私がカメラに納めたもの Yoneda hiroshi


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ベルトガイストのライター 米田です。
群馬の工場で出稼ぎしてます。

久しぶりの投稿になりますね
12月に群馬の自動車工場に職をかえたばかりで
なかなか忙しく。。と言い訳しておきます

仕事にもなれてきて、ちょっと余裕ができて
この2ヵ月間は、様々な場所に行き写真を撮ってきました。

カメラは19800円で中古。。。

編集はスマホ。。。

で申し訳ないのですが

ライターとして、記録として
ここに残します。

この他にも
藤の花、戦争の遺構、福島
いっぱい撮りすぎてしまい
文も写真の編集も追いつかず。。。
少しづつ投稿でればと思っています。

今回は動画のみの投稿

今後ともヴェルトガイストFUKUSIMAをよろしくお願いします。

上の写真は期間従業員の寮の部屋から見える風景…群馬の工場地帯に電気を送るための送電線で福島第一原発につながってます
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カメラの望遠の倍率を少しづつ変えた写真をつなぎあわせてみました。

 

初めて機関車にのる

 

チェルノブイリと福島を撮り続ける写真家  中筋 純さんの写真展の様子です

 

今年は桜の写真を4000枚は撮りました

 

GWに避難解除されたばかりの飯舘村にいって来ました。人がいなくなって美しさが倍増したと友人がいいます。
本当に美しい村です…ゆえに悲しい村です……

 

中筋 純さんの写真展が埼玉の飯能市で開催された時に納めたものです

イベントで朗読会がおこなわれ
歌人、詩人、写真家のそれぞれの感性が合わさり
悲しみ…怒り…優しさ
心打たれました

2017年3月31日 酒井 政秋

2017年3月31日

帰還困難区域を除き避難指示が解除された。

わたしは故郷の”その時”を感じたくて、飯舘村に向かった。

飯舘村に入った県道12号線(福島市ー南相馬市を結ぶ県道)には黄色の幟旗が掲げてあった。幟旗には「避難指示解除」と「おかげさまで」と書かれていた。

その姿は異様に感じた。いつか感じた光景とダブった。それは、除染が始まったときに、「除染作業中」の幟旗とこの異様な感覚が似ていた。

「これが…飯舘村⁈」おもわず一人車中で呟いた。

運転中の足が震えた。途中車を止めて、深呼吸。

なにか悪い夢を見ているような感覚になった。

これも現実だと自分の心に受け止めるまでに、時間がかかった。

今、村政は狂っている。素直にそう思った。

飯舘村は自主自立で、あるものを活かし、つつましく丁寧に心をこめて、村政をやってきた村ではなかったのか⁈

復興予算は適切に使われているのだろうか⁈

疑いたくなる光景を目の当たりにした。

これから飯舘村の未来はどうなるんだろう。

真の問題解決しないままに、この村は何を目指して生き残っていくのだろうか?

自分の心に様々な感情がうごめいている。

今日、はっきりわかったことは、「この村に帰らないんだな俺は。」ということだった。

それも受け止めながら明日を生きなければならない。

幟旗

 避難指示解除にあたって思うこと・考えること 酒井政秋

原発事故から7年目の避難生活も3月31日には帰還困難区域を除き避難指示解除となる。しかし問題が解決したからではない。未だに除染をしてもなお1μ㏜/hのところも数多く点在している。安全にというには程遠い。この避難指示解除に至る経緯について村の説明によると原子力災害対策本部長(安倍首相)へ要望書の提出(平成28年4月5日付・村と議会連盟提出)し村が政府に要望したという形で決議された(※1)。大半の村民は解除の一報に唖然としたことだろう、それは村民に周知する前の解除の一報だったからだ。いつもそういう大切な事案は決定されてからの説明会及び懇談会を開き、ただ決議された内容を話すだけの何とも奇妙な説明会や懇談会が行われる。そんなことが6年も続いた村民は疲弊をしてしまっている。それは、自ずと国の思うつぼなのかもしれない。当事者を疲弊させ、「言う口」を減らした方がスムーズに物事は進んでいく。そうして6年の間に切り捨てられてゆく村民を目にしてきた。

