一年間ありがとうございました  吉田葉月 

栃木県の台地にて。(2015年6月 撮影:吉田葉月)

栃木県の台地にて。(2015年6月 撮影:吉田葉月)

WELTGEIST FUKUSHIMAのライターとして活動し、一年が過ぎました。
私は1年の経過を機に、ライターとしての活動を終了します。
これまでありがとうございました。

私は、この媒体を通じて、希望や生きることについて書こうとしてきました。

さっき、暗い夜道の移動中に、どんなに角を曲がっても曲がっても生まれ故郷にばったりと遭遇することはないんだなあ、と分かりました。その時、気持ちがしーんと静まり返りました。
生まれた故郷は、まるで私が私であることを作るものでもありました。土地の音、土地の習慣、土地に暮らす人間の姿や気配、日が昇る方角、海の方角、山の方角、田畑の風景、家から道路までの距離、家から学校・スーパー・友人宅までの道のりとその風景。その様なものが、私が私であることを疑わずに済ませてくれていたようです。双葉郡の暮らしのなかで、繰り返し、反復し、往復してきた、ほとんど不変に思えた道、声色、景色を遠ざけざるを得なくなったので、私はだいぶ混乱してしまいました。繰り返してきたもの、反復してきたもの、往復してきたもの。そういったものに、私が私であることを委ねていたのかもしれません。

栃木県の八方ヶ原。(2015年6月 撮影:吉田葉月)

栃木県の八方ヶ原。(2015年6月 撮影:吉田葉月)

紙粘土と栃木県の大麦による造形。『WELTGEIST fUKUSHIMA』5号の裏表紙の造形の仲間です。(2015年6月 造形・撮影:吉田葉月) 

紙粘土と栃木県の大麦による造形。『WELTGEIST fUKUSHIMA』5号の裏表紙の造形の仲間です。(2015年6月 造形・撮影:吉田葉月)

近頃私は、何の疑いも持たず双葉郡のあの町の子供だったことについて恥じ入っていました。その土地で生まれその土地で育った「その土地の子ども」時代の私は、原発の町として色づいてきた地に希望や安息を求めて転入してきた若い家族やその家の子供に優しくなかったなと思います。それに、原発の仕事に従事する大人のいる家庭のことも知ろうとしては居なかったな、と。誰にでも安息の地があって当然であってほしいと思う反面、暮らす場所があるのが当然で、暮らす所が無い人について思いも馳せようがない「当然ある暮らし」から得た傲慢さや、だれにでも帰る故郷があって当然と思うような鈍感ぶりを知らず知らずのうちに「その土地の子ども」である私は身に着けていました。「その土地の子ども」の口ぶりをしていなかった、どこか居心地の悪そうに見えることもあった転入生たちに優しくできていたらなあ、と今さらながら思います。
放射能汚染から逃れながら暮らすようになった今ではさすがに「誰にでも帰る故郷がある」とは思いません。かつて出会った転入生たちのように、移動しながら居場所を切り開かざるを得ない人たちもいる。そんなわけで、私は時々、何らかの事情で原発の町に転居してきた人たちのことを意識した暮らしとして、過去を生き直したら、どうだっただろうと想像します。更に、原発が建つ前の町に戻れたとしたら、どうやって原発を建てることを辞めるように周囲の人を説得すればよいのか、などと、生まれるよりも前の時代に行くような妄想をしてしまいます。私は、生まれ育った地のことを思うと、どうしても過去に行ってしまうようです。

土地は誰のもの?誰のものでもない。先住の人が偉いわけではないし、かといって、土地の知恵や大事にされているものについて継承する繋がりをもたない人が好き放題していいというわけでもない。だから、せめて今いる土地をあまり痛めつけないでいようと思います。

また、いつかどこかでお会い出来ればその時は宜しくお願いします。

海のひろいもの。奄美群島、西伊豆などで拾った貝殻と人工物の破片。 可愛い。(2015年初夏 撮影:吉田葉月 )

海のひろいもの。奄美群島、西伊豆などで拾った貝殻と人工物の破片。 可愛い。(2015年初夏 撮影:吉田葉月 )

