メディアは検出を伝えるとき不検出の量も伝えよう。吉田邦吉

ニュースにおいて、「特定の種類の海産物の実際の1個について、放射性物質が基準値を超えた」など、つまり例えば「ある一匹のシロメバルについて放射性物質が検出された」ということを伝えると、感想はこうなる。「福島の魚が汚染されている」。知識の多い少ないによってあらゆる解釈からくる又はあらゆる表現などが考えられるため、それは風評を拡大しがちだ。関係者にとっては泣きたくなるような、実害と風評被害の混ざった話である。どうすればいいか。

検査における汚染だけを拡散するなどの意味での関心が高いグループの表現が、たとえ多様であっても、なるべく受け取り手には誤解を与えないよう、誤解を減らしていくがためには、そもそもSNSでの拡散が予想されるような、放射性物質が検出されたニュースのなかに、事前に、「(不)検出の状況グラフ(時系列)」とか「漁業界の続けている取り組みまとめサイトへのリンク」などを追加しておくと、より注意深い人々ほど、きちんと見に行ってくれるのではないか。

具体例として、水産庁のこんなグラフがあることを、わたしは知らなかった(下に引用)(※いま参考として出すだけなので最新のものはご自身で検索してください)。はっきりと、目で見て理解しやすい。わたしが知らないのだからほとんどの人々が知らないだろう。福島の話の場合は、人が悪気もなく一部を全部のように伝えてしまうという、「一部全部の論理的誤り」をおかしがちなので、まず全体を把握できるような情報を常に付加した前提の上でニュースづくりをしておくことが公平であり肝心だろう。賢い消費者は木を見て森を見ずではない。

【海産種の調査結果】
【淡水種の調査結果】

詳しいことは自分で水産庁HPで見てもらうとして、これらのグラフだけでも見てみるのは勉強になるとわたしは思った。これから食糧や水などは世界的に不足することも予想されるなか、海は繋がっており人間は食べ物がなくては生きていけないことを考えると、これはきっと良いニュースとしても解釈し得る。たくさんアレが見つかってしまったと考える人々もいるだろう。その気持ちもよくわかる。だがもし買うかどうかという選択をするときは、このグラフをわたしは思い出して前向きなことを考えているだろう。実際に食べるときに後ろ向きに食べる人はそうそういないとも思うが。大切なのはリスクをなるべく的確なサイズで学びつつ、選んでいくことなのであろう。1kgでそのBqという計算もある。

それに、公害的なケミカル汚染の物質は、なにも放射性物質だけではない。言わずもがなマイクロプラスチックやポイ捨て問題や、そこに付着するかもしれない過去に使用されたことがある薬品などもまれに見つかる例も可能性としてあり得るだろう。海外ではほとんどの雨水のなかにマイクロプラはあるという記事も読んだことがある。であるから、それら公害が心配されている物事は、なにも海産物だけでもなければ放射性物質だけでも全くない。ハウスダストだってなんだってそうである。そういうふうに総合的な視野を持てるニュースの提供などうなのだろう。ネットであればできそうな可能性はさらに膨らむ。せめて期間を設けてチャレンジしてフィードバックの意見を集め、現実に活かしていくなどの研究をし始めても良いだろう。

「雨水の90%にマイクロプラスチック、色とりどりの繊維が混入 米調査」2019.08.15  CNN

https://www.cnn.co.jp/fringe/35141318.html

「分析を進めたところ、食べていたマイクロプラスチックの量に比例して、海鳥の脂肪から、ある有害な物質が検出されたのです。」

「PCBは、かつて食用油の中に混入され、食品公害・カネミ油症の原因となった有害物質。皮膚障害や肝機能障害を引き起こしました。石油から出来ているプラスチックは、油に溶けやすいPCBなどの有害物質を表面に吸着させる働きを持っています。」海に漂う“見えないゴミ” ~マイクロプラスチックの脅威~ 2015年10月25日放送 NHK

https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3725/1.html

さらに言えば、SNSでのニュースfbページのコメント欄は荒れやすく、デマどころかメチャクチャであることも多々あると思う。そういう場所に率先して現在の情報やまとめなどを参考にコメントしてくれるメディアグループというのを期間持ち回りで作り出しても面白いヒントが得られるのかもしれない。情で煽るような感情型インフルエンサーばかりではなく、安寧させる融和者とでも言えるような、オーダー型インフルエンサーが居ても良い。そうでなくとも、とにもかくにも争い争い争い争い……、いわば感情の掃き溜めのようになっているコメント欄に一般の人々はコメントしづらい。そんなところで誰かに絡まれるリスクを背負ってまでコメントをする価値がないと思われやすいだろう。ある意味では閉じているとすら言える。

したがって、メディアには、関心が高いけれど一つの論点にそこまで時間を使って学ぶのは忙しいというような人々へ向けて、知的に開かれていくプラットフォームの提供といった役割も期待したい。そうすることで、地道に、日本の思考力が育っていくお手伝いができるだろうと思われる。専門的にすぎる長い時間の番組はときどきあまり見られていない。しかし、さっと見ることができるまとめサイトの存在はイメージづくりにも時間的効率性についても、有用だろう。特に深刻な分断や情報の格差などが予想されることについて計画すると社会の寛容化に繋がってメディア自体もなんらかのゆとりが増えて暮らしやすいだろうと思われる。