避難指示解除にあたって思うこと・考えること 酒井政秋

原発事故から7年目の避難生活も3月31日には帰還困難区域を除き避難指示解除となる。しかし問題が解決したからではない。未だに除染をしてもなお1μ㏜/hのところも数多く点在している。安全にというには程遠い。この避難指示解除に至る経緯について村の説明によると原子力災害対策本部長(安倍首相)へ要望書の提出(平成28年4月5日付・村と議会連盟提出)し村が政府に要望したという形で決議された(※1)。大半の村民は解除の一報に唖然としたことだろう、それは村民に周知する前の解除の一報だったからだ。いつもそういう大切な事案は決定されてからの説明会及び懇談会を開き、ただ決議された内容を話すだけの何とも奇妙な説明会や懇談会が行われる。そんなことが6年も続いた村民は疲弊をしてしまっている。それは、自ずと国の思うつぼなのかもしれない。当事者を疲弊させ、「言う口」を減らした方がスムーズに物事は進んでいく。そうして6年の間に切り捨てられてゆく村民を目にしてきた。

「どうせ・・・」「しょうがない・・・」そんな言葉が蔓延しているのは確かだ。

4月からは村に帰らない人は自ずと避難者から「自主」避難者となる。
村からも何れは切り捨てられるだろう。
けれど、我が故郷は飯舘村に違いはない。
飯舘村はのどかな村だった。
飯舘村は放射性物質にも汚染されたが、この6年で国にも汚染された。
村と国はズブズブの関係を築き、今まで村民が築きあげたものを次から次へと壊していった。
このまま壊されたものを諦め、見なかったことにして飯舘村として見過ごして果たして良いのだろうか。
小さな田舎社会というものはしがらみがある、けれど、今まで築きあげたものを押しつぶされて、それすらなかった事にされてもなお、頑張っぺ!なんて言えるのだろうか…。

村の行政区総会説明資料(※2)によると、前年度より2倍を超える212億3500万円と過去最大の予算額だ。その内容は、学校等再会整備事業・スポーツ公園整備事業・復興拠点エリア整備事業・被災地域農業復興総合支援事業などの事業により、昨年度と比較し120億7700万円の増であり、その中で、復興対応事業分は約177億円と予算全体の約83%を占めるという。

それが飯舘村らしいやり方なのだろうか…?

つつましく、あるものを活かし、自主自立で「までい」な生活をスローガンとしていた村が次々とハコモノを建てたり、整備したり。戻る村民の負担にならないだろうか。確かに6年放置された建物は老朽化して使えないかもしれない。けれど、それだとしても、あるものをリフォームして使うことだって可能だったはず。そのツケは未来の村民に重くのしかかってくるはずだ。維持費や経費などを考えると莫大な費用はかさむだろうに…。

それで果たして「飯舘村の復興」というものなのだろうか個人的には疑問である。
わたしだってこんなこと好きで説明会などで言っているわけでもないし、書いているわけではない。
黙って見ざる聞かざる言わざるをするほうが楽だ。しかし、それは未来への棚上げではないのだろうか。
何れは未来の村民に振りかぶって苦悩するのではないか。だとしたら第1当事者が言い続けなければならない。そして、綴り残さなければいけないのではないか。
原発事故というものは途方に暮れる問題だ。
しかし、このまま解決していない問題を解決されたようにされていいのだろうか。

これから起こるかもしれない実害と日本が抱えている社会問題の縮図がこの村に襲い掛かってくるだろう。

限界集落・高齢化・介護・孤独死・少子化・村の存続など多岐にわたる問題とこの原発事故による低線量被ばくの問題・健康被害・風評という実害。

元の村民らしい生活ができるわけではないのだ。どこかで我慢しながら生活をしていかなくてはいけない村になってしまう。

自然と共存・共生してきた村は、もうそれはできない。生態系は崩れ、民家にまでイノシシや猿が来ている。6年、人を見なくなった野生獣は「境界線」が無くなっている。まずはその境界線対策を練らなければならないだろう。四季折々の山菜はもちろん食すことができない。畑で作る野菜もその都度計測しなければ食べれない。そして、村民にはガラスバッチをつけ、積算線量を計測しなければそこでは生活できない。介護の問題もある。村では介護を受けることができない。なぜなら、介助する人員がいないためだ。

