最初、「低線量」とは、どのぐらいのことだったのか。低線量の意義。吉田邦吉

低線量という言葉が言われるようになって久しいが、一見自明にも思えるこの言葉ほどヴェールに隠れているものもない。「低線量被ばくによる健康への影響は、どのようなものですか。」という質問に対して環境省がこう答えている。

引用はじめ

  • ①放射線による発がんのリスクは、被ばく線量が100ミリシーベルト(mSv)以下の場合は,他の要因による発がんの影響に隠れてしまうほど小さいことが分かっています。
  • ②積算した線量が同じであるときは、低線量率の環境で長期間にわたって被ばくした場合の健康影響は、短時間で被ばくした場合よりも小さいと推定されています。

ICRP publication 103より作成 
出典の公開日:平成19年3月 
本資料への収録日:平成29年3月31日

引用おわり
(基礎資料 第3章 放射線による健康影響 環境省 https://www.env.go.jp/chemi/rhm/h28kisoshiryo/h28qa-03-14.html

簡単に言えば、①で分かる。「低線量」というのは、被曝線量が100ミリシーベルト以下のことだろう。そしてそれは②において、長い間にわたって合計して被曝するほうが短時間で一気に同量を被ばくするよりもリスクが低いということだろう。

すなわち、「低線量の被曝だとして問題にしているのは、100ミリSV以下という大きな数字の世界」なのである。おそらくこの100ミリ未満という数字は、われわれ日本人の今の感覚からすれば、大きな数字であろう。日常的にガイガーカウンターで目にする数値が大体0.1マイクロ毎時とか0.5マイクロなどの数値だろうからだ。

ゆえ、ガイガーカウンターや事故後の空間線量の数値は「低線量」という言葉を違う感触のものにするには十分な効果があったのではないだろうか。少なくともSNSなどにおいて、計測した数値すなわち「超・低線量」について、かなり不安視している抽象的な意見傾向を見るに、このことを思う。実は「0コンマ」のマイクロSVなどのことは低線量ではなく「超・低線量」なのではないか

それでは次に、「低線量の被ばくによる発がんリスク」という項目があったので、それを出しておく(基礎資料 第3章 放射線による健康影響 3.7 リスク 低線量率被ばくによるがん死亡リスク 環境省https://www.env.go.jp/chemi/rhm/h28kisoshiryo/h28kiso-03-07-03.html)。

(なお、今わたしはどの順番でこの基礎資料を見ていくかということを考えていない。たまたま気の向くまま見ている。そうでないと、このような話に、直接的な被災当事者のわたしですら、そこまで興味は続かないからでもある。)

(わたしの文章は、一般人からのひとつの応答であり、いわば学術などに対して双方向的なことを目指していて、主体的に現実を考えていくケーススタディの一種として考えている。表現したときにそれは権力や学術すなわち社会の未来にとっても重要な参考として役立つことだと自分では思う。)

基礎資料より 環境省

前に覚えている反感としては「放射能という危険物質をタバコと一緒にされても困る」という反応だった。そういう反応が出てくるのは、第一に加害事実を無きものにさせないそして物質の有無こそが問題なのだという物理的実害の主張の件からの反論をしたい方向性なのだろうと思われる。だがここで言われているのは発病への総合的なリスクの蓄積のことである。だから「累積」という言葉があるのであって、事実が無いとは言っていない。すなわち科学的説明というのが受け入れられるには何らかの政治・社会・法的などの条件がそろっていないと難しいだろう。

念のため簡単に読み解いておくと、30%が個人の生活習慣などと書かれていて、100ミリで0.5%の増加が認められるかもしれないぐらいの話である。

環境省の説明を引用しておく。

国際放射線防護委員会(ICRP)では、大人も子供も含めた集団では、100ミリシーベルト当たり0.5%がん死亡の確率が増加するとして、防護を考えることとしています。これは原爆被爆者のデータを基に、低線量率被ばくによるリスクを推定した値です。
現在、日本人の死因の1位はがんで、大体30%の方ががんで亡くなっています。
つまり1,000人の集団がいれば、このうちの300人はがんで亡くなっています。これに放射線によるがんでの死亡確率を試しに計算して加算すると、全員が100ミリシーベルトを受けた1,000人の集団では、生涯で305人ががんで死亡すると推定できます。
しかし実際には、1,000人中300人という値も年や地域によって変動しますし※、今のところ病理診断のような方法でがんの原因が放射線だったかどうかを確認する方法は確立されていません。そのため、この100ミリシーベルト以下の増加分、つまり最大で1,000人中5人という増加分について実際に検出することは大変難しいと考えられています。

