実害的被災の分類 吉田邦吉


放射線の被災についての主張にはいくつかの分類が考えられる。なぜなら、主張者や表現者の言っている内容には微妙な違いがあるからだ。わかっていることでもここに出来るだけ客観的な分類を明確化して考察検討を加え、今後の役に立てていきたい。

実害的被災の分類
1、物理的実害
非常に分かりやすいことであり、厳重管理されている危険物であったはずの放射性物質を政府東電が管理しきれずに事故を起こしてばらまいたその結果を言い、「物理的に放射性物質が在ること」を言う。できるだけ取り除くことを「除染」と言っていて、いろいろな方法がある。これはガイガーカウンターなどがあって、なおかつ、事故前の放射線量の平均値などが判明している場合に計測すれば比較することができるので、その増加分としての大まかな量などが分かる。

わたしが実害だと言ってきたことは基本的にこちらを意味する。他の大勢の、いわゆる実害論派も、この物理的実害を意味しているだろう。「量」ではなく「有無」なのである。0.01Bq/kgでも発見されたらSNSにおいて「悲しいね」「ひどいね」ということをつけまくるしかないと考える人々はこちらの件などでそのことを感情的に捉えていると思われる。加害の事実も明確化するからであろう。

2、法的実害
これは難しい代物であり、今までほとんど一般の人達はあまり口にしてこなったものだろう。わたしもここではじめて書くが、ほかで書いてあるのを見たことは無い。たまたま見てないだけかもしれないが。つまり読んで字のごとく、法的な損害を意味する。
ア、営業損害(避難指示で営業または就労の困難または風評被害など)
イ、精神的苦痛
ウ、身体的損害
エ、汚染により不動産などの所有物などへの損壊等々

その詳細な分類や判定をどうするかは、司法や医学の専門家に任せてあるだろう。彼らが認めたとき、または、東電が自ら認めたとき、これらは発生すると思われる。なお、わたしが言ってきた実害はこちらも該当しているからこそ、実害と風評被害を対立的に捉えず、風評被害も実害に含まれると言っている。

ひどく当たり前のことなのである。基準値を大幅に下回る不検出などのものなのに売れないという営業損害を認めなかったら被害者が損害を受け放題のまま泣き寝入りすることになるので、風評被害という営業損害を認めないことなどあり得ない。当然これ以上にその傷を深めずに回復していくことは肝心になる。

しかしここで、基準値以下の不検出であっても、物理的実害のほうでその主張をし続ける政治的なグループというのが現れる。つまり、食品に不検出であっても(たとえ全国でどこであろうと0.1ベクレルでも見つければその人たちは拒否するようでもあり)、その土地には放射線量があるではないかというその物理的なことを主張し続け、被害が軽くなる印象の方向への話は絶対に聞かない。

被害が軽くなる印象の話というのは量の問題である。すなわち基準値というものを国が決めているのだが、それが高すぎる又は0.1ベクレルでも嫌だという話である。ただしそのベクレルというものは環境省によれば「放射性物質の量」のことである。

その物質が放射線を出してそれが人体に影響があるということが、被曝である。そして、(汚染されていない)通常の食べ物に含まれるカリウムという放射性物質からもガンマ線とベータ線が出ているということなのだから、そもそもその食べ物を食べても内部被ばくし続けるぐらいのことである。要は日常生活における被曝総量に含まれてしまう程度のものであり、ほとんど気にする必要がないのではないかということをわたし個人は思う。

根拠としては以下の文章だ。「食品中に含まれるカリウム40からはβ(ベータ)線とγ(ガンマ)線が放出されています。」(「身の回りの放射線 目で見る放射線」放射線による健康影響等に関する統一的な基礎資料(平成28年度版、 HTML形式)環境省https://www.env.go.jp/chemi/rhm/h28kisoshiryo/h28kiso-02-05-13.html ※以下、引用する際はタイトルと「基礎資料」とを書く)

上記のことで分かるように、いわゆる原発事故でばらまかれて問題とされている「セシウム」と同じくガンマ線とベータ線がカリウムという物質から出ているのである。セシウムと同じ種類の放射線なのである。

