ヤノベケンジさんと福島文化会議 吉田邦吉

前回までの話こちら
NHKが「福島と向き合って!」と報道してくれて有難い。

English
Modern Artist Yanobe Kenji’ work, which is called, “Sunchild” was criticized by several tens of people who are interested in Fukushima. The top of Fukushima administrator and Yanobe Kenji decided to move Sunchild for the time being and Yanobe is going to hold a meeting to talk about what art or culture should be in Fukushima.

今までのまとめ
現代美術家ヤノベケンジさんの現代アート作品「サンチャイルド(子ども像)」が文化施設こむこむ内にて展示されることについて、市内外とくにTwitterにて批判され、アンケートをとると数十件で批判された。ヤノベケンジさんと福島市長は、批判者に配慮して一度、撤去することに決めた。

一方で、撤去したことで傷ついた人達も居る(毎日新聞)。それでは現代アートひいては文化そのものについて、福島では、どうあるべきなのか、ヤノベケンジさんは話し合う場を設けることにしたい。

後の意見まとめ
中日新聞はこう述べる。
また「震災や被災者をテーマにすると面倒だ」という風潮が広がっては、災害の教訓や被災者の無念を風化させず後世へと伝える上で、逆効果ではないか。その点、撤去が決まったとはいえ、福島市の木幡浩市長が当初、批判に対し「サン・チャイルド」の制作と設置の真意を丁寧に説いたのは、意義深い対応だったといえよう。美術も文芸も、創作の営みはなべて自由な思念や感情の表れだ。社会の規範や科学の知識のしもべではなく、逆に常識や先入観を疑い、揺さぶり、社会に問題を提起する意味合いも大きい。心ある表現者による創作とそれに対する意見が、反目や排除に向かうのではなく、互いの主張を認めつつ社会をより豊かにしていく対話の起点となるよう、議論を深めたい。震災とアート 反目より対話の起点に 中日新聞 20180905

ジャーナリストの七沢 潔さんはこう述べる。

NHKはこう述べる。
今回のいきさつを謝罪したうえで、「さまざまな声を聞きながら、これからも堂々と福島に関わり続けたい」と述べました。9月5日福島大学で開かれた、今月9日から県内で行われる現代アートの祭典「福島ビエンナーレ」の記者会見に、現代美術作家のヤノベケンジさんは参加アーティストとして出席しました。ヤノベさんは、平成23年に復興への思いを込めて防護服を着た子どもがヘルメットを外して立ち、遠くを見つめてほほえむ作品「サン・チャイルド」を制作しました。この像は市に寄贈されて、ことし7月から子育て支援施設の前に設置されましたが、「福島市では防護服が必要だったと誤解を招く」などといった撤去を求める批判的な意見が寄せられ、先月、市が撤去を決めました。
会見の冒頭でヤノベさんは謝罪したうえで、批判や撤去の判断については、「市民の声を置き去りにして設置を急ぎすぎたことに反省とふがいなさを感じている。このままでは対立や分断が広がると考えると、一度撤去してから冷静に丁寧に議論した方がよく、撤去の判断を真摯に受け入れたい」と述べました。そのうえで、「このままではほかの表現者の萎縮にもつながりかねない。これで終わるのではなく、さまざまな声を聞きながら何をすべきか探すチャンスがほしい。これからも福島のことを勉強して福島にしがみついて福島に堂々と関わり続けたい」と抱負を語りました。ヤノベさんは今後、福島の人たちと意見を交わすことを検討しているということです。ヤノベケンジさん会見の場に 福島 NEWS WEB NHK 20180905 ※東京新聞でも話し合いを続けていきたいとヤノベさんは仰っていた。

佐藤彌右衛門さんはこう述べる。

新井浩教授はこう述べる。新井教授は「彫刻制作・環境と彫刻設置の研究・立体教材の研究をテーマ」にしている。

東北大学教授で建築史建築批評の五十嵐太郎さんはサンチャイルドがそもそも見えづらい場所にあることを考えるべきだとしたうえで、「いったん撤去が決まったが、これから対話の場が生まれることを期待したい。」とのことである(ヤノベケンジ《サン・チャイルド》DNP museum information Japan artscape 20180915

* 以上

・私の意見
続きがありそうで良かった。へこたれない姿勢を学びたい。サンチャイルドに関する当方のページを読み、「よくまとめてくれて分かりやすかった」という反響が寄せられて有難い。いっぽうで、「人の言葉を出さないと何も言えないのか」という批判もあった。

むろん人の言葉を引用しなくても私はここで書いてきた。それも可能だ。しかし可能な限りで開かれた話の場をもうけるには、多様な声がやわらかく響きあうほうが好ましいとわたしは考えるので、無理のない範囲でSNSにもうけられている機能を用いた。

また、誰かが福島への行き過ぎた放射能被害イメージの拡散をしたことの責任をサンチャイルドが負わせられる理由はない。この7年間、放射能についての議論によって日本中が疲弊したと言ってよい。放射能は福島にだけあるのでもない。