「どうせ・・・」「しょうがない・・・」そんな言葉が蔓延しているのは確かだ。

4月からは村に帰らない人は自ずと避難者から「自主」避難者となる。
村からも何れは切り捨てられるだろう。
けれど、我が故郷は飯舘村に違いはない。
飯舘村はのどかな村だった。
飯舘村は放射性物質にも汚染されたが、この6年で国にも汚染された。
村と国はズブズブの関係を築き、今まで村民が築きあげたものを次から次へと壊していった。
このまま壊されたものを諦め、見なかったことにして飯舘村として見過ごして果たして良いのだろうか。
小さな田舎社会というものはしがらみがある、けれど、今まで築きあげたものを押しつぶされて、それすらなかった事にされてもなお、頑張っぺ!なんて言えるのだろうか…。

村の行政区総会説明資料(※2)によると、前年度より2倍を超える212億3500万円と過去最大の予算額だ。その内容は、学校等再会整備事業・スポーツ公園整備事業・復興拠点エリア整備事業・被災地域農業復興総合支援事業などの事業により、昨年度と比較し120億7700万円の増であり、その中で、復興対応事業分は約177億円と予算全体の約83%を占めるという。

それが飯舘村らしいやり方なのだろうか…?

つつましく、あるものを活かし、自主自立で「までい」な生活をスローガンとしていた村が次々とハコモノを建てたり、整備したり。戻る村民の負担にならないだろうか。確かに6年放置された建物は老朽化して使えないかもしれない。けれど、それだとしても、あるものをリフォームして使うことだって可能だったはず。そのツケは未来の村民に重くのしかかってくるはずだ。維持費や経費などを考えると莫大な費用はかさむだろうに…。

それで果たして「飯舘村の復興」というものなのだろうか個人的には疑問である。
わたしだってこんなこと好きで説明会などで言っているわけでもないし、書いているわけではない。
黙って見ざる聞かざる言わざるをするほうが楽だ。しかし、それは未来への棚上げではないのだろうか。
何れは未来の村民に振りかぶって苦悩するのではないか。だとしたら第1当事者が言い続けなければならない。そして、綴り残さなければいけないのではないか。
原発事故というものは途方に暮れる問題だ。
しかし、このまま解決していない問題を解決されたようにされていいのだろうか。

これから起こるかもしれない実害と日本が抱えている社会問題の縮図がこの村に襲い掛かってくるだろう。

限界集落・高齢化・介護・孤独死・少子化・村の存続など多岐にわたる問題とこの原発事故による低線量被ばくの問題・健康被害・風評という実害。

元の村民らしい生活ができるわけではないのだ。どこかで我慢しながら生活をしていかなくてはいけない村になってしまう。

自然と共存・共生してきた村は、もうそれはできない。生態系は崩れ、民家にまでイノシシや猿が来ている。6年、人を見なくなった野生獣は「境界線」が無くなっている。まずはその境界線対策を練らなければならないだろう。四季折々の山菜はもちろん食すことができない。畑で作る野菜もその都度計測しなければ食べれない。そして、村民にはガラスバッチをつけ、積算線量を計測しなければそこでは生活できない。介護の問題もある。村では介護を受けることができない。なぜなら、介助する人員がいないためだ。

これが現実問題なのではないだろうか。

非常に目に見えないものに抑圧された生活となるのではないか。

それでも解除が喜ばしいことなのだろうか。

現実よりも幻想の中で、生きる為政者たち。

その幻想は現実村民の苦悩にならなければ良いなと切に思う。

本当の問題解決までにはあと何十年…いや何百年かかるのかもしれない。

100年先、200年先、300年先にあの大地がそこに住む人々が輝きを取り戻している事を希望にしながらこれからも伝え遺していきたい。

 

iitate

 

 

 

