hiroshi

hiroshi について

Yoneda Hiroshi/ 1973.1.17生まれ、二十歳から14年間、介護従事者として働き、その後、ゴルフ練習場。3.11後にいろんな疑問を抱きいろいろ考えました。政治家の後援会活動をするが3月で退職。2015年7月に南相馬、会津、郡山、帰宅困難区域の双葉を取材。I was born on 17th of July, 1973. I had worked as a nursing care staff for 14 years since I was 20 years old. After that, I worked at a golf practice range. I deeply thought a lot about things after the 11th of March, 2011. I acted at a society in support of a politician, but I have been suffering from depression again, so I face my life.

私がカメラに納めたもの Yoneda hiroshi


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ベルトガイストのライター 米田です。
群馬の工場で出稼ぎしてます。

久しぶりの投稿になりますね
12月に群馬の自動車工場に職をかえたばかりで
なかなか忙しく。。と言い訳しておきます

仕事にもなれてきて、ちょっと余裕ができて
この2ヵ月間は、様々な場所に行き写真を撮ってきました。

カメラは19800円で中古。。。

編集はスマホ。。。

で申し訳ないのですが

ライターとして、記録として
ここに残します。

この他にも
藤の花、戦争の遺構、福島
いっぱい撮りすぎてしまい
文も写真の編集も追いつかず。。。
少しづつ投稿でればと思っています。

今回は動画のみの投稿

今後ともヴェルトガイストFUKUSIMAをよろしくお願いします。

上の写真は期間従業員の寮の部屋から見える風景…群馬の工場地帯に電気を送るための送電線で福島第一原発につながってます
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カメラの望遠の倍率を少しづつ変えた写真をつなぎあわせてみました。

 

初めて機関車にのる

 

チェルノブイリと福島を撮り続ける写真家  中筋 純さんの写真展の様子です

 

今年は桜の写真を4000枚は撮りました

 

GWに避難解除されたばかりの飯舘村にいって来ました。人がいなくなって美しさが倍増したと友人がいいます。
本当に美しい村です…ゆえに悲しい村です……

 

中筋 純さんの写真展が埼玉の飯能市で開催された時に納めたものです

イベントで朗読会がおこなわれ
歌人、詩人、写真家のそれぞれの感性が合わさり
悲しみ…怒り…優しさ
心打たれました

土地が人を育ててきた文化を壊した…原発事故 米田ひろし

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「飯館村の母ちゃんたち 土とともに」の映画上映会とシンポジウムが11/8㈯に一橋大学で行われた。https://www.facebook.com/fukuima2013/

「飯館村の母ちゃんたち 土とともに」http://www.iitate-mother.com(HP)

飯舘村には、土地を先祖から受け継ぎ、そこで作物を作り育てる。作物が育つ「土」を作るのには長い年月がかかる。「土」の大切さを知る土地が育てた文化があると主人公である榮子さんは言う。

我が家から見える野手上山

【飯舘村の酒井さんの自宅から見える風景】

 

5年も続く避難生活…

飯館村に帰っては、家に、植物達に、土地に…

守ってあげられない世話できない気持ちからだろうか「詫びることばかりだ…ごめんね、ごめんね」と謝る榮子さん。

「ここがいちばん心安らぐ場所だった…この山なみを見ながら一生をおわりたかった」

「いずれ子供が孫の誰かが戻ってきてくれる。でも、選択する自由があるから遺言は書かん」

村民にとって、本当に飯舘は大切な所なんだろうな

旦那さんを原発事故の9ヵ月前に、義理の母親を原発事故の1カ月前に亡くし…

息子さんが農業を継ぎ、これからという時に原発事故…大切な先祖から受け継いできた土地まで失った

お友達の芳子さんがとなりに引っ越ししてくるまでは、部屋に閉じこもりがちだったという榮子さん…笑顔に隠されたものが多くある

避難生活が5年の歳月が過ぎた…

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「飯館村の母ちゃんたち 土とともに」上映後のシンポジウムに、この映画の古居監督とともに登壇したWELTGEIST FUKUSHIMAライターの酒井政秋さん

放射性物質は飯館村・福島の地からは、まだまだ消えない…

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飯館村・福島の問題は、福島・飯舘村だけにとどめずに日本全国の問題として

現代を生きる者同士で未来を考えていきたい

落胆したり…絶望したり…涙したり

怒りで夜が眠れなかったり

悔しいと唇を噛み締めたり

怒りを通り越して笑ったり…

様々な感情を味わった5年。

故郷が汚染されたことは寝ても覚めても変わらない…

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当事者が生の声で話せる場があるということはありがたいと思います。喪ったものを埋めるように人々の出会いがあったことに感謝していますという前向きな言葉も