福島への風評被害について、しばしばネットで見受けられる「反原発がデマを拡散して悪い」という言い方がある。しかしこれも、反原発は国策エネルギーをどうするかという有権者として選択の自由の一種であり、選択がデマを流すことは出来ない。

わざわざ過剰に個人にデマ責任を取れと魔女狩りのごとく持ち出すと、それこそデマを目立たせて冷静な議論を頓挫させているようにも感じられる事がある。「このデマが悪い」と言うためにそのデマの画像をネットに流すと、何が広がるのだろう。

それに昨今は炎上と言っても千単位だ。しかし、こちらで私が出した記事は大反響だった。風評被害ではなく実害(※「18k」とは1万8千ライクの意)。すなわち風評被害を含む実害のすべてを政府東電が丁寧真摯に何とかすべきなのであり、サンチャイルドは関係ない。

むしろサンチャイルドを撤去せよという方向の人達から私はTwitterで罵詈雑言や悪口デマを流され、傷ついている。そこまで言われるとは精神的にがっかりした。設置派から言われたという人も中には居るだろうが、撤去までの時点Twitterでサンチャイルドと検索して見れば大多数が分かる。今回、全く熱狂が支配しなかったとは言えないのではないか。

なぜそこの風評被害は言われないのか。
もっと人は人に寛大になれないものか。

またあまりに過剰に「この部分が風評被害だから撤去」「この部分が誰にとってトラウマだから撤去」とやっていったら、どのような表現の範囲になるであろうか。どのようにパブリックな物体が許容されるだろうか。ほとんど何も許容されないと言って良い。

そうではなく、過去の事例にのっとってどのような物体が公に置かれているかを検討し、目的効果を考え、一定程度公共の受忍限度と思われるような、社会的に許容され得る範囲内のものを、行政裁量の範囲内または有識者会議など専門家の意見を通じて、社会通念の観点から妥当性の認められるものを置くのが相当である。

完全に民主的とは言えなくても、このような事例において全て直接選挙まで実行するほどの必要性を満たす根拠が見当たらないので、なるべく多くの人達の目に触れるような事前の取り組みが数度ないし一定の期間あれば妥当であり、それは既に達成されてもいた。

撤去決定後しばらく、たまたまルツ記を読んでいたら画家ミレーの絵「落穂拾い」が気になって読むと、人によってあらゆる政治的な評価を受けたりもしたようだ。いつの時代もあるのかもしれない。

(サンチャイルドに話を戻して)
この件も
福島だけの話題でない。

私たちは次世代の日本を、
原発事故でどうしてしまったのか。

これからどういう社会にしていきたいのか。
いつでも問われている。

サンチャイルドと福島市長と子どもたち https://twitter.com/hatabohk/status/1025526254697476096

サンチャイルドと福島市長と子どもたち https://twitter.com/hatabohk/status/1025526254697476096

* 話し合いの場へ
ヤノベさんは、2004年から隔年開催されている「福島ビエンナーレ」に12年から毎回出品。今秋のビエンナーレでは二本松、南相馬両市の主会場とJR福島駅を結ぶシャトルバスが運行され、参加者は最後にサン・チャイルドを鑑賞する予定だった。代わりに開催中にヤノベさんと市民らと対話する機会を設ける予定で、実行委員長の渡辺晃一・福島大教授(現代美術)らが今回の開催説明の会見に招いた。ヤノベさんは「(作品を説明するなどの)プロセスを踏めていなかったのが反省すべき点」と話し、常設前の期間限定での展示や意見を募集する機会を設けるべきだったとした。(福島)サン・チャイルド制作者「対立分断を望まない」古源盛一2018年9月6日 朝日新聞

すなわち、ヤノベさんは福島ビエンナーレにてサンチャイルドに関するイベントを予定していたが、撤去になったことでそのイベントが出来なくなった。よって、その代わりに、市民らと対話する機会を設けることにしたため、実行委員長で現代美術が専門の渡辺晃一さんらが同ビエンナーレ開催の説明会にヤノベさんを招いて、「話し合いの場へ進むこと」の説明をした、ということである。

・現代美術教授、渡邊晃一さんの意見

「事前の議論必要だった」 福大の渡辺教授 絵画・現代美術が専門の渡辺晃一福島大教授(50)は「芸術作品は、大きさや色彩などの感覚的なものと知識や記憶による影響がある。『サン・チャイルド』を見て、感覚的に勇気づけられた人がいたことも事実。一方で、つらい記憶を思い出した人がいた。作品の価値とそれを設置する場の問題は切り離して考えるべき」と指摘した。  さらに「作品を公共の場に恒久設置する際、福島市は市民と語り合う場を設ける必要があった。今後は市民と意見交換することで、批判的な意見が出た背景にある本質的な問題を学べるはずだ」と語った。(福島民報新聞2018年8月29日 ほか、一般の方々から「残念だ」「折り合いをつけられなかったのか」などといった意見が寄せられている)

