震災後・原発事故後の私の原点~陽だまりのベンチにて~ 酒井 政秋

最近、以前お話をさせて頂いた村民の声を思い出す。

ひとつひとつが大切な声であった。

その中で、私自身の心の分岐点になった方の声を今回、自分が感じたこととその方のご様子から体感したことを原点に立ち返り書いてみた。

あれは2012年の4月か5月だっただろうか。

恐る恐る私はある仮設住宅を訪ねた。なぜ、恐る恐るかというと、まだまだ村民同士が本音で言い合える状況ではなかったのと、何より自分の心がようやく生命力を取り戻したときでもあったからだ。

私の目の前に、一人の老婆が陽だまりのベンチにぽつんと、どこか寂しげに腰かけていた。

わたしはその老婆の隣に座った。

その老婆の手は、ごつごつとしたしわくちゃな手だった。何十年も苦楽を刻んできた勲章のようなその手は、飯舘の大地をも想像させられる。
その手を手もみしながらもじもじと不安げに遠くを見つめる瞳に、何が見えているのだろうか。
絶望なのか。土地を失ったことによる喪失なのか。自分自身の生きがいを奪われた憎しみなのか。
想像をも超える哀しさだろう。哀しさだけでは表現すら軽く、悲憤慷慨する感情だろう。
隣近所も引き裂かれ、老婆は見知らぬこの土地に避難させられた。
八十過ぎの老婆が見知らぬ土地へと移り住み、ましてや応急仮設住宅でのわずか4.5畳ほどのあまりに狭い部屋へ押し込まれるというのはどんな心境なのだろうか。
飯舘村にいた時は、息子夫婦、孫と暮らしていたにぎやかな家族だったという。
茶の間も十二畳でそれぞれの部屋があり、畑や田んぼもあり、広大な敷地で飯舘村の風を感じながら穏やかに暮らしていた。
今はこの陽だまりのベンチにどこか遠くを見つめながら腰かけている。

老婆はポツリポツリと私の呼びかけに答えるだけだった。

「体調お変わりありませんか?」と尋ねると老婆はこう答えた。

「こわい。」

【こわい】とは福島の方言で『疲れる』という意味だ。

わたしは「何がこわい?」と尋ねた。

「全部だ・・・。」

この全部という言葉に私は想像をした。

言葉にするだけでも疲れる感情は、心を閉ざしているほうが楽だったりもする。
簡単に言葉にしてしまうと相手を傷つけてしまうのではないか。いつもどこかビクビクしているのだろう。
そうして仮設住宅での友達作りにさえも疲れ果て、避難での環境変化の疲れ・曖昧な喪失感、望郷の想い、複雑にもつれてしまったその心とからだは、絶望や怒りを超えた感情しかないのだなと思った。
その身体の端々にそう感じたのだった。

そこで、わたしは「大変だったね。みんなこんな状況になるなんて誰一人として思わなかったと思うよ。無理しないで生きようね。」
それが精いっぱいの老婆に対しての言葉だった。
わたしは、老婆の気持ちに寄り添うように隣に座った。

すると老婆はしばらくして、心に溜まってあるものを自ら話し始めた。

「(仮設住宅の)家の中はなぁ~隣のテレビの音も会話も丸聴こえなんだ~。
んだがら、段々と爺様との会話も段々と減ってきて、ただ、ボーっと1日を過ごすことが多くなってきてて・・・。
んだがら、ほんでは駄目だど思って外さ、出てくんだげんちょも、(飯舘村に)帰りっちぇーって言うとなんだがわがんねんだげんちょも怒られんだ。
だがら、こうしてここで日向ぼっこしているしかねぇ~んだ。
こんな…わげのわがんないどころさ来て、狭いどころに押し込まれで、帰りたいって言うだけで怒られる。なんなんだべな。
原発事故さえなかったらこんな思いはしなくたっていがったのに。ごせやげっとなー。(頭にくるよな。)
まったくこんな年になってこんな思いすっとは思わねがった。早く(飯舘村に)帰りっちぇ~。
あんたはわがい(若い)から帰んねほうがいいど~放射能って言うのは危険なものなんだがら。おらみだいな年の人はいいんだ。すぐには影響ないがら~。
はぁ~あ、久々に話出来てすっきりした~。ありがどない。」

