乱読日記*その七  「縄文聖地巡礼」:坂本龍一、中沢新一    伊藤千惠

いまだ7回しか続いていない乱読日記・・・。
しかも今年はじめての投稿というていたらく。
いや、常時並行して2~3冊は読んではいるが、筆力がなくて書き残せず残念なことに。できうれば、読んだものと市井の現状がむすびつながるような文章を目指すも、
そこが筆力と脳力が及ばず。。すみません言い訳ばかりで。

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「縄文聖地巡礼」は2010年5月発刊である。(木楽舎)
2006年から2008年まで雑誌に掲載されたものに新たに対談を加えてある。
つまり、東日本大震災における原発事故以前に書かれたのだけど、
事故後の私が思いもよらぬ人たちや書物と交流し、啓発されて考えてきたこと、事故後のいまを見すえたような内容に、ああ必然だったかとおもう。

それがなにかというとまず、
「現代文明を作っている価値は「ものとものが等価交換できる」という考え方によっている。」
それは、永遠に腐らない、とても便利な「貨幣」というものがになっている。
その考え方は、哲学で言う「他者」、もっというと「死」に直接かかわることが排除されることによって起き、等価交換の原理と結びついて、不死の象徴のような貨幣が生まれた、と中沢は言う。
そんな便利な道具にすぎない貨幣が主人公になってしまったような時代、9.11が露呈させたのは国家原理と経済のシステムが一体になっていることだと。

まあ、抽象的な表現はわかりにくくとも、永遠不死の「貨幣」による等価交換経済がいまの世界を席巻しているのは事実だ。

そして、縄文とよばれる時代の世界を動かしていた経済原理は、等価交換ではなく「贈与」であったと。
ものを贈るときには人の心を要素とした受け渡しがあり、ひとつとして同じものはないから等価交換にはならない。不死でも不変でもない。
あっと思った。
以前、会津の本の森図書館での絵本読書会で、このことばが出てきたことを思い出した。自然からいただいてばかりで何もお返ししなかった男の話だった。その男はありがとうも言わなかったのだ。
あれは私たちのことだったのか…。
自然から収奪するばかりで、なにひとつお返ししていない。感謝の言葉もない。
その極限は「核」だとこの本には何べんも出てくる。

国家が成立して、貨幣経済が人の生きる社会に与えてきた負の影響を3.11以降、いや本当はもっと以前から、私たちは体感しているじゃないか。

あるときから資本主義という単一原理で直線的につきすすむようになった社会が、方向転換しないと直線的に終末までいってしまうのではないかという危機感から、
縄文という先人たちの残した思考や文化にたちもどって、可能性をさぐってみた旅と対談である。

さて、3.11を経験した私たちに方向転換は可能だろうか?

等価交換と贈与の話はほんの水端で、聖地への旅を通して縄文的なるものとはなにか、たとえば線形に対して非線形、バイナリティ(二進法―1か2かという二項対立的なもの)に対してトリニティ(3を組み込んだ世界)について、また音楽についてもいろんな話が展開する。

そして坂本の、国家以前の先人たちの思考を知りたい、そうでないと日本人である自分が見えてこないということばは今の自分にとてもフィットする。
ここ数年、私が民俗藝能に惹きつけられるのも、より古層の、ヤマト以前のこの列島に住んだ人たちのことを感じたいのだろうと思う。

サンチャイルドが面白い。吉田邦吉(ヤノベケンジさん作)

Some people say (General people in Fukushima got a statue which is called Sunchild made by Yanobe Kenji in order to make the peaceful world with new reneuable energy systems, but some people who like nuclear power plant are against its statue put in Fukushima however almost them are on Twitter and anonymous, being not a certain reason that they are real people in Fukushima. That’s why, nobody knows how many there are opponents in real. There seems many people in not Fukushima at least on Twitter.) You see this Guardian article. It might be not all facts. Anyway, I never agree with what Nazi government banned some art works as degenerate art in those days. Now a similar issue there is in Fukushima. People should think what is the difference between critic and ban by majority. Sunchild got Fukushima’s formal procedures. Hence, it needs the same formal ones just in case some people want to put it a different place. Since first procedures are already justified with its ideas.

