伊藤 千惠

伊藤 千惠 について

Ito Chie / ✥熊本産✥音楽短大進学のため上京✥1980年代後半、インディーズバンド活動に勤しむ✥1990年代、ダンスパフォーマンスに没頭✥現在、働く主婦 ➣幻想文学、民俗学が好きです。 I was born in Kumamoto prefecture. I graduated from Junior College of Music in Tokyo and live here. I was a member of an indie band, so active in the latter half of the 1980s and devoted myself to dance performance in 1990s. Nowadays, I'm working at a company and having a lot of chores to do as a housewife. I like a visionary literature and folklore.

書の海を漂う~乱読日記*その六  「言葉と音楽」 :Ayuo (洪水 第十八号)    伊藤千惠

乱読といいつつ長らく投稿できずにいたが、読書は日常的に生活の中にある。
私にとって本を読む行為は、自分の欠損した部分を埋めることと、娯楽というか活字中毒である。自分はこのままでいいのだと肯定したら内的成長がとまるのではないか、という強迫観念にからくる被虐体質なのかもしれない。きっとそうなんだろう。

IMG_6071それはさておき、短歌総合誌「うた新聞」を発刊されている玉城入野さんからご恵贈いただいた、「洪水」という年2回発行の詩と音楽の雑誌がある。
玉城さんには『島尾敏雄の小高』というとても惹かれるエッセイがあるのだが、それについては次の機会にとっておくとして、
このなかで強く心に残った文章がある。
「言葉と音楽」  というエッセイのなかの『国を持たない人々』という、アーティストAyuoのライブで語られる文章。

Ayuo Takahashi(高橋鮎生)は、作曲家・作詞家・ヴォーカル、ギター、ブズーキの演奏者であり、自分の思想を言葉や詩にして、台本を書き、それを歌、朗読、楽器演奏と動きで演奏するパフォーマーである。
多くの世界的なアーティストと共演、作品を発表し続けており、舞踊・映画・CM音楽などさまざまな分野に楽曲や詞を提供している。詞は英語で語られ、日本語に訳される。
その世界は、商業ベースに乗り形式化された音楽とは違い、より自由に自分を表現する、日本では稀有な存在である。
ヨーロッパの古楽の香りのする曲もあれば、サイケデリックであったり、とても日本的な曲もあったり、ワールドワイドな広がりのある音楽であるけれど、Ayuoの思想がくっきりとそこにある。そこで語られることばはとても重要だ。
映像をバックにライブで語られる彼のことばを、私たちはどう感じるか?

 

「国を持たない人々」 by Ayuo
人にとっては自分の育った場所がふるさとだ。言語や文化は自分の育った場所から学んでい
く。科学用語ではエピジェネティックスと呼ばれている。体は先祖からつたわるもの、文化は環境から伝わるもの。
簡単そうに聞こえるが、簡単なことほど人には見えないものが多い。
ニューヨークで育った人は一生、自分の育った時代のニューヨークの中で一生を過ごす。
ロンドンで育ったアラブ人にとっては、自分の育った時代のロンドンがふるさと。
両親が信仰していたコーランはそのままでは彼にとって分からない。
両親と親戚とは口論ばかりになる。しかし、自分の育ったふるさとの人間も彼がその一員だと認めないとすると彼はどうする。そうした彼にアイデンティティーを与えてくれるのが過激派の宗教団体。
海外で育った人間がそのまま、自分の先祖のふるさとに行くとどうなるか?
『オマエは我々とは違う』と言われる。
『オマエは本物ではない』と言われる。
『オマエは日本人ではない』―これは僕がよく聴いた言葉だ。
しかし、人間はみんなアフリカで生まれた。
長い旅をしながら、やっと今ふるさとと呼んでいる場所にやっと着いた。
今でも人間の旅は続いている。
二百年前に旅をした人がアメリカを作った。
旅をしている人たちは毎年増えている。
移民が多く増える未来。
未来ではこうした人々がどうするかによって決まるかもしれない。
それは新しい民族になるのか?
それとも、国を持たない人々になるのか?
未来はこうした人々がどうするかによって決まる。
アウトサイドに生きている人は、アイデンティティーは作り物だと知っている。
社会のアウトサイドに生きている人に、そのようなアイデンティティーはいらない。

All Music and Lyrics have copyright.
They are registered internationally by JASRAC
Words, Music, Illustrations, Photos, Articles, Lyrics by Ayuo
© Ayuo All rights reserved

