『双葉町モノクロ写真展「HOME TOWN」』を見て 天井優志

写真展チラシ

写真展チラシ

「双葉町の現状を知ってほしい」と企画された写真展を見に茨城大学へ行ってきた。そこには震災前後から現在までの双葉町を写し出した55点の写真が並んでいた。

写真展の会場内

写真展の会場内(5月16日撮影)

これらの写真を撮影したのはイギリス出身のアントニーさんとフィリップさん。
アントニーさんは2008年から。フィリップさんは2009年から双葉町の小中学校で英語を教え始め、現在でも埼玉県やいわき市にいる双葉町の子どもたちに英語を教えている。

モノクロでの展示は「より集中して見て感じてほしい」という想いもあるという。

「ピアニスト」から並ぶ壁際の写真

「ピアニスト」から並ぶ壁際の写真(5月16日撮影)

2011年3月4日の授業の様子―。
3月11日に校庭に避難している生徒の姿―。
教え子が防護服姿で自宅のピアノを弾く様子―。
バーベキューをしていた海岸―。
お世話になった農家―。
旧騎西高校での餅つき―。
並んでいるフレコンバッグ―。
子どもたちが遊んでいた公園―。

それぞれ慣れ親しんだ場所の”現在”が映し出されていた。
また、ひとつひとつの写真には説明やメッセージが書かれていた。

衝立に並ぶ写真(5月16日撮影)

衝立に並ぶ写真(5月16日撮影)

今回は話を聴きながら見ることもできた―。

「このキッチン高崎の定食が美味しいから何度も行ったね。
だから体が大きくなってしまったね(笑)友達が来た時もここにまず連れてきたね。」

「山も海もよく散歩したり遊んだりした。大好きな場所だった。」

「ここも大切な場所。この農家さんのうちでバーベキューやったね。」

話の中から双葉町の人や山や海に対する優しさや愛情を感じた。イギリスから日本に来て、生活をしていた双葉町に対する思いは特別なものだろうと思った。

見ていると

「これは親せきだ。俺は茨城が長いけれど、双葉生まれで大熊や浪江にも親族がいるんだ。」

と隣から年配の男性から声をかけられた。茨城大学で行われている放送大学を受けに来て偶然この写真展に入ったらしい。その男性も震災後に双葉郡内で色々と手伝いなどをしたという話だった。

また、会場内の一角に置かれたテレビではアントニーさんとフィリップさんの撮影姿を映し出している映像もあった。これは今回企画をした茨城大学院生の小野田さんの作品だ。双葉町に生まれ育った彼もまた、つながりのある人や町並みを記録し続けている。
震災前は顔見知りくらいの関係だった彼らは震災後、一緒に撮影をする仲間になった。

彼らのサインの入ったチラシ

彼らのサインの入ったチラシ

彼らのHOME TOWNである双葉町の
歩み交わりのあった”人”や”場所”の”それまで”や”現在”を
写真を通して歩ませてくれる想いのつまった展示だった。

心よりありがとう。

写真展の開催は27日まで。

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開催期間:2015年5月16日(土)~5月27日(水)
開館時間:平日9:00~17:00 土日:11:00~17:00
会場:茨城大学図書館展示室

〒310-0512 茨城大学水戸市文京2-1-1

http://www.icas.ibaraki.ac.jp/2015/05/futaba-hometown/

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こんなことでは平和なんておぼつかない

伊藤です。
わたくしごとで恐縮です。

先日のこと、所用で外出する直前に、図書館から借りた本の督促が来ていたのを思い出し、居間につんであった本をかきあつめておりました。

机のわきには、たたんでいない洗濯ずみの衣類が置いてあり、一部、本の上にかかっていてジャマであるし、時間も迫っていたので、「んもぉ~」とイラついてひっぱり出しました。

したところ、それまで見送ろうとしていた家人は、急に自室にひっこんでPCを見始めたのです。そして、わが家では長時間の外出の際、玄関にて「行ってらっしゃいチュー」をするという不文律があるのですが、それもナシでした。

うーむ、なんか感じ悪い。
考えてみると、わが家では、洗濯は家人の担当業務であり、洗濯ずみのものをたたんで収納していないことに私が腹を立てた、と家人は判断したのでしょう。

家人にしてみれば、返却する本を事前に準備せず、外出直前にバタバタする方が悪い、
ましてや、ふだん洗濯ずみの衣類が放置してあることは日常茶飯事、私の態度は不当である!という抗議の態度であったのでしょう。

家人の報復に対して、私がこれまたむかつき、帰宅してつんけんした態度をとる、土産の一つもない、というような報復への報復が繰り返されていくと、血をみるような抗争後戻りできない事態に及ぶやもしれません。