その老婆は、よっこいしょと掛け声をかけて押し車に手を当てながらお辞儀をして、自分の部屋へと戻っていった。
老婆の後姿は少しさびしげに映った。

プライバシーも守られないプレハブ型仮設住宅

プライバシーも守られないプレハブ型仮設住宅

その老婆との出会いはわたしにとって貴重な出会いとなった。

その後の私の原動力となった人物であった。
その後、この老婆は体調を崩し救急車で運ばれ、しばらく経ってから入院先の病院で亡くなったと管理人から聞いた。
原発事故がなければ心穏やかに飯舘村の土地で命を全うできたはずだった。
最期の時が住みなれない土地で、ましてや仮設住宅で知り合いも少なく、孤独な息のつまるような生活など想像だにしなかっただろう。
飯舘村の地で家族に見守られながら、最期の時を安らかな気持ちで過ごしていたと思うと、せつなさがこみ上げる。

陽だまりは、老婆にとってはひと時の癒しを求めた心の温もりだったのかもしれない。

飯舘村の景色や家のこと、孫との暮らしなどを想いを馳せながらそこに腰かけていたのだろう。これはたった一人の村民の事かもしれない。
だけど、約6200人いる村民のひとりひとりが、それぞれの不安や葛藤や思いの中、今暮らしていたり、帰ること、または日常生活が取り戻すことが出来ないままに亡くなっていった人々がいるということ。

長期化する避難によって様々な現状だが、国や政府には、ただ長期化という時間軸の中で避難解除を考えるのではなく、どんなに小さな声でも大きな声でも普通の声でも無関心な声でも、じっくりと行政側がひざを突き合わせて共に考え、これからどうするのか6200人いる村民ひとりひとりと丁寧に話をし、慎重にこれからを同じ目線で考えなければ、「未来」という形はどんな形にでも変わってしまう。

これも綺麗ごととして潰されていく声なのかもしれないけれど、今までのようなことをしていても原発災害の問題は解決しない。
新しく、そして丁寧なやり方をしないとダメだと私は考える。

陽だまりのベンチ

陽だまりのベンチ

WELTGEIST FUKUAHIMA 2015年春号(創刊号)

「創刊号を置いて頂けている場所」

1、西会津町、雑穀食堂ごっつぉ蔵
2、南相馬市、みんなのキッチン
3、二本松市、農家民宿ゆんた
4、プーの森

※300部を販売いたしましたが増刷分はまだ90冊ぐらいあります。

各執筆者が手売りで持っている場合が多々ありますので
執筆者にお求めください。

それもない場合には国立国会図書館にあります。
会津若松市図書館にも納本しています。

遠隔地の図書館の場合には
あらかじめこの2カ所の図書館に問い合わせください。

welt201504

創刊号 第一巻  2015年04月30日発売予定 定価550円 ISSN 2189-4639

編集長:吉田邦吉 編集者:伊藤千惠

執筆者: 天井優志 / 高田 緑 / 柴田慶子 / 吉田博子 / 中岡ありさ / 武樋孝幸 / 酒井政秋 / 星野紀子 / 竹内容堂 / 物江 潤 / 吉田葉月 / 寺田みゆき / カトーコーキ /

表紙・裏表紙のデザイン: 天井優志

・注文方法
金額を振込した後、「お手紙を送る」より以下を送ってください。

1、住所 2、氏名 3、冊数

・送料(ゆうメール [旧冊子小包] )

2冊まで180円、4冊まで215円、
8冊まで300円、16冊まで350円。

※送料を定価×冊数に追加して振込した後に連絡ください。

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ゆうちょ 18280 27500011 ヨシダ クニヨシ

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店名 八二八(ハチニハチ)
店番 828
預金種目 普通預金
口座番号2750001