 

日本人の母とイラン系米国人の継父との家庭のもとにニューヨークで育ったAyuoは、日本で育った日本人は自分にとっては外国人であると言う。
身体は日本人であるけれど、ニューヨークの文化圏が自分のものだと感じる彼にとって、英語圏ではない日本で生活することは、常に異邦人であることを自覚させられ、違和感をひりひりと感じてきたであろう。しかし、それは同時に日本を社会のそとから客観的に見ることができるということなのだ。
私は日本で生まれ育ち、異なる民族や他の国家という環境になげだされた経験は旅行以外にはない。日本で生活する外国人や異なった文化圏で育った人たちはみな、日常が旅のようなものであろうか。この文によって、そういう人たちの視点に気づかされる。
「日本人の誇り」、「日本人として」といったことばを聞くとき、他民族からの優越性をほのめかす裏に、民族という属性に依存したもろさ、偏狭さを感じる。それは確立した「個」がない、自信のなさが根底にあるからではないかと思っている。
人間が人間であること、ラディカルに人間の精神をみすえるとき、性別や年齢、国籍や容姿、学歴、履歴などもろもろの属性は関係ないだろう。民族という属性も。
もちろん固有の民族文化や伝統を大切にしたり、愛でることとはまったく別のことである。

私にとって、自分の生まれた国の文化と、それ以外の国の文化はすべて等価で存在している。それぞれに好きなものや深いところで何かを感じさせるものと、そうでないものがある。その文化がどこのものであろうと関係ない。日本のものだから好きとか、日本人だから他の国よりすぐれているとも思わない。(もちろん、自分の国のものだから好きという価値観を否定するものではない。)
自国の文化だから理解できるということはあるだろう。しかし、文化の基底に流れる奥深い何かは、たぶん民族や国境を超えるのではないかと思っている。
ユングのいう元型(アーキタイプ)といったものかもしれない。
未来は国境なんかなくなって人種もすべて混じりあえばいいと私は思っている。

(「国を持たない人々」の掲載についてはご本人の承諾を得ています。
Ayuoさんの文章、詩、ライヴ映像は下記のブログで見ることができます。
ぜひ、皆さんにふれてほしいと思います。)
https://ayuoworldmusic.wordpress.com/

郡上踊りとローカル線と   伊藤千惠

ことしの盆休みの最後、どうしても岐阜県郡上八幡の郡上踊りに行きたくなって青春18切符で在来線を乗り継ぎ、片道400キロ、約9時間半かけて行ってきた。

日本三大盆踊りのひとつに数えられる郡上踊りは、江戸時代より400年、城下町郡上八幡で歌い踊り継がれてきた。
盆踊りは、中世におこった鎌倉仏教系の踊り念仏が起源と言われている。宮廷ではなく民草のあいだで流行ったのがかっこいい。
藝能のはじまりである「祭り」は、外からまれびと(客人)がやってきて、訪問された家の人がまれびとを歓待するために踊りや歌を供したことからくるのではないか、と民俗学者、折口信夫はいう。思うに、まれびとは神や霊や森羅万象の具現化したものなんだろう。
むろん生きた人間、村人が神や霊に扮して村の家を訪れるのであるが、歌や踊りを供してまれびとの魂を鎮めることに意味がある。
盆踊りもこの時期、この世に戻ってくる死者の魂を鎮めて、ちゃんとあの世に帰ってねという意味あいでなされる。
一遍上人のような諸国を遍歴した遊行僧がはじめた念仏踊りが盆踊りや風流踊りに、そして宗教性が薄まり田楽や猿楽といった藝能へ発展していく。

ずっと気になっていることがある。
この全国を漂泊した僧たちや藝能者は後世、と賤民して差別されるのだ。
動物の解体や皮はぎ、死者の埋葬などを職業とした人たちはもとより、山の民、海の民、巫、巫覡、神人とよばれる神社に属する下級職も含まれる。
死者の埋葬や動物の解体に携わる人が死や血のけがれにさわるという理由で差別されたという解釈は理解できる。
では藝能者や遊行僧のような人たちは定住しないから差別されたのだろうか?
藝能、祭りの淵源は神事につながる。古代天皇は祭祀王であったのか?
聖と俗。ハレとケ。けがれときよめ。聖なるものが賤視される。
諸国遍歴した遊行僧は聖(ひじり)と呼ばれた。
すべての研究書を読むほどのことはできていないが、定説はない。
決して歴史の表舞台で多くの人が熱狂する人物が登場することもないフィールドではあるけれど、私たちのこころのあり方や考え方を意識下で形成してきたものがそこにあるのではないか、と私は思っている。これからもずっと考え続けていくだろう。

