差別されてきた他者の痛みも社会に継承されずに来てしまう。
今号ではハンセン氏病棟の取材もあったが、今までダークサイドを見ないようにしてきた日本人には、ダークツーリズムの可能性は非常に大きい。
というような論考にいたく首肯した。「福島第一原発観光地化計画」の東浩紀氏と井出明氏の対談もとても共感するものがあった。

大熊町からの避難者である、このヴェルトガイスト・フクシマ編集長、吉田邦吉氏の記事も掲載されている。そのはじめの一節。
「ちりちりと無音の、かなしみのわたあめが空に降りそそぐ」

 

注:「薔薇の名前」 1980年、ウンベルト・エーコ(伊)作  1987年、映画化(ジャン=ジャック・アノー監督)