2012年にお二人は対談している(光臨プロジェクト KENJI YANOBE Archive Project)。

サンチャイルドを福島で展示しようと誘ってくれたのは渡邊晃一さんだった。で、こうある。【渡邊さん:震災後、原発後の福島に住んでいる人間が、どのように福島のイメージを支えていくのか。福島大学で美術を教えている立場として、私は、学生や子どもたちへ、どのような未来を与えていくのかという「継続的」な活動が重要な鍵であると思っています。特に震災後は、雑誌などでも「美術の側から何が出来るのか」ということがいろいろと問われていましたよね。それに、持ってきた作品を避難所などにただ置かれていかれた方、ワークショップをしてすぐ帰っていくような「一回限りの人」がすごく多かった。また、美術関係者の方からも「どこか避難所でワークショップを出来ないか」というオファーも多く受けました。私は自宅の屋根や壁が未だ崩れ、日常生活が安定しない状況の中で、そういった要望に対応してきました。しかしながら多くの作家の方々は、震災後も御自分の今までやってきたスタイルを変えないで、たまたま震災が起きたから、その媒体として福島という場を利用しながら自己宣伝をしているような、そんなニュアンスが多かったですね。一方で、美術のチャリティーも多くなされましたが、ほとんどのお金は、私たちのように被災地で行っている地元の文化活動には入ってこない。そんな中、福島に住んでいる人間として、「継続的」に福島のことを考え、つなげられる活動をしなければと思ったのですね。】

一回限りも確かにありがたい一方で、私たち県民の抱えている寂しさのようなものを、渡邊さんは仰ったのだろうと私は思う。どれだけあっただろう。活動するときだけ関係性を持ち、あとは知らない。誰でもない。ただ「福島の人」そういう立場からの関係を求められ続けることの、苦しみにも似た寂しさを。もう少し個性を見てもらいたいということだ。無理な人間関係まで求めてない。ただ人として自然にあってもらいたいという。

【今年行う『福島現代美術ビエンナーレ』は「SORA」をテーマにしました。そこでは決して、どの作品でも良いというわけでもなかった。アートを見た人たちが、何かを感じたり、深く考えたり、もっと前に向かって進んでいけるようなスタイルの作品が必要だと思っていました。そういう点において、《サン・チャイルド》という作品はものすごく象徴的な作品なのではないでしょうか。】

【渡邊さん:たしかにヤノベさんは、放射線や原発の問題と直接的に関わる作品だからどうなのだろうかと、すごく心配されておられましたね。それは震災で原発事故が起きたことによって、福島大学が置かれている立場も同じなのかなと思いました。学生たちや教員、福島に住んでいる人たちの反応は、震災後、だいたい大きく二つの振り子に分かれていましたから。一つは、福島から離れて住むことを促すような意識。こんな危険な所には子どもたちは居るべきではないと唱え、家族と一緒に避難し、県外から通っている職員もおります。私は、ともに生活している学生たちのことを考えたら、同じ不安な中に居るわけですから、なかなかそのような行動は出来なかった。ましてや報道で福島県外から通っていると大々的に言える心境はわからない。ただ、もう一方で、別の振り子というか、原発は問題ない、放射線はもう大丈夫だよ、という考え方もありますが、それも違うんじゃないでしょうか。私たちは、震災以前と同じ生活を続けることは出来ないはずだし、むしろ現実に起きたことを受けとめながら、どう次に進んでいくのか、考えなくてはならない。】(同サイト引用)

昨今の気象と言いたくなるほど福島の言論も二極化したことで、いわば普通の被災者が居場所を失い、普通の県民が居場所を失う、そんなことになっていることは間違いない。すべて危険だから福島を出なければ悪人だと悪口まで押し付けるのも間違っているし、すべて安全だから何でも何しても絶対安心でありそう思わない人を悪人で悪口まで押し付けるのも違う。そんなの物事として当たり前のことである。

当たり前のこと、いわば社会の秩序がしかし、大災害とSNS革命をきっかけに、私怨をテコにした正義がぶつかる分断の渦に福島が投げ込まれている。(むろん私は風評でなく実害の方面から訴えているのは、被災を回復せずして復旧復興などあり得ないからだが、私はそれは極論の二極化とは関係がないと言いたい。論でなく事実的被害だからだ)。いずれにせよ、渡邊さんの意見に私は賛成であり、この二極化への危惧や中道バランスを取りたくなる道への動きは、既出であり、新井さんにも同様の流れがあり、私も同意見だ。

・「サン・チャイルドと福島 事故・風化させないために」渡邊晃一 東奥日報 2018年9月18日
空港の展示の時には「000」への「科学的にあり得ない」批判や「風評被害を助長させる」という批判などは無かったと書いてある。そして以下。【それは大きさや色合いなどの体感的な出会いからはじまったのではなく、批判についての報道を受け、原発事故を巡る個人の記憶(知識)や経験を重ねる中で、違和感を持った人が居たことを示すようにも思います。実際、私にとって防護服は不織布の白いタイベック・スーツです。黄色いロボットのような服はなじみがありません。しかも君のヘルメットには「鉄腕アトム」を思わせる黒い角があります。インターネットなどで「科学的真実」ばかりが強調された一方で、「福島の真実」に目を向けられなかったのはなぜでしょうか。」略「福島市に住む私たちは大きな被害を受けました。」略「風化させてはいけない」略「現実を伝える必要性を感じています。】