それはさておき、私の踊りたい歌いたいという欲求が、「自分の内部に良き魂を招じ入れることが鎮魂ということ」という折口説に自然にフィットしてしまったので、誰が参加しても良いという郡上の盆踊りに行くしかないではないか。

期間は、なんと7月中旬から9月上旬にかけて33夜も行われ、8月の盂蘭盆会には徹夜踊りが4日間行われる。その徹夜おどり最後の16日、浴衣と下駄持参で行ってきた。
会場は毎日かわるが基本、ストリート。お囃子の山車を中心に細長く輪になって踊る。
踊り手が多いので2重3重の輪になって踊る。10種類の曲があり、緩急それぞれ組み合わせた配列で演奏されるので、飽きずにとても踊りやすい。
よく見る盆踊りの所作とはかなり違う。こぶしをあげたり、下駄で地面を蹴る所作が多い。
これは、歌舞伎や能、日本舞踊にみる足で地を踏む所作反閇(へんばい)からきていると言われているのと同じだろう。反閇は、陰陽道の足の運び方で邪気を鎮める呪法である。相撲のしこを踏むことも、歌舞伎で六法を踏むのもそこから来ている。
まさに「郡上甚句」という相撲甚句からきた曲もあり、ナンバ(右手と右足、左手と左足が同時に出る動き)でこぶしをあげる所作が相撲取りのようでおもしろいものであった。

特筆すべきは、踊る人の年齢層も男女比も極端な偏りがないこと。高齢の方も小中学生も男女同じくらいの数が楽しそうに踊っていた。中心になるのは30代のようだったが、それも珍しいのではないだろうか。端正な浴衣の着方をしている人が多く、郡上踊りにかける意気込みを感じた。
街並みの古さと水路がはりめぐされた水の町といった風情が、ちょっとした時空を超えた旅の趣きがあったことを申し添えておこう。

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蛇足ながら旅のルートとその感想
《往き》―下図の青いルート
JR東海道本線 東京⇒岐阜、
JR高山本線 岐阜⇒美濃太田
長良川鉄道 美濃太田⇒郡上八幡(すべて各駅停車)
《帰り》―下図の赤いルート
長良川鉄道 郡上八幡⇒美濃太田
JR太多線 美濃太田⇒多治見
JR中央西線 多治見⇒塩尻
JR中央本線 塩尻⇒東京

往きの東海道側は、人口密集地らしく在来線の本数、車両の数も多く、乗り継ぎ時間があきすぎることもなかった。が、乗り換えでホームに降りるも、殺人的な日差しにめまいが。
長良川鉄道は1車両だけのワンマン運転で本数も少ない。始発の美濃太田は人口密集地だが、美濃市をすぎたあたりから長良川に沿って自然がひろがる。終点まで乗ってみたい。
帰りの中央西線は山の中を4両編成でゆく。統計GISを見ていただく通り、駅前にも人家はまばらである。車窓から見える木曽川が上流であるからだろうか、水深が浅く岩が突出していることに驚く。木曽の山の中とて製材する前の木材が線路脇に積まれている。
過疎を思わずにはいられない。

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(出典:株式会社東京教育公論HPより)

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(出典:総務省統計局 地図で見る統計(統計GIS)

・郡上踊り公式HP(郡上八幡観光協会)
http://www.gujohachiman.com/kanko/odori.html

参考文献
「日本藝能史六講」:折口信夫
「折口信夫全集 第二巻」:中央公論社
「ケガレの民俗誌」:宮田登
「柳田国男を読む」:赤坂憲雄
「辺界の輝き」:五木寛之・沖浦和光
「日本の歴史を読みなおす(全)」:網野善彦
「東北学 vol.7」:東北芸術工科大学東北文化研究センター

双葉町盆踊り大会(@加須市)を見にいく   伊藤千惠

昨日8月14日は、福島県双葉町から埼玉県加須市へ避難した方たちの盆踊り大会へおじゃましました。今年で双葉町埼玉自治会主催として3回目の開催だそうです。

双葉町は、原発事故から6年目の現在、町の96%が立ち入り制限されている帰還困難区域です。人口約7000人のうち、約4100人が県内避難、約2900人が県外避難、そのうちの855人が埼玉県に避難しています。(双葉町公式ホームページより)

