津田枝里子

津田枝里子 について

1980.9.6福島県福島市出身/現在は夫の実家である二本松市在住。子供四人の母、又、福島市の産婦人科にて清掃のアルバイト。哲学、風水学等が特に好きで、それが高じ神社仏閣廻り、古事記の研究等に没頭。 3.11以後、福島に住む者としての使命感を勝手に抱き、手元にあった瓢箪型の木製飾りに油性マジックで「脱原発」と書き、ぶら下げて歩くことで自分の意志を表明するという試みを開始。県内外で脱原発の必要性をあくまで一般の主婦という立場で訴え続ける。好きな言葉は「金剛不壊」▼もと東北電力幹部鈴木清一らによる冊子「座・鬼生田 OH!NEWだ!」に吉田邦吉とともに寄稿。NPO法人原発事故災害者復興タウン鬼生田開発プロジェクト。

◇月いちリレーエッセイ◇ 泥にも一生 津田枝里子

 某時代物ドラマで、自分が「泥を被る」事で想い人を助け処刑されたある「漢」の話が最近話題になりました。
 あえて憎まれ役を買って出るという史実には無い解釈で、こういう事があったかもしれないという観点を描いたらしいのですがそれはさておき、この「泥を被る」という行為をした人物の魂に私は「大きな器」を感じました。

 あなたは愛する人の為に悪になれますか?

 誰もが自分の価値観で善悪を判断しがちな昨今、悪となされた中にある真実に注目したくなりました。この世は知られざる「泥被り」が歴史を造り支えたのではないでしょうか。
 日本神話の中にもあります。スサノオノミコトが高天原にて粗暴な振る舞いをし、その事でアマテラスが岩戸にお隠れになるという話は有名ですね。

 「田の畦を踏み潰し埋め、神殿にう○こを撒き散らし……。アマテラスは弟のしたことを庇っていましたが、ある時スサノオが機織り場に斑模様の馬の皮を剥いで投げ入れ、それに驚いた機織り娘が横糸を通すための道具板で女陰をついて死んでしまいました。これにはついにアマテラスも恐ろしくなり、天の岩戸屋に隠れてしまわれました。」
 
 神様なのに何故このような残酷な事をと思っていました。そんな時ある神職の方が、『「神でさえこのような悪事を致す。人間が同じような罪を侵しても仕方ない事だ。だからどうか人類の罪、不徳を許したまえ」とスサノオノミコトは自らがありとあらゆる粗暴をする事で親神様に願い出て下さっているのですよ。』

 と、とても深いい話を教えて下さいました。実際にその神話を引用した祝詞があるそうです。

 我々は表面に見える悪を叩きはするけどその中にあるものを見ようとはしません。先ほどのドラマの話を聞いた時、斯くありたいものだと思いましたが、自分は泥を被る事などとてもできません。だからこそ泥を被ってくれた人がいるならそれに報いたい。泥から蓮の華が咲くように、泥から学び、感謝できる自分でありたいと願う今年の9月でした。

ほんとうの空atひょうたんから見える景色 津田枝里子

私の住む二本松の代表的な人物といえば詩人高村光太郎の妻智恵子。

智恵子は病床から遠い古里を思い「ほんとうの空が見たい」
と呟いたという。

ではほんとうの空とは?今の二本松の空は?

真実が見えない…

曇らせてしまったのは自分なのだろうか。

安達太良山。標高約1700mのこの活火山には様々な伝承がある。

宇宙の中心である初めの神、天之御中主大神(アメノミナカヌシ。日本神話古事記より)

「その大神様の神籬(ひもろぎ)の山なんだってない(訛)。」

え、なんか凄い。
降臨なされるということですか??
確かに本宮の安達太良神社は、この神様をお迎えするための高皇産霊神、神皇産霊神が御祭神だ。因みに二本松の「二本」とは、この二柱の神様の事だと聞いた事もある。そして安達太良神社ホームページにちゃんと安達太良山=御神体山と書いてある!
なかなか根拠はありそう。

