片道1600km 普通電車の旅「群馬〜鹿児島」(下) 米田 ひろし


久しぶりに家族と過ごす鹿児島

高2と中1の息子は、ますます大きくなり親はますます歳をとる

息子と相撲をとる

日々、自動車工場で鍛えている父には

二人がかりであっても負けないのだ

父ちゃんは強いのである。

上京する以前は

ものすごくギスギスしていた家族…

離れてくらす今は、いい関係

それぞれが

それぞれに

それぞれで

それでいいのだ

長男と話す

文系の息子は…教員になりたいと言う

「文系の王道だな、教員になって何をしたい」と問うと

黙った

「安易に考えるなよ。やりたいなら金はだす…でも、その金は、オヤジが42℃にもなる工場で働いた金だということを忘れるな」と言った

何をしてもいいのだ

どうでもいいのだ

ただ、ただ…

安易に考えてもらいたくないだである

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10代からの友と会う約束をする

会うのは、3年ぶりだ

鹿児島の市街地へ向かう下り坂

政治家のポスターがズラリとならぶ場所がある

秘書をして苦い経験のある私には

吐き気を催す場所だ

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久しぶりの友は、すっかり老け込み

仕事の大変さが伝わってくる

ケアマネージャーをしている友は

明日から十島村へ

離島の介護を背負っているのだ

後日、彼からLINEが届く

悪石島にきている。景色がとても美しい所だと自慢げ

私は、写真を送れと伝えた

送られてきたのが

この写真である…

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非常に残念な写真だ。開いた口が塞がらないとは…よく言ったものだ

それは、風景ではない!!とクレーム入れる

船の写真が送られてきた

なかなかいい写真である
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そして、こう綴った…

トカラ列島と呼ばれ、北から口之島、中之島、平島、諏訪瀬島、悪石島、小宝島、宝島の有人7島と、臥蛇島、小臥蛇島、小島、上ノ根島、横当島の無人5島の合わせて12の島々で構成され、南北約160kmに及ぶ十島村、小さいフェリーで十数時間もかかるところ