避難所のあった旧騎西高校からほど近い騎西総合体育館で行われた盆踊り大会は、町民だけでなく、加須市在住や八王子からも、支援を機にずっと交流を続けられている方々がお手伝いに来ていました。
最初は支援であっても、今は双葉町の方に逆に支えられているという女性のことばが印象的でした。
報道されることの少なくなった原発避難の状況ですが、忘れてはならないという埼玉、東京の人が少しでもいることに力強い思いを抱きました。

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左から自治会長さんの藤田さん、加須市在住の支援者Aさん。 ありがとうございました。

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「盆踊り」のルーツは念仏踊りと言われていますが、伝統芸能は地方によって起源も変化のしかたも違っており、諸説さまざまあります。
お盆がやってくると地獄の釜のふたが開き、死者の霊魂がこの世に戻ってきます。死者だけではなく、なかには無縁の精霊、悪霊もいるので、それらには帰ってもらう悪霊退散の踊りが念仏踊りであると言ったのは民俗学者の折口信夫。

その土地に関係なく有名な民謡をテープを流し、それに合わせて踊る現代的な盆踊りしかなじみのなかった私には、伝承系の双葉町盆踊りはとても興味深いものでした。
唄と大太鼓と少し小ぶりの小太鼓、笛の4人で繰り返し演奏される盆踊り唄。
伝統的な民俗音楽・民俗舞踊のほとんどは、この「繰り返しの魔術」によってトランスにひきこまれ、日常性を逸脱するのではないかと思っている私には、折口の説がはまるような気がします。

話がそれてしまいました。
太鼓、笛のお囃子方は、曲がとぎれることなく複数の人が交代で演奏していましたが、唄っている方は一人、すばらしい声でずっと唄いどおしでした。
その28歳の女性Mさんにお話を聞くと、小さいころから民謡教室に入れられて、中学生のときから櫓にあげられて盆唄を唄ってきたとのこと。
太鼓は昨今流行りで、かっこいいし若い人もやりたがるけど、民謡は人気がないから自分の跡は継ぐ人がいない、というさみしい話でした。
そういえば最初のお囃子方は、十代の娘さん、お母さん、お祖父さんと親子三代のトリオ。十代の娘さんも否応なく小さいころから練習させられたと。
伝統とはそういうふうに残していかなければ伝承していかないんだと改めて感じました。

すばらしいのどを披露してくれたMさんと親子三世代の囃子方。 お祖父さまがいなせでとにかくかっこいい

すばらしいのどを披露してくれたMさんと親子三世代の囃子方。
お祖父さまがいなせでとにかくかっこいい

それから来賓の方々のあいさつ、双葉音頭、騎西音頭、地元の人たちのよさこい演舞などがあり、また盆踊りを堪能。
旧騎西高校避難所が閉鎖したあと、何度かお会いした方たちと交流、話をうかがうことができて感謝でした。
福島県内外の土地に定住した方もいらっしゃいますが、いまだ仮設住宅住まいであったり、コミュニティがバラバラになり、行政からの通達は届いても横のつながりが薄い、という話も聞きました。
ひとつの町のコミュニティが全国に散らばってもなお、故郷の土地は原発すぐ近くに存在する理不尽さ。
福島県内の避難区域内外、そのあいだの段階的な地域、それぞれにさまざまな問題があり、ひとことでは表現できませんが、“自分の”、“東京の”問題の一つとしてなにかしら関わっていくことを改めて思った次第です。

このところの諸処雑感    伊藤千惠

いやはや3月から投稿していませんでした。
4月に熊本地震があり、ゴールデンウィークに被災地となった自分の故郷熊本へ帰ったり(その報告はヴェルトガイスト・フクシマ号6冊子に掲載。絶賛発売中、よろしくお願いします。)、派遣の仕事がなかなかに忙しかったり。

7月は参院選、都知事選とたてつづけに大きい選挙でした。ごぞんじのとおりなかなか野党は勝てず、自民党改憲草案への危機感が国民的に広がらないことへの焦りが募ります。
むろん改憲だけではなく、原発事故が起きて収束していないのに再稼働したり、秘密保護法や安保法制も充分な審議がなされないまま通ってしまったりして、なんだか世の中の動き、というよりも政治の側で急に動きすぎていてとても違和感をおぼえます。
政権与党は、もはや保守政権とは言わないのではないでしょうか?こんなに早い期間にあまり必要もなさそうなのに法体制を変えようとするのは革新としか言いようがないでしょう。