【サン・チャイルド、君がいた場所は教育文化施設でした。未来の子どもたちに君は、線量ゼロがあり得ないという事実を教えたり、福島が受けた被害の現実を伝える役割を担ったりするはずでした。除幕式には市内の児童が参加し、記念に写真を撮りました。君への愛称を200人近い子どもたちが一生懸命に考えて応募しました。子どもたちの目線からは君は「物」ではなく、心を通わせた「友だち」だったように思います。君は希望を持ち続ける私たちのようでもあります。(岡本太郎「明日の神話」に触れ)サン・チャイルド、君もまた未来の子どもたちにとって身近な友だちとして、「人類の明日の神話」を語る存在になったのではないでしょうか。】

いろいろな議論を通して、ある意味、今度こそサン・チャイルドは、福島市に恒久展示される(必要を超えて充分に近づいた)資格を得つつあるのかもしれない。むろんこれからどうなるか分からないのだが、少なくとも、たとえば新しい作品を置いて、それで納得し得るかと言われると、私個人は、結構な違和感を抱くだろう。もし新しく何かを置くにしたら、相応の納得し得る物語が必要に思われる。なぜならそこには、何も悪いことなどしていないサンちゃんが、居た、否、「居る」からだ。ぼくらは目に見えないものの尊さをも、この大災害を経験して、身に染みるほどよく分かったのである。

福島市、防護服姿の像の撤去開始 「原発事故の風評増幅」批判で 共同通信社 2018/09/18 10:40

【通院で前を通っていたという女性(74)は「市内の放射線量は既にかなり低く、個人的に風評のことは気にならなかった。撤去されてかわいそうにね…」と残念そうだった。】

福島民友に三名のかたの意見が掲載されている(子ども立像「サン・チャイルド」展示終了 最後まで市民賛否両論2018年09月18日 08時50分 福島民友新聞)。同日にテレ朝newsにも一般のかたの意見が出ていたようだ(福島・防護服の子ども像撤去へ 風評招くと批判受け 2018年9月18日 11時56分 テレ朝news)。

20180916 福島駅 撮影吉田邦吉

20180916 福島駅 撮影吉田邦吉

9月16日 会津若松から猪苗代湖をつたってそう遠くない中通り県北の福島市へ車で向かい現場のサン・チャイルドな空気感を確認する。顔にアザがあるが、皮膚の質感が桃にも似ていると思った。今回サン・チャイルド関連の資料をヴェルトに集約していて一体自分はどうするか。ヴェルトはこういうのを冊子として出そうと思えば出せるところが利点ではあるものの、特段いま何を私がというわけではなく、ただ人様の補助になれば良いことなのでひとまず静観して先達の意見を学びつつ普段の自分の研究テーマを引き続き学び続けるだろう。私は私でエッセイストをしながら随筆とは違うものも育てていきたいのである。この駅の見た目なかなか良いデザインだ。まさか新聞の取材まで受けるとは思わなかった。偶然、相馬移民の編著者である二上英朗さんが居てご挨拶もできた。感謝。それにしても、恒久になるほどの財産を取り上げられてしまった結末は市民の人達にとって残念だと思われる。

こむこむ高校の投手サンちゃの瞳に燃える魂の光を、流転スージーのキャッチャーミットが捕らえた瞬間をヴェルトにてFacebookシェアした。(※スージー=中筋純さんのこと)

片桐功敦さんと中筋純さんがFacebook投稿していたのでリプライをつけてヴェルトでシェアした。

んだよなあ。
さすけねえサンちゃ、
とは言えねえ。
かわいそうでなんね。

木枠台の上で
恒久設置だなんて
なんか
嘘だったみたいだべなあ。

んだら、
お兄ちゃんらに
連れてってもらあべ
西方の良いとこさ

(吉
(お二人の文は下記リンクをクリック!)

華道家の片桐功敦さんがラジオに出ている。サン・チャイルドやご自身の活動経験に関連しつつ、現場を知ることが重要であること、これからの福島にこそアートが必要になってくるのだから今からが重要であること、社会として無かったこと隠すことなどをしないことの重要さが述べられている、と私は解した。渋谷のラジオhttps://note.mu/shiburadi/n/ndbc949771a0a

【撤去作業はクレーンなどを使って行われ、惜しむように眺める人や写真に収める人の姿も見られました。通勤で前を通るという女性は「撤去は残念で別の施設が引き受けるなど福島のどこかで活用してほしい」と話していました。市内に住む60代の男性は「撤去して終わりにするのではなく、原発事故とどう向き合うのか市民が議論していかなくてはいけない」と話していました。福島市は今後の活用方法について、関係者の意見も聞いて検討するとしています。】(引用 「サン・チャイルド」像 誤解招くとの批判で解体 福島 2018年9月19日 NHK

