吉田葉月 について

Yoshida Hazuki / 1983年福島県双葉郡に生まれる。お絵かきが好きな子供だった。生まれてから18年双葉郡で過ごす。山梨・東京で暮らした後、再び生まれ育った地で暮らす。311の後、各地を転々とし現在栃木県で暮らす。自分の手を使い、何かに携わりたいと思うようになる。趣味は図画工作や美しい海に潜ること。 I was born at Futaba gun in Fukushima ken in 1983. When I was a child, I liked drawing. I had been at Futaba gun until 18 years. I lived in Yamanashi and Tokyo and then, hometown. After the 11th of March in 2011, I moved around and now I live in Tochigi. I hope to make any handmade one. I like swimming, snorkeling, and drawing and manual arts.

農業書センターに行く

先月、農山漁村文化協会(農文協)の直営店である、農業書センターを訪ねました。
場所は東京都の神保町駅出てすぐのところにあります。
私がこの書店を知るきっかけとなったのが、猪瀬浩平著『むらと原発 窪川原発計画をもみ消した四万十の人びと』に纏わる告知をSNSで知ったことのあたりにあります。

農業書センターは、農業の専門書が豊富です。『現代農業』『季刊地域』『うかたま』は、私が暮らしている北関東の大きい書店でも小さい書店でもよく見かけます。これら雑誌の面白く、魅力的なところは、農山村・漁村の暮らしている人々の、農山村・漁村ならではの課題とその解決の仕方や、郷土食などを、時に溌剌と、時に魅力的に扱っているところです。これらの雑誌の文体や紙面の主だったところから感じられたのは、土や水から離れた言葉で語り、そんなところから見ようとした農山村・漁村の課題ではありませんでした。そこがとても大事だと思っています。なぜならば、私自身が、田舎に暮らしながらも、都市生活の頭で編まれた文言に身を委ねてしまうことが出来てしまうからです。

まず、階段を上がると、内山節氏や宮本常一といった本が多数並ぶコーナーが現れます。ここのコーナーに、農山漁村文化協会の骨となるものがあるように思います。奥へ行くと、農山村・漁村の人々発の、暮らしに纏わる本が、農文協の出版物以外にも多数そろっています。

宮本常一のコーナー

宮本常一のコーナー

都市生活ではさほど起こりえない課題、例えば、獣害と呼ばれるような、猪や小型げっ歯類などによる農作物被害の対策に纏わるDVD付きの実践書が紹介されていました。

『これなら獲れる!ワナのしくみと仕掛け方』

『これなら獲れる!ワナのしくみと仕掛け方』

『これなら獲れる!ワナのしくみと仕掛け方』という本に付いたDVDの中では、ある農家の男性が、モグラを捕獲する罠にまつわる日記を日々つけていることが紹介されました。この画像を写真に収めて掲載したのは、都市の営みの中ではそうそう生まれ得なそうな体験について感じたからでした。

共同組合コーナー(以下、本の写真はクリックすると大きく見ることができます)

協同組合コーナー(以下、本の写真はクリックすると大きく見ることができます)

協同組合のコーナー。自然エネルギー発電の割合が高い家庭用電力事業に取り組んでいる協同組合があることを知ったので、最近協同組合に関心があります。実はこれを書いているときも、コープの人が営業訪問にやってきました。一人暮らしや年配の方にとっては、セーフティネットになり得るかもしれませんね。私も歳をとったら協同組合の人に肉や卵を配達してもらうかもしれないなあ、なんて思う事があります。

女性起業コーナー

女性起業コーナー

女性起業のコーナー。農山村・漁村は女性が居なければ決して発展しないでしょう。個人的には、「お嫁さん」という肩書で、女性が農山村・漁村を生きる時代は、だんだん古くなって、女性にも技と決定権と責任に纏わる部分が譲られて行って、必ずしも家庭や家内に拘らない農山村・漁村の発展が叶ってほしいと思っています。

アジアコーナー

アジアコーナー

アジアのコーナーです。最近は、農業の実習生として日本にやってくるアジアの国々の人たちが増えてきたように感じます。私も、中国の実習生の女性たちと農業をしたことがあります。彼女たちは仕事が早くて農業が上手でした。彼女らの地域の農業と日本の農業では、何か違う部分があるのか気になります。