高村光太郎氏の著者「智恵子抄」によると、

東京には空が無い。古里安達太良にはにはほんとうの空がある。

驚いた光太郎が窓を開け空を見ると、そこには綺麗ないつもの青い空がある。なぜ智恵子はそのような事をいうのか。

と記されている。当時は今みたいに排気ガスで空が汚いとか無かった時代。東京も同じように綺麗な空なのに何故…
智恵子のいう「ほんとうの」の意味を考えてみる。

本当→真実→真理
宇宙は絶対的真理からなる所。宇宙の中心=天之御中主大神
そう結びつければ「ほんとうの」の正体はアメノミナカヌシ。
智恵子は二本松の空に宇宙の絶対者の存在を見ていたんだとしたら。

今私は原発問題をはじめ、憲法改正問題など危機感を募らせている。

今日も脱原発ひょうたんをさげ近所のスーパーを歩く。
二本松ではこのひょうたんに感想を抱かれる事は殆ど無い。
当初は視線も感じたし笑われもした。「通りすがりのカップル、何故指さして笑う!」

勿論たまには共感も頂いた。

しかし最近では無関心の視線を感じる。

無関心が悲劇を起こそうとしている。

しかし真理は目の前に、小さな私達を見守って下さっている。

昔のおばあちゃんはよく言ってくれた。

「誰も見てねってワリ事すっと、神様は見てんだかんない!(訛)」

おばあちゃんの話にも耳を傾けない昨今。思うにもっとこの古事記とか民間伝承とか学校教育に取り入れてみたらどうか。日本の文化の土台なのだから。
二本松の中学校では、提灯祭り等の文化を学ぶ授業が年1、2度程講師をお呼びして行われている。講師というのは地元のおじさん、おばさんのこと。
もっとこういう機会を増やしてもいいと思う。

日本人の起源や誇りの部分を学ぶことで、これからの日本を支える精神になればと願いを込めて。

ほんとうの「日本を待つ」、二本松より

ごあいさつ 津田枝里子

この度有り難い御縁とお声掛けを頂き、ライターとして参加させて頂くこととなりました津田枝里子です。

吉田編集長の意向も頂きましたので先ず大切な事を1つ。
「つだえりこ」ではありません。
「つたえりこ」と申します。
そう、濁点がありません。濁りが無い。ここ重要。
さらに漢字変換してみて下さい。「伝えり(る)子」です。
特別意味を持たない名前でしたが、福島第一原発事故以降意味を持ってしまう事に。
福島の人々の現状を伝えたい。そして自分自身の意思を伝えたい。
そんな気持ちから私の行動は始まったのです。

「脱原発と書いた瓢箪を提げ歩く」

当時の福島でも脱原発の意志を持つ人、持たぬ人様々でした。なので自分はこうである、ということを示したかった。

そんな伝える活動はいつしか県民の意思を知る活動ともなります。

原発は健康被害は勿論、町も、人も 、心もバラバラにします。まるで核分裂エネルギーが私たちをも分裂させているかのように。

必ずしも皆が脱原発と思っていない、むしろ関心すらない。福島県民が眠っている。そんな現実が突き刺さってきたのです。プラカード持ってメガホン、なんかも考えましたが、私一人がそれで変える力はない。福島の目覚めはいつなんだろう?

この5年間の前半はそのようにあがき、後半は、私にそもそもそんな声を上げる資格があるのだろうかと悩みました。

そして遂に瓢箪の看板を下ろそうと決意したその時、吉田さんに出会ったのです。

○○さんが「いいね!」しました。

FBフレンドを通して、吉田さんの投稿を何度か、いえ、何度も拝見しました。当時私は集団的自衛権、憲法改正(悪)、米軍基地、TPP、マイナンバーetc.etc…と原発政策以外にも反対を訴えていました。(反対の宝庫、レジスタンス部隊、エロテロリスト等と呼ばれたり呼ばれなかったり…)

相変わらず危機感が薄い世の中にもかかわらず、そこには私が求めていた答え、見識があったのです。この時の衝撃はまさに筆舌に尽くし難し。

気がついた時には友達リクエストさせて頂いてました。

その繋がりから、米田さん、酒井さんの投稿も拝見し、このWeltgeist Fukushimaの存在を知りました。

出会いを与えて下さった神様に心から感謝致します。

分裂を融合に変えるため、伝え続けたい。無為自然の意思を伝えたい。諦めかけたあの時、希望を甦えらせて下さった皆さん、本当に有難うございます。そしてこれから宜しくお願い致します。