これが現実問題なのではないだろうか。

非常に目に見えないものに抑圧された生活となるのではないか。

それでも解除が喜ばしいことなのだろうか。

現実よりも幻想の中で、生きる為政者たち。

その幻想は現実村民の苦悩にならなければ良いなと切に思う。

本当の問題解決までにはあと何十年…いや何百年かかるのかもしれない。

100年先、200年先、300年先にあの大地がそこに住む人々が輝きを取り戻している事を希望にしながらこれからも伝え遺していきたい。

 

iitate

 

 

 

※参考資料 1)村民自治会懇談会資料より引用 2)平成29年度行政区総会説明資料より引用

原発事故後の誤ったデマ論をスマートにしよう。 吉田邦吉

いつもよりもスマートしっかりに話しますからしっかりに聞いていただけますか。タレントのくわばたりえさんが2017年3月8日のNHKアサイチにて「(福島県産につき)みんな買ってないから、私も」という報道があったようです。

これについて、人の消費基準が「安全なのに安心までいかない」という分析はネットで一定の決まった人達により毎晩のように流布している話であり、建前としては一見もっとものように思えますが、本質的とは言えず、決して論理的でないと考えます。

なぜなら、まず放射能の議論が開かれていないのであれば、都合の悪いことを隠しているのではないかという疑念が生じて当たり前なので、「安全なのに不安」という「消費者のせい問題」にすり替えようとしている、または、すり替えてしまって満足している、というように見えるのです。原発事故は安全神話から生まれたのですからね。

ある場合に大勢が買ってないからつい手が遠のいたことがあるというようにくわばたさんは言っています。ということは、おそらく「絶対に食べない」とは言っていません。福島産は実際どこにでも流通していますから、選ばないというのは、他に自分が気に入っているものがあり、そこで「福島産」のことを考えると気が重いという話ではないでしょうか。私は県内その他でそういう話を耳にします。

なぜ福島産は気が重くなるか考えたことがありますか。

そこに対して、わざわざ重ねて「安全だ」「こうでこうで、こういうデマが悪で、反原発が悪で、生産者はデマに苦しんでいる」ということを押し付けたらどうなりますでしょう。正直言って、いかにも「被害を利用した御用」的な、厄介な感じのする福島だろうと思います。そういうことがネットで差別だ云々と連呼されるから心理的に圧力がかかるのであり、イデオロギーみたいで厄介だと人々は感じているのです。

福島と聞けば何だか怪しい御用話を押し付けられるだけの、何か言えば風評被害だと叫ばれて正しい知見とやらで安全神話のお説教が始まるとしたら、こんなに関わりたくない疎ましいことはありません。原発に無関心であったことを県民は反省してないと誤解されかねません。選ばないということを言って良いんです。自由に言って良いんです。言えない空気を作ったら終わりです。選ばれません。

ですから、「食べない」という選択を保証しないと「食べる」という選択はあり得ません。今の開かれていない議論につき、都合の悪い話に蓋をして本当に安心できますでしょうか。無駄に敵を作ってはダメなのです。もっと検査方法について、オープンな議論を集約でき、議会や行政に提出・蓄積していき、ことを改善成長していく、透明で、建設的なシステムが必要でしょう。厳しい視点をもった人達がそう感じられるようできていますか。

「デマ≒反原発」は物事を混同している。

ふくしまの場合、
1、デマ……誤った情報と原発事故による営業損害
2、反原発……国家政策として廃炉や再生エネへの転換

この二つは論理的に本質的な因果関係が、ありません(むしろこんなに回復が困難な実害があれば原発はもうやめようとなるほうが自然な関係だと思いますが、とりあえずさておき)。

例えば、人を殴ってイジメた人が、殴った行為を罰せられるだけでなく、人に優しくしようという宗教をも罰せられるとしたら論理的誤りではありませんか。むろん、目の前で桃を吐き捨てられたりしたらそれは憤怒して人間自然ですし、私も悲しみの気持ちでいっぱいです。なので、いま無理にこれを認めたくなければ認めなくても良いんです。あなたの自由です。でも、その無礼な行いとこのことは、絶対イコールにはできないことなのです。