この放射線の像は、今までわたしは一般の人達が特殊な技術で用いてきたものだと思ってきたのだが、環境省がすでに自ら表示していることも知った。さらに「避難区域や福島県内ホットスポットの物でなく、どこにでもある通常の野菜で放射線像が出来る」と言っているに等しいのである。

「基礎資料」環境省

さらに驚くべきことに、人間そのものが放射線を出していると環境省は言っている。こういうことをしっかりCMしていかないから政治的な思惑によって、ほんのわずかでも人体に重大な損傷が出るのが普通というような誤解だらけになって人々が恐怖に陥ってしまうのではないだろうか。

(※話は逸れるが、原発銀座の大熊町では小学校の社会科見学で「身の回りに放射線はある」という計測行為をして学ぶお出かけというかスタディツアーがあったことを思い出す。あれはいざというときに加害事実の重みを軽減させるようなカモフラージュ論だと思ってきたが、いや、そういう面もあり得るとも思えるが、とにかく、「原発銀座のスタディツアー」が今こうして、故郷を守ろうとする話の土台になっていることに何かを感じざるを得ない。予測されてもいただろう)

話を戻して、そしてその恐怖や心配を頭から否定しようとかかるから余計に反発されるのだとわたしは思っているし思ってきた。なぜなら最初に述べた「物理的実害」があるのは事実だからで、話が堂々巡りになりやすく、これをうまくどうこうと説明するのは火に油なのである。

SNSの一部界隈では「福島の食べ物0.1ベクレルで悲しい酷い」であったのに、「なあんだ、人間が4000ベクレルもあるのか」であり「当の食べ物ですらもともとそんなにベクレルあったのか」で拍子抜けする気がする。

基礎資料より

3、社会的実害
物理的でもなく、具体的な法的損害でもなく、けれども人は福島で原子力災害が発生したと聞けば、あらゆる忌避感覚を持つようになり、あらゆる悪口が始まり、長年に渡っておさまらなくなる。風評被害という名の(深刻だが)営業損害だけでは決しておさまるものではなかろう。なにせ他人事でもあるから余計だ。

たとえば福島から物や人を出すなとか福島の農家は何とかだなどと言った言説が2011年の当時はあったことを思い返せば、それがいわゆる差別的な言動に繋がることは容易に想像がつく。こういったことは2つの考え方があるだろう。寝た子を起こすなという考えと、逆に、開いていく考えと、である。どちらをどうしていくかは表現者に任せる。

いずれにせよ、人々が言うその「風評被害になるからあまり汚染汚染と言わないほうが良い」というとき、法的な営業損害になるほうも心配しているし社会的実害のほうも心配しているので、話は二重に錯綜かつ深刻でもある。

4、政治的実害
今ここでわたしが書いているような文章に共感してくれる野党と言ったらどこであろう。言わずもがな、福島の穏健派のための受け皿がないような状況にわたしには見える。それは政治的な居場所のない状況にも思えるため、政治的実害だと言って良いように思われる。衆議院のなかではあるようだが、参議院のなかでは少ないように見える。脱原発のSNS内でも数割は同様に感じられるかもしれない。

なぜなら通常は多数者である穏健派の支持を得てこその選挙なのであるから、与野党ともにここへ論点が集中するはずだからだ。しかし現実は、どうにも福島は野党にこそ見捨てられているように見える。そもそもわたしは浮動票*かつノンポリ*気味であるから特段なにも言う気はないものの、政府と野党と切磋琢磨しないのかと思っている。わたしの気のせいであれば良いのだが、選挙の最中や結果などでそういうことは判明するであろう。

(※浮動票とは、選挙のたびに投票する政党や候補者を有権者が変える未確定な票をいう。※ノンポリとは、《nonpoliticalの略。非政治的な、の意》政治や学生運動に無関心であること。また、その人。以上コトバンクより引用)

いずれにせよ、与党支持か、野党支持か、そういうことで、人々の放射線についての考えやそういう主張に対してのリアクションが、つまりは相当に政治的色彩を帯びすぎて居て、政治的にも分断しているのではないか。もし、与党に対抗するからここでの話は無視すると思うならば、それはもう、福島の穏健派は野党に期待できない居場所もないと言って同義だと思う。考えてもらいたい。