民俗誌など

民俗誌など

民俗誌をはじめ、農山村全般に纏わるコーナーです。先日、北関東のある山村の農民たちが大勢殺されたと言われている、かつての事件に関わる地を訪ねました。実際に土地に足を運び、さらに補足的に書物に書かれたことを参考にしながら、かつてのむらの様相を想像するのは刺激的です。

狩猟の特集コーナー

狩猟の特集コーナー

こんなにたくさんの狩猟の本が並べられています。

海のコーナー

海のコーナー

海や漁のコーナー。実は、私は海の暮らしや海洋に纏わることが好きなので海のコーナーがあるのは嬉しいです!

『WELTGEIST FUKUSHIMA』と、福島や原発、地方自治などの集まるコーナー。

『WELTGEIST FUKUSHIMA』と、福島や原発、地方自治などの集まるコーナー。

レジの前に陳列されているのが『WELTGEIST FUKUSHIMA』です。この冊子は、福島や原発、放射能汚染、地方自治やむらのあり方に纏わる本が集まったところにあります。原発の建設や事故の被害は、農山村・漁村の人々を巻き込む形で起こってきました。雇用を生む、経済が潤う、というような、「背に腹は代えられぬ」なか、農山村・漁村の課題の解決が願われる体(てい)で原子力発電所は建てられて来たと私は考えます。かつての暮らしが、大きく様変わりするような取り引きのたびに、むら・親族・人は揉め、心模様は複雑になり、分断も起こりがちなことが世に知られて欲しいです。私の祖父は福島第一原発の足場を作った人夫だったと母に聞きました。親戚や知人にも原発関連の仕事をしていた人がいます。2000年代の相双地区のハローワークの「原発関連求人」のファイルに綴られている仕事の賃金は、その他の仕事のファイルより高かったことは、今思うと私たちが取引のコマであるかのような、露骨さをあらわしていたとも思えてきます。もはや私は土地の話し方も分からなくなるでしょうし、語らなくなる、というより、語り方が分からなくなることが、この先も増えていくでしょう。この本屋さんには、そんな、語る場がなかったことを語ろうとするような声が沢山あるような気がします。

農業書センターは、都市にいながらにして、農山村・漁村、そしてかつての人間の暮らしと通ずることが出来るような場所です。こんなお店が、地方都市や農山村・漁村にもあったら、面白そうだなあと思います。農業書は言葉に纏められたことではありますが、それを手に取る土地の人たちと、その地に新しく入ってきた人が、必ずしも言葉だけに依らないような実践も通じて出遭うきっかけとしての、本の場が各地に興ったら面白いんじゃないかなあと妄想しました。

最後に、『ドブロクをつくろう』。撮影は吉田葉月でした。

最後に、『ドブロクをつくろう』。撮影は吉田葉月でした。

SNSで新着情報が分かります。

田舎の本屋さん ツイッター

農文協・農業書センターフェイスブック

一年間ありがとうございました  吉田葉月 

栃木県の台地にて。(2015年6月 撮影:吉田葉月)

栃木県の台地にて。(2015年6月 撮影:吉田葉月)

WELTGEIST FUKUSHIMAのライターとして活動し、一年が過ぎました。
私は1年の経過を機に、ライターとしての活動を終了します。
これまでありがとうございました。

私は、この媒体を通じて、希望や生きることについて書こうとしてきました。

さっき、暗い夜道の移動中に、どんなに角を曲がっても曲がっても生まれ故郷にばったりと遭遇することはないんだなあ、と分かりました。その時、気持ちがしーんと静まり返りました。
生まれた故郷は、まるで私が私であることを作るものでもありました。土地の音、土地の習慣、土地に暮らす人間の姿や気配、日が昇る方角、海の方角、山の方角、田畑の風景、家から道路までの距離、家から学校・スーパー・友人宅までの道のりとその風景。その様なものが、私が私であることを疑わずに済ませてくれていたようです。双葉郡の暮らしのなかで、繰り返し、反復し、往復してきた、ほとんど不変に思えた道、声色、景色を遠ざけざるを得なくなったので、私はだいぶ混乱してしまいました。繰り返してきたもの、反復してきたもの、往復してきたもの。そういったものに、私が私であることを委ねていたのかもしれません。

