ウェブ言論の冷戦構造的な枠組みから離脱する。吉田邦吉


 福島のネット世論に関して、今どのような状況が見えるだろう。

 1、押し付け安全
 2、押し付け危険

 こういったことが盛んなテーマになっていると思われる。それはいわば、太平洋戦争が終わってからの、「右と左」などに少なくとも70年間は縛られていることを意味し、その「政治的な枠組み」にはまらないと、まったく見られない現実が続く。無関心が増える原因でもあろう。

 沖縄で言えばこうなる。

 1、押し付け基地トピック
 2、押し付け観光トピック

 基地に関することだけ。そればかりしか見ていない本土の人々。逆に、観光しか見ていない本土の人々。どちらもこの1と2に該当する気がしている。しかし沖縄に約2か月アパートを借りて買い出しして自炊して思ったのは、基地のことと文化的なことと両方というか、多様だった。

 わたしは「悲しみを見続けよう」と言ってきたし今もそのスタンスは変わってないのは、公平でない状況があるからバランスをとるためだ。バランスがとれていれば、悲しみを見続けようとわざわざ言う必要がない。国政も似たようなものだ。なんでも偏り過ぎている。

 しかしネット世論が言う「福島の声」が1や2であれば、それはどちらも視点として間違いだ。事実としてイジメも助長してしまうだろう。そもそも悲しみを観ることは1でも2でもなく「人類としての共感文化、成熟」だとわたしは自分で思っている。

 永久に死ぬまでその対決コロシアムで汚い言葉を浴びせられ続ける傷だらけの軍鶏(しゃも)とか、好く言えばグラディエイターでは、実際のところ生活に支障をきたして困るだろう。そのように不毛な人間消費社会を「ウェブ社会の冷戦構造」と名付けたい。

 今年の始め、「スパルタカス(Spartacus – Starz)」というDVDを観ていた。震災前からスパルタカス自体は観ていた。そのシリーズ化がなされた新しいバージョンだ。闘技場で、足かせをつけられた奴隷として剣闘士をさせられていた彼らは大体このように言っていた。

 登場人物A「グラディエイターしか生きる道はない」
 登場人物B「勝って自由になるんだ」

 勝つと報奨金が出るため、奴隷の身分を自分で買うことができ、自由の身分になれるからだ。そもそも奴隷の身分になった原因は、太平洋戦争と同じく「敗戦」であった。その後、奴隷全体が自由になろうとして戦争を企て、闘えない者たちは逃げ惑わせられる。

 言論は対立構造によって新しいものを見出していく面があるから、福島や沖縄の対決構造は一種、不可避でもあったのだろうが、いつまでもそれが「隣人同士の争い」だと人の生命は持たない。「巨大な分断」も経験しつつ、気持ちとしてほとんどがBの「自由」へ進んでいった。

 言論と争いは違うもの。友達と遊んだり恋愛したり文化を愉むことのあいまに、脱原発など問題解決のプロセスがあっても良い。ぼくらは生きて、人生がある。だからこそ、もう一度「ヴェルトガイスト・フクシマの趣旨」を言いたい。

 すくなくとも次の者だ。

3、文化共有や個性の実現

 なぜかどこか「癒される」方向へ歩いていきたい。わたしたちには「名前」がある。被災者とか福島県民とかいう名前で生きていきたくはない。一人一人に個性がある。つまり、逆に、観る側の人達をもわたしたちは観ている。尊重し合える関係か、否か。

 いま、政治的な物言いしか見られない闘技場のような関係があれば断ち切って良い。一人一人が文化共有で癒され、競争社会ではない何かを築き上げていってこそ自らに打ち勝ち、政治的拘束から解き放たれ、「自由市民」たりえるのではなかろうか。そう信じていたい。


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吉田 邦吉

吉田 邦吉 について

CHIEF EDITOR ▼Yoshida Kuniyoshi / 1981年1月大熊町生まれの原発避難者。中大法卒、2000年より塾長。2013年4月、赤坂憲雄の活動のもと文の道へ、2014年9月22日に卒業同日、「WELTGEIST FUKUSHIMA」で独立し出版事業を開始。エッセイで致知出版大坪社長特別賞。会津民俗学研究会員、書籍編集長、雑誌共同執筆、講演、対談、私設図書館「ふくしま本の森」での読書普及などを行っている。facebook / website / Amazon▼ Essayist. Nuclear evacuee. Independent publisher. Majored in law. Private school. Essay prize. Speeches and Talks at prefectual Museums etc. Like learning languages.