この件でいったん〆として私は、安藤栄作さんとの話し合いをSNSで持った。サン・チャイルド設置に関して批判的な意見を書いたかたである。お会いしたこともないのにだいぶ無理な相談だったとは思うが、安藤さんは気を使って付き合ってくれた。しかし私はTwitterの罵詈雑言を読むのにグサグサ来て疲れていたこともあり、ついつい、サン・チャイルドを批判してライク数もフレンド数も非常に多い安藤さんに最初から嫌味もかましつついろいろと言ってしまったこの9月21日。

しかしもし立場が違っていたら私もサンチャイルドに関して安藤さんのような批判を書いてもおかしくないかもしれないと思って実は読んでいた面も多分にあったのは、ある。そうであれば、もっと歩み寄るような話を最初からできたはずなのに、Twitterでのストレスごと持ち込んでギザギザしてしまったかもしれないと反省した。安藤さんからしたら、想定内ほどの福島を思う批評に対して、降ってわいた災難だったに違いない。

お互い最終的に丸く話が終えられて今はほっとしている。最初から丸く言えなかったのは私の不徳の致すところだと自認する。今回はとても良い学びになったのも、安藤さんが付き合ってくださったからだ。相手に敬意を持っている場合の話し合いはやはりためになると思った。議論や話し合いの基礎的な入口に、そもそも敬意を持っているか、相手の幸せを願っているaaか、などは、話し合う際の、重要なキー・チケットなのかもしれない。

本当の意味で大人たちが和を大事にできたら、サンチャも笑顔だろう。

* その後の論考に評論をしていく。

念のため補足すると、「意図は伝わりきらなかった」というよりは、「伝わる時間を持たされなかった」ということのほうが正確かもしれない。撤去要望者の数は、100も居なかったからだ。コラム凡語 サン・チャイルド 京都新聞 20180922

『発信で人を傷つけることは良くないことでしょう。では、「誰かが傷つく」ことを免罪符に善意の発信者をどこまでも、いつまでも傷つけることは許されるのでしょうか。SNSの普及により発信者と受信者の強弱関係がますます曖昧になる今、改めてそれを問うべきではないかと思います。』コラムSalonから 「サンチャイルド」撤去の象徴したもの 東京慈恵会医科大学臨床検査医学講座 講師 越智小枝 一般社団法人 日本原子力産業協会 20181001 これに関してTwitterあの界隈をすぐ思い付くが、いわば身内のような側からこうして言われたほうが聞くだろう。今回の全貌もほぼ公然の秘密化した界隈が主だ。

「心地良いものだけがアートでない」「ひっかかり」「考えさせる」。とても良い論考だ。ただし他の記事でも軒並みあるように「サンチャイルドだけ他と比較的に設置を急ぎすぎたかどうか」は、今後の検証があって初めて断定可能なことであるから、現段階では、「恒久設置という硬い決定を、1度断念するのに、果たして説得力を備えた理由なり状況なりが認められたかの検証」そして未来へは「もういちど恒久設置を復帰するためには、合意形成の場は何度開かれたら妥当か」などが重視されよう。 社説 福島の「サン・チャイルド」 設置と撤去が残した教訓 20180924

以下のブログは良いところを突いていると思った。
《サン・チャイルド》の何が問題なのか D Slender氏 20180926

特に私が目を見張った点は、表現者の表現を完全規制するには、受け手側に具体的な侵害またhその恐れが明白である必要があるということだ。人権と人権が衝突する場面を想定して、一方の人権が制限されるには、もう片方の人権が侵害されることが明らかでなければならないという意味である。人権相互の調整が問題とされる、公共の福祉の議論になっていく。

そして政治的争いをサン・チャイルドというアートに背負わせた点そして、「極端なデマ的反原発論を叩く意義は薄れている」(ファクトチェック福島などは例になるであろう)、「この勢力が、この度の美術作品排除に大きな役割を果たしたことは、決して忘れません。」そして最後も興味深い。いわば、デマを流し続けた人達とデマ叩き過ぎの人達が、サン・チャイルドへレッテルを貼るほど対立を煽っている面もあるのではないかという問題提起である。

むろん私は頷く。

以降、このページは、いちど書いたら終わりという記事ではなく、追記ができるウェブマガジンの特性を最大に活かし、時間とともに多様な記事が出てきたとき、追記なり応答なりといったウェブでの傾聴と対話の活動を丁寧にしていく予定なので時折閲覧願う(「前回までの話」も同様)。

ピカソを超える反逆児、岡本太郎さんは時代に合わせた「きれい」とは異なる「美しさ」という概念を持ち、醜悪すらも美とするところがあるので、たぶん、サンチャイルドが気持ち悪いなどと猛烈に言われてるのを岡本さんが聞いたら「良かったね、ヤノベさん、大成功だよ」と言うに違いないと思うに至る。批判も含めてアートなのだ。サンチャはいろいろなことを浮き彫りにした。本物とは、光が強いのである。(20181020挿入)※読売が取材してくれたときに批判も含めてアートという趣旨を撤去前に言ったのだが、記事が出ないようなので、書き記す。

