11月14日2837名ADR1次申立書提出を終えて


11月14日早朝朝焼けが伊達の仮設を明るく照らした。阿武隈山脈の山々が赤く燃え立つように見えた。キンと冷えた空気に気が引き締まりながらも、東京へはいけない残りの声に出せない想いをADRと言う方法で東電に出しに行くそんな覚悟を感じた瞬間でもあった。

自分事ですが飯舘村は震災前まで生まれ育ったほんとにのどかすぎるほど、平凡すぎるほど穏やかな村だった。わずか6000人の小さなコミュニティーの中で育ちました。

小さな集落で大人がよその子供でも本気で叱ってくれるところでした。

生活の中で色んな知恵も昔の話も教えてもらい、そんな当たり前だと思っていた平凡さや大自然の中での不便さが嫌で東京に憧れを持ち始め高校を卒業すると同時に村を離れました。

紆余曲折あり、南相馬市を経て飯舘村に戻ってきたとき、心が疲れてしまっているなと感じた。これから自然の中でどう生きるかみたいなものと自分を少しずつ変えて行かなければならないなと漠然と思っていた時に東日本大震災が起こり、そして続く原発事故。一瞬にして緑豊かなその風景は私の目にはどんよりとグレーな世界へと変わってしまった。飯舘村で生きていく覚悟や飯舘村で叶えたかった夢・未来・終焉。そのすべてがこの事故で奪われてしまった。私の飯舘村での人生はあの日から止まったまま3年8か月過ぎてしまっている。私一人とってみてもまだまだ語りつくせない想いや負の感情、過去をあがいても戻らないと分かりながらも過去を想ってしまう心があります。一人一人の思いや考えや夢や人生は違えど、強制的に奪われた狂わされた人生の責任はこの原発事故にあると思っています。

これまで、弁護士面談で暗い表情を浮かべてきた村民が弁護士面談を終えてどことなく血色がよくなって帰っていく表情や「すっきりした~」って言っていく村民を何度も目にしてきて、みんなこの3年8か月、誰にも言えない心の奥底に閉まっていたことを改めて実感しました。そんな思いが11月14日申し立てと言う形になった東京ADRセンターの場所にいたことは自分でも何度も泣きそうになりながらも我慢をし、この想いが東電のトップに届きますようにと祈る気持ちで見届けた。

これから1次返答が来るまで時間はかかりますが、2次、3次と精神的な事項から不動産の個別事項、その他個々人における問題などをどんどん申し立てをしていく予定をしている。わたしは申立団の事務局(庶務)と下っ端ですが、今回ちゃんと裏方業を務められたかな。まずはホッとして熱出しました(笑)

でも、
まだこれがスタートラインの場所にようやく立ったという感じだと思う。

これからあまり長くなってほしくはなけれど、もしかすると長い闘いになってしまうだろうから、途中で給水しながらエネルギーを補給しながら完走したいそんな気持ちだ。

11月14日2837名ADR1次申立書提出(飯舘村)

11月14日、飯舘村ADR


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酒井政秋

酒井政秋 について

Sakai Masaaki / 1978/02/07生まれ、飯舘村で高校までを育ち東京に上京するも肌に合わず南相馬で婦人服製造業の主任を経験し、長男と言う事もあり飯舘村に戻り友人が経営する婦人服製造工場に勤めました。これから村とどう会社として個人としていくかを模索している最中、2011/3/11、東日本大震災が起こりました。夢は破れ、飯舘村での人生は砕かれました。現在、通信制大学在学中。原発被害糾弾 飯舘村民救済申立団事務局庶務 / Facebook / Website / Twitter / I was born at Iitate-mura in Soma-gun in Fukushima prefecture. I had lived there for 18 years and lived in Tokyo, but I didn't have the feeling for Tokyo's life in my body and then coming back to hometown, I had manufactured women’s clothing at Minamisoma-shi, however, I'm first son, so did it at Iitate-mura as a chief. Thinking about how to activate my village or company, it happened the Great East Japan Earthquake to us on the 11th of March, 2011. I act for the rebuilding of our lives as a general clerk of a group, which is called, "Iitatesonminkyuusaimoushitatedan (a group to save people of Iitate village and denounce TEPCO for nuclear accident's damage.) and as a chairman of a group, which is called, "Kasukadarinokai (A group, 'Let's talk sincerely' )."