天井優志

天井優志 について

Amai Yushi / あまいゆうし、1984年8月生。幼少期を南相馬市で過ごした後、岩手県,宮城県などを経て茨城県水戸市で育つ。立正大学文学部社会学科卒▼震災・原発事故後は茨城NPOセンター・コモンズ/ふうあいねっと事務局職員として福島県内や茨城で暮らす岩手・宮城・福島の方と関わる。2014年3月に退職後は自分の心や体や暮らしを見つめ直しながら、これからのことを模索中▼趣味は絵や音の表現を感じること。輪郭の中でモヤモヤしているものの表現。気まぐれ散歩。 I was born in August in 1984. After I had been in South Somashi in Fukushima since I was a young child and moved to Iwate and Miyagi prefecture, I was raised in Mitoshi in Ibaraki prefecture. I graduated from Rissho university and majored in Sociology in Faculty of Letters. I had been related to people in Miyagi, Iwate, and Fukushima as an office worker in an NPO corporation, which is called, "Commons" after that big disaster on the 11th of March, 2011. I'm guessing my possibility in life after I quit the job, reconsidering my life, mind, and body. My hobby is music, drawing, and to feel expressions of music or drawing, and browsing around here.

ひかりについて    天井優志

画像

 

灯りを絶やすな
灯りには燃やし続ける多くの人がある

さきの灯りにしばられすぎるな
灯りはその足元にもある

灯りを祭り上げるな
それさえただの存在だ

人の顔を忘れた大きな絵を描くな
時として重さと抽象度で人をぼかしていく

目の前のラフデッサンを
暮らしは熱狂の中にはない

ひと肌と温を忘れるな
確かなものはそれだけだから

暮らしは静かなほとりにある
水辺のあなた(みずべ)
風辺のあなた(かざべ)
陽の辺のあなた(ひのべ)
波音のあなた(なみね)
風音のあなた(かぜね)
人音のあなた(ひとね)
昼寝のあなた(ひるね)

あのねのあなた

(2013年8月13日メモより書き起こし)

ボクの簡単さ  天井優志

さわぎたつもの(天井優志)

さわぎたつもの(天井優志)

ボクはあまりに簡単だ

事を荒立てることを良く思わないかもしれない
穏便に済むようにしてしまうかもしれない
統率を優先してしまうかもしれない
”身勝手だ”と受け入れられないかもしれない
”良い人だから”と悪く言うのを遠慮するかもしれない
待遇の違いを面白く思わないかもしれない
時間や労力を使って進めたことを修正できないかもしれない
折衷案で満足してしまうかもしれない
”決まったことだから”と従うかもしれない
個人の事情は反映させられないかもしれない
相手の不完全さを責めてしまうかもしれない
支配的な性格が顔を出すかもしれない
立場や役割におさまっていくかもしれない
負担の皺寄せをつくるかもしれない
大切な人の痛みに相手を恨むかもしれない
けなしたり仕返しをするかもしれない
国際試合のように熱狂してしまうかもしれない
勝利者の方程式を賛美してしまうかもしれない
高揚感に身を任せてしまうかもしれない
流行みたいに乗ってしまうかもしれない
楽しいつながり方をしてしまうかもしれない
保守的なつながり方をしてしまうかもしれない
攻撃的なつながり方をしてしまうかもしれない
集団としての言葉を使ってしまうかもしれない
考えに同調を求めるかもしれない
都合の良い方へ解釈するかもしれない
つながりの理由を鋭利化させるかもしれない
カッとなって手や口を荒げるかもしれない
正義や真剣さや倫理観を踏み絵に使うかもしれない
”ごちゃごちゃ言ってないでやれ”と言うかもしれない
”大事な時期だから”と勢いや連帯感を大事にするかもしれない
未来や過去を見て現在を見られないかもしれない
現在ばかりを見て行く先を見失うかもしれない
上ばかり見て身の回りのことをないがしろにするかもしれない
自分の弱みや痛みを口に出せなくなるかもしれない
周りの人と話しずらくなってしまうかもしれない
特技がなくても役立てるならと参加するかもしれない
”自分が決めたことだから”と続けるかもしれない
”周りが頑張ってるから”と続けるかもしれない
ことの難解さに分かりやすいものに身を寄せるかもしれない
情報や感情から身を遠ざけるかもしれない
人とのつながりや共感さえ消費し消耗するかもしれない