離島は、福祉用具しかサービスが無くデイもヘルパーもない

病気になれば鹿児島市内へ理不尽な制度に考えさせられるものがあった

サービスが成り立たない…どこの事業者も入らない。

何せ80人程度の島ばかりで事業者も赤字…輸送コストも高いからね。医療に関しては、僻地医療として船で一ヶ月に一度、島々にやって来る、日赤がしている事業だ。

人が住んでいるのが7島あり1島のみ、小規模多機能という施設がある宝島か子宝島だったかな。。将来的には、その施設も運営は厳しくなるだろう。

高齢化社会も2025年を過ぎれば、人口は減少する。若者に負担が来る…第二次ベビーブーム私達の世代に子供を増やす施策をすべきだった。

第二次ベビーブーマー達は
もう子供を産めない

厄介な事だ…

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数日、家族と過ごし群馬へもどる

普通電車、復路の旅がはじまる

ルートは、決めていない

右へ宮崎に向かうか、左へ熊本に向かうか…

肥薩オレンジ鉄道が頭に浮かび

左の鹿児島本線を選んだ

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しばらく走ると錦江湾に浮かぶ桜島

相変わらず綺麗な光景だ

鹿児島駅を過ぎると谷を電車は通る

岩崎谷という場所だ…

薩摩の英雄、西郷隆盛は3枚目の坂を降り…4枚目の場所で自害した

今では建物で望めなくなったが

当時はきれいに見えていただろう…桜島

大砲の音が鳴り響く中…

銃弾が飛び交う中…

この場所で西郷さんは

桜島を見ながら最期に何を思ったのか…

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夏空と穏やかに雲が流れるようなスピードで走るローカル線

川内原発のある川内市で第三セクター肥薩オレンジ鉄道に乗り換え

さらに走る

気持ちいい青空

美しい海

まさに鹿児島に乾杯である

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夏空や

流るる雲と

ゆるり旅

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「次は水俣〜」電車のアナウンスが流れる

水俣…私はとっさに降りる準備をした

水俣の今が見たくなったのだ

マップで水俣病の発生源、チッソの工場を調べた。駅のすぐ側である

ぐるっと一周、水銀を排出したであろう水路、経路をたどる

壁で工場内はあまり見えないが、古いプラントが多く残っている。以前写真で見かけた当時の煙突も残っていた。

水銀を排出した水路にステンレスのきれいな橋が架かる

何を表現したいんだ…思わず思った

水俣川河口を目指し歩く

ここから水銀が出ていき不知火海全体を汚染したのだ
カメラを持ち漁港を歩いていると
地元の漁師に睨まれた。

これもまたいい経験なのだ…

この漁港のすぐ側にある老舗食堂で

海鮮ちゃんぽんを食べた

すごく美味かった

 

「チッソ水俣写真」https://m.facebook.com/hiroshi.yoneda3/albums/1399643473487473/?ref=bookmarks

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これが水俣川河口である。

チッソは元々は、違う水路から排水をしていたが、ヘドロが溜まりすぎて排水がうまくできなったため、この河口にあった八幡プールにカーバイドの残渣だけでなく水銀を含んだ酢酸廃水や硫酸廃水、燐酸廃水なども流し込み排水を行った。そうやって、とてつもない量の水銀は不知火海にでていったのだ。水俣病が広範囲に広がったのは、そのためである…

この八幡プール跡地は、エコタウンと名付けられ産廃処分場になる。

鋼板を打ち込みコンクリートでかためられた埋立地にまだ水銀は眠っている。地震の液状化や護岸の破損がもし…おこれば、水銀はまた海に放出される可能性があるのだ

そこに水銀は残っている…忘れてはならない

http://mutekaturyu.blog.fc2.com/blog-entry-2675.html?sp

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この水俣に来て、ふっ と思いだした地があった

足尾である

足尾銅山の鉱毒も今もなお鉱山があふれでている。主の古河は、鉱毒処理のため年間、4億円以上もかけているのだ。

「足尾銅山写真」https://m.facebook.com/hiroshi.yoneda3/albums/1137597953025361/?ref=bookmarks

https://m.facebook.com/hiroshi.yoneda3/albums/1137617073023449/?ref=bookmarks

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足尾銅山「伝説の赤い池」|かえるのピガロ店長が行く!  https://www.google.co.jp/amp/s/gamp.ameblo.jp/kerokerot2012/entry-12039851514.html

また電車に乗り

北上する

時刻はPM17:00、広島ぐらいまでは行きたいと思っていたのだが大幅に遅れぎみであるが、久留米に差し掛かったところで…途中下車した

行きたい所があった

豪雨災害にみまわれた地…朝倉である

久留米駅で日田ゆきの電車に乗り換え

筑後大石を目指す

降り立った地は、何事もなかったように綺麗な田園風景

30分程歩き、筑後川にでる

川はえぐられトラックと思われる残骸が残っていた

陽がどんどん暮れていく

来るのがあまりにも遅すぎたのだ

歩いてまわる時間もなく

被害があった地区を通るバスを調べた。

博多方面に行くバスがあり

それに乗った

夕方でけっこう渋滞…交通量は多い

コンビニもスーパーも普通

しかし、時折みえる光景が凄まじかった

バスからシャッターをきった…

ふつう災害が起きれば、現地の状況ですとボランティアの人達がネットに写真をよくだすのもだが8月に入ってからのそういう写真があまりにも少ない…

それを不思議に思っていたのだ

市のボランティアセンターがボランティアに対し被災地の写真撮影をNGとしているらしい

いろいろな事情がある。わからない訳でもない

ボランティアが撮影してしまう写真は、被災者に近すぎるのだ…

現状はまだまだである…

多くの支援が求められているのだ

九州北部豪雨救援物資みやまベースhttps://mobile.twitter.com/8h2l3chu5kvdbr1

「朝倉市 写真」https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=1399642223487598&id=100003255001153&ref=bookmarks

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そのままバスに乗り最寄りの駅へ
また電車に乗り博多へ向かう