サン・チャイルドは、パブリック・アートとして問題となったことで、その歴史性を頂上にまで押し上げた。パブリックな場所に置こうというチャレンジャーが居なければ、このようなことが美術史として残ることもなかったのである。チャレンジャーが、パイオニアとなった。サン・チャイルドは現時点で撤去になってしまったが、実のところ、温室から出してパブリックへ挑戦したからこその収穫は歴史的に大きいのではないかと私は考えている。

それというのも、被災の経験を伝達し、共有し、「公共の知」としていくことが、目的だったはずで、原子力災害を発端としたある現代アートをパブリックアートにすることへ挑戦していくことは「公共の知を構築していくことへの挑戦でもあった」のである。だから温室へ戻すという考えだと、そのことについて後退することは否めないだろう。それでも歴史的な転換点になったことは確かで、3・11福島の歴史に残ったことも確かだ。希望的な方向へ共感の輪を広げていきたい。

アートde哲学カフェ@福島市20181110

 ヤノベケンジさんを囲む会に、参加してきました。皆様の顔が見えてコミュニケーションできるのは、大変すばらしいことだと思いました。思えば「フクシマ発(現代書館)」でも同様のことを書いたのが、今も変わっていないのだと、気持ちを新たにしました。今回わたしは2つの道を同時進行させることをヤノベさんに提案しました(私のワードは「進歩と調和そして差異」が書き留められていました)。なにぶん自分は部屋の外に溢れた席に座っていたため全員のすべての話が聞こえたわけでなくそこは残念でしたが、皆様いろいろなことを語られていて、それらが司会のかたによってマインドマップになっていました。その風景は素晴らしいものがありました。これをきっかけに、皆様のアートや文化そして発信していく福島という存在が、ご充実されていくことと思います。わたしも皆様のご清栄を願って祈ることに致します。

吉田

乱読日記*その七  「縄文聖地巡礼」:坂本龍一、中沢新一    伊藤千惠

いまだ7回しか続いていない乱読日記・・・。
しかも今年はじめての投稿というていたらく。
いや、常時並行して2~3冊は読んではいるが、筆力がなくて書き残せず残念なことに。できうれば、読んだものと市井の現状がむすびつながるような文章を目指すも、
そこが筆力と脳力が及ばず。。すみません言い訳ばかりで。

IMG_9762

「縄文聖地巡礼」は2010年5月発刊である。(木楽舎)
2006年から2008年まで雑誌に掲載されたものに新たに対談を加えてある。
つまり、東日本大震災における原発事故以前に書かれたのだけど、
事故後の私が思いもよらぬ人たちや書物と交流し、啓発されて考えてきたこと、事故後のいまを見すえたような内容に、ああ必然だったかとおもう。

それがなにかというとまず、
「現代文明を作っている価値は「ものとものが等価交換できる」という考え方によっている。」
それは、永遠に腐らない、とても便利な「貨幣」というものがになっている。
その考え方は、哲学で言う「他者」、もっというと「死」に直接かかわることが排除されることによって起き、等価交換の原理と結びついて、不死の象徴のような貨幣が生まれた、と中沢は言う。
そんな便利な道具にすぎない貨幣が主人公になってしまったような時代、9.11が露呈させたのは国家原理と経済のシステムが一体になっていることだと。

まあ、抽象的な表現はわかりにくくとも、永遠不死の「貨幣」による等価交換経済がいまの世界を席巻しているのは事実だ。

そして、縄文とよばれる時代の世界を動かしていた経済原理は、等価交換ではなく「贈与」であったと。
ものを贈るときには人の心を要素とした受け渡しがあり、ひとつとして同じものはないから等価交換にはならない。不死でも不変でもない。
あっと思った。
以前、会津の本の森図書館での絵本読書会で、このことばが出てきたことを思い出した。自然からいただいてばかりで何もお返ししなかった男の話だった。その男はありがとうも言わなかったのだ。
あれは私たちのことだったのか…。
自然から収奪するばかりで、なにひとつお返ししていない。感謝の言葉もない。
その極限は「核」だとこの本には何べんも出てくる。

国家が成立して、貨幣経済が人の生きる社会に与えてきた負の影響を3.11以降、いや本当はもっと以前から、私たちは体感しているじゃないか。

あるときから資本主義という単一原理で直線的につきすすむようになった社会が、方向転換しないと直線的に終末までいってしまうのではないかという危機感から、
縄文という先人たちの残した思考や文化にたちもどって、可能性をさぐってみた旅と対談である。

さて、3.11を経験した私たちに方向転換は可能だろうか?

