被災すると思考が目覚める。吉田邦吉

被災した人達に負けないでとか頑張ってとか言えない。ただ私のことなど知らぬ人達がこれを読んでなるほどと思ってくれたら幸い。被災すると、被災に驚くのであるが、あまりの世間の世知辛さにも驚く。それもどちらも続く。これがなかなか厳しい。しかし同時累乗で今まで眠っていた何かが目覚め思考が深いものへ変わり続けもする。地域が分断されることもあるかもしれない。いろいろあり得るのも、承認欲求や利権関係など、すべて強欲が握っていることに気づくが、それは不幸の種であるから、あやしいハッピーをやたら強調させられるようになり、意に沿わない者たちをカルト呼ばわりするようになる。被災するといろいろなことが手に取るように見えるようになるのは、そこ自らが現場だからだ。どれだけのライターがファクトチェック云々とやたら私怨を含んだ政治的枠組で庶民の言説のほうだけを押さえつけようとしても、現場は何がフェイクで何がファクトかを知っている。自分のことだからだ。それに余談だが、フェイク=すべて悪というわけではない。世の中にはフィクションに夢がある場合もあり、トゥルースは苦い味である場合のほうが多い。この数年は、反差別や逆差別といった理屈を用いて、むしろ差別を煽り立てている言説が目につくようになってしまった。彼らに1%の理由がないとは言わないけれど、あんまり硬直した話は人間の頭を馬鹿にすると思う。そうした、日ごろできないようないろんな苦しい経験を通して、思考が、目覚める。