栃木県の八方ヶ原。(2015年6月 撮影:吉田葉月)

栃木県の八方ヶ原。(2015年6月 撮影:吉田葉月)

紙粘土と栃木県の大麦による造形。『WELTGEIST fUKUSHIMA』5号の裏表紙の造形の仲間です。(2015年6月 造形・撮影:吉田葉月) 

紙粘土と栃木県の大麦による造形。『WELTGEIST fUKUSHIMA』5号の裏表紙の造形の仲間です。(2015年6月 造形・撮影:吉田葉月)

近頃私は、何の疑いも持たず双葉郡のあの町の子供だったことについて恥じ入っていました。その土地で生まれその土地で育った「その土地の子ども」時代の私は、原発の町として色づいてきた地に希望や安息を求めて転入してきた若い家族やその家の子供に優しくなかったなと思います。それに、原発の仕事に従事する大人のいる家庭のことも知ろうとしては居なかったな、と。誰にでも安息の地があって当然であってほしいと思う反面、暮らす場所があるのが当然で、暮らす所が無い人について思いも馳せようがない「当然ある暮らし」から得た傲慢さや、だれにでも帰る故郷があって当然と思うような鈍感ぶりを知らず知らずのうちに「その土地の子ども」である私は身に着けていました。「その土地の子ども」の口ぶりをしていなかった、どこか居心地の悪そうに見えることもあった転入生たちに優しくできていたらなあ、と今さらながら思います。
放射能汚染から逃れながら暮らすようになった今ではさすがに「誰にでも帰る故郷がある」とは思いません。かつて出会った転入生たちのように、移動しながら居場所を切り開かざるを得ない人たちもいる。そんなわけで、私は時々、何らかの事情で原発の町に転居してきた人たちのことを意識した暮らしとして、過去を生き直したら、どうだっただろうと想像します。更に、原発が建つ前の町に戻れたとしたら、どうやって原発を建てることを辞めるように周囲の人を説得すればよいのか、などと、生まれるよりも前の時代に行くような妄想をしてしまいます。私は、生まれ育った地のことを思うと、どうしても過去に行ってしまうようです。

土地は誰のもの?誰のものでもない。先住の人が偉いわけではないし、かといって、土地の知恵や大事にされているものについて継承する繋がりをもたない人が好き放題していいというわけでもない。だから、せめて今いる土地をあまり痛めつけないでいようと思います。

また、いつかどこかでお会い出来ればその時は宜しくお願いします。

海のひろいもの。奄美群島、西伊豆などで拾った貝殻と人工物の破片。 可愛い。(2015年初夏 撮影:吉田葉月 )

海のひろいもの。奄美群島、西伊豆などで拾った貝殻と人工物の破片。 可愛い。(2015年初夏 撮影:吉田葉月 )

紙粘土・海のひろいものによるフタバスズキリュウ2体目 (2015年初夏 造形・撮影:吉田葉月 )

紙粘土・海のひろいものによるフタバスズキリュウ2体目 (2015年初夏 造形・撮影:吉田葉月 )

同上 (2015年初夏 造形・撮影:吉田葉月)

同上 (2015年初夏 造形・撮影:吉田葉月)

 

 

建てる手立て    吉田葉月

3回目のビヨンド自然塾の小屋作りワークショップにて。木に登る子どもと、小屋を建てる人々。参加者それぞれが無理なく好きなことをしているように伺えた。 (撮影:吉田葉月 2015年11月 山梨県北杜市)

3回目のビヨンド自然塾の小屋作りワークショップにて。木に登る子どもと、小屋を建てる人々。参加者それぞれが無理なく好きなことをしているようにうかがえた。

北杜市の小屋を建てるワークショップの第1回目に参加した私は、続いて3回目の同ワークショップに参加した。3回目は1回目、2回目の続きで、同地で開催された。
1回目の時に、子供たちが斜面に土と木で階段を作っていたのだけれど、こちらはだいぶ崩れていた。
今回メインの作業となったのは、外壁を張っていくことと、屋根の土台となるような部分を作ること。
外壁となる板材を大人たちがほぼ水平に壁面に乗せると子供たちが寄ってきて、一斉に「どどっどどっどっど」という音を上げて釘で板を打ち付けていく。私たち大人よりも小さな手で、体で、数人の子ども達が一斉にこれをやっている姿を見ていると、「どどっどどっどっど」という音とともに、喜びが湧き上がってくる。

