時の流れを持つ。見る。新生福島を語る。吉田邦吉

区域内で働いて分かる。ゲートは重く日に何度も開閉は大変。

2015年ごろ、確かに終わった。

約五年、帰還困難区域は見通しがまったくつかなかったのである(今ですら全てに明るい見通しが立っているかと聞かれると不安になる)。だから大勢が諦めた。日々、時は過ぎる。もはや終わったと思うしかなかった。

それぞれが新しい人生を始めていった。その土地で安定していけば、喜ばしいことでもあるから、それを放り出して戻ることもまったく簡単でなくなる。そうして実際に一部、昔の福島は終わった。例えば中間施設があったら帰還のアンケートは自由意思だけで決められるだろうか。

そうせざるを得なくなった大勢が、新しい暮らしを始めていったのである。たほう、今の区域は、さみしくなった。建物はどんどん消えていく。消えていく順番待ちだ。どう見ても昔の福島が終わっていくのは否定できない。いのししはいつも増えて土地や道を荒らし困ってもいる。

0.15マイクロシーベルト毎時。大熊町。2019 秋。

こんなに線量が下がっている事実もあるのに風化してしまった。伝えられていないと感じる。いまも汚染イメージがこびりつき、一部の表現的な様子は嫌がらせ(「放射能ハラスメント」と名付ける)のようにさえ感じられ、傷つきもする。前代未聞の復興を何でも批判ばかりするのは簡単だ。

ぜひ、自ら復興に参加してほしい。

どうあれば福島は幸せになれるかを探しにいこう。悲しみは悲しみだが、数々の伝統的な産業や文化、それから、新しい大熊町イチゴや広野町バナナでも分かるように、ゆっくりと、そっと、花が芽吹きだしてもいる。ぜひ食べに来て、せつなくて美しい地域の風景を見てもらえれば幸い。

いま、赤ん坊のような新生福島が、そこにある。

2019年12月末、福島の青い空を眺め、志を立てる。