様々な感情を沸き起こす大きな力に正常でいる自信がない
それはもう尊さを引き合いに出さなくても充分に
少なくともボクはあまりに簡単だ

でも  きっと  そう 僕は

冊子をきっかけに考えたかったこと 天井優志

『WELTGEIST FUKUSHIMA』冊子版の僕の手売りした中の10冊分の売上の一部から茨城県への避難者・支援者ネットワーク「ふうあいねっと」に寄付しました。

ふうあいねっと事務局に寄贈

ふうあいねっと事務局に寄贈 (天井撮影)

■なぜ寄付にいたったか

今回、冊子を僕からご購入いただいたのは売上げの一部を寄付することに賛同いただいた方々です。311以降に「福島から他県に移り住まれた方」「親族が他県に移り住まわれた方」「宮城、福島での活動に関わっていた方」。震災や原発事故をきっかけに知り合えた方々です。改めてご縁に感謝をいたします。

福島のことが書かれたこの冊子を通して「身近な福島のこと」で深まったり、広がったり、面白いことができないかと考えました。

■全国にいる支援団体の存在

いくつかの候補の中から寄付先に選んだ「ふうあいねっと」は震災や原発事故を機に他県から茨城県に移り住まわれた約3500人の方々につながりや相談の場作り、情報誌「ふうあいおたより」等を利用して情報発信などをしてきた複数団体によるチームです。

ふうあいおたより

ふうあいおたより (天井撮影)

2015年6月現在、福島県から他県への避難者数は45,745人(福島県HPより)そして、東北・関東からも全国の様々な地域に移り住まわれた方々もいるため、こうした活動団体やつながりは北海道から沖縄県まであります。それぞれに移住・避難された方々と知り合い、関わり合いながら

交流会/移住・定住支援/仕事づくり/居場所づくり/生活支援/情報発信/
訪問/保養/ネットワーク作り/政府への提言・請願/丁寧な暮らし作り

のようなことを続けてこられました。

原発事故という初めての体験の中で、支援活動自体が初めての方もいれば、専門機関や行政の方々の様々な個性や持ち味を活かしながら活動してきたのではないかと思います。もちろん、こうした関わりとは別なかたちで生活の見直しをしている方も多くいます。

それらの活動も様々な人がいる中、限られた「人・物・時・場・金」の中で進めていくうえでの協議、調整、合意形成、決定、実行、マネジメント、企画や書類作成を続けることは大変な場面もあったのではないでしょうか。

世の中にある物事もこうした労力をかけながら創られ、今もまだ変化や完成の途上にさえあると感じます。

■続けていくこと・変化させていくこと

それら活動も含めた最近の変化として

「活動を支えてきた助成金や事業の枠組みの変化」
「住宅支援の打切りや避難区域の解除へ向けての変化」
「被災・避難された方の負担免除や軽減の終了」

など、まだ終了の決定がされてないものもありますが、変化させていく兆候は見られるようです。そうした状況の変化の中で「続けるべきもの」「発展させるもの」「徐々に変化させた方が良いもの」があると思います。

まだ数年はこうした変化の場面場面で活動を続けていくうえで、全国の個人・団体のつながりが情報拡散や集約の軸になるのではないかと感じています。そうした団体の歩みが少しでも楽になればと、今回は「寄付」という選択をしました。

■ゆるい提案

先ほど書いたように全国に移住・避難している現状がありますので、お住まいの近くにそうした団体がいるか調べてみてはいかがでしょうか。もし、可能であれば活動上どういうことが悩ましいかやどんなことができるかを聞いてみてはいかがでしょうか。必ずしもいつも明確な関わり方や協力できることがあるかは分かりませんが、何かしらあるはずです。

