聴けなかった姿 5回目の3・11によせて 吉田葉月

イヤー・クリーニングというのを御存知ですか。
学生時代に、それを恩師に教えてもらいました。

川原、高台、公園など、自分の落ち着ける好きな場所に行って、ただ音を聞き取ることに徹します。できれば10分20分と、それをやってみる。鳥の声が聴こえるかもしれないし、風が木の葉を揺らす音が聴こえるかもしれない。工場の排気音や高速道路を車が走る音が聴こえるかもしれない。

私が以前、川原でこれを行ったとき、現在しゃがみこんでいる位置の地形や傾斜の特徴まで、聴こえによって見ることができたことに、静かに感動しました。音以外の情報の感受から離れるとはいえ、水がどちらからどちらに流れるのか考えてしまう。風の吹き込む音から、谷間であることを解してしまう。目を瞑っていても、鳥が傍まで来ていて、ひとしきり偵察をされて離れていく事も、その声や羽ばたきで分かってしまう。
ただ聴くことに徹し30分ほど経ち、聴くだけに徹していた状態を解く。すると、イヤー・クリーニングを解いた直後の状態と、誰かによって情報化された情報を、環境から取捨選択していたかのような以前の状態との違いに気づきます。

しゃがんでいた傍の見やった先にあった低く小さな草本が、私にとって何か特別なことに感じました。愛着がわくようで、名前でも付けてみたくなりました。そのようなことが、与えられていない、私の必要による報せのように感じます。
イヤー・クリーニングによって、どこのだれか分からない者の選り抜いたような情報から空間を構築しがちだったことが、明らかになった気がしました。

そういえばさっき、原発の傍に暮らしながら、その姿の測れなさ、捉えにくさを感じたことを思いだしました。

2011年夏~秋頃、会津鉄道や野岩鉄道の下今市方面、車内の四人掛けのシートに座り、会津の風景を感じて描きました。これを描いていると、子どもが、もの珍しそうに集まってきました。(吉田葉月)

2011年夏~秋頃、会津鉄道や野岩鉄道の下今市方面、車内の四人掛けのシートに座り、会津の風景を感じて描きました。これを描いていると、子どもが、もの珍しそうに集まってきました。(吉田葉月)

私には福島第一原子力発電所より、そう遠くない場所に住んでいました。それなのに、間近で原発の全貌を見たことは無かった。今では、存在の危険さがしきりに呼びかけられているけれど、福島県内であっても、現在のように新聞やテレビで日々報道されるということは、まずありませんでした。

一度だけ原発を捉えようと赴いたことがあります。たしか2009年か2010年ごろだったと記憶しています。
ある時期から、地域の姿のようなものが気になり始め、原発のことも気にかかるようになりました。近隣に住みながら発電所の全貌を見ないままでよいわけがないと感じるようになって、発電所の敷地を目指し車を走らせる。
国道から曲がり走行していくと、国道付近には見られたような、分かりやすく人間の跡と言えるような人家や田畑は途中から無くなっていくように記憶している。どちらかと言えば暗くなっていく。針葉樹が道路に並走して茂っていたように思う。対向車は無く、前後にも車は無い。生活に頻繁に利用する国道を折れてから第一原発までの道程を走行してみると、それは、私にとっては用がなければ通らない道、という印象を持ちました。
数分ほど、人家の無い、人気の無い道に従ってに走行すると、第一原発の門が現れる。施設のような建物が眼前に現れたことは分かるが、私は視界にできるだけすっぽり入りきるというような、姿、が見たかった。できるだけ広く視界に入れようと後退すれば林に突っ込んでしまう。
その時の私の持ちうる知では、まるごと目に入れるために、どこに行き、あるいはどんな手続きを踏み、発電所の姿を知ればいいのか分からなかった。

福島第一原子力発電所について私が知っていることはそのようなことくらい。

最近、NHKの男性のアナウンサーが、第一原子力発電所の復旧中の模様を中継していました。
もうすぐ3月11日なので、テレビ局も特集を放映し始めてきているみたい。

3月って暖かい日が多くなりますね。
私はここ何年かの3月11日は何もしませんでした。モニターに向かって思いの丈を綴ることもしないし、ニュースからも離れるでしょう。謳われることから離れます。そのとき震災が起こったら?どこかへ隠れて朝を待ちます。
私は今年の3月11日はイヤー・クリーニングでもして過ごそうと思います。