こんなことでは、日頃、戦争法案サイテー!とか言っている私ども、世界の平和をめざすなんてとても言えたものではない、と自省したわけです。
どうすれば、報復の応酬が避けられるのか。

もとは私が悪い。→しかし、人間ができておらないので、イライラして間接的に家人にあたった。→家人は報復として、見送りの儀式を行わなかった。
という一連のできごとは、数分間に起こったことでありますが、お互いにことばには出さずとも感情を察知しました。

あ、話し合わなければいけなかった、と思い至りました。
私がイラついたとき、家人はそれをはっきりと問いただす。そこですったもんだ私が言い訳しても、己の未熟な行動が人を不快にさせたことは判明、そいで陳謝する。
さすれば、家人は報復をせずともすんだでしょう。
これは国家間でも言えるのではないか?
まあ、国家になるとメンツとか外交的駆け引きとかあるので、ごめんね、うんOK、ではすまないですが、「議論を尽くす」ことが基本なのは同じだと思うのです。

人間は未熟です。間違いも蛮行もありましょう。法や契約で縛ったとしても、感情はいかんともしがたい。しかし、話し合うことで見えてくることがある。迷路のようにいりくんだ問題が明確になることもある。そんなことを思いました。

(蛇足:わが家ではふだん、禍根を残さないよう、小さなことでも必ずその場で話をして解決することに心がけていますが、このときは私に時間がなくて、こんな状態に陥りました。 家訓「準備ははやめに」、「議論を尽くす」^^)

わたしのふるさと

安達太良山  (撮影 : 遠藤教夫・郡山市在住 )
安達太良山  2015年1月
(撮影 : 遠藤教夫・郡山市在住 )

安達太良山に残雪がある間は、まだまだ郡山に春は来ない。
子どもの時から、そう聞かされていた。

私が幼き時期から住んでいた社宅からは、安達太良山や磐梯山、遥か遠くには那須連峰も望むことができた。

故郷を思うとき、心に潜んでいるのは『千恵子抄』の一節である。
「智恵子は東京に空がないと言ふ、ほんとの空が見たいと言ふ。」
(高村光太郎著『千恵子抄』~あどけない話~より)

住んでいた郡山の社宅は、数年前に全て跡形も無くなく取り壊された。帰る「場所」と言うモノがあるならば、父の眠る墓地だけになってしまったのだろう。
その地から安達太良山を見る度に、故郷に帰ってきた自分がいることに安心する。
美しい山の曲線も、澄んだ空も何も変わってはいない。

山に登ればその山に立つことが出来るが、山の全景を見ることが出来ない。
故郷を離れてみて、分かったことが山ほどあった。
当たり前に存在していた豊かな自然。
自然の恩恵である美味しい水や食べもの。
あたたかい人々の心。

それらはいつまでも存在し、裏切ることがなく永遠に続くものだと信じていた。
帰れば待っていてくれるものだと思っていた。

四年前の三月十一日。東京にいた私の記憶は何故か曖昧だが、テレビに映しだされたニュースの信じがたい映像を何日も何日も見ていたのを覚えている。
親戚や同級生の安否を出来うる限り確認しては、刻々と深刻な状況に変化する映像に感情のコントロールをするのが精一杯だった。
暫くしてから、同級生からの「東京に一時避難する」とのメールがあり、その時、ことの重大さが実感としてやっと私に入ってきた。

夏休みになると、父と一緒に磐越東線の電車に乗って、海水浴に行っていた福島の海。
高校の夏の合宿でキャンバスに描いた福島の海。

あの海辺で、日本の誰もが想像を遥かに超えた異常事態が起きたのだ。
私は何をすれば良いのか。何をすべきなのか。
北へ向かうボランティアの人々の後ろ姿を、ただ目で追うだけだった。

二年が経ち、やっと郡山の駅に降り立った時の今までにない違和感。
それは、駅前に設置された放射線測定器を見た時の虚無感だった。
恐れにも近いものがあった。「無」になってしまう恐れであろうか。
だが、お墓参りをして、見上げた空の向こうには変わりのない安達太良山が待っていてくれた。

 「阿多多羅山(安達太良山)の上に毎日出てゐる青い空が智恵子のほんとの空だといふ。」(高村光太郎著『千恵子抄』~あどけない話~より)

私の心にこの風景がある限り、その山、空がある限り、私の中に故郷「福島」は存在し続ける。
福島が故郷であることを誇りに思う。
私のルーツは福島県郡山市の何ものでもないのだから。

『日本と原発』(河合弘之弁護士初監督)をやっと観ることができた。これが福島の現実だ。
けれど私は、いつまでも故郷とともに歩んで行く。
ともにそこにいる。

 

 

 