つまりこの図を見て思うのは、(超でないどころか)「低線量被曝のリスクからして非常に微細な世界」であり、今のところ立証できないぐらいのことなのだろうということである。そもそも「がん」というものは総合的なリスクから発生してくるものでもあるから因果関係を明確に何か1つに出来ないことが原因に思われる。だからこそ気にしないという人も居れば、どれがそれと分からないから全て人工的な、しかも自ら選んでないものを特にそこから避けたいと思う人々の気持ちも分かる。受忍限度論がその人々にとっては今も超えているということに他ならない。そもそも自分の思考を自ら否定したり変えていくことは相当に容易でもない。

むろん、人間がカリウムを含む食事をしないことや太陽光や公害0%の世界で暮らすことは不可能なのである。それでも、人間はたとえ超・低線量被曝であっても被曝したら回復など間に合わないと考えている人々には恐ろしい話なのかもしれないしダメージは受けたくないというのも人間の本能であるだろう。3・11当時は当然として、さらに、本能から来る感覚的なことを否定することは困難がある。だから「個人的に怖れたい人にはそうさせよ」と言うのが最も自由なのであるし現実にもそういう人がこういう文章を読むことなどまず無いとわたしは自らの見聞をもとに想像する。

つぎに、環境省はこう述べる。
「放射線による影響も、その約85%は放射線により生じる活性酸素等の影響であり、約15%が放射線による直接の損傷によるもの」(基礎資料 第3章 放射線による健康影響  3.2 人体影響の発生機構 DNA→細胞→人体 環境省https://www.env.go.jp/chemi/rhm/h29kisoshiryo/h29kiso-03-02-03.html

微細ダメージのほとんどが活性酸素だった
百科事典マイペディア(コトバンク)によれば「活性酸素の働きは,免疫,発癌,老化などに関連しており,盛んに研究されている。」とのことである。線量などの「数字」をそのまま放射線そのものとしてすら適用できず、よく聞く活性酸素がほとんどなのである。脳や栄養などの本で読んで、活性酸素は老化するものの原因物質であるという認識がわたしにも昔からある。

厚労省のe-ヘルスネットの情報提供によれば、活性酸素とは「私たちが生命活動を営む上で酸素の利用は必須となります。呼吸によって体内に取り込まれた酸素の一部は、通常の状態よりも活性化された活性酸素となります。ヒトを含めた哺乳類では、取り込んだ酸素の数%が活性酸素に変化すると考えられています。活性酸素は、体内の代謝過程において様々な成分と反応し、過剰になると細胞傷害をもたらします。」(最終更新日:2019年3月4日)(高橋 将記)(https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/food/e-04-003.html

酸素は人間に必要であり、呼吸からして活性酸素になっていくという。呼吸して、食べ物を食べて、あらゆることが活性酸素になっていく。そしてそれは回復するが、極端な過剰が宜しくないということである。なんでも過ぎたるはそうだろうと思うのだが。どのように回復しているのかは、いまのわたしたち自身がそれを証明していると言えるのだろう。抗酸化作用という言葉も日常的だ。休んで、動いて、眠って、適度な暮らし。

この話は、「超・低線量(一時的に0コンマの世界)」と「低線量(一定期間での100ミリ未満の累積)」の両方に当てはまる話であろう。だからタイトルが「低線量」となっていると思われるが、もしかしたら「超」のほうは含まれない可能性すらある。つまり、ほとんど気にするレベルというほどには何も判明していない。放射線が原因だということが数的には判明していないということだ。※「気にするな」とわたしは言ってない。なんでも意識に上ること人の自由。

一定期間での100ミリ未満の累積した被曝というのがどのぐらいの期間か」はおそらく曖昧すぎて簡単に断定できるものでないだろう。むろん一定のその期間中に回復しきって今や存在し無い過去のダメージまで積算してしまったら、どのようなものでも相応の量になると思う。やはり短期間であればあるほど危険だということになるだろうが、まず、数時間で100ミリとか数日で100ミリといったことは一般の日常生活ではまず考えられないだろう。

巷では0.1~0.5マイクロSV毎時などと言っている話だが、100ミリSVというのは、「1ミリ=1000マイクロ」なのであり、この場合にミリをマイクロに直すと、100×1000であるから、100ミリSVとは10万マイクロSVという巨大な数字ということになる。たとえ自ら浴びようと思っても、「低線量」を短期間で浴びることは日常生活では不可能だと思われる。

ゆえ、浴びることができるのは、超・低線量の被ばくなのである。こうして、「超」のほうが日常生活にありふれているからこそ、その超・低線量のことが問題視されていくようになるのだが、その実、「問題視していたのは、超微量の低線量ではなく、日常生活には無さそうな巨大な数字である低線量が原則的な問題視だったのではないか」ということをわたしは思っている。