「放射能で汚染され、ふるさとを失うということを少しでいいから想像してくださいイメージしてみてください」

そういう事を想像しながら、この映画を見て頂きたい。

この映画が多くの人に届くことを望む

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この写真は「民の声新聞」の鈴木さんよりお借りしました。ぜひ、こちもご拝読ください。

「民の声新聞」

https://www.facebook.com/taminokoe/

民の声新聞「仮設での収穫祭」

http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/blog-entry-74.html

 

彼が描く絵は…単なる過去のものではなく、原発が稼働し続けている日本の未来でもある( 米田ひろし )


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映画、写真、彫刻、絵、文…伝える方法は様々

福島原発事故で飛散した放射性物質…

それの放射性物質は、風が運んだ「無主物」だと言った東京電力

それが「無主物」を描きはじめたきっかけ…

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路上や公園に絵を置き、道行く人に福島の人びとから聞いた話を伝える。絵は人と話すための媒体だと話す 壺井 明 さん

壺井さんは、私がしていることは「民話」だとという

私がしている事は、「民話」だど…

ちょっと聞いただけじゃぁ、よくわかんないね

「民話」 生活のなかから生まれ、民衆によって口承(口伝えで伝承)されてきた説話のこと

校正されない
標準と比べて正されない
民衆の生の声

メディアではできない民衆の真実を伝えるという事なんだろうね。

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壺井さんが伝える民話…

避難先の学校の運動会で子供に浴びせられた

「ひとり10万が走ってるぞ!!」

こんな言葉を遺し自殺してしまった…

「いちばん安全な場所にいきます」

メディアは原発事故関連死として数字しか伝えない…それは事実であるが伝わるものではない

壺井さんは、ひとり被災地に出向き

仮設をまわり…人と話し

そこで聴いたこと感じたことを絵で表現し

その絵で人を振り向かせ…

被災者の真実を人に伝える。

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絵など、もともと興味がない…私

でも、この絵を描く人物に興味が湧いた

壺井 明 という人物は、おもしろいと思った。デモに参加するのをやめ、どこに属せずにひとりで行動。その行動に人が寄ってくる…自由人の匂いがする。

https://m.facebook.com/akira.tsuboi.94

壺井さんも「そういう絵を描いて復興の邪魔をするな」だとか「いつの話の絵を描いているのか、時代遅れだ」「これはアートじゃない」とか…テキトーなヤツらから誹謗中傷を受けるらしい。

そんなもんに負けずに頑張ってもらいたい…

そう感じた丸木美術館だった。

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丸木美術館は、原爆の悲惨さをつたえる美術館

http://find-travel.jp/article/21551

丸木夫妻が描いた。原爆の図…

http://www.aya.or.jp/~marukimsn/top/genindex.htm

もの凄い絵だった…

美術館には、「原爆と原発は別問題だろ、原爆を訴える美術館が原発の絵を展示するのはおかしい」という電話がかかってくるらしい…

私は、核分裂が起こす同類のことだと思えるのだが…

原爆の図とともに無主物をみるのは、私的にはおすすめだ。

原爆の図 丸木美術館

企画展 2016/10/1~11/12 壷井明 連作祭壇画 無主物 3.11を描く

http://www.aya.or.jp/~marukimsn/kikaku/2016/tsuboi.html

 

 

終戦の日…知覧の空はとても蒼かった 米田 博

私が特攻隊というものに対して思いが強くなったのは、元特攻隊員の外園 徹さんと出会ってから

http://rkb.jp/move/move_2008/html/081020020500.html

息子さんが私が勤めていた施設に入所していて懇親会で一緒にお酒を飲んだ。「隊の人達って、どう思っていたんですか」って聞いた覚えがある。

「いろんな奴がおったよ。でもみんな勝てるなんて思ってはいなかった。」「しょうがなった。。しょうがないってしか思いようがなかったのよ。」って…

外園さんは、シミジミと話してくれた。

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2016.8.15  終戦の日  一年半ぶりの知覧

とても暑い日 、空は快晴

さすが終戦記念日、平和記念館はものすごい人

いつもなら、ひとりひとりの遺影を時間をかけて見るんだけどね…今回はできなかった。顔をみるのがすごく、しんどかった。

今の変わりゆく日本を考えると…この人達の犠牲ってなんだったんだろうね。

戦わない日本が戦闘ができる日本に変わっていく …そんな事を思っていたら、いつものように顔を見れなかった。

前田 啓大尉が遺した「俺が死んだら、何人無泣くべ」の書が胸に突き刺さる

http://s.ameblo.jp/katsuya-daii/image-10795408449-11036978408.html

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平和記念館前を少し通り過ぎた所、ここが特攻機の待機場所…ここで、特攻隊員と整備員との人生最後の会話が交わされたんだ…