さらに例えば、福島産の食べ物を売り子の前で吐き捨てる人が原発推進だったらあなたはちゃんと「デマは原発推進が悪いんだ」と大声で連呼していけますか。していないとしたら、あなたのその主張は、論理的に誤りです。どのみち原発推進と生産物の選択は関係のないことでありますが、とにかく、因果関係を考える場合はいろんなことを考えねばならないのです。

現在、原発事故があることを「原因」とし、営業や汚染や多様なことについての「実害」がありますからそれを「結果」とし、この「因果関係」によって、東電は生産者に賠償を支払っています。非常に大勢の福島の生産者もこの因果関係を認めています。拙編「フクシマ発(現代書館)」にも書きましたが、ネットの誰も見てないことが「主たる原因」でしょうか?こちらを見てください。ことの因果関係の実際はこちらです。

責任をとるのは政府東電です。
むろん
(不足が問題ですが)
責任をとってきたのも政府東電です。
デマじゃないんです。

安易な巷のデマ論に正義感で乗らず、冷静に議論しましょう。わたしは議論に負けること、説得されることを、人格的に劣ったこととは考えないタイプです。自分を説得するほどの話をわたしは尊重し、その優秀さを自らの知識にしていきますし、どんな言論も「もし本当に開かれている議論の場」では、「それがあることを尊重する」こともできます。敵味方の二項対立は大人なら卒業せねばなりません。たとえば反原発のジャーナリストが被災者とともに苦心惨憺で互いの合意で頑張っていることも被災を悪用でしょうか。

それなのに「反原発派が悪いんだ。被害を搾取している。反原発派の正義がゆがんでいる」などとやっていけば、放射能汚染という大問題の本質から目をそらさせ、誰かを敵にすれば解決するような犠牲(スケープゴート)を作りだした単なる点数稼ぎの御用運動と言われても防げません。そういう風に考えたいことも否定しませんが、立場的な居場所的な、たとえばライターの人がいるようなこともありえるかもしれません。よくよく見てみると、そういう人達の実際は脱原発と言っていてもそんなことを自分で行動する気はさらさらなく、原発推進にも等しいような雰囲気も認められるのはまた不思議な話です。

そもそも福島県は積極的にデマ狩あら探しなどしていません。福島はそんな全体主義に染まって非国民探しをするようなことをしていません。「現在、こういう現状です。自分たちは安全基準の範囲内だと国からお墨付きを得ている範囲の農産物だけを出荷し、また、出荷できていないものもこれこれです」というのが現状です。ここには様々な議論があって当然であり、改善されていくべきものと考えます。

それを、国家の政策として原発に反対することと、放射能の議論と、どう論理的に関係しているか、きちんと説明できないような方向で混同しては、「彼らは御用的に点数稼ぎたいからああいうこと(一部のことを全部のように言う論理的デマの宣伝)をやっているんだ、被害を利用して目立ちたいからこそ、逆に反原発にそれをレッテル貼りしている」と思われても不思議ではないと思います。

むろん一部には誤った理解をしている人達もいるでしょう。でも、それを言ったら終わりがなく、一部を全部に適用させる論理的過誤をおかしやすく、いつまでもズレていく水掛け論なのではないでしょうか。「一部の何々が悪い」というのはどこにでもあることで、放射能の件で見ていると主に人としてのエチケット、その人の議論の前提としてのマナーの問題であり、反原発とソレは論理的な関係が見受けられないのです。それどころか私の周囲にいる反原発の運動をしている人達は福島の生産物をいろいろ思うことがあってもこころよく食べ、福島を愛し、心配してくれてもいます(無理に食べてるわけでもありません)。これは、敵ですか?どうして「デマ=反原発が悪」という偏った言い方ばかりするのか説得的に説明できますか?

