吉田 邦吉

吉田 邦吉 について

CHIEF EDITOR ▼Yoshida Kuniyoshi / 1981年1月大熊町生まれの原発避難者。中大法卒、2000年より塾長。2013年4月、赤坂憲雄の活動のもと文の道へ、2014年9月22日に卒業同日、「WELTGEIST FUKUSHIMA」で独立し出版事業を開始。エッセイで致知出版大坪社長特別賞。2017年度にアメリカ横断距離5000kmを歩き、1500kmの時点で20kg痩せ、2018年に酒たばこ止める。会津民俗学研究会員。書籍編集長。雑誌共同執筆。福島県立博物館や横浜美術館ヨコハマトリエンナーレ(オラファー・エリアソン作品)などで講演やトーク等々。私設図書館「ふくしま本の森」にて活動等。新聞、ラジオ、テレビ、インターネット、多数のメディア出演を経験する。NHK BS1 スペシャルNHK world premium「福島タイムラプス」(出演)は全日本テレビ番組製作社連盟ATP賞テレビグランプリ優秀賞。facebook / website / Amazon▼ Essayist. Private school. Nuclear evacuee 2011-. Independent publisher. Majored in law, Chuo Uni. A special essay prize on a first-class magazine 2015. Lectures and Talks at Fukushima prefectural Museum, Yokohama Municipalcity Museum of Art as Yokohama Toriennale 2017 with works by Olafur Eliasson etc. Like learning languages, Folklore, etc. So many Appearances of Newspapers, Radio, TV, Internet, and NHK BS1 SPECIAL and NHK world premium (Fukushima TImelapse, ATP award TV grand prix, outstanding performance award 2018)

ヤノベケンジさんと福島文化会議 吉田邦吉

前回までの話こちら
NHKが「福島と向き合って!」と報道してくれて有難い。

English
Modern Artist Yanobe Kenji’ work, which is called, “Sunchild” was criticized by several tens of people who are interested in Fukushima. The top of Fukushima administrator and Yanobe Kenji decided to move Sunchild for the time being and Yanobe is going to hold a meeting to talk about what art or culture should be in Fukushima.

今までのまとめ
現代美術家ヤノベケンジさんの現代アート作品「サンチャイルド(子ども像)」が文化施設こむこむ内にて展示されることについて、市内外とくにTwitterにて批判され、アンケートをとると数十件で批判された。ヤノベケンジさんと福島市長は、批判者に配慮して一度、撤去することに決めた。

一方で、撤去したことで傷ついた人達も居る(毎日新聞)。それでは現代アートひいては文化そのものについて、福島では、どうあるべきなのか、ヤノベケンジさんは話し合う場を設けることにしたい。

後の意見まとめ
中日新聞はこう述べる。
また「震災や被災者をテーマにすると面倒だ」という風潮が広がっては、災害の教訓や被災者の無念を風化させず後世へと伝える上で、逆効果ではないか。その点、撤去が決まったとはいえ、福島市の木幡浩市長が当初、批判に対し「サン・チャイルド」の制作と設置の真意を丁寧に説いたのは、意義深い対応だったといえよう。美術も文芸も、創作の営みはなべて自由な思念や感情の表れだ。社会の規範や科学の知識のしもべではなく、逆に常識や先入観を疑い、揺さぶり、社会に問題を提起する意味合いも大きい。心ある表現者による創作とそれに対する意見が、反目や排除に向かうのではなく、互いの主張を認めつつ社会をより豊かにしていく対話の起点となるよう、議論を深めたい。震災とアート 反目より対話の起点に 中日新聞 20180905

ジャーナリストの七沢 潔さんはこう述べる。

NHKはこう述べる。
今回のいきさつを謝罪したうえで、「さまざまな声を聞きながら、これからも堂々と福島に関わり続けたい」と述べました。9月5日福島大学で開かれた、今月9日から県内で行われる現代アートの祭典「福島ビエンナーレ」の記者会見に、現代美術作家のヤノベケンジさんは参加アーティストとして出席しました。ヤノベさんは、平成23年に復興への思いを込めて防護服を着た子どもがヘルメットを外して立ち、遠くを見つめてほほえむ作品「サン・チャイルド」を制作しました。この像は市に寄贈されて、ことし7月から子育て支援施設の前に設置されましたが、「福島市では防護服が必要だったと誤解を招く」などといった撤去を求める批判的な意見が寄せられ、先月、市が撤去を決めました。
会見の冒頭でヤノベさんは謝罪したうえで、批判や撤去の判断については、「市民の声を置き去りにして設置を急ぎすぎたことに反省とふがいなさを感じている。このままでは対立や分断が広がると考えると、一度撤去してから冷静に丁寧に議論した方がよく、撤去の判断を真摯に受け入れたい」と述べました。そのうえで、「このままではほかの表現者の萎縮にもつながりかねない。これで終わるのではなく、さまざまな声を聞きながら何をすべきか探すチャンスがほしい。これからも福島のことを勉強して福島にしがみついて福島に堂々と関わり続けたい」と抱負を語りました。ヤノベさんは今後、福島の人たちと意見を交わすことを検討しているということです。ヤノベケンジさん会見の場に 福島 NEWS WEB NHK 20180905 ※東京新聞でも話し合いを続けていきたいとヤノベさんは仰っていた。

佐藤彌右衛門さんはこう述べる。

新井浩教授はこう述べる。新井教授は「彫刻制作・環境と彫刻設置の研究・立体教材の研究をテーマ」にしている。

東北大学教授で建築史建築批評の五十嵐太郎さんはサンチャイルドがそもそも見えづらい場所にあることを考えるべきだとしたうえで、「いったん撤去が決まったが、これから対話の場が生まれることを期待したい。」とのことである(ヤノベケンジ《サン・チャイルド》DNP museum information Japan artscape 20180915

* 以上

・私の意見
続きがありそうで良かった。へこたれない姿勢を学びたい。サンチャイルドに関する当方のページを読み、「よくまとめてくれて分かりやすかった」という反響が寄せられて有難い。いっぽうで、「人の言葉を出さないと何も言えないのか」という批判もあった。

むろん人の言葉を引用しなくても私はここで書いてきた。それも可能だ。しかし可能な限りで開かれた話の場をもうけるには、多様な声がやわらかく響きあうほうが好ましいとわたしは考えるので、無理のない範囲でSNSにもうけられている機能を用いた。

また、誰かが福島への行き過ぎた放射能被害イメージの拡散をしたことの責任をサンチャイルドが負わせられる理由はない。この7年間、放射能についての議論によって日本中が疲弊したと言ってよい。放射能は福島にだけあるのでもない。

福島への風評被害について、しばしばネットで見受けられる「反原発がデマを拡散して悪い」という言い方がある。しかしこれも、反原発は国策エネルギーをどうするかという有権者として選択の自由の一種であり、選択がデマを流すことは出来ない。

わざわざ過剰に個人にデマ責任を取れと魔女狩りのごとく持ち出すと、それこそデマを目立たせて冷静な議論を頓挫させているようにも感じられる事がある。「このデマが悪い」と言うためにそのデマの画像をネットに流すと、何が広がるのだろう。

それに昨今は炎上と言っても千単位だ。しかし、こちらで私が出した記事は大反響だった。風評被害ではなく実害(※「18k」とは1万8千ライクの意)。すなわち風評被害を含む実害のすべてを政府東電が丁寧真摯に何とかすべきなのであり、サンチャイルドは関係ない。

むしろサンチャイルドを撤去せよという方向の人達から私はTwitterで罵詈雑言や悪口デマを流され、傷ついている。そこまで言われるとは精神的にがっかりした。設置派から言われたという人も中には居るだろうが、撤去までの時点Twitterでサンチャイルドと検索して見れば大多数が分かる。今回、全く熱狂が支配しなかったとは言えないのではないか。