※もし上のリンク「お手紙を送る」から連絡できない場合は下記にお願いします。
※わたし吉田のフェイスブックへのご連絡でもありがとうございます。

エキサイトメールヴェルト茶会用

※内容は、ウェブマガジンと同じものもありますし、書き下ろし冊子オリジナルのものもあります。増刷は費用の関係上なかなか行えませんので、限定販売が基本です。絶版状態の時に読みたい場合には国立国会図書館に納本しているのでそこで見ることができます。

南相馬のしんさいニートは東京で漫画を  カトーコーキ(下)

中巻から続き)

高田「自分で作った陶器を販売なさっていたんですよね?」

カトー「陶器に対しての情熱がそんなにはなかったんですね。バンドをもともと東京でやっていて、それではやっていけないからそのかわりという感覚が陶器にはあったのかもしれない。陶器は音楽のかわりにはならなかったですね。かわりにしようとしたことが間違いだったんでしょう。

陶器作りに夢中になれなかった自分を考えると、今の方がきっとイキイキしていると思います。お店は素敵な空間ではあったけど、自分の生き方としては、震災後の方が自分に対して真摯だと思います。

伊藤「美容師には執着がないんですか?」

カトー「これから描くところですが、美容は徒弟制度の名残が強くて、カウンセラーは美容に戻ったらまた同じになると言うんです。型にはめる教育に意味を見いだせなかったんですね。父が僕にした教育とかぶってしまって。一人前になるまで耐えられないと思ったし、自分のやりたかったようなアーティスト的な美容師はとても少ないし。

カトー「最近思ったことがあって、人間は容姿とか才能とか生まれとか、平等ではないと。しかし唯一、死だけが絶対に平等に誰の上にもある。父の死と震災があって、死ぬということを人間が忘れかけている、遠くに置きすぎていると思ったんです。

科学や医学が発達して、死が特殊なことのように感じているけれども、実は病死も災害死も同じだと言う気がする。お坊さんに言うと、仏教の考えに似ていると言われました。
見えないものを遠くに置きたがるが、見えないからなくなるわけではなく、必ず死ぬと言う約束の上に立っていると。動物であるということを忘れすぎていると思います。

自分は何で人間として生まれてきたんだろうと思うんですよね。生物の中で一番偉い雰囲気出しているけど、本当は劣っているんじゃないかと思っていて。例えば人間は美味しければ際限なく獲ってしまうが、動物は自然にバランスを保つじゃないですか。
ケモノはすごいなかっこいいなあと。人間はずるいし。美しくない。自分もずるいところはいっぱいあるけど。

星野道夫さんという写真家が好きで、アラスカで熊に襲われて亡くなったんですが、素敵な死に様だなあと思いました。」

高田「冒険家とか登山家とか自然の中に入って行く人って、自然の中に消えていくみたいな感じはありますよね。」

カトー「それは、僕らのいる現代社会へのアンチテーゼではないかと思いますね。
CDの2曲目の『星の遊び』という曲は、熊を殺して自分を生かすという歌詞なんです。
結局、人間は殺生しないと生きていけない。最初から罪を背負って生きている。
僕らは星に生かされているというか、遊ばれているという感じがする。そういう関係性。

この漫画を描き終わったら、もう余生だという思いがあって。たとえ出版されなくても、やることはやった、使命は果たしたと思える気がするんです。どれだけの人に響くかわからないけれども。

高田「カトーさんの漫画はシンプルだけども、下手すると文章よりすごくよくわかる。ひとコマ、ひとコマに凝縮されているんですよ。」

カトー「すごく嬉しいです。僕には他の地域の人のことはわからない。唯一わかることは、僕が感じたことだけです。注意しているのは誰かを傷つけることを書かないということだけで、あとは制限していない。経験したことを感じたままに伝えることだけが自分の仕事だと思っています。明確な立ち位置があるのでぶれようがない。だから伝わるのかもしれない。