博多の隣町の安宿をかり4人部屋で

私以外は韓国人
いい体験だ

その宿は、ネコのシェルターを兼ねている

めずらしいホステル「ねこ蔵」

https://sippolife.jp/article/2017032100004.html
1階にはおしゃれなBarがあり
これまた面白い

せっかくと思い

Barで酒
マスターが面白く会話が弾む

となりにいた女性と3人で話す

どっからきたんですか?と聞かれ、群馬ですと応える私

福島の郡山から3月に転勤してきたんですと話す女性

しだいに3.11の時こと…
放射線のこと…いろいろ

「親もどこに避難するかって大騒ぎ」
「小さい子供がいるの友達は…みんなどっか行っちゃった」「けっきょくは大丈夫だったのに」と…さびしげに話す。

私は持論を展開せずに胸に収めた…話しを聴きたかったからだ

「福島の人が福岡がどこにあるかすら知らない人が多いように水害の事もあまり知らない…博多の人が福島がどこにあるのかを知らないようにあの事故の事も知らない…そんなもんですよね」

そう言い残して女性は帰って行った

遠く離れた博多という地で

名も知らぬ一期一会の福島の人との出会いは

福島のことを伝えたいと思っている私に

課題を残した…

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翌朝、群馬まで普通電車で帰える時間の余裕はなく仕方なく新幹線に乗った

熱海で新幹線を降り温泉に入り

そこから普通電車で群馬に戻った

私の5日をかけた 普通電車の旅は

途中で新幹線という

中途半端な旅で

2017.8.19  PM11:31

終わった…

行ったこともない土地との出会い

人との出会い

ゆっくりと進むローカル線

もし新幹線なんぞ使わなければ

3万円でお釣りがくる旅

時間と気持ちの余裕があれば

こういう旅ができるのだな

自動車会社期間工の私は、日々は土曜日も祝日もない

そのかわりに正月・GW・正月は少々長め

時には、ゆっくり旅にでもでたいものだ

青春18キップを2枚でも買って

また

ゆるり旅

 

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片道1600km 普通電車の旅「群馬〜鹿児島」(中) 米田 ひろし

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青春18切符の旅  3日目の朝

ネットカフェに泊まり、AM5:59の電車に乗るつもりで駅に向かった。

その道は30年前、毎日8kmの道のりを自転車で高校に通った道

なつかしく思い…歩くスピードを緩めた

この道、8kmあってキツかったと記憶しているが、もっと離れた東脊振村から鳥栖市まで自転車通学していた猛者がいたのだ。その土地の名が示すように山の中の村で猿が毎日のように家の庭を通ると話していたのを覚えている。

12kmの自転車通学…しかもママチャリだったのだ。

サザエさんにでてくるアナゴさんを若くし眉毛を激太にしたような顔だったのだが

なぜか…名前は「多良」であった。

そういう思い出にひたりながら歩き、予定の電車に乗り遅れてしまった。

しかし、あの電車に乗るという予定をたてただけで予定は未定なのだ

どうにでもなるものなのだFB_IMG_1503483663783

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FB_IMG_1503397778837鳥栖に後ろ髪引かれながら電車に乗り

酎ハイのプルタブを開ける。パシュっという音がクセになりそうだ。だいたい酒を朝にSNSに載せるとあまりよく思われないらしい

朝の6:00…あたりまえと言えばあたりまえの話だ。まぁ、普通電車の旅はノンアルで乗り切れる程、安易ではないのだと言い訳にしておく

どうでもいい話しなのだ

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FB_IMG_1503483653634普通電車にゆられ大牟田

熊本行きに乗り換え

さらに南下

熊本が近くなる車窓から見えるは「田原坂」真正面に見えるのが、まさにその田原坂である。

長さ1.5km標高差60mのゆるやかな坂であり、南下して熊本城を目指す官軍小倉連隊とこれを阻止せんとする薩軍が、明治10年(1877年)3月4日一進一退の攻防を繰り返し1万人余の戦死者を出した西南の役最大の激戦地だ。

田原坂の戦いは、両軍合わせて1日30万発以上の銃弾がわずか300mの間で飛び交っていたらしい。田原坂から発掘される「かちあい弾」銃弾どうしが空中で衝突することによって 二つの銃弾がくっついたような弾になる。http://jp.bloguru.com/pegasus/224438/2014-11-18/thread