なぜそこの風評被害は言われないのか。
もっと人は人に寛大になれないものか。

またあまりに過剰に「この部分が風評被害だから撤去」「この部分が誰にとってトラウマだから撤去」とやっていったら、どのような表現の範囲になるであろうか。どのようにパブリックな物体が許容されるだろうか。ほとんど何も許容されないと言って良い。

そうではなく、過去の事例にのっとってどのような物体が公に置かれているかを検討し、目的効果を考え、一定程度公共の受忍限度と思われるような、社会的に許容され得る範囲内のものを、行政裁量の範囲内または有識者会議など専門家の意見を通じて、社会通念の観点から妥当性の認められるものを置くのが相当である。

完全に民主的とは言えなくても、このような事例において全て直接選挙まで実行するほどの必要性を満たす根拠が見当たらないので、なるべく多くの人達の目に触れるような事前の取り組みが数度ないし一定の期間あれば妥当であり、それは既に達成されてもいた。

撤去決定後しばらく、たまたまルツ記を読んでいたら画家ミレーの絵「落穂拾い」が気になって読むと、人によってあらゆる政治的な評価を受けたりもしたようだ。いつの時代もあるのかもしれない。

(サンチャイルドに話を戻して)
この件も
福島だけの話題でない。

私たちは次世代の日本を、
原発事故でどうしてしまったのか。

これからどういう社会にしていきたいのか。
いつでも問われている。

サンチャイルドと福島市長と子どもたち https://twitter.com/hatabohk/status/1025526254697476096

サンチャイルドと福島市長と子どもたち https://twitter.com/hatabohk/status/1025526254697476096

* 話し合いの場へ
ヤノベさんは、2004年から隔年開催されている「福島ビエンナーレ」に12年から毎回出品。今秋のビエンナーレでは二本松、南相馬両市の主会場とJR福島駅を結ぶシャトルバスが運行され、参加者は最後にサン・チャイルドを鑑賞する予定だった。代わりに開催中にヤノベさんと市民らと対話する機会を設ける予定で、実行委員長の渡辺晃一・福島大教授(現代美術)らが今回の開催説明の会見に招いた。ヤノベさんは「(作品を説明するなどの)プロセスを踏めていなかったのが反省すべき点」と話し、常設前の期間限定での展示や意見を募集する機会を設けるべきだったとした。(福島)サン・チャイルド制作者「対立分断を望まない」古源盛一2018年9月6日 朝日新聞

すなわち、ヤノベさんは福島ビエンナーレにてサンチャイルドに関するイベントを予定していたが、撤去になったことでそのイベントが出来なくなった。よって、その代わりに、市民らと対話する機会を設けることにしたため、実行委員長で現代美術が専門の渡辺晃一さんらが同ビエンナーレ開催の説明会にヤノベさんを招いて、「話し合いの場へ進むこと」の説明をした、ということである。

・現代美術教授、渡邊晃一さんの意見

「事前の議論必要だった」 福大の渡辺教授 絵画・現代美術が専門の渡辺晃一福島大教授(50)は「芸術作品は、大きさや色彩などの感覚的なものと知識や記憶による影響がある。『サン・チャイルド』を見て、感覚的に勇気づけられた人がいたことも事実。一方で、つらい記憶を思い出した人がいた。作品の価値とそれを設置する場の問題は切り離して考えるべき」と指摘した。  さらに「作品を公共の場に恒久設置する際、福島市は市民と語り合う場を設ける必要があった。今後は市民と意見交換することで、批判的な意見が出た背景にある本質的な問題を学べるはずだ」と語った。(福島民報新聞2018年8月29日 ほか、一般の方々から「残念だ」「折り合いをつけられなかったのか」などといった意見が寄せられている)

2012年にお二人は対談している(光臨プロジェクト KENJI YANOBE Archive Project)。

サンチャイルドを福島で展示しようと誘ってくれたのは渡邊晃一さんだった。で、こうある。【渡邊さん:震災後、原発後の福島に住んでいる人間が、どのように福島のイメージを支えていくのか。福島大学で美術を教えている立場として、私は、学生や子どもたちへ、どのような未来を与えていくのかという「継続的」な活動が重要な鍵であると思っています。特に震災後は、雑誌などでも「美術の側から何が出来るのか」ということがいろいろと問われていましたよね。それに、持ってきた作品を避難所などにただ置かれていかれた方、ワークショップをしてすぐ帰っていくような「一回限りの人」がすごく多かった。また、美術関係者の方からも「どこか避難所でワークショップを出来ないか」というオファーも多く受けました。私は自宅の屋根や壁が未だ崩れ、日常生活が安定しない状況の中で、そういった要望に対応してきました。しかしながら多くの作家の方々は、震災後も御自分の今までやってきたスタイルを変えないで、たまたま震災が起きたから、その媒体として福島という場を利用しながら自己宣伝をしているような、そんなニュアンスが多かったですね。一方で、美術のチャリティーも多くなされましたが、ほとんどのお金は、私たちのように被災地で行っている地元の文化活動には入ってこない。そんな中、福島に住んでいる人間として、「継続的」に福島のことを考え、つなげられる活動をしなければと思ったのですね。】

一回限りも確かにありがたい一方で、私たち県民の抱えている寂しさのようなものを、渡邊さんは仰ったのだろうと私は思う。どれだけあっただろう。活動するときだけ関係性を持ち、あとは知らない。誰でもない。ただ「福島の人」そういう立場からの関係を求められ続けることの、苦しみにも似た寂しさを。もう少し個性を見てもらいたいということだ。無理な人間関係まで求めてない。ただ人として自然にあってもらいたいという。

【今年行う『福島現代美術ビエンナーレ』は「SORA」をテーマにしました。そこでは決して、どの作品でも良いというわけでもなかった。アートを見た人たちが、何かを感じたり、深く考えたり、もっと前に向かって進んでいけるようなスタイルの作品が必要だと思っていました。そういう点において、《サン・チャイルド》という作品はものすごく象徴的な作品なのではないでしょうか。】

【渡邊さん:たしかにヤノベさんは、放射線や原発の問題と直接的に関わる作品だからどうなのだろうかと、すごく心配されておられましたね。それは震災で原発事故が起きたことによって、福島大学が置かれている立場も同じなのかなと思いました。学生たちや教員、福島に住んでいる人たちの反応は、震災後、だいたい大きく二つの振り子に分かれていましたから。一つは、福島から離れて住むことを促すような意識。こんな危険な所には子どもたちは居るべきではないと唱え、家族と一緒に避難し、県外から通っている職員もおります。私は、ともに生活している学生たちのことを考えたら、同じ不安な中に居るわけですから、なかなかそのような行動は出来なかった。ましてや報道で福島県外から通っていると大々的に言える心境はわからない。ただ、もう一方で、別の振り子というか、原発は問題ない、放射線はもう大丈夫だよ、という考え方もありますが、それも違うんじゃないでしょうか。私たちは、震災以前と同じ生活を続けることは出来ないはずだし、むしろ現実に起きたことを受けとめながら、どう次に進んでいくのか、考えなくてはならない。】(同サイト引用)

昨今の気象と言いたくなるほど福島の言論も二極化したことで、いわば普通の被災者が居場所を失い、普通の県民が居場所を失う、そんなことになっていることは間違いない。すべて危険だから福島を出なければ悪人だと悪口まで押し付けるのも間違っているし、すべて安全だから何でも何しても絶対安心でありそう思わない人を悪人で悪口まで押し付けるのも違う。そんなの物事として当たり前のことである。