紙粘土・海のひろいものによるフタバスズキリュウ2体目 (2015年初夏 造形・撮影:吉田葉月 )

紙粘土・海のひろいものによるフタバスズキリュウ2体目 (2015年初夏 造形・撮影:吉田葉月 )

同上 (2015年初夏 造形・撮影:吉田葉月)

同上 (2015年初夏 造形・撮影:吉田葉月)

 

 

心の闇 高田 緑

千葉県佐倉市の教会での立てこもり事件について思う。(http://mainichi.jp/articles/20160219/k00/00e/040/199000c?fm=mnm)

数年前から、両親は教会に相談をしに一緒にカウンセリングを受けていたそうだ。この問題は希有なことではない。恐らく、どこの教会でも起きている。事件になるかならないかは、紙一重の状態にあるのだと思う。

私が通っていた都心の巨大教会でも、実際に聖堂内で暴れた青年がいた。椅子を投げるは、「神が何なんだ」と叫ぶはで、皆で止めようとしてもものすごい力で、私たちは吹き飛ばされた。

ある日、私は教会の近くの駅で電車に飛び込もうとするその青年を、一時間、説得したこともあった。私は専門家でもなんでもないが、たまたまそこにいたので放ってはおけなかった。その青年は、私の冗談にふと頑なな気持ちを弛めてくれた。

でも、ほんの少し間違えたら、青年は飛び込んでいたのかもしれない。

教会は、扉をノックする者は決して拒まない。弱き者を受け入れる。

救いを求める人に手を差しのべる人は教会にはたくさんいる。しかし、真に救えるのは神のみなのだろうか。現実的に考えるならば、精神的な救いを求める人を助けるには、それなりの知識を持った専門家ではないと、なかなか解決するまでには至らない。ふとしたことで大事件になりかねない。

それが、この教会で起きた事ではないだろうかと思う。

カウンセラーがいたと言うが、数年も教会内でカウンセリングをしていたのだろうか。そのカウンセリングは信仰の中にあったのであろうか。青年は、信仰の中に救いを求めていたのであろうか。

だからと言って暴力を正当化してはいけない。教会の聖職者も両親も、怪我をしたカウンセラーも、青年と向き合い心から助けたかったには違いない。どうすれば青年を闇から救えるのか、私には分からない。何が正解だったのか分からない。

神の家である教会の中だから安全とは、決して言えないのは確かだ。社会に蔓延る心の闇は深い。

 

十文字絞り旗指物 (桃山時代 : 旧白洲邸所蔵)

十文字絞り旗指物
(桃山時代 : 旧白洲邸所蔵)

 

※反響は多かった記事だがリンク表示の都合でここに反映されず(by編集部)。

書の海を漂う~乱読日記*その五  「読みと他者 : 吉川宏志」   伊藤千惠

短歌時評集2009-2014年「読みと他者」  吉川宏志著  いりの舎 2015.11.10発行

日ごろ、短歌にいそしむわけでもなく古典に明るいわけでもないが、時おり目にする歌の表現に新鮮な驚きを覚えることが多い。
「ことば」に心を砕くのは文芸を生業とする人には当然のことだけれども、それにしてもごく個人的な体験が短いことばを媒介に、
こころの深いところまで届くことの魔術的すごさ。
なんてことを少ない短歌経験のなかで思う。

いりの舎発行の「うた新聞」に、おもに新しい短歌を紹介した「これからの秀歌」という吉川宏志氏のコラムがある。みずからも塔という短歌結社を主宰する歌人である。
毎月、びっくり仰天の新人の短歌や(私だけが)知らなかった名歌をていねいに解説、知識のない私にでも共感でき楽しみにしている。
短歌の評論集なんて読むのははじめてだが、吉川氏の2009年から2014年までの時評を中心にした本を読んでみた。

私は長いこと幻想文学や虚構の世界を愛読していたので、現実生活の一部をきりとったような描写や、花鳥風月をうたう、自然をめでることを少し軽んじていた。今日はこれこれをしました、というような報告日記みたいなもんははつまらないと思い込んでいた。けれども、この本を読んで自分の「読み」の甘さに蒙をひらかれた思いである。

