このところの諸処雑感    伊藤千惠

いやはや3月から投稿していませんでした。
4月に熊本地震があり、ゴールデンウィークに被災地となった自分の故郷熊本へ帰ったり(その報告はヴェルトガイスト・フクシマ号6冊子に掲載。絶賛発売中、よろしくお願いします。)、派遣の仕事がなかなかに忙しかったり。

7月は参院選、都知事選とたてつづけに大きい選挙でした。ごぞんじのとおりなかなか野党は勝てず、自民党改憲草案への危機感が国民的に広がらないことへの焦りが募ります。
むろん改憲だけではなく、原発事故が起きて収束していないのに再稼働したり、秘密保護法や安保法制も充分な審議がなされないまま通ってしまったりして、なんだか世の中の動き、というよりも政治の側で急に動きすぎていてとても違和感をおぼえます。
政権与党は、もはや保守政権とは言わないのではないでしょうか?こんなに早い期間にあまり必要もなさそうなのに法体制を変えようとするのは革新としか言いようがないでしょう。

では選挙で変えなきゃ!と言われても、従来のテレビ・新聞などの大手メディアだけ見ている層に、ネットで詳しく掘り下げる人たちの情報はほとんど届いていないに等しい。
社会現象として取り上げざるを得なくなるほどの大人数デモで、やっとマスコミに取り上げられ、ちょっと知られるくらいのもんです。
ネット界で情報通が深く深く掘り下げるほど、そうでない人たちとの溝は深くなっていくという矛盾というかやるせなさ。
そして、間違ってる!おかしい!と声高に言えば言うほど、わかってもらいたいサイレントマジョリティに敬遠される。少し考えなければと思うようになりました。
ネット界でのやりとりは現実を映したものではないということ、よく理解しました。
とはいえ情報の即時性と、例えば識者本人からの意見が得られるなどという有益性もたくさんありますから、要は何を取捨選択するかということが肝要に思います。

さて、このところよく考えるのは、競争社会で成果をあげる者が正当な評価と報酬を受けることと、効率を上げられない者が落ちこぼれていくことは自然界の摂理で当然だとする考え方とが、同じ問題として捉えられているのではないか、ということです。
会社にいて仕事をしているとそれはよく見えてきます。
出来高制でない限り、自分より生産性を上げられない人と同じ給料?という不満は常につきまといます。しかし、それは雇う側のシステムの問題であり、生産性を上げられない者は脱落して当然という結論に帰着させてはいけないと思うのです。
人が人として生活できうる最低賃金があって、それより成果をあげられる者にはそこに評価と報酬をプラスすることが雇う側の責務であり、働く人のモチベーション向上にもつながると考えます。できない人をたたくのは会社側、資本家側、もっと言えば搾取する側に立った論理ではないでしょうか?
どうも、グローバル資本主義とか新自由主義とか呼ばれている経済の世界的な風潮が根底にあるように思います。
人間が有史以来、自分のあるいは自分の属するコミュニティの生存をかけた陣地の奪い合いを経て、たくさんの犠牲を払って到達した共生とか共存という考え方から逆戻りしている風潮ではないでしょうか?実際に血は流さないけれど経済戦争で殺し合いをしているように感じます。

株価は経済状態をあらわすひとつの指標ではありますが、それだけのことです。
株式上場している会社は株主に常に配当を出さなければならず、市場で株を売買することで利益を得る投資家がアベノミクスでどうしたこうしたと一喜一憂している姿は、実態経済と何も関係ないように見えてしかたありません。一部の投資家が儲けても、私たち庶民の生活に還元されることはないのです。国の経済政策はこういうことで景気回復をはかろうとしているようですが、私には実体のない金の流れに人々が浮かれているようにしか見えません。

もちろん、大企業が倒産するようなことがあれば、関連企業にも波及し、失業者が増えて社会に混乱をきたすことは必至なので、それは極力避けなければなりません。
そのために企業は内部留保がありますし、要は拡大しなければいいのです。
常に右肩あがり成長しなければならないという呪縛から逃れて、現状維持にシフトしていけばいいのではないかと素人は思います。
結果、投資家が損をしてもそれこそ自己責任、博打と同じなのですからあきらめてください。

人間のもっと欲しいという欲求はなかなか変えられないと思いますが、大事なものを失ってみて、金には替えられなかったと後悔しても遅いということをいろんな事実から学んでいくしかないのでしょう。

※ちなみに、日本企業が他国の企業に買収合併される話ばかり喧伝されますが、日本企業も他国の企業をたくさん買収しています。例えば英米の有名どころのウイスキーなど。どの国の企業も同じ。食い合いをしています。

※もうひとつちなみに、私は競争原理が社会全体を向上させるとはあまり思っていません。まあ、私にも競争意識はあって、自転車をこいでいて抜かされそうになると抜かされまいとがんばってしまい、それがある程度最速記録を伸ばすことにはなりましょう。
しかし、突出した人材とか天才、例えばノーベル賞をもらった研究者などの話を聞いていて思うのは、彼らの「好奇心」がその成果を産んでいるということ。競争で才能が開花されることも幾分あるかと思いますが、研究に向かわせる強烈な動機は「好奇心」です。めんどくさくて、金にならなくてもおもしろくて仕方ないのです。そういう人たちの発見が科学や社会の発展に寄与してきたのではないかと思います。
いまの教育や私たちの価値観に、「好奇心」を育てるという考え方が欠落しているのではないでしょうか?