※参考資料 1)村民自治会懇談会資料より引用 2)平成29年度行政区総会説明資料より引用

福島&チェルノブイリ写真展(感想、わたしの場合)吉田博子

 
 
  
中筋純さんの写真展「流転」福島・チェルノブイリ
福島展 が、今日から始まりました。(福島テレサ4階)

流転リーフ2
中筋純さんとは夫と共に飲食や旅をご一緒し、
ありがたき豊富な体験から学ばせてもらったり……と、
日頃から大変お世話になっている先輩です。
寛容で誰にでもフランクに接してくれるので話しやすく
仲間内でも後輩思いで知られる純さんは、わたしたち夫婦、
また、ヴェルトガイスト・フクシマのライター陣にとっても
お兄ちゃんのような存在です。
  
  
☆ 感想 わたしの場合 ☆
中筋純さんの写真から「温度」を感じます。


本来冷たい場所のはずですが、
光や、命の輝きに暖かさを感じます。
(郡山)会場にいて、
展示されている写真を見てホンモノの窓だと錯覚し
差し込む光に吸い込まれそうになりました。


特に右下の風景(↓)からは冷たさを感じます。
今でも、いつでも思い出すだけで凍えることができます。
そこは極陰の世界……
「身の毛もよだつ」 「ゾッとする」のです。
サーモグラフィー検査をしたらきっと、
わたしの体温が下がる場面を目撃することでしょう。

チェルノブイリ

チェルノブイリ


  
ご覧になったみなさんも、
みなさんなりの体感、感想が湧き出して然りで、
それは感動から出てくる感覚ですよね。
共有できたら嬉しいです。

今日から20日まで、福島テルサ4階です。
  
  

農業書センターに行く

先月、農山漁村文化協会(農文協)の直営店である、農業書センターを訪ねました。
場所は東京都の神保町駅出てすぐのところにあります。
私がこの書店を知るきっかけとなったのが、猪瀬浩平著『むらと原発 窪川原発計画をもみ消した四万十の人びと』に纏わる告知をSNSで知ったことのあたりにあります。

農業書センターは、農業の専門書が豊富です。『現代農業』『季刊地域』『うかたま』は、私が暮らしている北関東の大きい書店でも小さい書店でもよく見かけます。これら雑誌の面白く、魅力的なところは、農山村・漁村の暮らしている人々の、農山村・漁村ならではの課題とその解決の仕方や、郷土食などを、時に溌剌と、時に魅力的に扱っているところです。これらの雑誌の文体や紙面の主だったところから感じられたのは、土や水から離れた言葉で語り、そんなところから見ようとした農山村・漁村の課題ではありませんでした。そこがとても大事だと思っています。なぜならば、私自身が、田舎に暮らしながらも、都市生活の頭で編まれた文言に身を委ねてしまうことが出来てしまうからです。

まず、階段を上がると、内山節氏や宮本常一といった本が多数並ぶコーナーが現れます。ここのコーナーに、農山漁村文化協会の骨となるものがあるように思います。奥へ行くと、農山村・漁村の人々発の、暮らしに纏わる本が、農文協の出版物以外にも多数そろっています。

宮本常一のコーナー

宮本常一のコーナー

都市生活ではさほど起こりえない課題、例えば、獣害と呼ばれるような、猪や小型げっ歯類などによる農作物被害の対策に纏わるDVD付きの実践書が紹介されていました。

『これなら獲れる!ワナのしくみと仕掛け方』

『これなら獲れる!ワナのしくみと仕掛け方』

『これなら獲れる!ワナのしくみと仕掛け方』という本に付いたDVDの中では、ある農家の男性が、モグラを捕獲する罠にまつわる日記を日々つけていることが紹介されました。この画像を写真に収めて掲載したのは、都市の営みの中ではそうそう生まれ得なそうな体験について感じたからでした。

共同組合コーナー(以下、本の写真はクリックすると大きく見ることができます)

協同組合コーナー(以下、本の写真はクリックすると大きく見ることができます)