からだを割って、心臓をとりだしたときに芯の部分で何を感じてるのかということが真実なのだと思う。
僕は自己分析に関しては自負があって、これをどう説明すれば自分の感情がわかってもらえるかを念頭においています。心の動きを文章にするにはいかに言語化できるかが勝負で、ずっとそれをやってきたから、いい形で表出したのが漫画だったのかもしれないですね。

今の状況がいいとは思っていないけど、30年を半年でなおすのは難しくて、時間も人の助けも必要だと思っています。漫画や音楽の存在が必要なんです。それでゆっくりやっていけるようになるのではと思っています。これが仕事になるのが最高だけど。」

彼はとうとうとよどみなく話してくれた。
実によく自分を観察し分析し把握している。
決して自分をごまかさず一心に見つめることで、逆に苦しさが募ってしまったのかもしれない。しかし、そこから生み出される漫画や楽曲が私たちの心をとらえる。
すべて手書きのジャケットとブックレットと漫画と、とても魅力的です。

CD「しんさいニートのテーマ」

CD「しんさいニートのテーマ」  (撮影:伊藤千惠)

CDジャケットの消しゴムはんこ

CDジャケットの消しゴムはんこ (撮影:伊藤千惠)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

南相馬のしんさいニートは東京で漫画を カトーコーキ(中)

上巻から続き)

伊藤「漫画を見ると、お父さんの影響は大きいですよね」

カトー「これまで、自分が考えている既存の働き方に固執し、それに何かやりたいという衝動を抑えつけられてきたんですが、それを一回捨ててしまおうと。どこかの企業に就職して給料をもらって生活することが、社会人としてのあり方だと自分の中に強く植えつけられていて、それは親の教育によるものでした。

自分ではそう思っていなかったけど、あなたの受けたトラウマから考えると、お父さんの教育は精神的虐待に当たる、とカウンセラーに言われショックでしたが、楽になった気持ちもありました。だから僕はこうなってしまったと理由づけられたので。今までそれがなかったから苦しかったんです。自分が悪いと思っていたから。

カウンセリングを受けて、ずいぶん楽にはなりましたが、まだ少し苦しいです。
30年間苦しんできたものが、そうそう置き換えられない。だからこそ、教育は大事だと思いましたね。子供を持つことに対して恐怖があるんです。自分以外の人間が自分をコントロールしようとする行為、外的コントロールというんですが、それを受けた人間は同じことを人にしてしまうという連鎖がこわい。

それ以前に、自分は人を愛する機能が備わっていないという感覚を持ってしまっているんです。自分が人を愛するためには、コップの中に親が注いでくれた愛がないと人に注げないという理屈を持っているんですね。この年齢でもう一度自分を再構築しようとしたとき、誰かを愛せるのかなと思うと難しいと思わざるを得ない。また同じように人を傷つけてしまうのではないか。そうすると自分も傷つく。それは自分でよくわかりますから。
そういう苦しみはすごくあるけど、漫画や音楽で自分を表現できるようになってきたことに関しては良かったなと思います。

自分の人生に意味があるとはそんなに思ってないんですが、何か使命があって生まれてきているとしたら、この漫画を描くことだと思っています。日本に生まれて、 あの場所で育って、原発事故にあって、いろいろ苦しい思いをして、ここまで生きてきたことの理由づけにしたいなと思っているんです。

本当は、僕は人間の生に意味はないと思っている。だから、あんなに簡単に津波で人が亡くなるし。人間は知能があるから意味づけたがるけど、動物としては子孫繁栄にしか意味はなくて、自然はそんなもの関係ないですよね。
震災以降に組んだバンドなので、作る歌もそういうことになりますね。」

伊藤「以前やっていたバンドは、そういう感じではなかったんですか?」

カトー「多少はあるかもしれませんが、今ほど明確な感覚や思想はなかったですね。
漫画を描く以前に、カウンセラーに何でもいいからやりたいことをやってくださいと言われたとき、音楽がやりたいと言ったのですが、書くことがなくて困っちゃった。
漫画を描き始めてからいろんなことが整理できるようになって、そのあとにバンドを組んだので書くことができました。それ以前は何を歌っていいかわからなかったんです。今は明確に言いたいこともありますね。