ワークショップに行く前、そしてその後という間に流れのようなものがあるとすれば、それはこんなことだ。現在、知人と共同生活している、知人が親から譲り受けた昭和50年代に建てられた家は、外から入ってくる車の音が大きかった。それは生活に支障を来すくらい酷いものだった。それが嫌だった私は、自分の静かな空間が欲しかった。予算の関係もあって、家を借りることよりも「住むのではなく通って滞在するような隠れ家でいいから建てることができないだろうか」という可能性に向かっていった。

そこで、練習になることをしようと思った。インターネットの検索でビヨンド自然塾の小屋づくりワークショップを見つけた私は、学生の時暮らしていた懐かしの山梨県に出かけた。家を建てる手立てが欲しい、という欲求の湧き上がりが明らかになって、目的に向かって動く。…などと、そんなに難しい話でもなく、「うわーやりたい!やりたい!」という気持ちを認めて、既に動き出している人たちに合流してやってみる。そのワークショップを2度体験した。全部の回に参加したかったのだけれど、都合上全部は無理だった。けれども、私には「建てたい」時に「建てたい」思いを伝える言語が体に生まれていて、分からなくなったら教えてくれそうな近場に住んでいる大工さんと話すことができた。そんなこともあって、現在は、栃木県で、知人と共に住居とまでは言えない小屋のようなものを建て始めている。

私と知人で建築中の小屋のようなもの。(2016年1月 撮影:吉田葉月)

私と知人で建築中の小屋のようなもの。

私が一坪半の小屋のようなものを建てるという行為には、どんな場所ににどれぐらいの規模なら建てても大丈夫であるかを知るために、伝手を頼り近隣に住む大工さん連絡をとって助言を得るのに伺うことであったり、一見難解な境界線の地図を引っ張り出してきて、昔から住んでいて土地の境界に詳しい年配の農家と共に歩いたりすることも含まれたのであった。
建てようとするものは、大変小さな建築物だけれど、土地を決めると今度はなんだか間取りにこだわりたくなった。光の入り方をその場で感じようとしてみたりする。窓やドアはどんな大きさでどこにつけるのか検討する。木材をインパクトドライバーで打ち付けていくというような、道具を握って行う作業だけではなく、下見のために歩くことや、助言をくれそうな人を探すことや、土地の傾斜や太陽の動きを感じることを含めて建てることがあるのだった。

建築に関することに限らず、未だ体験したことのない「手立て」は、漠然とした不安が不安でなくなる手掛かりになりそうだった。

ビヨンド自然塾の小屋は、今頃どうなっているのかな。おおっ、なんだか素敵なことになっているみたい。

山梨県北杜市で子どもと大人が小屋を建てはじめた?!  吉田葉月

先日、山梨県で小屋を建てるワークショップに参加した。面白そうで、有りそうで無いものだから、その波に触れたかったのだ。「大人も子供も」、「家は自分で建てれるじゃん!」。なんだろう、このちょっと気軽な感じの宣伝。「建築に対するハードルを下げようとの思いで企画しました」って、素敵だね。しかも「大工講師」が来るんですって!いいかも!

ビヨンドのチラシ。北杜市と甲斐市の小学校でも配布されていて、それを見て当日集まった親子も多いようです。

ビヨンドのチラシ。北杜市と甲斐市の小学校でも配布されていて、それを見て当日集まった親子も多いようです。

うららかな秋の日。あらかじめビヨンドの室田さんが草刈りをしてくれました

うららかな秋の日。あらかじめビヨンドの室田さんが草刈りをしてくれました

10月18日当日、高速バスに乗って足を運んだ、小屋の建設地は、耕作放棄地のような樹木に囲まれた場所だった。
これから11月下旬まで毎週開かれる予定のワークショップの一回目は基礎作り。2×4工法で、6畳の家を建てる予定。