福島では暑さが少し落ち着いて湿気のある最近。
親子連れがサンチャイルドと写真を撮影している。

【時系列の概要】
1、長いことヤノベケンジさんは放射能の関係で芸術活動をしてきた。
2、ある希望をもった作品サンチャイルドを創作した。岡本太郎さんの太陽の塔なども彷彿とさせる。
3、福島県の人達と福島市の市長が寄贈先の応募に申し込み、福島駅付近に設置した。
4、かなり時間が経ってから一定の批判が出る。多数の匿名からRTを受ける。
5、それなりの数で反論も出る。
6、紙面の都合上、賛成意見中心で、これをまとめる。

【説明】
福島市がJR福島駅付近に設置した6.2mのサンチャイルドという像に対して、原発事故の風評被害を増幅するとか科学的にあり得ないなどと批判をする人たちがいるそうだ。製作者のヤノベケンジさんが謝罪文を出したとのこと。防護服姿で脱いだヘルメットを手にし、空間放射線量の線量計を模した胸のカウンターには「000」と表示されている。「原子力災害がない世界」を象徴し、復興へ立ち上がる人々に夢と希望を発信する意図がある。

福島市長は真摯に耳を傾け、毅然としていらっしゃる。すばらしいことだ。今回のことは、一部の人達がネットで悪ふざけしているだけのことだろう(彼らの言葉遣いについて、そういうことへのマナー感覚というのが、まだないのだ。いわゆるネチケット教養という、リテラシーのこと、むろん全員ではないが)。話題の福島だから、いろいろある。でも、被災した傷を忘れず、希望も持っているサンチャイルドと市長そして福島市民である子どもたちが笑っているのだから、それが、何よりの証拠だ。市長のTwitterこちら。
https://twitter.com/hatabohk/status/1025526254697476096

ふくしま自然エネルギー基金代表理事の佐藤弥右衛門さんたちは県庁所在地の福島市に長年ご尽力なされてきた。やはり、これだけの大変な原発事故があって、風化防止や復旧復興の観点から、モニュメントがあって良いと私も思う。あれから7年半の現在、まだまだ課題の尽きぬ福島3.11の件での当事者性は限りなく深くて広い、人類概念より深くて国民概念よりも広いものだろう。そんなおり私もよく行く福島市がこうして現代アートのひきこもごもを希望してくれたという先進性には同じ県民としてたいへん誇らしい。

このたび福島市にヤノベケンジさんのサンチャイルドが寄贈されました。

ほとんどの昨今の人たちが直接に観たことはないであろうヤノベケンジさんの昔の一時のことについての批判がいまだにあることにつき、このツイートを見ていただきたい。

福島大学の新井教授よりFB投稿。

以上、よくわかるものだった。

河北新報の記事について、菊池氏の意見については、なんと言ってよいものか考えてしまう(河北新報の記事)。子ども用の、しかもいろんな考えを包含して、それでも生きていくという希望の意図がある現代アートについて、「科学的でない」とか「風評被害」とか……、ガンダムやウルトラマンにも同じことを言いそうだ。

子どもたちが一緒に笑って写真に納まる現代アートに「風評被害」とか「非科学的」なんて言われても、神経質になっている気がする。自分が気に入らないだけの理由で否定的なことを言うのは批判とは言わない。悪口とか不満と言う。ただ、現代アートに否定的なことを言うのも自由だ。どこに何を置くか常に現実の選挙で決めるのも自由だ。

しかし自由に批判して良いような公共のアートが、表現そのものの自由を規制されすぎる、つまり、撤去されるような、政治的に強い検閲を受けるように、もしなったら、今度は、公道のデモ行為が規制を受けるだろう。美醜とか、秩序とか、理由はいくらでもある。それから公共の出版物が表現に規制を受けるようになるだろう。最後は気に入らないという理由で人種や個人に及ぶ。そういうことを恣意的と言い、歴史が証明している。

みんな忘れている。FacebookやTwitterみたいに通報ボタンかんたん一発の多数決で、投稿から存在から、表現の自由すべてが奪われるかもしれない場所の、不公平な恐ろしさを。それと同じ構造として、おおやけの現実社会でまで表現の自由をかんたんに奪うような、つまり撤去の全てを否定しないが、それを簡単にしてはならない。批判すること自体はそれも表現の自由なのである。