昔は誰かの真似といわれることに抵抗があったんですが、今は開き直って、誰しも影響はあると思えるようになって楽になりました。今ほど楽しく音楽をやれているときはないですね。ずっと苦しかったので。」

高田「いろんな人のいろんな気持ちを聞くと、その時点でぶれたりするけど、カトーさんはぶれてないと思ったんですよね。」

カトー「僕は宗教を全然否定しないけど、僕自身は無宗教で、震災以後、自然信仰に近いんだなと感じてるんです。勝手にガイア派と呼んでますが。(笑)信仰までいかない。
星に対して動物としての人間でしかないという感覚。熊や鹿や犬や猫とたいしてかわらない。多0少、知恵があって科学が発展し、自分もそれを利用するし悪いとは思わないですけど、生命としての分をきまえていないと思うんです。

どこか根底に自分たち人間の力に対しての過信があるから、あんなところに原発を作る。津波も噴火も地震も台風も、自然の営みとして当然あるだろう。人間はそんなにたいしたものじゃないという地点に立っているからぶれないんだと思います。

他人の立場は理解できるし、それぞれ正義を貫けばいいと思う。それで僕は勝手に傷つくけれど、仕方ないことだと思うんです。だから、僕は現地人としてできることをただするだけで、それをどう受け止められようがかまわない。全員がこの漫画をいいと思ってくれなくてもいいんです。どう思ってくれてもいい。

本がとても好きな人に、あれは現代版人間失格だね、と言われたのがすごく嬉しかったですね。社会に順応できなくて人も愛せないクズ人間の話でしょう?と。言いたいのはまさにそこなんで嬉しかった。こいつクズだなと思ってくれてもいい。」

高田「それは関心があるからそう思うんですよ。」

カトー「そうそう、漫画がきっかけになって何かを考えたりするステップになればそれでいい。出した瞬間、自分のものでなくなるから。ただ、出すにせよ極端なことを言って気持ちよくなりたいような出し方はしたくない。みんな面白いと思うところが違う。それでいいと思う。

いま自分のやっていることで、地元の人たちや県内外の人たちを傷つけたくないと思っているんです。あくまでもこういう事実があって、自分はこう考えたということを発表しているだけで、誰も傷つかなければいいと思っているんです。

『しんさいニートのテーマ』という曲のなかに、「帰りたい、帰れない、戻したい、戻せない」という詞があるんですが、帰りたければ帰れるんですよね。もしかして原町の人が聞いたら、帰れないことはない、僕たちはここに住んでいるじゃん!という気持ちになるかもしれない。それがこわいところ。だから、それは僕個人のスタンスだよ、という立場を貫かなければいけないと思っています。
罪悪感をごまかすために、寄付するという意識があるかもしれないですね。」

伊藤「でも相当な覚悟がないと描けないし、とても冷静に自分を分析してますよね。」

カトー「赤裸々にしないと伝わらないと思ったんです。ぜんぶかっさばいて出さないと。実際は描いてて辛かったのは父親のことくらいでした。

カウンセラーが言うには、うつの人は記憶と感情がくっついていて、記憶を時系列に整理して、感情と引き離す作業が必要なんだそうです。実際にカウンセリングでそれをやるんですが、漫画はそういう効果があったと。漫画を描き始めて楽になったのはそういう理由だと思います。

カウンセラーに、自分のことをこういう理由でこういう状態になっている説明したとき、間違ってない、よく分析されてますねと言われました。だけど、理由がわかっているのに解決できないのが辛いし、こわいんです。トラウマはべったりこびりついていてなかなか離れないんですが、自分の人生に対して理由づけできることがトラウマ処理の効果的方法だと教えてもらいました。自分の経験を漫画で描くということが過去を肯定したことになると言われて、楽になりましたね。」