当たり前のこと、いわば社会の秩序がしかし、大災害とSNS革命をきっかけに、私怨をテコにした正義がぶつかる分断の渦に福島が投げ込まれている。(むろん私は風評でなく実害の方面から訴えているのは、被災を回復せずして復旧復興などあり得ないからだが、私はそれは極論の二極化とは関係がないと言いたい。論でなく事実的被害だからだ)。いずれにせよ、渡邊さんの意見に私は賛成であり、この二極化への危惧や中道バランスを取りたくなる道への動きは、既出であり、新井さんにも同様の流れがあり、私も同意見だ。

・「サン・チャイルドと福島 事故・風化させないために」渡邊晃一 東奥日報 2018年9月18日
空港の展示の時には「000」への「科学的にあり得ない」批判や「風評被害を助長させる」という批判などは無かったと書いてある。そして以下。【それは大きさや色合いなどの体感的な出会いからはじまったのではなく、批判についての報道を受け、原発事故を巡る個人の記憶(知識)や経験を重ねる中で、違和感を持った人が居たことを示すようにも思います。実際、私にとって防護服は不織布の白いタイベック・スーツです。黄色いロボットのような服はなじみがありません。しかも君のヘルメットには「鉄腕アトム」を思わせる黒い角があります。インターネットなどで「科学的真実」ばかりが強調された一方で、「福島の真実」に目を向けられなかったのはなぜでしょうか。」略「福島市に住む私たちは大きな被害を受けました。」略「風化させてはいけない」略「現実を伝える必要性を感じています。】

【サン・チャイルド、君がいた場所は教育文化施設でした。未来の子どもたちに君は、線量ゼロがあり得ないという事実を教えたり、福島が受けた被害の現実を伝える役割を担ったりするはずでした。除幕式には市内の児童が参加し、記念に写真を撮りました。君への愛称を200人近い子どもたちが一生懸命に考えて応募しました。子どもたちの目線からは君は「物」ではなく、心を通わせた「友だち」だったように思います。君は希望を持ち続ける私たちのようでもあります。(岡本太郎「明日の神話」に触れ)サン・チャイルド、君もまた未来の子どもたちにとって身近な友だちとして、「人類の明日の神話」を語る存在になったのではないでしょうか。】

いろいろな議論を通して、ある意味、今度こそサン・チャイルドは、福島市に恒久展示される(必要を超えて充分に近づいた)資格を得つつあるのかもしれない。むろんこれからどうなるか分からないのだが、少なくとも、たとえば新しい作品を置いて、それで納得し得るかと言われると、私個人は、結構な違和感を抱くだろう。もし新しく何かを置くにしたら、相応の納得し得る物語が必要に思われる。なぜならそこには、何も悪いことなどしていないサンちゃんが、居た、否、「居る」からだ。ぼくらは目に見えないものの尊さをも、この大災害を経験して、身に染みるほどよく分かったのである。

福島市、防護服姿の像の撤去開始 「原発事故の風評増幅」批判で 共同通信社 2018/09/18 10:40

【通院で前を通っていたという女性(74)は「市内の放射線量は既にかなり低く、個人的に風評のことは気にならなかった。撤去されてかわいそうにね…」と残念そうだった。】

福島民友に三名のかたの意見が掲載されている(子ども立像「サン・チャイルド」展示終了 最後まで市民賛否両論2018年09月18日 08時50分 福島民友新聞)。同日にテレ朝newsにも一般のかたの意見が出ていたようだ(福島・防護服の子ども像撤去へ 風評招くと批判受け 2018年9月18日 11時56分 テレ朝news)。

20180916 福島駅 撮影吉田邦吉

20180916 福島駅 撮影吉田邦吉

9月16日 会津若松から猪苗代湖をつたってそう遠くない中通り県北の福島市へ車で向かい現場のサン・チャイルドな空気感を確認する。顔にアザがあるが、皮膚の質感が桃にも似ていると思った。今回サン・チャイルド関連の資料をヴェルトに集約していて一体自分はどうするか。ヴェルトはこういうのを冊子として出そうと思えば出せるところが利点ではあるものの、特段いま何を私がというわけではなく、ただ人様の補助になれば良いことなのでひとまず静観して先達の意見を学びつつ普段の自分の研究テーマを引き続き学び続けるだろう。私は私でエッセイストをしながら随筆とは違うものも育てていきたいのである。この駅の見た目なかなか良いデザインだ。まさか新聞の取材まで受けるとは思わなかった。偶然、相馬移民の編著者である二上英朗さんが居てご挨拶もできた。感謝。それにしても、恒久になるほどの財産を取り上げられてしまった結末は市民の人達にとって残念だと思われる。

こむこむ高校の投手サンちゃの瞳に燃える魂の光を、流転スージーのキャッチャーミットが捕らえた瞬間をヴェルトにてFacebookシェアした。(※スージー=中筋純さんのこと)

片桐功敦さんと中筋純さんがFacebook投稿していたのでリプライをつけてヴェルトでシェアした。

んだよなあ。
さすけねえサンちゃ、
とは言えねえ。
かわいそうでなんね。

木枠台の上で
恒久設置だなんて
なんか
嘘だったみたいだべなあ。

んだら、
お兄ちゃんらに
連れてってもらあべ
西方の良いとこさ

(吉
(お二人の文は下記リンクをクリック!)

華道家の片桐功敦さんがラジオに出ている。サン・チャイルドやご自身の活動経験に関連しつつ、現場を知ることが重要であること、これからの福島にこそアートが必要になってくるのだから今からが重要であること、社会として無かったこと隠すことなどをしないことの重要さが述べられている、と私は解した。渋谷のラジオhttps://note.mu/shiburadi/n/ndbc949771a0a

【撤去作業はクレーンなどを使って行われ、惜しむように眺める人や写真に収める人の姿も見られました。通勤で前を通るという女性は「撤去は残念で別の施設が引き受けるなど福島のどこかで活用してほしい」と話していました。市内に住む60代の男性は「撤去して終わりにするのではなく、原発事故とどう向き合うのか市民が議論していかなくてはいけない」と話していました。福島市は今後の活用方法について、関係者の意見も聞いて検討するとしています。】(引用 「サン・チャイルド」像 誤解招くとの批判で解体 福島 2018年9月19日 NHK

この件でいったん〆として私は、安藤栄作さんとの話し合いをSNSで持った。サン・チャイルド設置に関して批判的な意見を書いたかたである。お会いしたこともないのにだいぶ無理な相談だったとは思うが、安藤さんは気を使って付き合ってくれた。しかし私はTwitterの罵詈雑言を読むのにグサグサ来て疲れていたこともあり、ついつい、サン・チャイルドを批判してライク数もフレンド数も非常に多い安藤さんに最初から嫌味もかましつついろいろと言ってしまったこの9月21日。

しかしもし立場が違っていたら私もサンチャイルドに関して安藤さんのような批判を書いてもおかしくないかもしれないと思って実は読んでいた面も多分にあったのは、ある。そうであれば、もっと歩み寄るような話を最初からできたはずなのに、Twitterでのストレスごと持ち込んでギザギザしてしまったかもしれないと反省した。安藤さんからしたら、想定内ほどの福島を思う批評に対して、降ってわいた災難だったに違いない。

お互い最終的に丸く話が終えられて今はほっとしている。最初から丸く言えなかったのは私の不徳の致すところだと自認する。今回はとても良い学びになったのも、安藤さんが付き合ってくださったからだ。相手に敬意を持っている場合の話し合いはやはりためになると思った。議論や話し合いの基礎的な入口に、そもそも敬意を持っているか、相手の幸せを願っているaaか、などは、話し合う際の、重要なキー・チケットなのかもしれない。

本当の意味で大人たちが和を大事にできたら、サンチャも笑顔だろう。

* その後の論考に評論をしていく。

念のため補足すると、「意図は伝わりきらなかった」というよりは、「伝わる時間を持たされなかった」ということのほうが正確かもしれない。撤去要望者の数は、100も居なかったからだ。コラム凡語 サン・チャイルド 京都新聞 20180922