子どもと大人とで小学校の1クラスできそうなくらいの人数が集まった。神奈川で建築の仕事をしているとても屈強そうな感じの平沼さんがアドヴァイスをしてくれる。私たちはひとつひとつの工程の初めには平沼さんを見習い、真似しながら基礎を作っていく。初めて金槌を握るような手つきのぎこちない子どももいる。
それなりの足腰、馬力のある人もいれば、道具の力が大きく素材に伝わらないふわっとしたタッチの人もいる。ただ、一見非力に見えた子どもの動きを見ていると、じわじわと、鋸の運動は木材に伝わり、少しづつ切れ目が拡大していくのだ。

たくさんやってきた子どもたちの中の一部の子たちと言えば、気付くと2箇所の勾配に、それぞれいつの間にか階段を作っていた。これには驚く。杭をトンカチでトントンして、土を均し、まるで遺跡を顕わにするようにもその様子は見える。はじめは斜面が階段に見立てられ、やがてほんとうにその姿が現出してしまう。

気付くと子どもたちが階段を作っている!これは予定には無いし予想もしてなかったこと。驚いた!

気付くと子どもたちが階段を作っている!これは予定には無いし予想もしてなかったこと。驚いた!

休憩時間に、集まった人たちの声を聞いていると、生き生きとした口調で、国外の竹の家の話とか、モバイルハウスの話とか、割とライトな建築の話が聴こえてくる。表情にも活気が見える。
当日の作業も中盤以降に差し掛かると、大人の顔が序盤よりかなり解れて、山脈の方へ傾きかけている太陽の光を浴びて朗らかに話し、笑っている。笑いながら家を建てようとしている。この光景を私は初めて見た。陽のよく当たる小屋になりそう。

なかなか土台の高さが合わないところで個人プレーに陥っていたけど、数字と言うより、平行さを出現させればいいという到達地点を見直し、基礎が出来上がる。

枠を外すと、出来た!

基礎が出来た

基礎が出来た

山梨の中腹に基礎が建った。いやー気付くと人と山が眩しー。

山梨の中腹に基礎が建った。いやー気付くと人と山が眩しー。

測って切って打って掘って均して埋めて。こんな風に私たちの足元は作られているんだ、と、納得。

失敗した方が覚える、失敗してもいいじゃない、楽しくないと辛いから、という主催の室田さんの空気、平沼さんのおおらかな助言、きっとなんとなく全体を見てくれていたスタッフの方の空間で綻んだ建築体験は、心地の良いものだった。こうやって緩やかな感性の大人に出会って、その中でするのびのびとした家づくり。初めての体験。
個人的には、大工講師の平沼さんの背後にまわりこんでその動きを見れたのはとても良かった。足の置き方とか、道具の持ち方といった、構えと力の関係が、背後から見ていくことで伝わる。背中で語るとか背中を見せる、というのは酒の席の暑苦しい例え話ではなく、こういう事なのかもしれない。
室田さん平沼さんといった導きを下さった方々の存在は大きいけれど、こうして基礎が私たちの手によって建ったのだ。私に満ち足りた状態が訪れた。

例え始まりは微弱な動きであっても、物を作り、立ち上げて行く時間はなんと心地よいことだろう。そういうのが好きな人たちが集まるから、なんだか居心地がいい。

全ての回に行くことはできないけれど、完成したら泊まりに行きたいな。

ビヨンド自然塾 http://beyond-farm.com/

宇都宮空襲展にて   吉田葉月


19歳学生
「たまたま通りを歩いていて、気になって入ってみました。これまであまり宇都宮の空襲を知りませんでした。」

オリオン通りでそう答えてくれたのは、宇都宮在住であるという青年です。
オリオン通りは宇都宮のアーケード街。7月23日の夕刻、宇都宮は土砂降りの雨でした。戦後に作られたこのアーケードのおかげでオリオン通りでは一滴の雨にも濡れることなく、私は青年に質問をすることができました。
この日、オリオンACぷらざでは、「ピースうつのみや」(「宇都宮平和祈念館を作る会」から名称変更)による宇都宮空襲展が催されました。19歳の青年もまた、この日、宇都宮空襲展の会場に訪れた一人でした。

山口勇さん制作の収束焼夷弾実物大模型(左手前)とオリオン通り(奥)

山口勇さん制作の収束焼夷弾実物大模型(左手前)とオリオン通り(奥)