「人の世は別れるものと知りながら
別れはなどてかくも悲しき」

わだつみのこえで有名な上原大尉は、ここで出撃直前これを走り書きしたんだ…

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特攻隊が飛びたった滑走路跡地

この写真の右斜め方向が滑走路、今は、サツマイモ畑になっている。

この滑走路を特攻隊員達は飛び立っていった…

ぐるっと右旋回して街の上を飛んでから、開聞岳を目印に南に向かった。

隊員達が飛んでいった空は…

とても美しく…蒼かった。

この空を…飛んでいったんだ

重い爆弾を積み、グラマンに狙われたら反撃もできない…

何を思いながら飛び立っていったんだろう…

この犠牲は、なんだったんだろうね。

この空の写真を見て想像してみて…

この空を、隊員達は飛んでいったんだよ。

「神風特攻隊員たちの遺書」https://m.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=_QOXodCXpTs

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ある晴れた日の午後に訪れた公園は、私に戦争の怖さを教えてくれた      米田 博

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6月5日(日曜日)
私は、バスに乗りとある場所にむかった。たどり着いたのは東大和南公園。
テニスコートにグランドに大きな広場、日曜日とあって多くの人達が余暇を楽しんでいた。そんな公園の奥に、この変電所は佇んでいる。

「 日立航空機立川工場変電所」

2016-06-05-17-12-39_deco太平洋戦争当時、航空機のエンジンをつくる軍需工場に電力を送電するための施設。

太平洋戦争が激化していった昭和20年(1945年)2月17日にF-16Fヘルキャット戦闘機、4月19日にP-51ムスタング戦闘機等による機銃掃射。4月24日にB-29による空襲。
隣接する工場は跡形もなく大破したが、変電所は大きな被害を免れて平成5年(1993年)まで変電所として使用された。

2016-06-05-17-14-11_deco多くの家族連れが余暇を楽しむ公園の奥で、この変電所を見つけた時…背筋がゾクッとした。近づくと、思わず息を飲んだ…
凄まじい重機関銃の跡
コンクリートに、こんな大穴あくんだ…

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2016-06-05-17-14-34_decoこの機銃掃射をしたのは、戦闘機のヘルキャットとムスタング。搭載されていた機銃は、12.7mmブローニングM2重機関銃。 ジョン・ブローニングが第一次世界大戦末期に開発した重機関銃で、現在でも改良され自衛隊や海保、アメリカ、NATO、各国の軍隊で使用されている。有効射程距離は2000m、(最大射程距離6000m)、機関銃の傑作と呼ばれている。

今、対物兵器の重機関銃は、人に対して使用しないようにと促されている…でも、そんな事おかまいなしに世界中の軍隊は、平気で重機関銃を人に向けている…

戦闘機搭載ガンカメラが捉えた、非戦闘員への機銃掃射 – YouTube
http://m.youtube.com/watch?v=sE1YCpmQdig

こんなのくらっちゃえば…
腕にあたりゃ…腕が吹っ飛ぶ
身体にあたりゃ…大穴があく
風船に針を刺したように…頭が砕け散るんだろうな

2016-06-05-17-17-30_decoそんな事を考えながら写真を撮っていると、若いカップルがやってきて話をしていた。男性が「戦争の時の戦闘機の銃弾の跡なんだよ」って、そしたら女性は「ふ〜ん、そうなんだぁ。早く行こう」…だって
振り向けば、この機銃掃射の跡のすぐ近くでレジャーシート広げて弁当食べてる。
私にはちょっとムリかな、ここで弁当なんて…
多くの家族連れがいる。ここにいる親達は、この変電所のことを子ども達にどう伝えてるのだろう…
伝えてるのだろうか…
伝えることがあるだろうか…
と疑問に思った。

2016-06-05-16-25-14_decoここには、私が生まれる約30年前…大きな工場があった。戦闘機の機銃掃射を浴び、100機のB29の焼夷弾で工場は壊滅…110名が亡くなった。

ここは、東京 東大和市
西武鉄道拝島線の玉川上水駅の近く
「東大和南公園」

機銃掃射に狙われたら…
腕にあたりゃ…腕が吹っ飛ぶ
身体にあたりゃ…大穴が開あく
風船に針を刺したように…ボンッと鈍い音をだして頭が砕け散るんだ

機銃掃射でボコボコになった変電所は…そういう恐怖を教えてくれる。