大事なことは責任の所在です。もし「安全だ」ということにされている生産物について、なんらかの事故が生じたら、それは誰が責任をとってくれるかが、いまいち不明確なのです。たとえば原発事故後に言われている健康被害の件を思い出してください。多くの人達が困っているように思われますが、その直接的因果関係は不明、立証不能、という統計の話しか出ていないのです。つまり、安全だと言いながら何かあっても誰も責任とりませんなのです。そんな話ありますか。正直言って、安心できますか。因果関係が証明できない現状ならば、超法規的な保護救済策も必要でしょう。

デマって、流言飛語のことだと思います。

私は日本を歩いていてまずそんなデマに遭遇しません。ごくまれにいろいろな考えがありますが、それらは「都合の悪い考えや説を議論の場に入れない、という開かれてない議論のなかで起きていること」です。議論が開かれていなければ、「これが通説、あれが大勢の仮説」という「押し付け的なお説教」はいくらでもできますから、それこそ閉鎖的な安全神話の流言飛語が「デマと大差ない」という雰囲気になりませんか。

1、押し付け安全 (安全神話)
2、押し付け危険 (デマ)
これら二極化は無理の程度が等しいのです。

私が遭遇するのはデマではなく、くわばたりえさんのような消費選択であります。現代日本の消費行動は、自然栽培や有機農法やなるべくナチュラルなものが好まれ、かなり厳しい目をもった消費者が増えています。「不安な議論の場」で「安心」が、自然に生まれますか。人の気持ちを誰が無理に止められるのでしょうか。「無理しないほうが良いよ、それで良いんだよ」と言ってあげることから、まずやさしさ、人として安心の第一歩です。

最後になりますが、問題の本質はデマではありません。デマは傍論にすぎません。やりすぎれば「デマ=重い福島」という感じになってしまうでしょう。私にとってそれは不本意です。重大なことは、原発事故による実害なのです。復興とは、実害=被災を回復してこそ、復興への基礎ができるというものです。福島の生産物が選ばれない現状を回復する有効な対策は、開かれた議論の場を作り、責任の所在を明確にし、安全安心を改良していくよう建設的なことをし、敵を作らず、福島の味方を増やしていくことに、なります。

が、現在の緊急的な実害状況をまず何とかしなければなりません。
その場合には以下のことが必要です。

福島の生産者が他県と同じようにビジネスできていない不公平な状況があります。原発事故が起きて汚染がひどい状況です。たとえば、ある生産者は2ベクレル未満、ある生産者は30ベクレル、ある生産者はノーコメントと言ったような階層格差の被害のもとに置かせられ、みな同じような苦労を美談にして売れ売れとけしかけられても、大変難しいと思います。

NDの生産者だけ応援では足りないのです。
抜本的な保護も求めませんか。

福島ではまばらな汚染のほかに精神的な損害と計測の苦労が上澄みされている状況であり、共感してくれる人には良いですが何も知らない他人のために「前向きな売れる理由」にはなりません。逆なのです。売れない理由にしかなれないのです。ましてや他県の人達も生産には同じような苦労をします。比べられたら負けやすいのです。すごく不利です。一つの都道府県の生産物を選べば四十六の選ばれない生産物があります。その四十六に福島は入りやすいのではないでしょうか。

これら不公平な階層を、穴埋めするような、まず被災者が安心できる下駄を履かせるような保護救済策が福島のあらゆる生産者、生活者、双方に保障されることであり、ひいては福島県内外の自主避難者にもこころよく過ごしてもらえるよう同様にあることが、大変必要であります。こういったこと、つまり本物の復興のことですが、時間が経てば経つほど被災は隠れ、風化してボランティアも減り、いろんな関心や感覚として潜伏していきますので更に深刻であり、必要性が増していくのです。

特権ではないのです。回復的保護です。
みなと同じように普通に笑って過ごしたいのです。

そうした手厚い安心が包括的な安心を醸成するでしょう。

7年目の原発事故避難生活(序章) 酒井政秋

   <序章>

2011年に起こった東日本大震災とその後に起きた原発事故からまもなく6年が経とうとしている。問題は果たして解決へ向けて進んでいるのだろうか。何か置き去りにされていないだろうか。
3月11日に向けて、これから幾週にわたり各章ごとに区切って伝えていきたい。