他者の日常的な体験がそのひと固有のことばとリズムで詠われることで、自己の感情が揺さぶられたり共感したり反発したり、他者との関係性がたちあがる。
吉川氏は、他者を完全に理解することは不可能であるが、短歌の読みは自他とのあわいに新しいものを創造する行為ではないかと言う。
その「読み」は作った歌人とも他の読者ともそれぞれ違うかもしれない。むしろ違って当然であろう。読みかたに正解はない。
すぐれた「読み」にであったとき、自分も何か言いたくなることを「対話可能性」と彼は言う。
歌の感想や意見を語り合うことで、他者と触れるフィールドがさらに広がる。他者の価値観にも触れようとすることが短歌の読みには必要であると。

これは、私たちが日常生活で他者とコミュニケーションするときも心に留めおくべきことだろう。
小説や絵画の解釈をめぐって他の人と議論するなんて、ふつうの人は日常生活ではやらないだろうが、たぶん俳句や詩歌に親しんでいる人たちは、自分のし好は別にして「読み」を評価しあうという素地が伝統としてあるのだろうと推測する。

他者に対して開かれているからこそ、時代を敏感に感じとり危うさを感じる歌人が多いと感ずる。吉川氏の原発事故に対する当事者としての姿勢、社会を詠った作品に私は非常に共感する。ともすれば二項対立の不毛な論争に終わりがちな原発や社会問題に対して、タブーを作らない、誰もが言いたいことを言える言語環境を作ることが率先してやることだという意見に深く首肯する。
「ことばによって人間が操られている」という彼の指摘もまた重い。
大量消費された「ことば」は、すぐさま手あかがついて薄っぺらなものになる。歌人のことばに対する感受性、自分固有のことばであろうとする姿勢は私たちも見習いたいと思う。

素人ゆえ、もうひとつ蒙がひらかれたのは、短歌の定型がリズムをうみだすというところ。ラップや韻を踏むというようなことば遊びもあるけれど、ビジュアルにとびこんでくることばの羅列がリズムを持つというおもしろさ。
文体がその人をあらわす、ということもあるのだ。
技巧的に使われると深みのない歌になってしまうのかもしれないが、自己とことばとの間にかい離のない作品は、激しいものも生活をうたったものも関係なくひきつけられる。

ここでは具体的な歌をあげなかったけれど、「読みと他者」には、多くのすぐれた歌をひいて読みを紹介している。短歌になじみのない人でもわかりやすく、他者のことばがどのように輝きを放っているものか味わってみることを皆さんにおすすめする。

建てる手立て    吉田葉月

3回目のビヨンド自然塾の小屋作りワークショップにて。木に登る子どもと、小屋を建てる人々。参加者それぞれが無理なく好きなことをしているように伺えた。 (撮影:吉田葉月 2015年11月 山梨県北杜市)

3回目のビヨンド自然塾の小屋作りワークショップにて。木に登る子どもと、小屋を建てる人々。参加者それぞれが無理なく好きなことをしているようにうかがえた。

北杜市の小屋を建てるワークショップの第1回目に参加した私は、続いて3回目の同ワークショップに参加した。3回目は1回目、2回目の続きで、同地で開催された。
1回目の時に、子供たちが斜面に土と木で階段を作っていたのだけれど、こちらはだいぶ崩れていた。
今回メインの作業となったのは、外壁を張っていくことと、屋根の土台となるような部分を作ること。
外壁となる板材を大人たちがほぼ水平に壁面に乗せると子供たちが寄ってきて、一斉に「どどっどどっどっど」という音を上げて釘で板を打ち付けていく。私たち大人よりも小さな手で、体で、数人の子ども達が一斉にこれをやっている姿を見ていると、「どどっどどっどっど」という音とともに、喜びが湧き上がってくる。

ワークショップに行く前、そしてその後という間に流れのようなものがあるとすれば、それはこんなことだ。現在、知人と共同生活している、知人が親から譲り受けた昭和50年代に建てられた家は、外から入ってくる車の音が大きかった。それは生活に支障を来すくらい酷いものだった。それが嫌だった私は、自分の静かな空間が欲しかった。予算の関係もあって、家を借りることよりも「住むのではなく通って滞在するような隠れ家でいいから建てることができないだろうか」という可能性に向かっていった。