『発信で人を傷つけることは良くないことでしょう。では、「誰かが傷つく」ことを免罪符に善意の発信者をどこまでも、いつまでも傷つけることは許されるのでしょうか。SNSの普及により発信者と受信者の強弱関係がますます曖昧になる今、改めてそれを問うべきではないかと思います。』コラムSalonから 「サンチャイルド」撤去の象徴したもの 東京慈恵会医科大学臨床検査医学講座 講師 越智小枝 一般社団法人 日本原子力産業協会 20181001 これに関してTwitterあの界隈をすぐ思い付くが、いわば身内のような側からこうして言われたほうが聞くだろう。今回の全貌もほぼ公然の秘密化した界隈が主だ。

「心地良いものだけがアートでない」「ひっかかり」「考えさせる」。とても良い論考だ。ただし他の記事でも軒並みあるように「サンチャイルドだけ他と比較的に設置を急ぎすぎたかどうか」は、今後の検証があって初めて断定可能なことであるから、現段階では、「恒久設置という硬い決定を、1度断念するのに、果たして説得力を備えた理由なり状況なりが認められたかの検証」そして未来へは「もういちど恒久設置を復帰するためには、合意形成の場は何度開かれたら妥当か」などが重視されよう。 社説 福島の「サン・チャイルド」 設置と撤去が残した教訓 20180924

以下のブログは良いところを突いていると思った。
《サン・チャイルド》の何が問題なのか D Slender氏 20180926

特に私が目を見張った点は、表現者の表現を完全規制するには、受け手側に具体的な侵害またhその恐れが明白である必要があるということだ。人権と人権が衝突する場面を想定して、一方の人権が制限されるには、もう片方の人権が侵害されることが明らかでなければならないという意味である。人権相互の調整が問題とされる、公共の福祉の議論になっていく。

そして政治的争いをサン・チャイルドというアートに背負わせた点そして、「極端なデマ的反原発論を叩く意義は薄れている」(ファクトチェック福島などは例になるであろう)、「この勢力が、この度の美術作品排除に大きな役割を果たしたことは、決して忘れません。」そして最後も興味深い。いわば、デマを流し続けた人達とデマ叩き過ぎの人達が、サン・チャイルドへレッテルを貼るほど対立を煽っている面もあるのではないかという問題提起である。

むろん私は頷く。

以降、このページは、いちど書いたら終わりという記事ではなく、追記ができるウェブマガジンの特性を最大に活かし、時間とともに多様な記事が出てきたとき、追記なり応答なりといったウェブでの傾聴と対話の活動を丁寧にしていく予定なので時折閲覧願う(「前回までの話」も同様)。

ピカソを超える反逆児、岡本太郎さんは時代に合わせた「きれい」とは異なる「美しさ」という概念を持ち、醜悪すらも美とするところがあるので、たぶん、サンチャイルドが気持ち悪いなどと猛烈に言われてるのを岡本さんが聞いたら「良かったね、ヤノベさん、大成功だよ」と言うに違いないと思うに至る。批判も含めてアートなのだ。サンチャはいろいろなことを浮き彫りにした。本物とは、光が強いのである。(20181020挿入)※読売が取材してくれたときに批判も含めてアートという趣旨を撤去前に言ったのだが、記事が出ないようなので、書き記す。

サン・チャイルドは、パブリック・アートとして問題となったことで、その歴史性を頂上にまで押し上げた。パブリックな場所に置こうというチャレンジャーが居なければ、このようなことが美術史として残ることもなかったのである。チャレンジャーが、パイオニアとなった。サン・チャイルドは現時点で撤去になってしまったが、実のところ、温室から出してパブリックへ挑戦したからこその収穫は歴史的に大きいのではないかと私は考えている。

それというのも、被災の経験を伝達し、共有し、「公共の知」としていくことが、目的だったはずで、原子力災害を発端としたある現代アートをパブリックアートにすることへ挑戦していくことは「公共の知を構築していくことへの挑戦でもあった」のである。だから温室へ戻すという考えだと、そのことについて後退することは否めないだろう。それでも歴史的な転換点になったことは確かで、3・11福島の歴史に残ったことも確かだ。希望的な方向へ共感の輪を広げていきたい。

アートde哲学カフェ@福島市20181110

 ヤノベケンジさんを囲む会に、参加してきました。皆様の顔が見えてコミュニケーションできるのは、大変すばらしいことだと思いました。思えば「フクシマ発(現代書館)」でも同様のことを書いたのが、今も変わっていないのだと、気持ちを新たにしました。今回わたしは2つの道を同時進行させることをヤノベさんに提案しました(私のワードは「進歩と調和そして差異」が書き留められていました)。なにぶん自分は部屋の外に溢れた席に座っていたため全員のすべての話が聞こえたわけでなくそこは残念でしたが、皆様いろいろなことを語られていて、それらが司会のかたによってマインドマップになっていました。その風景は素晴らしいものがありました。これをきっかけに、皆様のアートや文化そして発信していく福島という存在が、ご充実されていくことと思います。わたしも皆様のご清栄を願って祈ることに致します。

吉田

サンチャイルドが面白い。吉田邦吉(ヤノベケンジさん作)

Some people say (General people in Fukushima got a statue which is called Sunchild made by Yanobe Kenji in order to make the peaceful world with new reneuable energy systems, but some people who like nuclear power plant are against its statue put in Fukushima however almost them are on Twitter and anonymous, being not a certain reason that they are real people in Fukushima. That’s why, nobody knows how many there are opponents in real. There seems many people in not Fukushima at least on Twitter.) You see this Guardian article. It might be not all facts. Anyway, I never agree with what Nazi government banned some art works as degenerate art in those days. Now a similar issue there is in Fukushima. People should think what is the difference between critic and ban by majority. Sunchild got Fukushima’s formal procedures. Hence, it needs the same formal ones just in case some people want to put it a different place. Since first procedures are already justified with its ideas.

福島では暑さが少し落ち着いて湿気のある最近。
親子連れがサンチャイルドと写真を撮影している。

【時系列の概要】
1、長いことヤノベケンジさんは放射能の関係で芸術活動をしてきた。
2、ある希望をもった作品サンチャイルドを創作した。岡本太郎さんの太陽の塔なども彷彿とさせる。
3、福島県の人達と福島市の市長が寄贈先の応募に申し込み、福島駅付近に設置した。
4、かなり時間が経ってから一定の批判が出る。多数の匿名からRTを受ける。
5、それなりの数で反論も出る。
6、紙面の都合上、賛成意見中心で、これをまとめる。

【説明】
福島市がJR福島駅付近に設置した6.2mのサンチャイルドという像に対して、原発事故の風評被害を増幅するとか科学的にあり得ないなどと批判をする人たちがいるそうだ。製作者のヤノベケンジさんが謝罪文を出したとのこと。防護服姿で脱いだヘルメットを手にし、空間放射線量の線量計を模した胸のカウンターには「000」と表示されている。「原子力災害がない世界」を象徴し、復興へ立ち上がる人々に夢と希望を発信する意図がある。

福島市長は真摯に耳を傾け、毅然としていらっしゃる。すばらしいことだ。今回のことは、一部の人達がネットで悪ふざけしているだけのことだろう(彼らの言葉遣いについて、そういうことへのマナー感覚というのが、まだないのだ。いわゆるネチケット教養という、リテラシーのこと、むろん全員ではないが)。話題の福島だから、いろいろある。でも、被災した傷を忘れず、希望も持っているサンチャイルドと市長そして福島市民である子どもたちが笑っているのだから、それが、何よりの証拠だ。市長のTwitterこちら。
https://twitter.com/hatabohk/status/1025526254697476096

