被爆のマリア   高田 緑


IMG_20150808_100456

現在の浦上天主堂 / カトリック浦上教会 (撮影 : 高田緑)

70年前の8月9日、長崎市に原爆が投下されたその時刻、浦上天主堂で聖母被昇天の祝日の準備をしていた24名の信徒と2名の司祭が犠牲になりました。 準備とは、祝日のミサの前には欠かせない、神に罪を告白する「告解」のことでもあったのです。信徒たちは、祝日のミサに臨む “心の準備”もしていたのです。

爆撃により、浦上の信徒12000人の内8500人が、長崎市民74000人もの命が落とされました。

15年程前、ふと思い立ち、長崎を訪ねました。 浦上天主堂の朝のミサに与り、祈りを捧げました。カトリックでは、同じ日時に世界共通のミサを捧げますが、長崎ではミサの前に特別な祈りがあり、原爆で犠牲になった方への鎮魂と平和の祈りを捧げます。その祈りは、毎日欠かすことはありません。

原爆が投下されたというその地点、今は公園になっている”グラウンドゼロ”にも行きました。 その場はまるで時間が止まったかのように、空気が、風が、全てが静寂の中にありました。当時爆撃によりその場は”真空状態”になったと云われていますが、静寂がそれを教えてくれたかのようでした。いまだかつて感じたことのない、とても不思議な感覚を、今でも鮮明に覚えています。 霊魂というものを否定できない私には、 “沈黙の声” だったのだと受け止めました。

浦上天主堂の祭壇に奉られていたという、イタリアから送られた「無原罪の聖母」の木製の像は、とても美しかったと言われています。 浦上天主堂の上空500mで原子爆弾が炸裂したその日、『被爆のマリア』となりました。 瓦礫の中から、真っ黒に焼け焦げた顔で、深い悲しみをたたえて自分をみつめていることに気付いた長崎市出身の一人の復員兵こそが、北海道の修道院に帰院する途上の野口神父だったのです。 野口氏は北海道の自室に安置して毎日祈っていたそうですが、その後、原爆三十周年の年に浦上天主堂に返上されたそうです。 この『被爆のマリア』を初めて見たとき、私は底知れぬ深い悲しみを感じました。 光を失った悲しみの黒い瞳から、彼女は何かを訴えているのです。 深い悲しみは、犠牲になった多くの人の悲しみ。 今後、決して、このような悲しみが起こらないようにとの、祈りがこめられているのです。 「あなたを私は決して独りにしません」 「無実な人をこれ以上傷つけないでください」と。

福島県郡山市に、模擬原爆(パンプキン)が投下される予定だったと、以前、何かの本で読みました。郡山大空襲に次いでの原爆投下。 たまたまその日、郡山市上空は曇っていたため、実行されなかったそうですが、もしも、郡山市に投下されていたならば、私はこの世には存在していなかった可能性もあったのです。 悲劇にもその模擬原爆は、7月20日、福島市の渡利の水田に投下され、国民学校の高等科を卒業したばかりの14歳の少年が犠牲となりました。 そして、日本の数ヶ所での模擬原爆投下が、広島と長崎へと繋がっていったのです。

広島市と同じ被爆都市でありながら、長崎には被爆体験をシンボライズする遺構が何故に残されなかったのかとの論議がありますが、焼け野原で人々の苦しみを見つめていた、変わり果てた姿の”被爆のマリア”が全てを語っているのではないでしょうか。

『被爆のマリア』は、今も平和を祈り、悲しみに暮れる人々を光へと導いているのでしょう。

鎮魂の祈りを捧げて…..

平和を願い…..

DSC_0459

「被爆のマリアに捧げる讃歌」 CDジャケットより

(参考資料 :被爆のマリアに捧げる讃歌より「 被爆マリア像のメッセージ」)

 

 


カテゴリー: エッセイ, レポート   タグ: , , , , ,   作成者: 高田緑   この投稿のパーマリンク
高田緑

高田緑 について

Takada Midori /福島県郡山市出身。福島県立郡山女子高校卒業後、グラフィクデザイナーを夢見て美大を目指すが挫折。20歳から50歳前半まで、東京で広告制作会社と出版会社、マーケティング調査会社に勤務。現在は、都内のマルシェの広告宣伝と販売をしている。 好きな作家 : 遠藤周作、宮本 輝。尊敬する作家 : ヘルマン・ヘッセ。好きな画家 : エドゥアール・マネ。尊敬する画家 : パブロ・ピカソ。I was born at Koriyama shi in Fukushima, I gave up to enter an art university to be a graphic designer, and graduated from Koriyama Joshi high school. I had worked at an advertising agency and a publishing company for the time of life between 20 and 30. Now I help to sell products of organic cotton, which farmers grow in Nihonmatsu shi in Fukushima. I like novelists, "Endo Shusaku" and "Miyamoto Teru." I respect, Hermann Hesse, Édouard Manet, and Pablo Picasso.

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です