では選挙で変えなきゃ!と言われても、従来のテレビ・新聞などの大手メディアだけ見ている層に、ネットで詳しく掘り下げる人たちの情報はほとんど届いていないに等しい。
社会現象として取り上げざるを得なくなるほどの大人数デモで、やっとマスコミに取り上げられ、ちょっと知られるくらいのもんです。
ネット界で情報通が深く深く掘り下げるほど、そうでない人たちとの溝は深くなっていくという矛盾というかやるせなさ。
そして、間違ってる!おかしい!と声高に言えば言うほど、わかってもらいたいサイレントマジョリティに敬遠される。少し考えなければと思うようになりました。
ネット界でのやりとりは現実を映したものではないということ、よく理解しました。
とはいえ情報の即時性と、例えば識者本人からの意見が得られるなどという有益性もたくさんありますから、要は何を取捨選択するかということが肝要に思います。

さて、このところよく考えるのは、競争社会で成果をあげる者が正当な評価と報酬を受けることと、効率を上げられない者が落ちこぼれていくことは自然界の摂理で当然だとする考え方とが、同じ問題として捉えられているのではないか、ということです。
会社にいて仕事をしているとそれはよく見えてきます。
出来高制でない限り、自分より生産性を上げられない人と同じ給料?という不満は常につきまといます。しかし、それは雇う側のシステムの問題であり、生産性を上げられない者は脱落して当然という結論に帰着させてはいけないと思うのです。
人が人として生活できうる最低賃金があって、それより成果をあげられる者にはそこに評価と報酬をプラスすることが雇う側の責務であり、働く人のモチベーション向上にもつながると考えます。できない人をたたくのは会社側、資本家側、もっと言えば搾取する側に立った論理ではないでしょうか?
どうも、グローバル資本主義とか新自由主義とか呼ばれている経済の世界的な風潮が根底にあるように思います。
人間が有史以来、自分のあるいは自分の属するコミュニティの生存をかけた陣地の奪い合いを経て、たくさんの犠牲を払って到達した共生とか共存という考え方から逆戻りしている風潮ではないでしょうか?実際に血は流さないけれど経済戦争で殺し合いをしているように感じます。

株価は経済状態をあらわすひとつの指標ではありますが、それだけのことです。
株式上場している会社は株主に常に配当を出さなければならず、市場で株を売買することで利益を得る投資家がアベノミクスでどうしたこうしたと一喜一憂している姿は、実態経済と何も関係ないように見えてしかたありません。一部の投資家が儲けても、私たち庶民の生活に還元されることはないのです。国の経済政策はこういうことで景気回復をはかろうとしているようですが、私には実体のない金の流れに人々が浮かれているようにしか見えません。

もちろん、大企業が倒産するようなことがあれば、関連企業にも波及し、失業者が増えて社会に混乱をきたすことは必至なので、それは極力避けなければなりません。
そのために企業は内部留保がありますし、要は拡大しなければいいのです。
常に右肩あがり成長しなければならないという呪縛から逃れて、現状維持にシフトしていけばいいのではないかと素人は思います。
結果、投資家が損をしてもそれこそ自己責任、博打と同じなのですからあきらめてください。

人間のもっと欲しいという欲求はなかなか変えられないと思いますが、大事なものを失ってみて、金には替えられなかったと後悔しても遅いということをいろんな事実から学んでいくしかないのでしょう。

※ちなみに、日本企業が他国の企業に買収合併される話ばかり喧伝されますが、日本企業も他国の企業をたくさん買収しています。例えば英米の有名どころのウイスキーなど。どの国の企業も同じ。食い合いをしています。

※もうひとつちなみに、私は競争原理が社会全体を向上させるとはあまり思っていません。まあ、私にも競争意識はあって、自転車をこいでいて抜かされそうになると抜かされまいとがんばってしまい、それがある程度最速記録を伸ばすことにはなりましょう。
しかし、突出した人材とか天才、例えばノーベル賞をもらった研究者などの話を聞いていて思うのは、彼らの「好奇心」がその成果を産んでいるということ。競争で才能が開花されることも幾分あるかと思いますが、研究に向かわせる強烈な動機は「好奇心」です。めんどくさくて、金にならなくてもおもしろくて仕方ないのです。そういう人たちの発見が科学や社会の発展に寄与してきたのではないかと思います。
いまの教育や私たちの価値観に、「好奇心」を育てるという考え方が欠落しているのではないでしょうか?