2015年7月後半に催されたこの宇都宮空襲展は、「ピースうつのみや」によって集積された、宇都宮における空襲を示す資料、同グループにより作成された模型や絵や年表といったものを通じて、当時の被害や生活について立体的に感じることのできる展示でした。
印象深かったのは、山口勇さん(故人)を中心として制作された、壁二面にわたる横長の宇都宮空襲のイメージ図と、宇都宮の炎の様相が分かる機能を持った緻密な都市模型でした。
当日、解説をしてくださった、「ピースうつのみや」内で語りの役割を務めているという大野幹夫さんのお話によれば、山口さんは市内在住の建築家で、空襲の際には雀宮にいたそうです。直接的な空襲に遭われ避難を要した大野さんとは異なり、山口さんは直接空襲の被害には遭っていなかったそうで、直ちに宇都宮の救済に入られたのだそうです。空襲直後の宇都宮に触れた体験から、中心となり絵画や米軍の戦闘機の模型といったものを作成していきました。

山口勇さんを中心として作られた火の手をあげる宇都宮の模型

山口勇さんを中心として作られた空襲後の宇都宮の模型

熱で変形した羽釜、熱火とすすでまっ黒になったが砂で落とし使われたというやかん。

熱火で変形した羽釜、熱火とすすでまっ黒になったが砂で落とし使われたというやかんなど。

慰安所と従業員の存在を示すポスター

慰安所と従業員の存在を示すポスター

19歳学生
「(展示を見て)明るい気持ちにはなりませんでした。戦争に関しては沖縄の修学旅行で興味を持ちました。」
「絵が印象に残りました。宇都宮で空襲があったことはなんとなくは知っていたけれど詳しくはありませんでした。」
絵というのはやはり山口さんらによる宇都宮における空襲のイメージを描いたもの。描かれているのが二荒山神社や松が峰教会であることが分かると彼は話しました。

オリオンACプラザ内。宇都宮空襲イメージ図。手前には罹災証明書などが展示。

オリオンACプラザ内。宇都宮空襲イメージを表した絵。手前には罹災証明書などが展示。

大野幹夫さん
「宇都宮の人は、東京の空襲や長崎の原爆を知っているが自分たちの身近な戦争を知らない。戦争は身近な問題だと捉えてほしいです。戦争は過去のことでは無いのです。子供が1日4000人死んでいます。人のことでは無いのです。自分のこととして考えて頂きたいです。あなたのような、若い人が動いてくれることが嬉しい。」

「ピースうつのみや」のメンバーの多くはパソコンを使わないので、メールやインターネットを使っている人たちに広げて貰えると嬉しいと大野さんは話されていました。しかし、そんな中でも、大野さんはITに関心があったこともあり、ご自身で「宇都宮平和祈念館を作る会」のサイトや「とちぎ炎の記憶」のサイトを作成されました。同サイトでは、身近な戦争をテーマに県内における戦争に関する情報の集積や公開をしています。今暮らしている場所の記憶に繋がる仕掛けを若い人に向けて作っている人がいるのだと感じました。

    ―各地で若い人による安倍さんの政治への反対や戦争反対のデモが行われているのをどう感じていますか。

19歳学生
「戦争ができるようになるのは良くないことだと思います。このままの方向で進むことは良くないと思います。」

 

ところで、近頃の学生主導のデモで大事にされていると感じるのは、まず自分自身について話そうとすることです。その言葉、声、姿には、個々人から発せられる知と熱と彩りがあります。彼らが路上に立ち続けるのは、戦争体験者の大野さんの言う「身近な戦争」が内包するようなことを、自身のこととして抱いているからなのかもしれません。
宇都宮空襲展に関心を持ち足を運ぶきっかけは、そういった若い人たちの姿や声に押されたところもありました。そのうえで、この展示を媒介として、身近に暮らす若い人の声に触れることができたことを嬉しく思います。そして、これからも若い人たちが宇都宮で平和に集い遊び学べることを切に願います。

宇都宮空襲展のポスター「やっぱり、戦争ダメだよね!」

宇都宮空襲展のポスター「やっぱり、戦争ダメだよね!」

 

参考HP:
とちぎ炎の記憶[栃木の戦災・空襲を語り継ぐ会]http://tsensai.jimdo.com/
オリオン通り商店街振興組合http://www.orion.or.jp/index.html