今は、子どものオブジェがある。子どもたちは笑顔である。もし別の物で言えば、廃仏とか神社や教会の撤去とか、正式な手続きを経たのに、少数の大人が悪口を投げているから簡単に撤去などと、そんなことをされても良いのだろうか。正式な手続きを経た物事は、そういうことにならないことを意味する。丁寧な話し合いができる大人の人達とだけ話し合う用意が私にはある。

それに、サンチャイルドをイデオロギーと決めつけるのは間違っている。少なくとも行政と東電は県内で原発について福一も福二も、とっくに脱原発を決定している。地域で再生エネルギーは既に始まっている。そもそも3.11後の原発の是非は特にイデオロギーではない。政治的に常時一方通行でベキ論が固いだけのイデオロギーなどでもない。

数年前に起きた「音楽に政治を持ち込むな事件」のときは相当にその台詞への反感リアクションが盛り上がったものだったが、アートに政治を持ち込むなへの反感はまだまだ少ない。しまいには福島に政治を持ち込むなという無理を言うだろう、「代理戦争をやめろ」と言う形で言われるだろう。政治とは人々が暮らすところに起きる利害調整のことを言うのであるから、あらゆる人間の発言は政治的発言となる。

さらに、ごく一部で流行している圧力的な政治行動がある。「ある人達の政治的な行為が一部の人達のみから悪い評価を受けたこと」と、「何もし得ない像であるサンチャイルド」、これらをいっしょくたに混同させた印象操作をして、だからサンチャイルドは要らないというのも、おかしい。そんなことよりフクイチいらない。汚染バック要らない。デザインや風景論としても悪いし放射能は危険物質だから政府東電に言わねばならないと思い出す。

ましてや誰が賛成したかなどで反対を唱えるなど敵味方そして人間を排除する論理に他ならない。たとえそれが一種の批判とはなり得たとしても撤去要因まではいかないので、展示されたままで良いことになる。行政に寄贈されたものが私的な利権ということにもなり得ない。そもそも権利を手放すのが寄贈という日本語である。だれでもサンチャイルド像で常識的なイベントを企画できるパブリックなアート。社会通念から考えても、サンチャイルドは県内外で好評であり、デザインに撤去までの特殊事情は見当たらない。

また、そこまで放射能を気にかけるならフクイチのデブリや目の前にある汚染物質のリアルのほうが、ずっと気になる。この列島に防護服だろうと宇宙服だろうと街中にいろんな姿があって良い。それらを着て仕事をしている人達がいる。安易な軍国主義の礼賛などではない。股間部分に関しても、放射線と遺伝子の論点を思い出すし、性器や血管や臓器など人間の器官を保護することを連想させ、宇宙でのことだろうと地球上のことだろうと、重要な示唆も受けられる。

イデオロギーを言うならアートのゼロ表記ぐらいで風評被害ベキ論を強く押しすぎて表現の自由を後から他県の人達がTwitterで多数の匿名に扇動して新聞にそれを県民から批判などと書かせ結局は撤去要請までいき検閲と同じことをして表現を奪うほうがイデオロギーである。数値を見るならモニタリングポストもあるしテレビやラジオでは天気予報もある。

しっかりとした判断力をもって、精緻な解析力を醸成していきたい。この場合は、法的というよりは分別的な言い方で、事理弁識能力と言っても良いのかもしれない。ただの悪口、ただの敵味方、ただの呪い、そういう考え方でなく、それが自分に、どのぐらい受け入れ可能な言説・表現かだ。キビタンにだって不満な人達も賛成な人達も山といるだろう。

いつでも認められるときは相手の意見を認めて仲良くできる用意のある者しか、議論に参加できないと私は思う。むろん、公共の場所にこの手のものを置くのが嫌いだという意見はそれはそれとして成立するだろう。しかしそれは公共の場所にその手のものを置かないのが嫌いだという意見と同じである。

ヴェルト編集者のひとり伊藤さんはサンチャイルドの機能を考え、こう述べる。そもそも自分にとって新しいものについて急に好き嫌いなどが発生するような人達はどれだけいるのだろうかということ、同時に、大人としての判断、そういうことも考えさせられる良い投稿だと思う。

8/25あたり土日サンチャイルド大喜利が密かに良い感じ。

8月22日、写真家の中筋純さんがサンチャイルドに関して写真と文を投稿した。こころに来る内容にほっと癒された。こういう風に大人の経験豊かな人達からの感想ご意見をどんどん知りたい。中筋さんの眼力きわまる撮影に感謝。