雨は降る降る 人馬は濡れる
越すに越されぬ 田原坂

この田原坂で40日間の激闘が繰り広げられた。

田原坂を知っている人は多いと思うが、車窓から田原坂を見れるというのを知っている人は少ないのではないだろうか。そういう地を車窓から見れないかとGoogleマップを開きながら旅をする。先日は関ヶ原の戦いの地も見れた。

歴史好きにはたまらないのだ。

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スマホというものは本当に便利なもので、アプリに現在地と目的地を入力すると目的地までの移動手段と時間を的確に教えてくれる。八代から人吉の乗り換えで2時間半もの待ちがあったのに気付く

即座に熊本で電車降りた。熊本は小6から中3まで過ごした思い出の地だ

見たいものがあった

熊本城

1年前の地震で傷ついてしまった熊本城を見たかったのだ

数十年ぶりに市電に乗り熊本城に向かう

崩れた石垣を目の前にして熊本城がこんな姿なるのか…愕然とした

遠目でみる崩れ去った西大手門…桜が咲く時期のここの姿は、どれだけさびしい絵になるのだろうかと…想像した

20年かかるといわれる修復…

熊本県民にとって熊本城は大事なもの

傷ついた姿すら絵になる…教訓になる

ゆっくりでいい…蘇った時

また、この場に立ちたいものだ

写真「熊本城」https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=1388904654561355&id=100003255001153&ref=bookmarks

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FB_IMG_1503483639915あっという間に2時間がたち、慌て市電に乗る熊本駅に向かうつもりが上熊本駅行きの市電に乗ってしまったのだ。

乗りたい電車にギリギリで間に合う予定が猛ダッシュしてもダメかもしれない状況になってしまった

運良く電車が若干の遅れ、余裕で乗る事ができたのだが走って汗ダクダクである。

ものすごく慌てたのだ。

しかし、何もなかったような顔を装い電車に乗り込む。お前はいったい何を気にしている…

これもまた、どうでもいい話しなのだ。

八代で鹿児島本線から人吉線に乗り換え、超ローカル線で球磨川を上る。帰省客、観光客を乗せた一両編成の車両は満員

川沿いを走る車両は揺れがひどい

揺れを感じながら車窓を楽しむ

これがまた…いいのだ。

人吉ではSLが待っててくれた。やはりSLは絵になる

ちなみに

私は「撮り鉄」ではない

「人吉写真」https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=1399491723502648&id=100003255001153&ref=bookmarks

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人吉から肥薩線に乗り換え「いさぶろう・しんぺい号」という。この路線を開通させた人物にちなんだ名前がつけられた車両にのる。この肥薩線は日本三大車窓と呼ばれる路線。ループスイッチバックと言われる独特な走り方が印象的であった。http://www.jrkyushu.co.jp/trains/sp/isaburou_shinpei/

曇っていたが久々に見る天孫降臨の霧島の山々が美しい

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いさぶろう・しんぺい号のおしゃれな車両でオヤツの時間だ。スイーツ佐賀で地元に愛されて70年の老舗和洋菓子店「お菓子のじろう」のどら焼き。これが美味いのだ

昨年、桃のスイーツを食べた、これは絶品だったhttp://okashinojiro.base.ec/categories/254433

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山を降りゆくローカル線
熊本〜宮崎を経て故郷の鹿児島

普通電車の乗り換えること21回、二泊三日の群馬から鹿児島の旅

しかし、ここが折り返し地点

少し気が遠くなったが…

どうにでもなるのだ

「水俣・朝倉編http://weltgeist.info/?p=13510につづく…」

双葉町ドキュメンタリー「原発の町を追われて」を見る    伊藤 千惠

去る8月6日に開催されたドキュメンタリー映画「原発の町を追われて」を見た。
2012年に作られた1作目から、その後を追ったパート2、ある牛飼いの記録としてパート3と続けて見ると、原発事故のもたらしたものが避難という物理的困難さだけではなく、当事者である避難者を受け入れる側、あるい避難者ではない福島の人々の心境など、さまざまな方向に波及していることが見てとれる。
画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、テキスト双葉町は2011年3月11日、東日本大震災による原発事故のさい、町ごと埼玉県に避難した。さいたま市在住の堀切さとみさんは、その当初から町民の方々と交流しずっと映画に撮り続けてきた。
最後の避難所としてマスコミにとりあげられ注目された騎西高校が閉鎖され、報道も少なくなった。いっときの流行ではなく、ずっと記録し続けてと町民の方から言われたそうだ。