ふくしま自然エネルギー基金代表理事の佐藤弥右衛門さんたちは県庁所在地の福島市に長年ご尽力なされてきた。やはり、これだけの大変な原発事故があって、風化防止や復旧復興の観点から、モニュメントがあって良いと私も思う。あれから7年半の現在、まだまだ課題の尽きぬ福島3.11の件での当事者性は限りなく深くて広い、人類概念より深くて国民概念よりも広いものだろう。そんなおり私もよく行く福島市がこうして現代アートのひきこもごもを希望してくれたという先進性には同じ県民としてたいへん誇らしい。

このたび福島市にヤノベケンジさんのサンチャイルドが寄贈されました。

ほとんどの昨今の人たちが直接に観たことはないであろうヤノベケンジさんの昔の一時のことについての批判がいまだにあることにつき、このツイートを見ていただきたい。

福島大学の新井教授よりFB投稿。

以上、よくわかるものだった。

河北新報の記事について、菊池氏の意見については、なんと言ってよいものか考えてしまう(河北新報の記事)。子ども用の、しかもいろんな考えを包含して、それでも生きていくという希望の意図がある現代アートについて、「科学的でない」とか「風評被害」とか……、ガンダムやウルトラマンにも同じことを言いそうだ。

子どもたちが一緒に笑って写真に納まる現代アートに「風評被害」とか「非科学的」なんて言われても、神経質になっている気がする。自分が気に入らないだけの理由で否定的なことを言うのは批判とは言わない。悪口とか不満と言う。ただ、現代アートに否定的なことを言うのも自由だ。どこに何を置くか常に現実の選挙で決めるのも自由だ。

しかし自由に批判して良いような公共のアートが、表現そのものの自由を規制されすぎる、つまり、撤去されるような、政治的に強い検閲を受けるように、もしなったら、今度は、公道のデモ行為が規制を受けるだろう。美醜とか、秩序とか、理由はいくらでもある。それから公共の出版物が表現に規制を受けるようになるだろう。最後は気に入らないという理由で人種や個人に及ぶ。そういうことを恣意的と言い、歴史が証明している。

みんな忘れている。FacebookやTwitterみたいに通報ボタンかんたん一発の多数決で、投稿から存在から、表現の自由すべてが奪われるかもしれない場所の、不公平な恐ろしさを。それと同じ構造として、おおやけの現実社会でまで表現の自由をかんたんに奪うような、つまり撤去の全てを否定しないが、それを簡単にしてはならない。批判すること自体はそれも表現の自由なのである。

今は、子どものオブジェがある。子どもたちは笑顔である。もし別の物で言えば、廃仏とか神社や教会の撤去とか、正式な手続きを経たのに、少数の大人が悪口を投げているから簡単に撤去などと、そんなことをされても良いのだろうか。正式な手続きを経た物事は、そういうことにならないことを意味する。丁寧な話し合いができる大人の人達とだけ話し合う用意が私にはある。

それに、サンチャイルドをイデオロギーと決めつけるのは間違っている。少なくとも行政と東電は県内で原発について福一も福二も、とっくに脱原発を決定している。地域で再生エネルギーは既に始まっている。そもそも3.11後の原発の是非は特にイデオロギーではない。政治的に常時一方通行でベキ論が固いだけのイデオロギーなどでもない。

数年前に起きた「音楽に政治を持ち込むな事件」のときは相当にその台詞への反感リアクションが盛り上がったものだったが、アートに政治を持ち込むなへの反感はまだまだ少ない。しまいには福島に政治を持ち込むなという無理を言うだろう、「代理戦争をやめろ」と言う形で言われるだろう。政治とは人々が暮らすところに起きる利害調整のことを言うのであるから、あらゆる人間の発言は政治的発言となる。

さらに、ごく一部で流行している圧力的な政治行動がある。「ある人達の政治的な行為が一部の人達のみから悪い評価を受けたこと」と、「何もし得ない像であるサンチャイルド」、これらをいっしょくたに混同させた印象操作をして、だからサンチャイルドは要らないというのも、おかしい。そんなことよりフクイチいらない。汚染バック要らない。デザインや風景論としても悪いし放射能は危険物質だから政府東電に言わねばならないと思い出す。

ましてや誰が賛成したかなどで反対を唱えるなど敵味方そして人間を排除する論理に他ならない。たとえそれが一種の批判とはなり得たとしても撤去要因まではいかないので、展示されたままで良いことになる。行政に寄贈されたものが私的な利権ということにもなり得ない。そもそも権利を手放すのが寄贈という日本語である。だれでもサンチャイルド像で常識的なイベントを企画できるパブリックなアート。社会通念から考えても、サンチャイルドは県内外で好評であり、デザインに撤去までの特殊事情は見当たらない。

また、そこまで放射能を気にかけるならフクイチのデブリや目の前にある汚染物質のリアルのほうが、ずっと気になる。この列島に防護服だろうと宇宙服だろうと街中にいろんな姿があって良い。それらを着て仕事をしている人達がいる。安易な軍国主義の礼賛などではない。股間部分に関しても、放射線と遺伝子の論点を思い出すし、性器や血管や臓器など人間の器官を保護することを連想させ、宇宙でのことだろうと地球上のことだろうと、重要な示唆も受けられる。

イデオロギーを言うならアートのゼロ表記ぐらいで風評被害ベキ論を強く押しすぎて表現の自由を後から他県の人達がTwitterで多数の匿名に扇動して新聞にそれを県民から批判などと書かせ結局は撤去要請までいき検閲と同じことをして表現を奪うほうがイデオロギーである。数値を見るならモニタリングポストもあるしテレビやラジオでは天気予報もある。

しっかりとした判断力をもって、精緻な解析力を醸成していきたい。この場合は、法的というよりは分別的な言い方で、事理弁識能力と言っても良いのかもしれない。ただの悪口、ただの敵味方、ただの呪い、そういう考え方でなく、それが自分に、どのぐらい受け入れ可能な言説・表現かだ。キビタンにだって不満な人達も賛成な人達も山といるだろう。

いつでも認められるときは相手の意見を認めて仲良くできる用意のある者しか、議論に参加できないと私は思う。むろん、公共の場所にこの手のものを置くのが嫌いだという意見はそれはそれとして成立するだろう。しかしそれは公共の場所にその手のものを置かないのが嫌いだという意見と同じである。

ヴェルト編集者のひとり伊藤さんはサンチャイルドの機能を考え、こう述べる。そもそも自分にとって新しいものについて急に好き嫌いなどが発生するような人達はどれだけいるのだろうかということ、同時に、大人としての判断、そういうことも考えさせられる良い投稿だと思う。

8/25あたり土日サンチャイルド大喜利が密かに良い感じ。

8月22日、写真家の中筋純さんがサンチャイルドに関して写真と文を投稿した。こころに来る内容にほっと癒された。こういう風に大人の経験豊かな人達からの感想ご意見をどんどん知りたい。中筋さんの眼力きわまる撮影に感謝。

ちなみにヤノベケンジさんが謝罪文を出していることについて、良いことだとわたしは思っている。すでに周知期間も過ぎ、実行の段階とはいえ、もし万が一、福島原発事故の被災当事者を傷つけてしまったら申し訳ないことだとヤノベさんは思っていることを表明したということであり、そのことにもわたしは賛同したい。通常の謝罪文とは意味がちがう。

市長から真摯なコメントがさらに出ている。
市長のTwitterで子どもたちの笑顔がなによりである。
http://www.city.fukushima.fukushima.jp/hisyoka-hisyo/shise/goannai/shichonoheya/mayor20180813.html