ちなみにヤノベケンジさんが謝罪文を出していることについて、良いことだとわたしは思っている。すでに周知期間も過ぎ、実行の段階とはいえ、もし万が一、福島原発事故の被災当事者を傷つけてしまったら申し訳ないことだとヤノベさんは思っていることを表明したということであり、そのことにもわたしは賛同したい。通常の謝罪文とは意味がちがう。

市長から真摯なコメントがさらに出ている。
市長のTwitterで子どもたちの笑顔がなによりである。
http://www.city.fukushima.fukushima.jp/hisyoka-hisyo/shise/goannai/shichonoheya/mayor20180813.html

福島でのイベントも重ねてこられたようだ。

赤坂さんの随筆が発行された。あらゆる論点が短い論考のなかに凝縮されていて、なおかつ、思いやりのある、優しい文になっている。この記事に対してオリエンタリズムという批判が見受けられたが、私としては、ルサンチマンにはなりたくないと思った。早速、たまたま話した、福島県にお住まいの人たちに私は感想を聞いてみた。余談だが、赤坂さんは福島県の血をひくかたである。

福島県にお住まい、農家の60代男性に伺いました。
「難しい記事だな。二度読んだけど。ゼロ……日々、暑い中、農作業なんかしてると、ゼロ……、原子力の事故はないほうが良いから、うん、そうだな。そのほうが、良いと思う。」

福島県にお住まい、研究者の70代男性に伺いました。
「いろんなジレンマがあるでしょう。過去に、汚染で被災した地域では計測なんて一般の人達はしてなかったと思います。わずかの放射能を気にするのも気にしないのもある。しかし数値にこだわることで人に対して神経質になりすぎないのが良いでしょう。いろんな考えがあると思います」

当該記事URL 日曜論壇 福島民報新聞 2018年8月26日
http://www.minpo.jp/news/detail/2018082654732

ふくしま30年プロジェクトがリツイートしている。

7月初旬には記者会見もしている。

本当に、「関りづらい福島」ということにはなってほしくない。「ひらかれた話のできる福島」であってほしい。そこで当事者性の論点は、ただいろいろなことが多様で重層にグラデーションになっていて、それを良いとも悪いとも言える。要は用い方次第のものごとなのである。

絵になるとまた違う雰囲気になる。

小林さんの感想が出た。いつも本当に優しい。

実にそう思う。今回の件は、グルメのサイトなどで、人様のお店のページにまでいって平気で星一つをつけ、悪口まで書き残すような行為に似ている。私はそういうのを見ると、正直、昨今のインターネットの悪質さに悲しくなって気絶しそうになる。

ご本人

福島県の二本松市には、フローラという像が来たことあるらしい。

サンチャイルドとフローラ。
福島に来てくれたこと有難し。

市では、像の近くでアンケート調査を行って対応することとした。(時事通信

・同月18日の追記
福島民友新聞の社説(8月18日)「サン・チャイルド/賛否を福島の未来への糧に」にて、こうある。「賛否両論があっていい。ただ、想像の産物である芸術作品に対して、科学的根拠を求めるのは意味がなく、撤去を迫るのは妥当ではないだろう。」 河北新報の記事に対する私の反論と同じのようだ。多様な考えを学べるチャンスでもある。それを民友はタイトルで「賛否を未来への糧に」と書いた。市長は「真実」を探求するとある。

ほか、東京新聞もサンチャイルドを取り上げている。

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これも雰囲気ある。

「作品の意図に共感するので、撤去しないでほしい」という意見もあり、小学5年生の男の子は「福島と原発は切り離せない問題で、像は明るい表情なのであっていいと思う」と話し、福島市に住む別の子育て中の女性は「賛否両論があるのは知っていますが、福島に住む人としてはあまり騒ぐ必要はないと感じています」と話し、たとのことだ。参照 防護服子ども像にアンケート調査 2018年08月18日 福島NEWS WEB NHK

福島市が設置した防護服姿の子どもの立像に「東京電力福島第1原発事故の風評被害を増幅する」などと批判が相次いでいる問題で、木幡浩市長は22日の記者会見で「像を見て福島が危ない地域と思う人はいないと思うし、子どもが立ち上がっている姿だと思うのが一般的な受け止めだと思う」と反論した。防護服像問題で福島市長反論「危ないと思う人いない」2018/8/22 ©一般社団法人共同通信社 同様 福島民報新聞 20180822