そこで、練習になることをしようと思った。インターネットの検索でビヨンド自然塾の小屋づくりワークショップを見つけた私は、学生の時暮らしていた懐かしの山梨県に出かけた。家を建てる手立てが欲しい、という欲求の湧き上がりが明らかになって、目的に向かって動く。…などと、そんなに難しい話でもなく、「うわーやりたい!やりたい!」という気持ちを認めて、既に動き出している人たちに合流してやってみる。そのワークショップを2度体験した。全部の回に参加したかったのだけれど、都合上全部は無理だった。けれども、私には「建てたい」時に「建てたい」思いを伝える言語が体に生まれていて、分からなくなったら教えてくれそうな近場に住んでいる大工さんと話すことができた。そんなこともあって、現在は、栃木県で、知人と共に住居とまでは言えない小屋のようなものを建て始めている。

私と知人で建築中の小屋のようなもの。(2016年1月 撮影:吉田葉月)

私と知人で建築中の小屋のようなもの。

私が一坪半の小屋のようなものを建てるという行為には、どんな場所ににどれぐらいの規模なら建てても大丈夫であるかを知るために、伝手を頼り近隣に住む大工さん連絡をとって助言を得るのに伺うことであったり、一見難解な境界線の地図を引っ張り出してきて、昔から住んでいて土地の境界に詳しい年配の農家と共に歩いたりすることも含まれたのであった。
建てようとするものは、大変小さな建築物だけれど、土地を決めると今度はなんだか間取りにこだわりたくなった。光の入り方をその場で感じようとしてみたりする。窓やドアはどんな大きさでどこにつけるのか検討する。木材をインパクトドライバーで打ち付けていくというような、道具を握って行う作業だけではなく、下見のために歩くことや、助言をくれそうな人を探すことや、土地の傾斜や太陽の動きを感じることを含めて建てることがあるのだった。

建築に関することに限らず、未だ体験したことのない「手立て」は、漠然とした不安が不安でなくなる手掛かりになりそうだった。

ビヨンド自然塾の小屋は、今頃どうなっているのかな。おおっ、なんだか素敵なことになっているみたい。

中筋純写真展<The Street View. Chernobyl to Fukushima>を見る   伊藤千惠

中筋さんはチェルノブイリ、そして福島県浜通り地区をずっと撮り続けている。
原発事故後の「流転」していく土地の姿。
事故の起きたその日の刻印が押されたまま、生活は途絶し、町は廃墟となり、少しずつ緑に浸蝕されていくプリピャチの町。
富岡町や浪江町、大熊町はまだ人の息づかいが感じられ、
ギャラリーの壁に広がる“ストリートビュー”さながらのパノラマ写真を前に私は困惑する。
時の浸蝕途上にある町の人たちがいる。
遠いロシアの地ではなく、自分の生活圏内に。
そのことをかみしめる。

うず高く積まれたフレコンバックや、富岡町の凄絶なる混沌とでもいうべきスーパーマーケットの写真が当事者のごとく訴えかけてくる。
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浪江町出身の歌人、三原由起子さんの短歌が中筋さんの撮った浪江町を背景にうかびあがっていた。
「二年経て 浪江の町を散歩する Googleストリートビューを駆使して」
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三原さんの歌集「ふるさとは赤」には、原発事故以前と以後の歌がおさめられている。
みずみずしい、十代の頃や結婚前の心うきたつような歌と
事故後の憤り、揺れうごき立ちどまるかのような思いの歌と。
ストレートなことばがあざやかに響き共振する。

「iPad片手に震度を探る人の肩越しに見るふるさとは 赤」
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銀座という華やかな消費地にて、ぜひとも東京の人に鮮烈なるFukushimaストリートビュー体験をしてもらいたい。

The Street View.
-Chernobyl to Fukushima-
銀座ニコンプラザ
2/3 (水) ~2/16 (火)
10:30~18:30(最終日は15:00まで)
休館:2/6(土)・7(日)銀座
https://www.facebook.com/events/1708451556066740/