協同組合のコーナー。自然エネルギー発電の割合が高い家庭用電力事業に取り組んでいる協同組合があることを知ったので、最近協同組合に関心があります。実はこれを書いているときも、コープの人が営業訪問にやってきました。一人暮らしや年配の方にとっては、セーフティネットになり得るかもしれませんね。私も歳をとったら協同組合の人に肉や卵を配達してもらうかもしれないなあ、なんて思う事があります。

女性起業コーナー

女性起業コーナー

女性起業のコーナー。農山村・漁村は女性が居なければ決して発展しないでしょう。個人的には、「お嫁さん」という肩書で、女性が農山村・漁村を生きる時代は、だんだん古くなって、女性にも技と決定権と責任に纏わる部分が譲られて行って、必ずしも家庭や家内に拘らない農山村・漁村の発展が叶ってほしいと思っています。

アジアコーナー

アジアコーナー

アジアのコーナーです。最近は、農業の実習生として日本にやってくるアジアの国々の人たちが増えてきたように感じます。私も、中国の実習生の女性たちと農業をしたことがあります。彼女たちは仕事が早くて農業が上手でした。彼女らの地域の農業と日本の農業では、何か違う部分があるのか気になります。

民俗誌など

民俗誌など

民俗誌をはじめ、農山村全般に纏わるコーナーです。先日、北関東のある山村の農民たちが大勢殺されたと言われている、かつての事件に関わる地を訪ねました。実際に土地に足を運び、さらに補足的に書物に書かれたことを参考にしながら、かつてのむらの様相を想像するのは刺激的です。

狩猟の特集コーナー

狩猟の特集コーナー

こんなにたくさんの狩猟の本が並べられています。

海のコーナー

海のコーナー

海や漁のコーナー。実は、私は海の暮らしや海洋に纏わることが好きなので海のコーナーがあるのは嬉しいです!

『WELTGEIST FUKUSHIMA』と、福島や原発、地方自治などの集まるコーナー。

『WELTGEIST FUKUSHIMA』と、福島や原発、地方自治などの集まるコーナー。

レジの前に陳列されているのが『WELTGEIST FUKUSHIMA』です。この冊子は、福島や原発、放射能汚染、地方自治やむらのあり方に纏わる本が集まったところにあります。原発の建設や事故の被害は、農山村・漁村の人々を巻き込む形で起こってきました。雇用を生む、経済が潤う、というような、「背に腹は代えられぬ」なか、農山村・漁村の課題の解決が願われる体(てい)で原子力発電所は建てられて来たと私は考えます。かつての暮らしが、大きく様変わりするような取り引きのたびに、むら・親族・人は揉め、心模様は複雑になり、分断も起こりがちなことが世に知られて欲しいです。私の祖父は福島第一原発の足場を作った人夫だったと母に聞きました。親戚や知人にも原発関連の仕事をしていた人がいます。2000年代の相双地区のハローワークの「原発関連求人」のファイルに綴られている仕事の賃金は、その他の仕事のファイルより高かったことは、今思うと私たちが取引のコマであるかのような、露骨さをあらわしていたとも思えてきます。もはや私は土地の話し方も分からなくなるでしょうし、語らなくなる、というより、語り方が分からなくなることが、この先も増えていくでしょう。この本屋さんには、そんな、語る場がなかったことを語ろうとするような声が沢山あるような気がします。

農業書センターは、都市にいながらにして、農山村・漁村、そしてかつての人間の暮らしと通ずることが出来るような場所です。こんなお店が、地方都市や農山村・漁村にもあったら、面白そうだなあと思います。農業書は言葉に纏められたことではありますが、それを手に取る土地の人たちと、その地に新しく入ってきた人が、必ずしも言葉だけに依らないような実践も通じて出遭うきっかけとしての、本の場が各地に興ったら面白いんじゃないかなあと妄想しました。

最後に、『ドブロクをつくろう』。撮影は吉田葉月でした。

最後に、『ドブロクをつくろう』。撮影は吉田葉月でした。

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