「原発事故のあとアートで福島の復興に貢献したいと制作されました。「子どもが想像力を膨らませて、希望ある未来を感じて欲しい」とヤノベさん。芸術を間近で感じることは、とても刺激になりますね。」2018年07月06日 (金)芸術を 間近で感じる 至福の時 @吾妻謙 はまなかあいづtoday NHK福島

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と、……ここまで読んでいたところ、この写真を見つけてわたしは大爆笑した。「な、なんだこれは!ネコがいる!」。この黒ネコは二本松に居るらしい。でかい。なにでできているのか。

出典:https://blogs.yahoo.co.jp/takecyann2_40/69584883.html

出典:https://blogs.yahoo.co.jp/takecyann2_40/69584883.html

白ねこ版もあるらしい(笑)

http://yanobe.hatenablog.com/entry/2017/06/18/074128

こんなのもあるらしい。明かりが、きれい。どんどん変化している。

どうやら、ship’s catというらしい。「船の猫」。なぜシップスキャットができたかはご自身で探索をしてみるのも一興だ。このイラストがあることでまとまりが出てきた。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/y/yanobe/20170615/20170615085322.jpg

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/y/yanobe/20170615/20170615085322.jpg

シップスキャットがパリの展覧会に出た。
https://www.fashionsnap.com/article/2018-06-20/shipscat-yanobe-horiki/

いろいろ揃ってくると、これまた違う世界が見えてくるような気がして、面白い。ヤノベケンジさんの考えている、いわば、なんだろう。ボーダレスな「宇宙双六」とでも言えそうな作品が面白そうだ。やはり、くちゃくちゃした大人の屁理屈なんぞよりは、無邪気なこころが観て「わー!」とか「なにこれ!」というのが、いかにも楽しそうである。

わたし個人の意見を最後につけさせてもらえれば、わたしはいつも、「このまま世界最大の原発事故レベル7の被害ばかりを抱えて、それでも生きている、生きていくことを、だれにも伝えられず、共有もむずかしく、いったいどうしたら、道ゆく人々と、何かを共にできるだろう」と思っていた。あれは、目に見えないのである。

巨像の、ちょっとした驚きによって、だれかとサンチャイルド談義が出来る、それだけでも共有は始まっている。そこではむろん、賛否両論ひきこもごもがあって良いのであり、それを引き出すことこそが、現代アートの役割の一つだろうと私は考える。潜在化させると物事はろくなことがない。明るい社会へ。サンチャイルドへの愛称も募集してるそうで楽しみだ。

3・11ということを忘れないという風化対策も重要だ。忘れて良い個々人の気持ちやトラウマがある。いっぽうで忘れるべきではないこと受け継がれるべき大事なこと、老若男女にとって、様々にある。そこをうまく次世代へ、リレーしていくことが福島の、道義的な責務である。原発の存在こそトラウマだ。

われわれ人類の傷と希望と、両方を体現してくれる共通のアートが、3・11後、ちょっとぐらいあっても良い。ましてやサンチャイルドは社会通念上、穏健だと私は思う。共通のアートは、他にもずっとたくさんあってしかるべきだ。いっそのこと、アートやネコが街にあふれかえるぐらいに!

現代美術は、交流の機会、コミュニケーションのスイッチになる。これがかなりの重要な、それでいて、美術の枠にとどまらない普遍的な役割を果たしてくれることが、やさしい文体で、よくわかった。

ヴェルトガイストフクシマfbページ

ーーー

追記18日

そうだったのか。歴史を持って未来へ向けた平和と創造のアートなのである。ふんわりとした雰囲気が、でてきた。

なるほど。これはすごい。芸術品だ。

ウルトラ・サン・チャイルドかっこいい!