福島でのイベントも重ねてこられたようだ。

赤坂さんの随筆が発行された。あらゆる論点が短い論考のなかに凝縮されていて、なおかつ、思いやりのある、優しい文になっている。この記事に対してオリエンタリズムという批判が見受けられたが、私としては、ルサンチマンにはなりたくないと思った。早速、たまたま話した、福島県にお住まいの人たちに私は感想を聞いてみた。余談だが、赤坂さんは福島県の血をひくかたである。

福島県にお住まい、農家の60代男性に伺いました。
「難しい記事だな。二度読んだけど。ゼロ……日々、暑い中、農作業なんかしてると、ゼロ……、原子力の事故はないほうが良いから、うん、そうだな。そのほうが、良いと思う。」

福島県にお住まい、研究者の70代男性に伺いました。
「いろんなジレンマがあるでしょう。過去に、汚染で被災した地域では計測なんて一般の人達はしてなかったと思います。わずかの放射能を気にするのも気にしないのもある。しかし数値にこだわることで人に対して神経質になりすぎないのが良いでしょう。いろんな考えがあると思います」

当該記事URL 日曜論壇 福島民報新聞 2018年8月26日
http://www.minpo.jp/news/detail/2018082654732

ふくしま30年プロジェクトがリツイートしている。

7月初旬には記者会見もしている。

本当に、「関りづらい福島」ということにはなってほしくない。「ひらかれた話のできる福島」であってほしい。そこで当事者性の論点は、ただいろいろなことが多様で重層にグラデーションになっていて、それを良いとも悪いとも言える。要は用い方次第のものごとなのである。

絵になるとまた違う雰囲気になる。

小林さんの感想が出た。いつも本当に優しい。

実にそう思う。今回の件は、グルメのサイトなどで、人様のお店のページにまでいって平気で星一つをつけ、悪口まで書き残すような行為に似ている。私はそういうのを見ると、正直、昨今のインターネットの悪質さに悲しくなって気絶しそうになる。

ご本人

福島県の二本松市には、フローラという像が来たことあるらしい。

サンチャイルドとフローラ。
福島に来てくれたこと有難し。

市では、像の近くでアンケート調査を行って対応することとした。(時事通信

・同月18日の追記
福島民友新聞の社説(8月18日)「サン・チャイルド/賛否を福島の未来への糧に」にて、こうある。「賛否両論があっていい。ただ、想像の産物である芸術作品に対して、科学的根拠を求めるのは意味がなく、撤去を迫るのは妥当ではないだろう。」 河北新報の記事に対する私の反論と同じのようだ。多様な考えを学べるチャンスでもある。それを民友はタイトルで「賛否を未来への糧に」と書いた。市長は「真実」を探求するとある。

ほか、東京新聞もサンチャイルドを取り上げている。

ーーー

これも雰囲気ある。

「作品の意図に共感するので、撤去しないでほしい」という意見もあり、小学5年生の男の子は「福島と原発は切り離せない問題で、像は明るい表情なのであっていいと思う」と話し、福島市に住む別の子育て中の女性は「賛否両論があるのは知っていますが、福島に住む人としてはあまり騒ぐ必要はないと感じています」と話し、たとのことだ。参照 防護服子ども像にアンケート調査 2018年08月18日 福島NEWS WEB NHK

福島市が設置した防護服姿の子どもの立像に「東京電力福島第1原発事故の風評被害を増幅する」などと批判が相次いでいる問題で、木幡浩市長は22日の記者会見で「像を見て福島が危ない地域と思う人はいないと思うし、子どもが立ち上がっている姿だと思うのが一般的な受け止めだと思う」と反論した。防護服像問題で福島市長反論「危ないと思う人いない」2018/8/22 ©一般社団法人共同通信社 同様 福島民報新聞 20180822

「原発事故のあとアートで福島の復興に貢献したいと制作されました。「子どもが想像力を膨らませて、希望ある未来を感じて欲しい」とヤノベさん。芸術を間近で感じることは、とても刺激になりますね。」2018年07月06日 (金)芸術を 間近で感じる 至福の時 @吾妻謙 はまなかあいづtoday NHK福島

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と、……ここまで読んでいたところ、この写真を見つけてわたしは大爆笑した。「な、なんだこれは!ネコがいる!」。この黒ネコは二本松に居るらしい。でかい。なにでできているのか。

出典:https://blogs.yahoo.co.jp/takecyann2_40/69584883.html

出典:https://blogs.yahoo.co.jp/takecyann2_40/69584883.html

白ねこ版もあるらしい(笑)

http://yanobe.hatenablog.com/entry/2017/06/18/074128

こんなのもあるらしい。明かりが、きれい。どんどん変化している。

どうやら、ship’s catというらしい。「船の猫」。なぜシップスキャットができたかはご自身で探索をしてみるのも一興だ。このイラストがあることでまとまりが出てきた。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/y/yanobe/20170615/20170615085322.jpg

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/y/yanobe/20170615/20170615085322.jpg

シップスキャットがパリの展覧会に出た。
https://www.fashionsnap.com/article/2018-06-20/shipscat-yanobe-horiki/

いろいろ揃ってくると、これまた違う世界が見えてくるような気がして、面白い。ヤノベケンジさんの考えている、いわば、なんだろう。ボーダレスな「宇宙双六」とでも言えそうな作品が面白そうだ。やはり、くちゃくちゃした大人の屁理屈なんぞよりは、無邪気なこころが観て「わー!」とか「なにこれ!」というのが、いかにも楽しそうである。

わたし個人の意見を最後につけさせてもらえれば、わたしはいつも、「このまま世界最大の原発事故レベル7の被害ばかりを抱えて、それでも生きている、生きていくことを、だれにも伝えられず、共有もむずかしく、いったいどうしたら、道ゆく人々と、何かを共にできるだろう」と思っていた。あれは、目に見えないのである。

巨像の、ちょっとした驚きによって、だれかとサンチャイルド談義が出来る、それだけでも共有は始まっている。そこではむろん、賛否両論ひきこもごもがあって良いのであり、それを引き出すことこそが、現代アートの役割の一つだろうと私は考える。潜在化させると物事はろくなことがない。明るい社会へ。サンチャイルドへの愛称も募集してるそうで楽しみだ。

3・11ということを忘れないという風化対策も重要だ。忘れて良い個々人の気持ちやトラウマがある。いっぽうで忘れるべきではないこと受け継がれるべき大事なこと、老若男女にとって、様々にある。そこをうまく次世代へ、リレーしていくことが福島の、道義的な責務である。原発の存在こそトラウマだ。

われわれ人類の傷と希望と、両方を体現してくれる共通のアートが、3・11後、ちょっとぐらいあっても良い。ましてやサンチャイルドは社会通念上、穏健だと私は思う。共通のアートは、他にもずっとたくさんあってしかるべきだ。いっそのこと、アートやネコが街にあふれかえるぐらいに!

現代美術は、交流の機会、コミュニケーションのスイッチになる。これがかなりの重要な、それでいて、美術の枠にとどまらない普遍的な役割を果たしてくれることが、やさしい文体で、よくわかった。

ヴェルトガイストフクシマfbページ

ーーー

追記18日

そうだったのか。歴史を持って未来へ向けた平和と創造のアートなのである。ふんわりとした雰囲気が、でてきた。

なるほど。これはすごい。芸術品だ。

ウルトラ・サン・チャイルドかっこいい!