伊藤「カウンセラーの先生もすごいですね。」

カトー「合ったんですね。僕は一番最初、うつになった瞬間というか、「死にたい」というワードにとりつかれた瞬間がはっきりわかりったんです。冷静な自分がそれを取り払われなければいけないと思っているんですが、全然頭から離れなくて通用しなかった。
父親がうつだったし、兄にも気をつけろと言われていたので、すぐに精神科の検査技師だった母に電話して病院にいったんですが、最初の病院はひどくて、薬を出すだけで信頼できなかったのでやめました。

死ぬ死なないということが自分の中であって会社をやめたあと、ほぼ寝たきりになり、昼も夜もなくベッドに吸い込まれて、おなかがすいた時だけコンビニへふらふら行って、食べて、また寝るという繰り返しでした。

30年自分に向き合ってきた人生なのに、自分では解決できなかったことに気づいたんですよね。自分の力なんてそんなもんだなと諦めがついて。ずっと自分で考えて解決できないことはないということを信念にしてきたのに、ずっと考えて原因がわかったのに解決方法が導きだせない。

でも、もう何でもいいから、人の手を借りてでも幸福感を感じたいと思って、カウンセラーを探したんです。職業として信用していなかったけど、最初に行ったところがすごくよかったんですね。最初から誉められて、自分を肯定されてすごく嬉しかった。いい出会いでした。

でも3.11が近づいたときは、しんどかったです。去年はまだカウンセリングを受けて日が浅く、浮上してない状態だったので、はなからしんどくて3.11が来てもあまり感じなかったんですが、今年は、バンドと漫画をはじめて楽しくなってきていたので、調子がよくなってきて、3.11が近づいてきたらずーんと下がった。通り過ぎて楽になりましたが。
4年たってもこんなですから、よけい置き去り感がありますね。」

下巻へ続く)

南相馬のしんさいニートは東京で漫画を カトーコーキ(上)

エッセイ漫画「しんさいニート」をウェブで発表しているカトーコーキさんにお話をうかがった。
カトーさんは、1980年福島県南相馬市原町区で生まれ、東京の大学を卒業後、2005年に帰郷。
自ら改装した古民家で陶器製造販売業をはじめるが、2011年の震災・原発事故により、家族で函館に移住。
函館での事業再建はかなわず、美容専門学校に入学し美容師免許を取得。
2013年に東京の美容室に就職したがうつになり、退職したのち3ヶ月寝たきりとなる。
カウンセリングに通いはじめ、別の美容室に就職するも精神状態がすぐれず退職。
回復していく中で、原発事故被害の当事者だからこそできることを模索、
エッセイ漫画「しんさいニート」で自身の体験を描き、ウェブでの発表を始めた。
同時にPRムービーのBGM作成のため、バンド、エレクションズを結成。

震災・原発事故、うつ、ニート、父親による精神的虐待、自己否定などの体験を赤裸々に描いた「しんさいニート」はアメーバ・ブログでエッセイ部門一位を獲得している。

2015年4月11日
話し手:カトーコーキ
聞き手:高田緑、伊藤千惠  文起こし:伊藤千惠

カトーコーキさん

カトーコーキさん (撮影:伊藤千惠)

カトーコーキさん

カトーコーキさん (撮影:伊藤千惠)

 

 

 

 

 

 

 

伊藤「漫画、読みましたけど面白いですね。」

カトー「そういっていただけて嬉しいです。最初は内容がとても赤裸々なのでウェブで出すことに抵抗がありました。知り合いが見ますから。だけど出版を目指すのであればいずれ通る道なので、腹をくくりました。

漫画で僕が言いたいのは、震災や原発事故の被災者が辛いとかかわいそうとか言う結論ではないんです。一番感じたのは、原発や国がどうだというよりも、自然対人間のあり方みたいなものをあの時、問われたんじゃないかと。結局人間は科学の上で操られていて、手を出してはいけないものに手を出し、人間の命が自然の 力で簡単に失われてしまったということに考えをめぐらすべきじゃないかとすごく思いました。

でも、今残っている議論は被災地や原発をどうするかとか、それによって極端な意見も出てきて、それは身の置き場としては楽かもしれないけど、本当は僕は原発や国に対して文句をいえる人は誰もいないと思っています。国イコール国民ということで、今まで容認してきたんじゃないか、自分も含めて。心情的にはわかるけど極端な意見に参加するのは好きではない。容認してきた歴史があるのを無視してはいけないと思います。