等価交換と贈与の話はほんの水端で、聖地への旅を通して縄文的なるものとはなにか、たとえば線形に対して非線形、バイナリティ(二進法―1か2かという二項対立的なもの)に対してトリニティ(3を組み込んだ世界)について、また音楽についてもいろんな話が展開する。

そして坂本の、国家以前の先人たちの思考を知りたい、そうでないと日本人である自分が見えてこないということばは今の自分にとてもフィットする。
ここ数年、私が民俗藝能に惹きつけられるのも、より古層の、ヤマト以前のこの列島に住んだ人たちのことを感じたいのだろうと思う。

◇月いちリレーエッセー◇ 共に過ごしてきた「我が家」が無くなるとき~酒井 政秋~

2017年も残すところあと14日。

今年は3月末日に飯舘村避難指示解除になり、ようやく解除後に我が家の除染がはじまり、我が家の家屋解体をした。

家が無くなるという事は、はじめは想像すらつかないし実感すら持っていなかった。ただ、漠然と家を解体するんだな。という事だけだった…。

家屋2017しかし、いざ、除染が始まり、土が削られ、家屋周辺、田畑などがどんどん剥がされていくたび、心の中で何かが削られるような、いや、何かをえぐられる様なそんな気持ちがした。それは自分が育んできた生活をむしり取られるような感覚かもしれない。

除染も終わり、いよいよ家屋を解体するという連絡が入った。
祖父母が一代で築きあげた家が壊されていく。祖母からしてみたら、どれほどの心の傷なのかは孫であるわたしにも想像できない。もしかしたら、今まで生きた人生を一瞬で奪われる様な気持ちなのかもしれない。けれど、本心は分からない。
9月解体現場を見に行こうと決めた。家にたどり着くまで何を思って車を走らせたのかその時の記憶はないけれど、解体がはじまった家を見て、心臓がバクバク音を立てて早くなっていくのは感じた。この時にようやくこの家が、私が生まれてから共に生活をし、台風の日も、雪の日も、あの地震の時にさえも共に過ごしてきた「我が家」が無くなるときだと実感したのである。

壊されていく我が家変わりゆく姿を行ける日に足を運び写真で撮り収めた。
だんだんと崩れていく我が家が哀愁を帯びてゆく。

解体家屋

季節は初秋から本格的な秋へと変わる中、一軒の家は、更地になった。

更地

幼い頃、囲炉裏の淵でどこまで遠くに飛べるか姉と競い合っている中、誤って落ち大やけどをした囲炉裏も、よく寝坊をしそうになって急いで滑り落ちてた階段も、親戚がお盆に集まり従妹たちと蚊帳に入って遊んでいた客間も、受験勉強を夜遅くまでやっていた部屋も今では私や家族の心の中にしか存在しない。そこに行っても、影も形も今はない。けれども、そこは私が生まれた故郷ではあることは確かなわけである。

原発事故というものは、どこまで私たちの心を汚していくのだろうか。
わたしの住んでいた集落(わたしたちは「組」とも言っている)は帰村する人はゼロである。いずれ誰かが住むにはもう一度、先代が行ってきた「開拓・開墾」をしなければ住めないであろう。そういう「時の継承」をも失ってしまったのである。

これから、集落に祀ってある神様はどう継承していくのか、今の世代の人たちですら年配者である。次世代と言ってもこの集落では私を含めて2名しかいない。話し合いを重ねながら解決していくとは思うが、20年後の未来が原発事故のおかげで時を越えてのしかかってくる。緩やかに継承するはずがそうもいかない状況にさらされている。それもまた問題である。こうして、一つの集落、個々の問題だけでも問題は山積しているのである。飯舘村全体で大小問わずにどれだけの問題が日々増えていってるか予想をはるかに超えるだろう。そのなかで、当事者が沈黙してはダメ。と風の便りでそういう声が聞こえてくる。しかし、それ以上に現場では日々その問題と向き合い打開策を考えている人もいるという事を知ってほしい。そのうえで、無理のない範囲で発信を出来る人はやっていると理解をしてほしい。

来年は原発事故から8年目、時だけが足早に過ぎ去っていくが、それとともに県内の中での温度差、県外の温度差、自分の中での記憶の風化、どれだけ「自分事」として考えられるのか、当事者としても試される1年になるのではないかと思う。

 