序章では、あの日から今までについて軽く触れておきたい。

第1章は。村民の声をお届けする予定でおります。

最終章では、あの日から今まで、そしてこれから未来への個人的な体験と展望、思いを書くつもりでいる。

では、あの日から振り返ることにしよう。
2011年3月、飯舘村一帯が高濃度の放射性物質に包まれ、大地は汚染され、そして人々は何も知識がない放射性物質による汚染によって飯舘村でかなうはずだった未来も、その地での生活さえも一瞬にして奪われた。国は年間積算線量20ミリシーベルト/年を超えるとして同年4月11日計画的避難区域に指定した。しかし、いろんな事情や状況で避難が遅れ、飯舘村の住民は初期被ばくを浴びることになってしまった。わたし自身も、ペットの問題や高齢者を抱える家族など様々な状況で、避難できない状況にいた。仮設住宅ができる7月まで、ほとんどを飯舘村に居るしかなかった。今、思えば、この時に無理にでも避難していれば、体調の悪化は避けれたのではないか。これまで6年間大きな病や小さな体の変調との闘いの日々だった。それでも、わたしは生かされた者として、飯舘村の現状を発信できる場で、発信し、村民と傾聴、小さな声を政治家に届ける事、ワカモノ・村民との対話など、様々な角度から、この困難を一つでも解決するように、いや、今考えると、とにかく必死だった。それをやっていることで生きる事を感じていたのかもしれない。しかし、次から次へと現状は刻々と変わる。政権交代、行政との溝が深まっていく、放射性物質の考え方や価値観の違いからの意思疎通の困難さ。時には、脱原発・反原発の活動をしている人からの罵声や脅威にも感じるほど責められることもあった。また、逆に(福島は)安全だ。という人からも時には責められた「風評を煽ることは言わないでくれ。」「あなただけが当事者ではない。」なども言われた。誰も間違っていない。誰にだって守りたいものはある。それは分かっている。どちらも「守りたい正義」なのだから。けれど、わたしは実害しか話していないし、書いていない。正義と正義のぶつかり合いは何も生まない。お互いを尊重し、議論をすることが一番必要なはずなのに。それができない現実。

なぜ理不尽に叶えたかった未来も人生も奪われて未だに真摯な謝罪も加害者である東電や国からはない。そして社会的責任をとらない。いや、意図的に取ろうとしないことは過去の公害歴史を見てもわかる。
あの日、一瞬世界が止まった原発事故をも現在、忘れ去られようと感じるのはわたしだけだろうか。この3月末で飯舘村も帰宅困難区域を除き避難指示が解除される。しかし、この解除間際になっても、細部にわたる具体的な方針は行政側から提示されないままだ。提示されるのは、帰らない村民・帰れない村民は、いずれ切り捨てられるということだけだ。わたしたちは好きで避難をしたわけでもないし、好きで村外に住むわけではない。根本的な問題が解決していれば気持ちよく帰村を受け入れたであろう。しかし、放射線量はまだまだ低下せず、除染をしても、完全に放射性物質は消えない。特に私の住んでいた実家は山の中。線量はいまだに1マイクロシーベルト/毎時を超える値だ。わたしは帰らないという選択をしなければならなかった。
これからは村外に住む村民は飯舘村民とは見なされない日が近い将来来るであろう。

わたしたちは「飯舘村村民 避難者」から「自主避難者」となるのだ。

これからますます、発言しづらい空気感が強まるだろう。

本当の「沈黙」が訪れさせないために。

小さな声でも伝えていきたい。微かな声になっても伝えていきたい。

わたしの発信の場であるWELTGEIST FKUSHIMAにて。

序章のおわりに
この場を運営してくれる編集長はじめライターの皆さんに感謝の意を込めて。

撮影:筆者

撮影:筆者

書の海を漂う~乱読日記*その六  「言葉と音楽」 :Ayuo (洪水 第十八号)    伊藤千惠

乱読といいつつ長らく投稿できずにいたが、読書は日常的に生活の中にある。
私にとって本を読む行為は、自分の欠損した部分を埋めることと、娯楽というか活字中毒である。自分はこのままでいいのだと肯定したら内的成長がとまるのではないか、という強迫観念にからくる被虐体質なのかもしれない。きっとそうなんだろう。

IMG_6071それはさておき、短歌総合誌「うた新聞」を発刊されている玉城入野さんからご恵贈いただいた、「洪水」という年2回発行の詩と音楽の雑誌がある。
玉城さんには『島尾敏雄の小高』というとても惹かれるエッセイがあるのだが、それについては次の機会にとっておくとして、
このなかで強く心に残った文章がある。
「言葉と音楽」  というエッセイのなかの『国を持たない人々』という、アーティストAyuoのライブで語られる文章。