今回、たまたまあの場所で事故が起こっただけで、どこに起こってもおかしくない。本当は国のあり方や生き方が問われたんだけど、東京に来て感じたのは、もう終わっているということです。東京オリンピックが決まったとき、震災や原発事故の話はもうこれ以上できなくなるんだ、終わったなあと思いました。

最初、漫画を描きはじめたとき、どこか南相馬代表みたいな気持ちがあったんですが、南相馬市原町区は人が住める区域で、役場の友人と電話で話していて、地元の人たちは事故のことを半分忘れて普通に暮らしている。そうじゃないと日々をこなせないから、と聞いたとき、ああ僕は南相馬代表ではなかったんだなと感じました。

南相馬市原町区は、僕のように完全に家を切って移住した人はそんなにいません。個人的にはあそこには住めないと思っているし、当時、兄の子供たちが小さくて健康被害のおそれがあったので、兄嫁の実家がある函館に移住したのですが。
大丈夫だと言われているけれど、何をもって大丈夫なのか明確でないのが大きいですよね。

チェルノブイリでは200km圏内に影響があったというのを参考にして、200km圏外に出ようと思いました。僕自身はあのときの判断は間違っていなかったと思っていますが、残った人たちには残った人たちの正義があって否定はできない。あちらを立てればこちらが立たずで非常に難しく苦しいんです。

残れる場所なのに残らなかった、移住した、地元や人を裏切ったという罪悪感がものすごく残りました。原町には荷物の整理に帰ったきりでずっと帰れなかった。会いたい人はたくさんいるけど会えないんです。住めるギリギリのラインで自分達で選択しなければいけない、一番きついエリアだと思います。自分の選択を誰のせいにもできないし、自分で責任を取らなければいけないわけですから。

福島ってすごく広くて、原発事故の被害の地区はほぼ浜通りに限られていて、原発事故被害にあっていないエリアで農業や観光業、その他産業に携わる人たちは、福島元気だよ、がんばっているよ!と言いますよね。それが攻撃されている気持ちになるんですよ。それが今、福島の総意みたいにこっちには伝わってくる。福島人だけど、がんばれていないし、元気でもない僕はなんなんだ?と。

僕や他の原発事故の被害者のことは切り捨てた感じになってしまっている。
地元の南相馬市原町区の人とも相容れないし、福島全体の被災地域以外の意見とも一緒になることができない。自分の所属先がなくなった感じがするんです。
でも僕が他の立場だったらそうするだろうし、誰も悪いわけではない。
しかし、そういうところに目がいってないということは事実としてあるよね、ということは言いたい。風評被害以前の問題で、全然終わっていないんです。」

高田「事故以前から、福島は地域によって全然違うんですよね。」

カトー「実は震災後3年半くらい、震災関係のテレビは思い出すと辛くなるのでずっと見れなかったんですが、カウンセリングを受けて、徐々に回復してきて漫画を描き始めたあたりから楽になって見られるようになったんです。

このあいだの「ふくしまをずっと見ているTV」で、番組MCの箭内道彦さんが、『福島の人たちの感情をひとくくりにするのが一番危険だと感じている。それぞれの立場、それぞれの住んでいる場所によってまったく違う』と仰っていて、同じことを強く思っていたので驚きました。それが今まで無視されてきたので、そのことばが欲しかった。

震災系のイベントも人々の関心がなくなり、もう終わっている感じなんですね。もっと根源的な問題を考えないといけない。大事な部分を考えないまま震災は終わってしまったという気がするんです。本当は当事者たちが、復興します、がんばりますよということだけではなくて、大事なことは何なのかを考えさせなければいけないと思う。それが僕の漫画でできればいいと思っています。
震災の漫画というだけではなく、もっと大きい、ある意味、自然学とか哲学とかの方向に終結させていきたいんです。」

中巻へ続く)