本年もご愛読くださり誠にありがとうございました。

来年もできるだけ発信できるように精進していく所存でございます。

「コットンツアー2017.10 綿の収穫@二本松市」に参加して 高田 緑

今年も、コットンプロジェクト・福島(代表:渡邊真紀湖)主催の綿の収穫に参加してきた。
秋の行楽シーズンにしては東北自動車道が混んでいなかったのは、台風の影響だったのか、東への旅行者が減ってきたのかはわからないが、都心の景色から徐々に故郷の景色に代わるバスでの移動は心の準備もできる。
コットンプロジェクト・福島の代表、渡邊真紀湖さんの活動のコンセプトとは、「地元の農地で有機栽培された綿花を製品化することで、農業の六次産業化をめざし、都市と農村の地域交流を推進しながら、日本の農産物の自給率アップに貢献する」(「フクシマ発」現在書館より)。渡邊さんのそのスタンスでの活動は、一貫している。
震災直後の2011年春から、二本松市東和地区の有機農家さんに綿の種を育てていただき、プロジェクトはスタートした。2012年の春には、毎年代々木で開催されている東京アースデイにて、生産者さんと共に参加者に綿の種まきを体験していただくことからスタートする参加型の「コットンツアー」が始まり、今年で5年目となった。
今年の春の定植では真夏日のような陽気となり、参加者も苗も萎びれそう(方言:しおれるという意味)になったが、その小さな苗が秋には腰位の丈に生い茂り、コットンボールが弾けそうに生っていた。それでも今年は他の作物同様に天候不順の影響で不作らしい。
年々、参加者は減ってはいるが、少ないなりにノンビリと里山の綿畑で、宝探しのように弾けている綿花を収穫するときのコットンボールの触り心地は、一度体験すると病みつきになると毎回感じる。癒し効果があるのだ。実際は一気には実が弾けないので、雨に濡れないようにと毎日、生産者さんが“白い宝物”を見つけては収穫している。

綿の花

綿の花

弾けたコットンボール

弾けたコットンボール

東京から何回か参加している若き女子。かわいい~!

東京から何回か参加している若き!女子。かわいい~!ありがとう!

みんなで休憩。農家さんの笑顔がステキ!

みんなで休憩。農家さんの笑顔がステキ!(撮影:Mamiko Aoki)

”白い宝物”

”白い宝物”

二日目は、農家民宿ゆんたにてミニ座布団制作のワークショップに参加。講師の生産者である藤倉さんに手取り足取り教えていただき、笑いの中で参加者二人の教室となった。それにしてもオーガニックコットンの座布団とは、なんと贅沢なんだろう。

先生!よろしくお願いします!

先生!よろしくお願いします!

この形にするには何度も重ねる。

この形にするには何度も重ねる。

生地を選んで、ぎゅぎゅぎゅーっと綿を入れ、四方をしっかり詰め込む、糸で綿を引っ張るように縫い、真ん中でしっかり綿を止める。慣れるまでなかなか難しいのです。

生地を選んで、ぎゅぎゅぎゅーっと綿を入れ、四方をしっかり詰め込み、糸で綿を引っ張るように縫い、真ん中でしっかり綿を止める。慣れるまでなかなか難しいのです。

小さな種から綿製品になる工程や、綿花が農産物であることはまだまだ周知はされていない。忘れ去られようとしている。福島県では特に会津地方で盛んだったことさえも知らない人が大多数だ。

混沌としたこんな時代だからこそ、先人の知恵の継承が必要なのだろうと心底思う。福島県に限ったことではない。失ったものは取り戻せないが、人の精神の軸がぶれない限り、幸せな生き方を見つけられるはず。残された者は希望を捨ててはしまいたくはない。
故郷、福島県の2017年秋にそう思った。

◇月いちリレーエッセイ◇  政治は遠いのか。な?  伊藤 千惠

衆院選が終わった。
ツイッターやフェイス・ブックなどのSNSではこれでもかというくらい関連の話が流れ、実際食傷した。
が、言論はヘイトや反社会的な意図がなければという留保付きで自由である。庶民層が政談、床屋談義するのはけっこうなことである。私には関係ない、興味ない、どうせ変わらないもんねという態度より数段いい。
(欲をいえば、同じ話題はもういいからちょっと違う話題とか、違う切り口の意見とかをみんな書いてくれればいいんだけど。その方が波及力あると思うし。)
問題は、それが庶民層におけるマイノリティにすぎなくて、若年層、30歳~40歳代の働き盛り層がとても少ないということ。毎日の通勤満員電車のなかをみわたしても、会社のオフィスで雑談していても、街のカフェや商店街をぶらついていてもいっこうにそのような声は聞こえてこない。
それはそのまま投票率につながるんだろう。
どうしたものか、、、。
ということをいつも考えている。

東日本大震災による福島第一原子力発電所事故から政治や行政へ不信感を抱き、いろいろな知らなかった知ろうとしなかった情報を得て、選挙運動なんかに興味を持った人はたしかにいる。自分もそうだし、震災以前は存在しなかったことを考えると、少数でも激的変化かもしれない。
ということを考えるに、なにかひとつ気になること―例えば働き方や給料のこと、子どもの教育、親の介護、年金、医療にかかるお金、災害、表現の自由、個人商店がなくなる、なんてことでも必ず政治につながるものだ。なにひとつ不満も不自由も感じていない人はいないだろう。
大きな社会的問題だけをとりあげる必要はぜんぜんない。そこから関心のない人へのアプローチができるかもしれない。
だいじなのは自分の見方意見を絶対的なもののように言わないこと。選挙に行かなかった、政治に関心がないことを否定するようなことは言わないこと。そこ出発点では対話は生まれないんじゃないかな。
一挙にマス(=集団、かたまり、大衆)を変えさせるなんて全体主義的で気持ちの悪いものであるから、まず自分の身近にいる無関心びとと会話すること、対話することだなあ。
と、ひきこもり派の自分はつらつら考える。