ヴェルトガイスト独自企画、Web2.0+民俗学「この国はどこへ行こうとしているのか 赤坂憲雄 毎日新聞 2015年3月11日」に、みなで寄せ書きしよう。

赤坂憲雄さんの記事を読んだ吉田邦吉編集長の投稿から
まとめきれていませんが、私の思うことをとりとめもなく書いてみました。

戦後の高度経済成長は、敗戦からの復興、国民の生活水準の向上というポジティブな面と産業公害による自然環境の破壊、中央一極集中による地方の疲弊など、ネガティブな面も日本にもたらし、私たちをとりまく環境を大きく変えてきました。

良い悪いということではなく、近代化という世界の趨勢なのでしょう。
環境の変遷は、私たちの内面にも変化を与えてきました。

山林を切り開いた高速道路やダムは、山の精霊や妖怪や口伝いで伝承されてきたものたちを「知識」や「書物」のなかに追いやってしまいました。
それは、西洋知をとりいれはじめた明治からあったのでしょう。

自然を畏怖する感覚、見えないものを感得する力は、自然と共存してきたことで育まれてきたのだろうと。
それは知識ではなく、感ずることでしか認識できないものです。
かくいう私も知識だけをあたまの中に格納しています。

けれども、人間に魂・スピリットというものがあるならば、それは近代化というような外的な事象で変わるのだろうか?と私は思うのです。
頭脳で知覚することと魂が感ずることの違いは、とても説明が難しく私の手に余るので割愛させて下さい。
ただ対立項でもなく併存しているものと考えます。
どちらか片方なんで人間はいませんから。

たぶん、道徳心や倫理といったものは、知識として教えられるものではなく魂の領域だと思うのです。
出自がどうとか、何をやっているとか、偉いとかださいとか、頭がいいとか悪いとか、富んでいるとか貧しいとか、すべての属性をとり払ったところの無垢の魂が感ずるもの。

地震と津波は、霊性や聖性を失った私たちに、魂で見ることを思い出させたのかもしれない。
生と死の境界が希薄になった場所で、魂を鎮めてくれるものを待っているのかもしれない。