さらなる無限大の展開も期待したい。

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8月28日の昼、サンチャイルドを現在の場所から撤去する方針であるというNHKニュースが流れた。以下である。防護服着た現代アート像 撤去へ 福島NHKNEWSWEB 20180828 12:48

原発事故からの復興への願いを込めて設置された防護服を着た子どもの現代アート像について、福島市は制作した現代美術家のヤノベケンジさんの意見なども聞いて検討した結果、撤去する方針を決めました。28日午後にも記者会見を開き、発表することにしています。現代アート像、「サン・チャイルド」は、防護服を着た子どもがヘルメットを外して立ち、遠くを見つめてほほえんでいる高さ6.2メートルの作品で、平成23年に現代美術家のヤノベケンジさんが、震災と原発事故で深刻な被害を受けた福島の復興への願いを込めて制作しました。制作後、日本の各地で展示されたサン・チャイルドは福島市に寄贈され、先月28日から子育て支援施設「こむこむ館」前に設置されました。しかし、像の設置後、「原発事故のあと、福島市では防護服が必要だったと誤解を招く」などの撤去を求める批判的な意見が市に寄せられていました。福島市はヤノベケンジさんの意見や、今月17日から実施したアンケートでの市民の意見を検討した結果、現在の設置場所から撤去する方針を決めました。福島市は木幡市長が28日午後、記者会見を開き、発表することにしています。ヤノベケンジさんはNHKの取材に対して、「不快に思われた福島市民のみなさま、応援してくださった市民のみなさまに、改めておわびを申しあげます。大変残念ではありますが、こむこむ館前に置き続けることで苦しむ市民の方々がおられるならば、展示を取りやめた方がよいという結論に至りました。また、これ以上、市内外の人々を巻き込み、対立が生まれることは避けたいと思いました。展示する場所、時期、方法によって受け取られ方は変わりますので、細心の注意を払うべきでした。今回のことを真摯(しんし)に受け止め、できる限り多くの市民の皆様と対話させていただき、一から精進してまいりたいと思います」というコメントを出しました。以上

夜にはウェブが出た。街の声があった。交流できた機会だったかもしれないと思うと、寂しさがのこる。福島 NEWS WEB 防護服着た現代アート像 撤去へ 08月28日 20時02分。引用はじめ この問題について福島市は市民に意見を募り、今月17日から27日までに意見を寄せた110人のうち、移設を含めて撤去をするべきだと答えたのは75人とおよそ70%を占めたということです。

【撤去で街の声は】
現代アート像、サン・チャイルドが撤去されることについて、福島市の女子大学生は「SNSで写真を投稿する友達がいてよく目にしていました。像の設置について賛否の意見が寄せられていることをニュースで知り、設置に関してそこまで神経質にならなくてもいいのではないかと感じています」と話していました。
また、郡山市の子育て中の40代の男性は「この像があることで風評被害が出るのであればいやだと感じます。しかし、設置するにもたくさんお金がかかったと思うので、この短期間での撤去はもったいないとも思います。すぐに撤去という結論には何とも言えません。複雑です」と話していました。以上

フクシマ発(現代書館)での私の意見と近い。

Twitterが荒れている件について精神科医の堀有伸さんがコメント。

美術手帳から記事が出た。

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また、震災以前よりヤノベケンジと関わりのある福島県立美術館の学芸課長・荒木康子はこう話す。「(いち市民として)作品に対してどういう感想を持ってもいいとは思います。美術とはそういうものではないでしょうか。ただ、設置にも撤去にも、時間がもう少し必要だった。美術だけに限りませんが、意見の対立で終わってしまうのはあまりにも悲しい。そうではなく、(時間はかかるかもしれませんが)相互理解を深めることが必要ではないでしょうか」。

……(写真挟み)……「福島県立美術館の常設展で展示されている10分の1スケールの《サン・チャイルド》。同作に対して批判が寄せられたことはないという」とのこと。なお、市によると作品の撤去時期については未定。撤去後の取り扱いについては「いずれかの施設で保管することになると思う」としながらも、具体的な予定は立っていないという。今後、作品を撤去するだけでなく、作家や行政、そして市民との対話の機会が設けられるのか。経緯を注視したい。編集部---以上 福島に設置のヤノベケンジ《サン・チャイルド》が撤去へ。時期と収蔵先などは未定 20180830

震災以前からヤノベさんの活動を知る福島市在住の詩人、和合亮一さん(50)は「関係者に悪意はない。撤去決定でも傷ついた人がいると思うと残念だ」と話した。【宮崎稔樹、岸慶太、柿沼秀行】防護服子ども立像撤去、市長が表明 批判が相次ぎ 毎日新聞2018年8月28日

また「震災や被災者をテーマにすると面倒だ」という風潮が広がっては、災害の教訓や被災者の無念を風化させず後世へと伝える上で、逆効果ではないか。その点、撤去が決まったとはいえ、福島市の木幡浩市長が当初、批判に対し「サン・チャイルド」の制作と設置の真意を丁寧に説いたのは、意義深い対応だったといえよう。美術も文芸も、創作の営みはなべて自由な思念や感情の表れだ。社会の規範や科学の知識のしもべではなく、逆に常識や先入観を疑い、揺さぶり、社会に問題を提起する意味合いも大きい。心ある表現者による創作とそれに対する意見が、反目や排除に向かうのではなく、互いの主張を認めつつ社会をより豊かにしていく対話の起点となるよう、議論を深めたい。震災とアート 反目より対話の起点に 中日新聞 20180905

国立遺伝学研究所の川上浩一さんがコメント。

画家の山内若菜さんの絵が、すごくてすっかり私はファンになった。
福島に来てくれているらしい。見に行きたい。

今回「パブリック」であることが、サンチャイルドの最大の論点であり、全員の一致は見られないから、(暗にTwitterでの炎上と)数十件の批判が投函されたことが、市長の行政行為を超短期間で覆すほどの撤去要因とされてしまった。おそらく何をしても数十ぐらい批判は来るときは来る。簡単に動いて良いのだろうかと心配に思う。

夏休みに子どもたちは嬉しそうに親子連れで写真を撮影していったその思い出を考えるに、もっと法的安定性などの方面も重要視してよかったかもしれない。戸惑うだろう。あれほどのものが、一度置かれてすぐとは、いったい何故に、市民の財産が突然に無いのかと。現代アートや街づくりについて専門家の意見を仰いでも良かった。

これからみんなで学ばれていくことを希望する。

ある撤去派の意見では、置くのが美術館などであればこのアートは通常のアートなのだそうだ(しかし「こむこむ」は文化施設であり使節内部なのである。おそらく駅のド真ん前にあると誤解していたり、まったくの外にあると思っている人も大いに違いない。ネット上の議論だから)。

私にはまだどの批判も首をかしげるのだがとにかく決まったは決まったことだ。設置から一か月だった。それで一文を書いた(20180828)。

太陽の子サンチャイルド

それは今は、公開しない(9月末から公開)。ただ、あれを見て一緒に遊んでくれた子どもたちや、福島は忘れられてないと思ってくれた人たちに、とにかく、ありがとう。

*こちら

8月30日夜、
子どもの像とモニタリングポスト2018年8月30日
NHKニュースの最後にこんな一言が添えられていた。

「福島と向き合って!」

SNSの特性ニュースしかり。
NHKは福島を見てくれている。
ありがとう、メディア。

ーーー

今回のいきさつを謝罪したうえで、「さまざまな声を聞きながら、これからも堂々と福島に関わり続けたい」と述べました。9月5日福島大学で開かれた、今月9日から県内で行われる現代アートの祭典「福島ビエンナーレ」の記者会見に、現代美術作家のヤノベケンジさんは参加アーティストとして出席しました。ヤノベさんは、平成23年に復興への思いを込めて防護服を着た子どもがヘルメットを外して立ち、遠くを見つめてほほえむ作品「サン・チャイルド」を制作しました。この像は市に寄贈されて、ことし7月から子育て支援施設の前に設置されましたが、「福島市では防護服が必要だったと誤解を招く」などといった撤去を求める批判的な意見が寄せられ、先月、市が撤去を決めました。
会見の冒頭でヤノベさんは謝罪したうえで、批判や撤去の判断については、「市民の声を置き去りにして設置を急ぎすぎたことに反省とふがいなさを感じている。このままでは対立や分断が広がると考えると、一度撤去してから冷静に丁寧に議論した方がよく、撤去の判断を真摯に受け入れたい」と述べました。そのうえで、「このままではほかの表現者の萎縮にもつながりかねない。これで終わるのではなく、さまざまな声を聞きながら何をすべきか探すチャンスがほしい。これからも福島のことを勉強して福島にしがみついて福島に堂々と関わり続けたい」と抱負を語りました。ヤノベさんは今後、福島の人たちと意見を交わすことを検討しているということです。ヤノベケンジさん会見の場に 福島 NEWS WEB NHK 20180905