今でも避難生活が続いているのは、双葉町も浪江町も大熊町も飯舘村も葛尾村も南相馬市も田村市も川俣町も広野町も楢葉町も富岡町も川内村も、すべての帰還困難区域にいる人たち、自主避難した人たちにとっても同じ。
映画では、双葉町民の受難がさまざまな立場から語られている。そこから発生する地域内での、あるいは県内での分断。是非の判断が簡単にはできない複雑にねじれた状況がある。
そこには、ひとりひとりのナマの物語がある。

福島第一原子力発電所から送電された電気を使ってきた東京都民の自分は、目を背けることはできない。
ひとりひとりの想いを聞いていきたいと思う。

極私的震災レポート  熊本2017~熊本市内編  伊藤千惠

阿蘇編より続く

熊本市内は、昨年ゴールデンウィークの火が消えたような状況から一転して、商店街はすっかり活気が戻り、応急危険度判定の赤紙の貼られていた建物は修復・改修されたり、解体されて更地になっていたり。

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熊本市中央区春荘寺(2106年5月撮影)   春荘寺は、明治以前の農業のかたわら皮革処理に携わった人たちが信仰の中心として建設した春竹説教所であった。

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ゆがんだサッシ窓は取り替えられ、壁面がきれいになり前面の柱を支えていたつっかい棒もなくなった春荘寺。(2017年6月撮影)

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市民からの寄付を募る      春荘寺はかなり復旧されていたが、すぐ近くの辛崎神社はつっかい棒のままだった。日吉神社の摂社である唐崎(辛崎)神社は、肥後国では被差別地域にのみ存在が確認できるという。

が、ブルーシートがかかったまま、壊れたまま人が住んでいたり、あるいは放置されている家屋が存在していた。解体や施工業者の不足で、最近やっと修復にかかる家が多いという兄の話。復旧の見通しがたたない寺社も多くあるようだ。(西日本新聞

熊本で見たローカルュースでは、仮設住宅に住む1万9千人に対しての意向調査で約3割が住宅再建のめどがたっていないと報じていた。(2017年5月末時点での仮設住宅入居者数は約4万5千人)
県は仮設入居期間の延長を国に要望しているようだ。相談窓口を設けているが、市内で見かけたような修理しないまま住んでいる家が気かがりである。

昨年のボランティアセンターが設置されていた辛島公園からほど近い熊本城のまわりを歩く。
石垣や櫓の崩れた箇所に安全対策工を施したあと、はじめて復旧工事がはじまる。城内は入れないが外から見物する人のために、工事フェンスに復旧の様子を撮影したパネルを貼りだしてある。隣接する熊本城公園には休憩所が設けられ、ビデオや説明パネルが展示してあり、説明員も何人か常駐している。

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倒壊した五間櫓付近(2016年5月撮影)

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崩れた石垣をていねいに仕分けして安全な場所に移し、崩壊箇所にモルタルでの安全対策工が終わったところ(2017年6月撮影)

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遺跡の発掘作業のように仕分けされた石垣(2017年6月撮影)

まずお城より市民の生活復旧が最優先であることは当然のこと。パンフレットにもそううたってある。けれども、熊本の人は熊本城をわが城のように思っている。移封されてきたにもかかわらず、熊本城を築城した加藤清正が大好きである。
象徴とはこういうことを言うのだろう。

震災一年後の熊本は、阿蘇でも熊本城でも県外、海外からの観光客がかなりみられた。南阿蘇村では、阿蘇大橋や断層や地割れ箇所などを震災遺構として保存するという。(熊本日日新聞

今回行けなかった益城町や西原村、南阿蘇村の被災した家屋は、まだこれから復旧というところも多く、支援も必要であろう。