さらなる無限大の展開も期待したい。

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8月28日の昼、サンチャイルドを現在の場所から撤去する方針であるというNHKニュースが流れた。以下である。防護服着た現代アート像 撤去へ 福島NHKNEWSWEB 20180828 12:48

原発事故からの復興への願いを込めて設置された防護服を着た子どもの現代アート像について、福島市は制作した現代美術家のヤノベケンジさんの意見なども聞いて検討した結果、撤去する方針を決めました。28日午後にも記者会見を開き、発表することにしています。現代アート像、「サン・チャイルド」は、防護服を着た子どもがヘルメットを外して立ち、遠くを見つめてほほえんでいる高さ6.2メートルの作品で、平成23年に現代美術家のヤノベケンジさんが、震災と原発事故で深刻な被害を受けた福島の復興への願いを込めて制作しました。制作後、日本の各地で展示されたサン・チャイルドは福島市に寄贈され、先月28日から子育て支援施設「こむこむ館」前に設置されました。しかし、像の設置後、「原発事故のあと、福島市では防護服が必要だったと誤解を招く」などの撤去を求める批判的な意見が市に寄せられていました。福島市はヤノベケンジさんの意見や、今月17日から実施したアンケートでの市民の意見を検討した結果、現在の設置場所から撤去する方針を決めました。福島市は木幡市長が28日午後、記者会見を開き、発表することにしています。ヤノベケンジさんはNHKの取材に対して、「不快に思われた福島市民のみなさま、応援してくださった市民のみなさまに、改めておわびを申しあげます。大変残念ではありますが、こむこむ館前に置き続けることで苦しむ市民の方々がおられるならば、展示を取りやめた方がよいという結論に至りました。また、これ以上、市内外の人々を巻き込み、対立が生まれることは避けたいと思いました。展示する場所、時期、方法によって受け取られ方は変わりますので、細心の注意を払うべきでした。今回のことを真摯(しんし)に受け止め、できる限り多くの市民の皆様と対話させていただき、一から精進してまいりたいと思います」というコメントを出しました。以上

夜にはウェブが出た。街の声があった。交流できた機会だったかもしれないと思うと、寂しさがのこる。福島 NEWS WEB 防護服着た現代アート像 撤去へ 08月28日 20時02分。引用はじめ この問題について福島市は市民に意見を募り、今月17日から27日までに意見を寄せた110人のうち、移設を含めて撤去をするべきだと答えたのは75人とおよそ70%を占めたということです。

【撤去で街の声は】
現代アート像、サン・チャイルドが撤去されることについて、福島市の女子大学生は「SNSで写真を投稿する友達がいてよく目にしていました。像の設置について賛否の意見が寄せられていることをニュースで知り、設置に関してそこまで神経質にならなくてもいいのではないかと感じています」と話していました。
また、郡山市の子育て中の40代の男性は「この像があることで風評被害が出るのであればいやだと感じます。しかし、設置するにもたくさんお金がかかったと思うので、この短期間での撤去はもったいないとも思います。すぐに撤去という結論には何とも言えません。複雑です」と話していました。以上

フクシマ発(現代書館)での私の意見と近い。

Twitterが荒れている件について精神科医の堀有伸さんがコメント。

美術手帳から記事が出た。

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また、震災以前よりヤノベケンジと関わりのある福島県立美術館の学芸課長・荒木康子はこう話す。「(いち市民として)作品に対してどういう感想を持ってもいいとは思います。美術とはそういうものではないでしょうか。ただ、設置にも撤去にも、時間がもう少し必要だった。美術だけに限りませんが、意見の対立で終わってしまうのはあまりにも悲しい。そうではなく、(時間はかかるかもしれませんが)相互理解を深めることが必要ではないでしょうか」。

……(写真挟み)……「福島県立美術館の常設展で展示されている10分の1スケールの《サン・チャイルド》。同作に対して批判が寄せられたことはないという」とのこと。なお、市によると作品の撤去時期については未定。撤去後の取り扱いについては「いずれかの施設で保管することになると思う」としながらも、具体的な予定は立っていないという。今後、作品を撤去するだけでなく、作家や行政、そして市民との対話の機会が設けられるのか。経緯を注視したい。編集部---以上 福島に設置のヤノベケンジ《サン・チャイルド》が撤去へ。時期と収蔵先などは未定 20180830

震災以前からヤノベさんの活動を知る福島市在住の詩人、和合亮一さん(50)は「関係者に悪意はない。撤去決定でも傷ついた人がいると思うと残念だ」と話した。【宮崎稔樹、岸慶太、柿沼秀行】防護服子ども立像撤去、市長が表明 批判が相次ぎ 毎日新聞2018年8月28日