続きがありそうで良かった。
へこたれない姿勢を学びたい。

熊川が泣いている。吉田邦吉

20180522 東京電力福島第一原子力発電所 撮影:吉田邦吉 大熊町 Fukushima First Nuclear Power Plant

20180522 東京電力福島第一原子力発電所 撮影:吉田邦吉 大熊町 Fukushima First Nuclear Power Plant

 初夏の陽射しが強い5月22日。フクイチが目の前だった。小さな崖を降りれば目の前にフクイチが居る。あの野郎が居るということだ。まだ居座ってやがった。しかしここは潮風が吹きつけ、寄せては返す波間に、美しそうな海、東のほうには船が浮かぶ。中筋純さんと宮尾節子さんが東北旅行だそうた。私は一部の案内をした。大野駅は言っている、「観光名所 原子力発電所」。中筋さんにはいつもお世話になっている。新しくできた立派な大熊食堂を御馳走になった。高い。地元の人は誰も来てない様子だったが原発関係の人が多いのかもしれない。周囲は東電ヒルズのような住居群が建てられていた。食堂のサイズの割りに小さい客用駐車場は彼らでいっぱいだった。「客用」。宮尾さんの「明日戦争が始まる」に私は影響を受けた者の一人だ。宮尾さんはふるえながら「笑顔」という詩を読んでくれた。スクリーニング場ではF1レースのピットインのように大勢が声をあげて一気呵成に仕事を為す。ああ海……この海は太平洋!この向こうにはアメリカ!昔からそう思った。太平洋と草木たち、の向こうにはフクイチが!原子力は爆発した!ゲートだらけの「off limits area」には日本のために押し付けられた闇のピラミッドの群れが森をなしていて、その奥には、やつが潜んでいた。わずかのぞかせるやつの顔を私たちは肉眼で見た。大地震と大津波で家がボロボロのまま。あとは基礎だけ。まだ瓦礫がある。その付近の神社にはむかし巨木にカミナリが落ちたような記憶がある。その周りを黒い山が囲み始める。音もなく匂いもなく、色もなく味もなく、ただ、ぎらぎら、ギラギラ、ギラギラ、ギラギラ、みんな吹き飛ばした。・・・・・・振り返れば、そよそよ、さらさら、きらきらとかがやいて、細くなって流れていた、熊川の光が、ひんやりした海に、とろけるような黄金色で、よこたわっていた。たまたま計測した地点の砂浜は県内でもだいぶ低いほうだろう0.07mSV/hだった。だれかが山のような瓦礫を片づけた後だった。ひっくりかえった堤防に小石が積まれていた。線量が高いのは地面だった。電気柵に囲まれた牛たちが梨畑に居て草を食べていた。「やあやあ」集まってきた。「そうやって挨拶するの?」。少し話した後、ぶふぉん!ぶるうん!なぜか猛ダッシュでリーダー格の巨牛の号令か、どこかへみんな走っていったのは迫力があった。マイペースな数匹は行かなかった。草むらにはイノシシが居た。家々の跡に大津波がつくった潟があった。あやめが咲いていた。野ばらは美しく咲き誇っていた。大自然が飲み込もうとしていた。朽ちていく匂いがした。白い月があがっていた。「女の子が傷ついた理由を泣きながら話すとき、ひっく、ひっく、となりながら、言葉になっていないのに、伝わること」「はい、ニラの苗」「詩は人間の感情を文字という記号に転化させたもので、いわばレトリックを超越した呻きのような、人間の原始の言葉そのものだね」「ずっと思い続けてきた場所が今ここに!」。黄色い屋根の喫茶店がなくなっていた。酒屋さんかもしれない大谷石造りの蔵は今も在った。友人の家がなくなっていた。見慣れた風景がところどころ消えてなくなっていた。傷だらけ。しかしまだ100年も前に存在したかもしれない青春を思いながらクラシック音楽を聞くようなセピア色の風景のなかに居た。ここで遊んだんだ。すこしの貝殻に、さらさらの砂に、海の家があって、浮輪があって、沢山の人達が居た。きれいだな、本当にきれいだ。

2018年5月22日 大熊町熊川海水浴場の熊川 撮影 吉田邦吉 Kumagawa river(しかし標識にはkumakawaとあり、あれは間違いではないのか)

2018年5月22日 大熊町熊川海水浴場の熊川 撮影 吉田邦吉 Kumagawa river(しかし標識にはKumakawaとあり、あれは間違いではないのか、正確には「くまか゜わ(kumag̃awa/ kumangawa)」だ)

※後日、お二人が作品を創造してくれた。
吉田果樹園の除染前後 中筋純 201806 
スピカ 宮尾節子 20180615

磐城の山々 吉田邦吉

 ああ、こんなにいわきの山々って美しかったんだ。

 山国会津で培われた観察眼に違いない。春4月初旬、温かく、いつものように明るい陽射しが照らしていた。今年は双葉郡の桜も会津の桜もみな一度に咲いたぐらいだった。三春はすごいことになっているに違いない。どことなく春ぼけしたまま車に乗る。平のロッコク(国道6号線)辺りで桜が咲いていたのを眺めた。差塩(さいそ)辺りだとたびたび思うが。ふわふわもこもこと雑木が色とりどりになりつつあった。黄土色から茶色、緑の木々に、薄桃色、濃い桃色、白色、黄色の花々そして椿が咲いていて、会津では少ない竹が浜通りには生い茂っていて、家々が犇(ひし)めき合っていた。避難の友人たちともときどき話すが今回はいわき市で90歳のお爺ちゃんとたまたま話した。あの辺に住んでる。ここから近い。ちょっと耳が遠いんだという合図をしていた。誰も何も言わずとも「うん、うん、うん」と、何度も小さく頷いていた。口数の少ないおじいちゃんの眼はとても優しく、この山々の春のようであった。昔々、磐城で私が観るモノは何だったか、少し考えていた。洋服、アクセサリー、小物、音楽、食べ物、海、……ふつうの暮らしがそこにあったことを思い出す。幼い頃はスケート場にも行ったことがあった。双葉郡の外で買い物と言ったら、南相馬または、磐城であった。稀に郡山、そして仙台または東京である。いわきの今は、どうなったのだろう。あの直後から昨年までと今年とでは、また違う風景になった気が最近している。磐城を出るころ、磐城は暴風警報だとラジオが伝えたのは、阿武隈高原あたりだったか。

 雪の縞が残る磐梯山は雲に届き、その上に繋がっているかのようだった。

通巻12号「夢語り」著:吉田邦吉 発売開始2018年3月

単行号(通巻12号)
2018年3月発売「夢語り」(yume gatari)
40頁、定価550円 ISSN 2189-4639

WELTGEIST FUKUSHIMA 12号 執筆・編集・発行:吉田邦吉 2018年3月 

WELTGEIST FUKUSHIMA 12号 執筆・編集・発行:吉田邦吉 2018年3月 

解説
 自分が観た夢を詩の形式で語る。3・11原発避難の文として異色かもしれない。
 それを心理学の研究基礎にしようとする意欲作である。

執筆・編集・発行
 吉田邦吉

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定価550円

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