◇月いちリレーエッセイ◇ 泥にも一生 津田枝里子


 某時代物ドラマで、自分が「泥を被る」事で想い人を助け処刑されたある「漢」の話が最近話題になりました。
 あえて憎まれ役を買って出るという史実には無い解釈で、こういう事があったかもしれないという観点を描いたらしいのですがそれはさておき、この「泥を被る」という行為をした人物の魂に私は「大きな器」を感じました。

 あなたは愛する人の為に悪になれますか?

 誰もが自分の価値観で善悪を判断しがちな昨今、悪となされた中にある真実に注目したくなりました。この世は知られざる「泥被り」が歴史を造り支えたのではないでしょうか。
 日本神話の中にもあります。スサノオノミコトが高天原にて粗暴な振る舞いをし、その事でアマテラスが岩戸にお隠れになるという話は有名ですね。

 「田の畦を踏み潰し埋め、神殿にう○こを撒き散らし……。アマテラスは弟のしたことを庇っていましたが、ある時スサノオが機織り場に斑模様の馬の皮を剥いで投げ入れ、それに驚いた機織り娘が横糸を通すための道具板で女陰をついて死んでしまいました。これにはついにアマテラスも恐ろしくなり、天の岩戸屋に隠れてしまわれました。」
 
 神様なのに何故このような残酷な事をと思っていました。そんな時ある神職の方が、『「神でさえこのような悪事を致す。人間が同じような罪を侵しても仕方ない事だ。だからどうか人類の罪、不徳を許したまえ」とスサノオノミコトは自らがありとあらゆる粗暴をする事で親神様に願い出て下さっているのですよ。』

 と、とても深いい話を教えて下さいました。実際にその神話を引用した祝詞があるそうです。

 我々は表面に見える悪を叩きはするけどその中にあるものを見ようとはしません。先ほどのドラマの話を聞いた時、斯くありたいものだと思いましたが、自分は泥を被る事などとてもできません。だからこそ泥を被ってくれた人がいるならそれに報いたい。泥から蓮の華が咲くように、泥から学び、感謝できる自分でありたいと願う今年の9月でした。


カテゴリー: エッセイ, メモ   タグ: , , , ,   作成者: 津田枝里子   この投稿のパーマリンク
津田枝里子

津田枝里子 について

1980.9.6福島県福島市出身/現在は夫の実家である二本松市在住。子供四人の母、又、福島市の産婦人科にて清掃のアルバイト。哲学、風水学等が特に好きで、それが高じ神社仏閣廻り、古事記の研究等に没頭。 3.11以後、福島に住む者としての使命感を勝手に抱き、手元にあった瓢箪型の木製飾りに油性マジックで「脱原発」と書き、ぶら下げて歩くことで自分の意志を表明するという試みを開始。県内外で脱原発の必要性をあくまで一般の主婦という立場で訴え続ける。好きな言葉は「金剛不壊」▼もと東北電力幹部鈴木清一らによる冊子「座・鬼生田 OH!NEWだ!」に吉田邦吉とともに寄稿。NPO法人原発事故災害者復興タウン鬼生田開発プロジェクト。