フクシマは「風評ではなく実害」論に追い風 吉田邦吉

若松道端の薪 2015年4月 撮影:吉田邦吉

若松道端の薪 2015年4月 撮影:吉田邦吉

今こそ立ち上がる時が来た。ずっとこの時を待っていた。

「『風評ではなく実害』原発事故後の苦悩伝える 県農民連会長、国際シンポで訴え」という記事が朝日新聞で「2015年4月13日」、本田雅和氏によって書かれた。

引用はじめ ――
「風評被害」について県農民連の根本敬(さとし)会長は「風評とは根も葉もないことをいう。我々の農作物は根にも葉にも放射性物質を付けられた。実害だ」とし、加害責任をあいまいにする用語の使われ方を批判した。

……根本氏は、「国の基準値を少しでも下回れば安全ですって売っていいのか。それ以下なら風評被害だというのは消費者を敵に回す行為では?」という農民の悩みを伝えた。「核被害地で農民として生きていく」決意をした根本氏は「損害の自覚と覚悟が必要」と強調、「農村での食糧自立、原子力に頼らないエネルギーの自立」を説いた。

「……基準値が、科学ではなく政治的に決められ、住民は説得の対象になっている」と述べ、日本政府の住民帰還政策を「二重基準だ」とした。
――― 引用終わり

この記事の主張者は、福島県農民連の会長」であることに注目。つまり福島県の地元がそう言っている。他の新聞でも生産者は出ていたが再びこれによって今までの「反デマ論者(危険神話を作り上げた~、デマが悪い~、反原発が悪い~、差別が~、承認欲求が~、ナルシシズムが~、分断で複雑多様が~)」のみみっちい野次などは雲散霧消することになる。

同年4月末には、産経新聞もドローン事件に際して私吉田に取材してくれた。その内容にも放射能があるのは事実。生産者や生活者は苦しいというようにきっぱり書いてくれた。つまり放射能という根拠のある実害の意味だと当然に考えられる。

なお、朝日の同記事によれば福島市のフリージャーナリスト藍原寛子さんはマーシャルの被ばくでは小児甲状腺がんだけでなく30以上の疾患・障害に対する補償制度が確立されていると紹介したそうだ。こちらは健康被害・医療の問題だ。こういうことが福島県内部ではなかなか声が上がらない実態があるが、なるのは自分らだ。

このように今や、心ある人には、この土地と人を愛するのに、左右がないのだ。東日本大震災、原発事故、このような巨大な災厄と業務上の過失大事故に対して、そもそも右左の思想など、本来ないと私も思う。あくまで偽善的右傾化、ウヨ、そういうものだけがマスコミやネットで独り歩きしていた。

この発言が5年目の4月」であることにも注目されたし。「もう5年目だからそろそろ安全に」など、放射能がなるはずないことを如実に、克明に表している。現場の生産者の会長が言うのだ。

なおブロゴス記事2011年4月の国家公務員一般労働組合の記事のほうで根本さんは「福島を放射能で汚した東電はあらゆる損害を補償せよ!」と強く訴えている。一部さらに引用しよう。

引用はじめ――
……「危ないとわかっていても、つくらないと損害(賠償)の対象にならない」こんな馬鹿げた話があるでしょうか。まだ原発事故は収束の見通しもたっていないのです。

放射性物質の飛散は止まっていません。土壌の汚染は続いていると思います。作物の汚染も続いていると思います。……

消費者の過剰な反応を「風評被害」だといいます。いま現実に起こっていることは、根も葉もない風評ではありません。東電が起こした原発事故による放射能が大地と作物を汚染している実害です。「風評被害」で片付けることは、消費者に責任をなすりつけ東電を免罪することです。

心ある方々から「福島の産品」を買い支えたいという申し出がきます。こういうみなさんに、私はこう応えています。「お気持ちはうれしい。でも、みなさんにお願いしたいのは東電はあらゆる損害をすべて補償せよという世論を消費地で起こしてほしい。
引用おわり――
(※太字と丸括弧は筆者吉田)

震災直後から今まで、4年間ずっと彼は同じことを言ってきたのかもしれない(違うことだとウソになり損をするのは生産者自身だ、風評被害つまり売れないのは自己責任論などと同義にされる可能性)。根本さんはいつの間にか事務局長から会長になっていた。今でもこの文が通じることにも悲しみを覚える。

東京新聞も「風評被害」という表現を安易に使うな、なぜなら、東京電力福島原発事故をめぐっても、「風評被害」はともすれば、放射性物質による汚染を矮小化する文脈で乱用された(篠ケ瀬祐司、榊原崇仁)からだというように2015年5月12日に特報で書いている。

今までの通り一遍「ふくしま」キャンペーンのままで福島に待っているのは、「被害のまま風化の一途を辿る」だろう。うっすら感じている人もいるに違いない。いろんな人達が思想の違いをそのままに、まず一致団結して政府東電に責任をとってもらい、福島を保護救済していくことが大事だと私は考える。

放射能のせいなんだから。