Ayuo Takahashi(高橋鮎生)は、作曲家・作詞家・ヴォーカル、ギター、ブズーキの演奏者であり、自分の思想を言葉や詩にして、台本を書き、それを歌、朗読、楽器演奏と動きで演奏するパフォーマーである。
多くの世界的なアーティストと共演、作品を発表し続けており、舞踊・映画・CM音楽などさまざまな分野に楽曲や詞を提供している。詞は英語で語られ、日本語に訳される。
その世界は、商業ベースに乗り形式化された音楽とは違い、より自由に自分を表現する、日本では稀有な存在である。
ヨーロッパの古楽の香りのする曲もあれば、サイケデリックであったり、とても日本的な曲もあったり、ワールドワイドな広がりのある音楽であるけれど、Ayuoの思想がくっきりとそこにある。そこで語られることばはとても重要だ。
映像をバックにライブで語られる彼のことばを、私たちはどう感じるか?

 

「国を持たない人々」 by Ayuo
人にとっては自分の育った場所がふるさとだ。言語や文化は自分の育った場所から学んでい
く。科学用語ではエピジェネティックスと呼ばれている。体は先祖からつたわるもの、文化は環境から伝わるもの。
簡単そうに聞こえるが、簡単なことほど人には見えないものが多い。
ニューヨークで育った人は一生、自分の育った時代のニューヨークの中で一生を過ごす。
ロンドンで育ったアラブ人にとっては、自分の育った時代のロンドンがふるさと。
両親が信仰していたコーランはそのままでは彼にとって分からない。
両親と親戚とは口論ばかりになる。しかし、自分の育ったふるさとの人間も彼がその一員だと認めないとすると彼はどうする。そうした彼にアイデンティティーを与えてくれるのが過激派の宗教団体。
海外で育った人間がそのまま、自分の先祖のふるさとに行くとどうなるか?
『オマエは我々とは違う』と言われる。
『オマエは本物ではない』と言われる。
『オマエは日本人ではない』―これは僕がよく聴いた言葉だ。
しかし、人間はみんなアフリカで生まれた。
長い旅をしながら、やっと今ふるさとと呼んでいる場所にやっと着いた。
今でも人間の旅は続いている。
二百年前に旅をした人がアメリカを作った。
旅をしている人たちは毎年増えている。
移民が多く増える未来。
未来ではこうした人々がどうするかによって決まるかもしれない。
それは新しい民族になるのか?
それとも、国を持たない人々になるのか?
未来はこうした人々がどうするかによって決まる。
アウトサイドに生きている人は、アイデンティティーは作り物だと知っている。
社会のアウトサイドに生きている人に、そのようなアイデンティティーはいらない。

All Music and Lyrics have copyright.
They are registered internationally by JASRAC
Words, Music, Illustrations, Photos, Articles, Lyrics by Ayuo
© Ayuo All rights reserved

 

日本人の母とイラン系米国人の継父との家庭のもとにニューヨークで育ったAyuoは、日本で育った日本人は自分にとっては外国人であると言う。
身体は日本人であるけれど、ニューヨークの文化圏が自分のものだと感じる彼にとって、英語圏ではない日本で生活することは、常に異邦人であることを自覚させられ、違和感をひりひりと感じてきたであろう。しかし、それは同時に日本を社会のそとから客観的に見ることができるということなのだ。
私は日本で生まれ育ち、異なる民族や他の国家という環境になげだされた経験は旅行以外にはない。日本で生活する外国人や異なった文化圏で育った人たちはみな、日常が旅のようなものであろうか。この文によって、そういう人たちの視点に気づかされる。
「日本人の誇り」、「日本人として」といったことばを聞くとき、他民族からの優越性をほのめかす裏に、民族という属性に依存したもろさ、偏狭さを感じる。それは確立した「個」がない、自信のなさが根底にあるからではないかと思っている。
人間が人間であること、ラディカルに人間の精神をみすえるとき、性別や年齢、国籍や容姿、学歴、履歴などもろもろの属性は関係ないだろう。民族という属性も。
もちろん固有の民族文化や伝統を大切にしたり、愛でることとはまったく別のことである。

