結構、フクシマのことを。


みんな福島のことをーー自分は福島に行ったことがない。

最近、福島に行った事がないのだが、結構、福島のことが話されていることを書いておきたい。

私がよく行く岐阜県の山村は、やはり都市部への電力供給地となった徳山ダムと同じ町名になっている山村である。「犠牲者1万人」の手書きのキャプションつきで集落内の草刈の写真と一緒に張られてあるのは震災の写真である。みんな川下の町へ出ていってしまった村なので、行事の時だけ、戻ってくる。

2012年1月9日 岐阜県揖斐郡春日村 山の講を見学中に撮影

2012年1月9日 岐阜県揖斐郡春日村 山の講を見学中に撮影

村は、大飯原発から50キロ圏内。美浜で事故があった後(04年蒸気噴出事故、作業員4人が死亡)。村人が中部電力聞き取りにいった。その対応の感じに「あーんな、ええかげんな。事故が起きて北風吹いたら村は終わりじゃ。」政治色はどちらかと言うと保守の御仁だが、こんな感じ。100人を切った集落。夫婦のどちらかが死ねば村を出て行く。「情けない、村は終わりじゃ」と言いながら、村の思い出話と、原発の話をする。川が音を立てて流れている。峠を越えれば福井県である。この村は炭焼きが盛んだった。戦争から帰ってくると村で炭を焼き、村に木がなくなると、小浜、京北へと炭焼きに焼き子にいった。炭から電気に変わったのが昭和30年。山で稼がなくなると下(川下)へ出て行った。

東北と福島

東北には、海産物に関わり“復興”をしている私の友だち。なかには、放射能は光化学スモックより危なくない……、なんて公言する私の友だち。「でも、それなら、なぜ、福島のある地域の人は戻ってこれないのだ」。そう言いながら自分は、ノーベル中村が比較衡量について語ったことを思い出している。「この国は正義で判断しない。必ず大多数の利益と比較する」(ノーベル中村)。多くの人の利益を守るために、正義も、本当のことは言ってはいけない。福島ではどうして、生まれた土地を離れるんだ。ただ、この問いを友だちに言う事もないだろう。私がこう書いていることもとっても悲しく思うだろうな。

「福島は事件だ、私らとは違う」と一人の友だちが言った。津波で豪邸が流され、エメラルドの海を見下ろす高台にある仮設に住んでいる。事件と天災は違うと言う彼女。「もう三年だし~」。家に戻れない福島の人とは違う。彼女の父さんも津波の話は決してしない。

そこから、南下して、また知り合いの漁師に会いに行く。アイナメのベクレルの値が基準値を上回って売れなくなってしまったこと。震災で魚をしばらく取らなかったこともあって、魚が戻ってきた。養殖場の汚れも津波がきれいにしてくれた。それなのにアイナメといった高級魚が売れなかった。8割の補填があるが1日20万円ぐらいあった売り上げには響いた。牡蠣の工場も震災で全部やられた。3年以上経って、やんなる〜なんて言ってるんだろうな、いまごろ。

そんな東北の人たちの海は、三陸海岸の始まりにある。エメラルドグリーンの入り江。その入り江を伝って南下すると、福島がある。

2012年 宮城県東松島市宮戸つづら浦付近 白魚漁を撮影

2012年 宮城県東松島市宮戸つづら浦付近 白魚漁を撮影


いつか寄りたいと思ってる。どこに行っても、みんな、福島のことは話題にするので、行ってなくてもなんとなく身近な福島。