以上のわたしの見解を別にしても、「放射能災害が起きると、いつでも政治に関連してどこか人々との間になんとなく壁を感じることがある」ということには多くの人が聞いてくれるかもしれない。そういうことを大まかに、政治的実害と言って差し支えないだろう。

・受忍限度論の超過分的実害と考察検討
もし1~4の被災が、ほんの少し我慢したら問題がない程度のものだったら人々は我慢したかもしれない。しかし現実は、1~4のことが、受忍できる限度をはるかに超えたので、不法行為と考えられたのだろう。なぜなら【2011年までの核物質や放射能というものについて世界や国全体の人々のイメージ】を自分の中から思い出してみればひどく簡単なはずだ。

記憶が曖昧だが、昭和時代の新聞で原発についてのいざというときの死者などの危機感の極めて高い記事があった気がする。それぐらいのことだから、心情的に「やられた」「奪われた」という、心情的実害は、当事者にとっても、周りの人々にとっても、重大なレベルだったのである。そういう「事故前の放射能イメージ」があるからこその「心理的ダメージ」(精神的苦痛)なのであることもあり得るかもしれない。また、2度も原爆投下を被っている。さらには、東日本大震災と大津波と同時に発生したことも衝撃の強さを物語る。

上記で述べたような超・低線量についてはこのように考えられるという環境省のその基礎資料のようなことを人が知るまでに、または、人が落ち着いて学ぶ時間がとれるようになるまでに、この列島ではどのぐらい人々に余暇が必要だろうか。まず困難であろう。それだから受忍限度論をまた超えることになるし以下のような混乱によってまた超えていくことになる。

そもそもなぜ人が放射線や物理学のような科学知識をいきなり学ばねばならないのかということなのである。簡単なロジックですらも果てしなく難しいと感じさせてしまうだろう。だいたい大人は夜には酒を飲んで居るものである。酔っぱらって仕事の疲れを癒そうとしている大人たちに向かって「放射線は」などと切り出そうものならおそらく喧しい屁理屈人間というイメージを持たれるだろう。

ちなみに、放射性物質には人工由来と自然由来があるという話もあって、それがつまり、人工由来のものは危険ではないかという心配をする人達もそれなりに居ると思う。ではその自然由来の放射性物質の出す放射線とはいったい何かを知る必要がある。そして「どこで見れば信頼があって知ることができたのか」は、わたしの場合にはネットで無料で手軽に見られる環境省であったと思われる。そのことを環境省は声を大にすべきだ。

そういうことを任務とした学者だとどうしても最初に心配ないという結論から入ってしまって感情的に反発を受けるのは必然であったかもしれない。なぜなら被害者に向かって問題ないと宣言することは同時に「被災していない」とか「物理的・法的な実害がない」とも受け取れるからだ。そういうことを最初から考えられなかった科学者は科学コミュニケーションというジャンルについては素人なのかもしれないしこの10年ほどの社会での出来事を考えると責任は重い。受忍限度を超えさせたと言えるだろう。

そんなだからリスクコミュニケーションという交流の仕方が人々に問題視されるようになってしまったのだ。むろんわたしはその、人々の懐疑的な土壌が出来上がってから今ここでいくら書いても砂漠に水という状況だろうとは思うがここは自分のメモなので自由にやらせてもらう。とにかく話を戻して、「自然由来の放射性物質の出す放射線」とは、答えは、下記の表を見れば恐らく、ガンマ線、ベータ線、アルファ線などであり、同じであった。しかも食べ物に含まれれている自然由来のカリウムは半減期が非常に長い。つまり、半減期が長ければ深刻だという言説はイメージであったのではないかという疑問すら湧いてくる。ラドンもどこかで聞いたことがある。

さらに驚くべきことに、「カリウムは放射性物質である」という事実である。放射性物質が降り注いで悲しいのに、食べ物のなかに既に含まれていて、わたしたちは、日々、福島に限らず、日本中と世界中の人間たちが放射性物質カリウム40を食べてガンマ線とベータ線を浴びて、内部被ばくしている。しかも脱被ばく系の間で内部被ばくは危険すぎることだと言われてきたように思う。内部被ばくは危険すぎるから、マスクしようと言われていた。