私にとって、自分の生まれた国の文化と、それ以外の国の文化はすべて等価で存在している。それぞれに好きなものや深いところで何かを感じさせるものと、そうでないものがある。その文化がどこのものであろうと関係ない。日本のものだから好きとか、日本人だから他の国よりすぐれているとも思わない。(もちろん、自分の国のものだから好きという価値観を否定するものではない。)
自国の文化だから理解できるということはあるだろう。しかし、文化の基底に流れる奥深い何かは、たぶん民族や国境を超えるのではないかと思っている。
ユングのいう元型(アーキタイプ)といったものかもしれない。
未来は国境なんかなくなって人種もすべて混じりあえばいいと私は思っている。

(「国を持たない人々」の掲載についてはご本人の承諾を得ています。
Ayuoさんの文章、詩、ライヴ映像は下記のブログで見ることができます。
ぜひ、皆さんにふれてほしいと思います。)
https://ayuoworldmusic.wordpress.com/

揺り戻されたこゝろ 酒井政秋

うつろな夢の中で揺れている…。

夢じゃない!

やけに大きな地震だ。これは関東か?それにしても長いな。揺れは益々大きくなった。
急いで情報を集める。
震源地は福島沖だった。
原発が心配だった。津波の大きさによっては、また5年8ヶ月前より酷い状況にだって想定できる。
しかし…。
すぐに情報は出てこなかった…。
東電のTwitterには、「■お知らせ■11月22日午前5時59分頃、福島県沖を震源とするマグニチュード7.3の地震が発生しました。現在、この地震による当社設備への影響を確認しております。詳細がわかり次第、お伝えいたします。」とのツイートだけ…。

あの時、何をあの企業は学んだんだ。と唇を噛み締めた。

後から東電は情報をツイートしてきたが、その前にメディアからの情報のほうが早かった。

不安がわたしの身体を包み込む。

最悪の状況をいつも想定し、1日の最後には必ずガソリンを満タンにする習慣が5年8ヶ月前にわたしのルーティーンになっていた。
食料の備蓄もしておいた。

でも実際備えても、またあの日の経験をしなくてはならないのか?その不安だったのだ。

明日がまた平穏に訪れるなんて保障はない。

パソコンとテレビと睨めっこをして、とにかく情報を集めて備えた。
気づけば2時間同じ体勢で情報を集めていた。
その間、友人の無事を各々確認したり、心配のメール、コメントが次々ときた。嬉しかった。その皆んなの祈りが不安を緩和してくれた。徐々に冷静さを取り戻していた。

仮設住宅の知り合いに声掛けをした。
みんな「あの日」の地震にこゝろは揺り戻されていた。
精神的に落ちこんでいる人は、「テレビを見ると身体が震えてくるからつけられない。」

「まずは原発が心配になった。」

そんな声が聞けた。

みんな目の奥は5年8ヶ月前の3月11日になっているようにわたしからは見えた。

自分が無理だと思ったらテレビや情報は見ないほうが良い。ストレスになるだけだから。と声をかけた。

改めて思った。

東京電力という企業の体質は何ら変わっていなかった。
ただ、5年8ヶ月前と違うのはSNSが普及している面、東電の中でも発信をしてくれる人がいた。ということだけ。
しかし、SNSをしていない人にとっては情報開示が遅いことで心労が深まったのではないか。ということだ。

改めて東京電力各位には速やかな情報開示をこの場で求めたい。

避難者の心労はまたひとつ深まったことを再認識し、改心し誠心誠意ある態度で臨んでいただきたい。

政治家の皆様には、地震が起きる度に原子力発電所の心配をしなければならないこの不安を取り除いて欲しい。
不安が押し寄せるエネルギーは時代遅れではないでしょうか?
日本列島はいや、地球は活動期に入っていると昨今相次ぐ天災で思います。国民を守る立場において、経済優先ではなく国民の生命を優先させなければならないのではないでしょうか?
核というものに平和利用なんてあり得ないということにまだ気がつかないのでしょうか?
原子力というエネルギーからの卒業するという転換期がやはりきているのではないでしょうか。
再稼動の道ではなく、エネルギーの転換する道へと進んでいくよう働きかけ・提言をよろしくお願いします。

もう2度と同じ経験をする被害者を出したくない。

それを痛切に感じた今朝の地震だった。

 

引用文:「東京電力(原子力)Twitter」より