僕は震災後の生活で”身近なもの”の中に「ふうあいねっと」との関わりがありました。幸い、時々情報誌「ふうあいおたより」の作成や発送のお手伝いも続けることができています。

ふうあいおたより発送風景

ふうあいおたより発送風景 (天井撮影)

そうした活動によって出会った方や視点の中で、他にも「社会問題」「人権問題」「マイノリティ」と”呼ばれる”テーマで活動している団体も数多くあることを知りました。それぞれに独特の深い視点や表現を持っていました。ただ、この文章は「ふうあいねっと」や「活動団体」を応援してくださいとかそういう趣旨のものではありません。

”誰か”の暮らしを良くしたり、面白くしたり、大切にするために”やりとり”を楽しみながらできるもの、共感してできるものならば、その関わりはある意味なんでも良いと思っています。そうした”やりとり”をする表現方法は様々ですし、その方法を見つけたり、視点・表現の深みを感じられることも面白みだと思います。

いろんな関わりの中で

いろんな関わりの中の私 (天井撮影)

正直、僕は経験や知識や行動力あるわけでもないし、どんくさくて口下手なので日頃なにかやりとりできていることはほんの少しです。そんなこともあり、偉そうに寄付や提案のことを書くことに多少ビビってもいますが、この一文が壁を超えてゆける工夫とかやりとりできるものを一緒に見つけたり、考えるきっかけになれば良いなと思っています。

『双葉町モノクロ写真展「HOME TOWN」』を見て 天井優志

写真展チラシ

写真展チラシ

「双葉町の現状を知ってほしい」と企画された写真展を見に茨城大学へ行ってきた。そこには震災前後から現在までの双葉町を写し出した55点の写真が並んでいた。

写真展の会場内

写真展の会場内(5月16日撮影)

これらの写真を撮影したのはイギリス出身のアントニーさんとフィリップさん。
アントニーさんは2008年から。フィリップさんは2009年から双葉町の小中学校で英語を教え始め、現在でも埼玉県やいわき市にいる双葉町の子どもたちに英語を教えている。

モノクロでの展示は「より集中して見て感じてほしい」という想いもあるという。

「ピアニスト」から並ぶ壁際の写真

「ピアニスト」から並ぶ壁際の写真(5月16日撮影)

2011年3月4日の授業の様子―。
3月11日に校庭に避難している生徒の姿―。
教え子が防護服姿で自宅のピアノを弾く様子―。
バーベキューをしていた海岸―。
お世話になった農家―。
旧騎西高校での餅つき―。
並んでいるフレコンバッグ―。
子どもたちが遊んでいた公園―。

それぞれ慣れ親しんだ場所の”現在”が映し出されていた。
また、ひとつひとつの写真には説明やメッセージが書かれていた。

衝立に並ぶ写真(5月16日撮影)

衝立に並ぶ写真(5月16日撮影)

今回は話を聴きながら見ることもできた―。

「このキッチン高崎の定食が美味しいから何度も行ったね。
だから体が大きくなってしまったね(笑)友達が来た時もここにまず連れてきたね。」

「山も海もよく散歩したり遊んだりした。大好きな場所だった。」

「ここも大切な場所。この農家さんのうちでバーベキューやったね。」

話の中から双葉町の人や山や海に対する優しさや愛情を感じた。イギリスから日本に来て、生活をしていた双葉町に対する思いは特別なものだろうと思った。

見ていると

「これは親せきだ。俺は茨城が長いけれど、双葉生まれで大熊や浪江にも親族がいるんだ。」

と隣から年配の男性から声をかけられた。茨城大学で行われている放送大学を受けに来て偶然この写真展に入ったらしい。その男性も震災後に双葉郡内で色々と手伝いなどをしたという話だった。