映画「飯舘村 わたしの記録」上映&長谷川健一さんトークを聞く       伊藤千恵

2月28日、東京中野区にあるポレポレ坐でのイベント ~映画「飯舘村 わたしの記録」上映&長谷川健一さんトーク~  に行ってきました。

飯舘村は東京電力福島第一原子力発電所の事故のあと、全域が避難指示区域に指定されており、放射線量に応じて、帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域の3つに分かれています。

避難指示解除準備区域の前田行政区の区長であり酪農家の長谷川健一さんが2011年4月から8月までの4ヶ月間、ホー ムビデオに撮りためた映像が上映されました。

田んぼはすべて雑草畑となり、飼っていた牛もすべて手放し、4世代で暮らしていた家族はばらばらの生活。
なかなか搬送車に乗ろうとしない牛を避難させ、あるいは屠畜に送り出す牧場のスタッフたちをとりまく取材陣。
大家族で暮らしていた長谷川さんの大きな家と、仮設住宅とのあまりも大きな落差。
スクリーンに映し出されるこれらの映像に、あらためてがく然とさぜるを得ません。
原発事故ですべてが変わってしまった飯舘村の人たち、原発避難を強いられているすべての人たちのことを私たちはどれだけ想像しうるのか。

政府は、帰還困難区域を除いた避難指示解除準備、居住制限の両区域を2017年3月までに解除する方針を打ち出しましたが、飯舘村の除染は宅地は終わったものの農地はまだ進んでいません。環境省は生活圏外の森林は除染しない方針とのこと。
しかし、山すそにある宅地は放射線量が高いという長谷川さんのお話でした。
汚染土の入ったフレコンバッグを積み上げた光景は異様ではありますが、ひんぱんに目にするようになり、耐性ができつつあることに悲しさと憤りを感じます。

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ドローンで撮影された“仮仮置き場”

村の方針も国に準ずるとのことですが、除染の効果の上がらない地域があり、来年帰還しても子どもたちが本当に安全に暮らせるのか、長谷川さんは非常に危惧しています。
なにより、村の“までい”(手間ひまおしまない、ていねいなという意味の方言)な暮らしが、原発事故で根底から失われてしまったことに対して、国や東電が誠実な対応をしているようにはとても思えません。
原発事故で避難を余儀なくされたすべての人たち(自主避難者ふくめ)が思うところでしょう。

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モニタリングポストの周囲は入念に除染がしてあるとのこと

スクリーンには村長さんと長谷川さんが帰村について話し合う場面が流れましたが、平行線のままに終わりました。
避難解除されるということは賠償も打ち切られるということ。
長谷川さんはじめ飯舘村民の半数近くの人たちが国の機関、原子力損害賠償紛争解決センターに、裁判外紛争解決手続き〈ADR〉を申し立てしています。
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コミュティを失うということは、衣食住や人が生きるうえでの生活基盤だけのことだけではなく、代々培われてきたその土地らしさ、住む人のこころの拠りどころを失うということでもあります。
そのことの本当の価値は失ってみないとわからないのかもしれません。

今回の長谷川さんのお話や、今までに私が福島のすばらしい自然や友人たちに接して感じていること。
飯舘村はじめ原発避難自治体の多くは過疎の地域であり、日本の抱える地域の問題を如実にあらわしています。
一次産業、特に農業の担い手が減少し続ける地域と、大消費地である都市との格差。
農業が衰退しても人は食べないと生きられませんから、輸入に頼るか工業型農業で効率化をはかるか、大企業が関与しないと存続できないようになり、農業のグローバル化も懸念されます。地方の問題ではなく日本全体の問題でもあるわけです。
“までい”な生活とは対極にある未来のように思え、うすら寒い気持ちがしてなりません。地方をないがしろにしてきた結果が今であるように思えてなりません。
私たちがめざすものは何であるのか。
地方の充実なくしては日本の未来はあり得ないと心から思います。

※飯舘村のライター、酒井政秋さんの記事「心を失った除染」と「11月14日2837名ADR1次申立書提出を終えて」もどうぞあわせてお読みください。