鹿児島から福島へ(中)米田 博


鹿児島から福島へ(上)から続き)

FB_IMG_1436516934278南相馬から郡山市へ

ここには、普通の暮らしがあった…

駅のまえ…多くの人…

ガイガーカウンターで線量を測りたかったが…バックから取り出して見れるような雰囲気じゃなかった

なんか…威圧的なものを感じた…

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友人のお見舞いに…

そこで高校生3人に出会った。とても素直で明るくいい子達

明日、警戒区域に行くって話しをしていたら…

キョトンとしている子供達…

友人が、「この子達が警戒区域って言葉を知っているはずがない」と言った…

私は、一瞬で凍りついた

高校生が…知らない?知ってるはずがない!?

この子達が被災したのは小学生の時…

親…周りから蓋されたんだな…と思った

生徒に放射線のちゃんとした教育をしたいと申し出たら学校側からNGがでたと聞いていたがある…

友人が以前よく洗脳って言葉を使っていた。

正直、オーバーだなぁと思ったこともあったが…

ぜんぜんオーバーじゃなかった…

なんなんだ…この状況は…

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7月4日、郡山市の農家さんの所に民泊させてもらった。

優しそうなおじいちゃんと奥さんが出迎えてくれた

先祖代々の土地を護りつつ、有機でお米と野菜を作ってるという

「風評被害で作物が売れないで生活が苦しくなった」「ちゃんと全部、検査だしてるし基準値以下だから大丈夫」って話してた…

私も「汚染された土地を苦労して作付けできる状態にして、全部検査してるんだから」と話しを合わせつつ、いろいろ話しをした。

話しをしてたら…

「でもベクレル…ゼロじゃねぇんだな…」

「うちらは、農業しかできねぇ…御先祖さんが残した土地すてらんねぇ」

「郡山は他の所より線量が高ぃ…小さい孫がいっから家の除染も早くしてほしぃ」

って…

いろんな感情がまざってるんだよね…

作っててもどっかで不安なんだよね…

何とも言えない気持ちになった

誰が…こんな状況した

くやしい
鹿児島から福島へ(下)へ続く)


カテゴリー: レポート   タグ:   作成者: hiroshi   この投稿のパーマリンク
hiroshi

hiroshi について

Yoneda Hiroshi/ 1973.1.17生まれ、二十歳から14年間、介護従事者として働き、その後、ゴルフ練習場。3.11後にいろんな疑問を抱きいろいろ考えました。政治家の後援会活動をするが3月で退職。2015年7月に南相馬、会津、郡山、帰宅困難区域の双葉を取材。I was born on 17th of July, 1973. I had worked as a nursing care staff for 14 years since I was 20 years old. After that, I worked at a golf practice range. I deeply thought a lot about things after the 11th of March, 2011. I acted at a society in support of a politician, but I have been suffering from depression again, so I face my life.