また「震災や被災者をテーマにすると面倒だ」という風潮が広がっては、災害の教訓や被災者の無念を風化させず後世へと伝える上で、逆効果ではないか。その点、撤去が決まったとはいえ、福島市の木幡浩市長が当初、批判に対し「サン・チャイルド」の制作と設置の真意を丁寧に説いたのは、意義深い対応だったといえよう。美術も文芸も、創作の営みはなべて自由な思念や感情の表れだ。社会の規範や科学の知識のしもべではなく、逆に常識や先入観を疑い、揺さぶり、社会に問題を提起する意味合いも大きい。心ある表現者による創作とそれに対する意見が、反目や排除に向かうのではなく、互いの主張を認めつつ社会をより豊かにしていく対話の起点となるよう、議論を深めたい。震災とアート 反目より対話の起点に 中日新聞 20180905

国立遺伝学研究所の川上浩一さんがコメント。

画家の山内若菜さんの絵が、すごくてすっかり私はファンになった。
福島に来てくれているらしい。見に行きたい。

今回「パブリック」であることが、サンチャイルドの最大の論点であり、全員の一致は見られないから、(暗にTwitterでの炎上と)数十件の批判が投函されたことが、市長の行政行為を超短期間で覆すほどの撤去要因とされてしまった。おそらく何をしても数十ぐらい批判は来るときは来る。簡単に動いて良いのだろうかと心配に思う。

夏休みに子どもたちは嬉しそうに親子連れで写真を撮影していったその思い出を考えるに、もっと法的安定性などの方面も重要視してよかったかもしれない。戸惑うだろう。あれほどのものが、一度置かれてすぐとは、いったい何故に、市民の財産が突然に無いのかと。現代アートや街づくりについて専門家の意見を仰いでも良かった。

これからみんなで学ばれていくことを希望する。

ある撤去派の意見では、置くのが美術館などであればこのアートは通常のアートなのだそうだ(しかし「こむこむ」は文化施設であり使節内部なのである。おそらく駅のド真ん前にあると誤解していたり、まったくの外にあると思っている人も大いに違いない。ネット上の議論だから)。

私にはまだどの批判も首をかしげるのだがとにかく決まったは決まったことだ。設置から一か月だった。それで一文を書いた(20180828)。

太陽の子サンチャイルド

それは今は、公開しない(9月末から公開)。ただ、あれを見て一緒に遊んでくれた子どもたちや、福島は忘れられてないと思ってくれた人たちに、とにかく、ありがとう。

*こちら

8月30日夜、
子どもの像とモニタリングポスト2018年8月30日
NHKニュースの最後にこんな一言が添えられていた。

「福島と向き合って!」

SNSの特性ニュースしかり。
NHKは福島を見てくれている。
ありがとう、メディア。

ーーー

今回のいきさつを謝罪したうえで、「さまざまな声を聞きながら、これからも堂々と福島に関わり続けたい」と述べました。9月5日福島大学で開かれた、今月9日から県内で行われる現代アートの祭典「福島ビエンナーレ」の記者会見に、現代美術作家のヤノベケンジさんは参加アーティストとして出席しました。ヤノベさんは、平成23年に復興への思いを込めて防護服を着た子どもがヘルメットを外して立ち、遠くを見つめてほほえむ作品「サン・チャイルド」を制作しました。この像は市に寄贈されて、ことし7月から子育て支援施設の前に設置されましたが、「福島市では防護服が必要だったと誤解を招く」などといった撤去を求める批判的な意見が寄せられ、先月、市が撤去を決めました。
会見の冒頭でヤノベさんは謝罪したうえで、批判や撤去の判断については、「市民の声を置き去りにして設置を急ぎすぎたことに反省とふがいなさを感じている。このままでは対立や分断が広がると考えると、一度撤去してから冷静に丁寧に議論した方がよく、撤去の判断を真摯に受け入れたい」と述べました。そのうえで、「このままではほかの表現者の萎縮にもつながりかねない。これで終わるのではなく、さまざまな声を聞きながら何をすべきか探すチャンスがほしい。これからも福島のことを勉強して福島にしがみついて福島に堂々と関わり続けたい」と抱負を語りました。ヤノベさんは今後、福島の人たちと意見を交わすことを検討しているということです。ヤノベケンジさん会見の場に 福島 NEWS WEB NHK 20180905

続きがありそうで良かった。
へこたれない姿勢を学びたい。