むろん、そもそもマスクなど、あらゆる物質的な細かい異物に対する防護自体は相応に役立つと思う。しかも、浴びすぎたら危険なものだと言われているのが放射線だから蓄積も誰だってしたくないだろう。しかし浴びすぎるというのは恐らく、回復率を多大に超えるほど一時的に非常に大量に被曝した場合ということなのである。超低線量被ばくについて「個体差があるから分からない」ということをわたしはずっと思ってきたので、敢えて超低線量被ばく深刻論について何らのことも述べずに来た。

が、今回は、環境省のラインに沿って自分が学んで考えていることを、いつも通りメモ的に書き出してみた。だから問題があれば、環境省のほうへ問い合わせてみて欲しい。わたしは科学者ではないので、あくまで自分がこう思ったという、一般人からの理解を発信しているのであり、科学者や科学コミュニケイターそれから原子力行政など学術系の人達が「一般人のこの被災者の人はこう理解するのだな」ということの参考にして頂ければ幸甚である。

なお、微量でも有害だという学説もあると思うが、それは、もしも、たとえば太陽光を浴びたときの人間の通常の回復率を存在しないものだと仮定したら、実際に発生する有害的に危険なのだろうから、それはどこにあり得るのか?である。とにかくそれでは、自然由来の放射性物質たとえば内部被曝するカリウムや温泉にあり得るラドンそれから放射線を含んでいる太陽光などについてどう考えるのか教えて頂ければ幸いである。それらは全て既に超低線量被曝であろう。ちなみに紫外線などのほうもそれなりに人間に影響あると思う。

以上ざっと考察した。よって印刷発行するまでにはまだ環境省のサイトその他から学習と点検に時間をかけていくので、これは暫定的な文であることをご容赦願いたい。いくら分かりやすい環境省のサイトからなるべく引用して考えてきたことでも、やはりわたしは、原子力科学の博士号など持ち合わせていない素人なのである。なぜ環境省の基礎資料にしたかと言えば、国がこの政策には当然責任をもつ立場だからであり、またそれが、わたし個人には多少なりとも分かりやすいからである。

それでも資料はこんなにある。
・放射線健康管理 環境省
https://www.env.go.jp/chemi/rhm.html


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吉田 邦吉

吉田 邦吉 について

CHIEF EDITOR ▼Yoshida Kuniyoshi / ゆとりある暮らしを好む小さな雑誌『WELTGEIST FUKUSHIMA』の編集長をしている。1981年1月大熊町生まれ育つ。中大法学士。政府避難指示区域内農業関連公共事業者。大型特殊免許。エッセイが致知出版にて大坪社長特別賞。日々4kg背負いマラソン20kmを走っている。総計10,000km超。20語学を学んでいる。現代書館にて書籍編集長。文化庁支援事業LMN、福島県立博物館、横浜美術館ヨコハマトリエンナーレなどで講師。私設図書館「ふくしま本の森」にて活動。NHK BS1 スペシャル (+ world premium)「福島タイムラプス」(出演)が全日本テレビ番組製作社連盟ATP賞テレビグランプリ優秀賞、ニューヨークでも受賞。facebook / website / Amazon/ Twitter/ Instagram▼ Essayist. Public enterprise of agriculture at Okuma town in Fukushima, where has been legally off limit area since 2011. Private school. Nuclear evacuee. Independent publisher. Jurisprudence. Majored in law, Chuo Uni, related to the Middle Temple in London. A special essay prize on a first-class magazine 2015. Lectures and Talks at Fukushima prefectural Museum, Yokohama Municipalcity Museum of Art as Yokohama Toriennale 2017 with works by Olafur Eliasson etc. Like learning languages, Folklore, etc. So many Appearances of Newspapers, Radio, TV, Internet, and NHK BS1 SPECIAL and NHK world premium (Fukushima TImelapse, ATP award TV grand prix, outstanding performance award 2018 in Japan. Also, in New York it received an award). Marathon 20 km with 4kg and study 20 languages everyday. Live in Fukushima.