また、会場内の一角に置かれたテレビではアントニーさんとフィリップさんの撮影姿を映し出している映像もあった。これは今回企画をした茨城大学院生の小野田さんの作品だ。双葉町に生まれ育った彼もまた、つながりのある人や町並みを記録し続けている。
震災前は顔見知りくらいの関係だった彼らは震災後、一緒に撮影をする仲間になった。

彼らのサインの入ったチラシ

彼らのサインの入ったチラシ

彼らのHOME TOWNである双葉町の
歩み交わりのあった”人”や”場所”の”それまで”や”現在”を
写真を通して歩ませてくれる想いのつまった展示だった。

心よりありがとう。

写真展の開催は27日まで。

————————————————————————                                                   『双葉町モノクロ写真展 HOME TOWN』

開催期間:2015年5月16日(土)~5月27日(水)
開館時間:平日9:00~17:00 土日:11:00~17:00
会場:茨城大学図書館展示室

〒310-0512 茨城大学水戸市文京2-1-1

http://www.icas.ibaraki.ac.jp/2015/05/futaba-hometown/

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5回目の3.11によせて 想ってたこと

日々の奮闘や悩みやおふざけの断面も伝わってくるから

その日だけが特別じゃないのになぁと思ってもいて

特有の光や影の熱量みたいなものがなだれ込んで

自分たちのことなのに別の場所で盛り上がっているような

サビだけ良いように切り取られたヒットチャートのような

それに毛羽立っている自分が情けなくも思った

それぞれの想いがあって良いって自分が言ってたのにね

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僕は国際試合を観て「日本の誇り」と胸に手を当てるタイプではないし

ライブ会場で一律の身振り手振りに身を任せる方ではないし

1人でぶらぶらと出掛けては周囲の空気感や関係性の

うねりやゆらぎを感じて物思いにふけっているような人間だ

そこに溶け込んでいるような、溶け込まないような、溶け込めないような

自分の器の中で悲しめる分だけしか悲しめないし、喜べる分だけしか喜べないし

会話の中にある“つまらないもの”“くだらないもの”の寛容性にも支えられていた

 

そういえば昨年の今頃は

追い風も向かい風も一度置かせてもらおうと思っていた

どれも大切で重みのあるものだから

簡単に捉えたり表現するものでもないと思っていた

だからせめて寝ても覚めても状況を知ろうと躍起になっていた

 

数が集まることで発生していたそれらの風や

それぞれの中にさえ生まれてしまった光と影

広まり

それまで大して語れるものなどなかったのに

体の中に行き渡らせすぎてしまったその体験を

その主語や定型文で語りすぎている罪悪感や違和感

重く語りすぎのような 軽く語りすぎのような

どちらでもない薄っぺらい感じのような

なんらかのかたちで加担もしていた

 

“どのあたりの感覚”でとらえて言えば良いのか

体は在るけれど言葉にするだけの元気がないような

言葉は在るけれど口にするだけの体がないような

頭と心と体が別の次元にいるような変な感じがしていた

 

風が渦巻く合間に置き去りにしていた等身大の“もやもや”や

様々な出来事の“喪失後”を生きる人はどんなことを想っているのか

そこではどんなかたちで表現がされているものなのか

それが辿り着いた先はなんなのか

そのままを“なんらかのかたち”で表現するには

それらの立ち位置に触れることが必要に思えた

そしていくつかの場に出向き、考え、

小さな対話の場を設けたりした1年となった

対話の場

対話の場

そう過ごす中で

“好い加減”と“いいかげん”をなくしたんだなと思った

それは地域や人間関係や自分の中にもあるものだったし

それらに守られてもいたんだなと

でもそれが許せないものにもなったから

それらを打ち消すように過ごして苦しかったんだなと

ここへきて少しだけ落ち着いて見ることができたのかな

日々の安心

向き合わなくてはいけない部分が露出したことは変わりないけれど

それらを結び付けてる“ゆるし”や“あそび”を含んだ

これからの”イイカゲン”をつくるために過ごしてもいいと思った

あとは元気ならばいい

今はそんな気持ちでいる

日々のこと