サンチャイルドが面白い。吉田邦吉(ヤノベケンジさん作)

Some people say (General people in Fukushima got a statue which is called Sunchild made by Yanobe Kenji in order to make the peaceful world with new reneuable energy systems, but some people who like nuclear power plant are against its statue put in Fukushima however almost them are on Twitter and anonymous, being not a certain reason that they are real people in Fukushima. That’s why, nobody knows how many there are opponents in real. There seems many people in not Fukushima at least on Twitter.) You see this Guardian article: Fukushima residents complain over statue of child in radiation suit. It might be not all facts. Anyway, I never agree with what Nazi government banned some art works as degenerate art in those days. Now a similar issue there is in Fukushima. People should think what is the difference between critic and ban by majority.

福島では猛暑が少し落ち着いて湿気が強い今ごろ。

【時系列の概要】
1、長いことヤノベケンジさんは放射能の関係で芸術活動をしてきた。
2、ある希望をもった作品サンチャイルドを創作した。岡本太郎さんの太陽の塔なども彷彿とさせる。
3、福島県の人達と福島市の市長が寄贈先の応募に申し込み、福島駅付近に設置した。
4、かなり時間が経ってから一定の批判が出る。多数の匿名からRTを受ける。
5、それなりの数で反論も出る。
6、このまとめを出す。

【説明】
福島市がJR福島駅付近に設置した6.2mのサンチャイルドという像に対して、原発事故の風評被害を増幅するとか科学的にあり得ないなどと批判をする人たちがいるそうだ。製作者のヤノベケンジさんが謝罪文を出したとのこと。防護服姿で脱いだヘルメットを手にし、空間放射線量の線量計を模した胸のカウンターには「000」と表示されている。「原子力災害がない世界」を象徴し、復興へ立ち上がる人々に夢と希望を発信する意図がある。

市長のTwitterこちら。

ふくしま自然エネルギー基金
代表理事 佐藤弥右衛門さんは、以下のリンクでこう述べる。

このたび福島市にヤノベケンジさんのサンチャイルドが寄贈されました。

ほとんどの昨今の人たちが直接に観たことはないであろうヤノベケンジさんの昔の一時のことについての批判がいまだにあることにつき、このツイートを見ていただきたい。

以上、よくわかるものだった。

河北新報の記事について、菊池氏の意見については、なんと言ってよいものか考えてしまう(河北新報の記事)。子ども用の、しかもいろんな考えを包含して、それでも生きていくという希望の意図がある現代アートについて、「科学的でない」とか「風評被害」とか……、ガンダムやウルトラマンにも同じことを言いそうだ。

子どもたちが一緒に笑って写真に納まる現代アートに「風評被害」とか「非科学的」なんて言われても、「その程度の主張だったんですね」としか言いようがない。自分が気に入らないだけの理由で否定的なことを言うのは批判とは言わない。悪口とか不満と言う。ただ、現代アートに否定的なことを言うのも自由だ。どこに何を置くか常に現実の選挙で決めるのも自由だ。

しかし自由に批判して良いような公共のアートが、表現そのものの自由を規制されすぎる、つまり、撤去されるような、政治的に強い検閲を受けるように、もしなったら、今度は、公道のデモ行為が規制を受けるだろう。美醜とか、秩序とか、理由はいくらでもある。それから公共の出版物が表現に規制を受けるようになるだろう。最後は気に入らないという理由で人種や個人に及ぶ。そういうことを恣意的と言い、歴史が証明している。

みんな忘れている。FacebookやTwitterみたいに通報ボタンかんたん一発の多数決で、投稿から存在から、表現の自由すべてが奪われるかもしれない場所の、不公平な恐ろしさを。それと同じ構造として、おおやけの現実社会でまで表現の自由をかんたんに奪うような、つまり撤去までは簡単にしてはならない。批判すること自体はそれも表現の自由なのである。

それに、サンチャイルドをイデオロギーと決めつけるのは間違っている。少なくとも行政と東電は県内で原発について福一も福二も、とっくに脱原発を決定している。地域で再生エネルギーは既に始まっている。政治的に常時一方通行でベキ論が固いだけのイデオロギーなどではない。

イデオロギーを言うならアートのゼロ表記ぐらいで風評被害ベキ論を強く押しすぎて表現の自由を後から他県の人達がTwitterで多数の匿名に扇動して新聞にそれを県民から批判などと書かせ結局は撤去要請までいき検閲と同じことをして表現を奪うほうがイデオロギーである。数値を見るならモニタリングポストもあるしテレビやラジオでは天気予報もある。

しっかりとした判断力をもって、精緻な解析力を醸成していきたい。この場合は、法的というよりは分別的な言い方で、事理弁識能力と言っても良いのかもしれない。ただの悪口、ただの敵味方、ただの呪い、そういう考え方でなく、それが自分に、どのぐらい受け入れ可能な言説・表現かだ。キビタンにだって不満な人達は山といるだろう。

いつでも認められるときは相手の意見を認めて仲良くできる用意のある者しか、議論に参加できないと私は思う。むろん、公共の場所にこの手のものを置くのが嫌いだという意見はそれはそれとして成立するだろう。しかしそれは公共の場所にその手のものを置かないのが嫌いだという意見と同じである。

ヴェルト編集者のひとり伊藤さんはサンチャイルドの機能を考え、こう述べる。そもそも自分にとって新しいものについて急に好き嫌いなどが発生するような人達はどれだけいるのだろうかということ、同時に、大人としての判断、そういうことも考えさせられる良い投稿だと思う。

ちなみにヤノベケンジさんが謝罪文を出していることについて、良いことだとわたしは思っている。すでに周知期間も過ぎ、実行の段階とはいえ、もし万が一、福島原発事故の被災当事者を傷つけてしまったら申し訳ないことだとヤノベさんは思っていることを表明したということであり、そのことにもわたしは賛同したい。通常の謝罪文とは意味がちがう。

市長から真摯なコメントがさらに出ている。
市長のTwitterで子どもたちの笑顔がなによりである。
http://www.city.fukushima.fukushima.jp/hisyoka-hisyo/shise/goannai/shichonoheya/mayor20180813.html

福島でのイベントも重ねてこられたようだ。

本当に、「関りづらい福島」ということにはなってほしくない。「ひらかれた話のできる福島」であってほしい。そこで当事者性の論点は、ただいろいろなことが多様で重層にグラデーションになっていて、それを良いとも悪いとも言える。要は用い方次第のものごとなのである。

絵になるとまた違う雰囲気になる。

あ、バッジほしい。

ご本人

と、……ここまで読んでいたところ、この写真を見つけてわたしは大爆笑した。「な、なんだこれは!ネコがいる!」。この黒ネコは二本松に居るらしい。でかい。なにでできているのか。

出典:https://blogs.yahoo.co.jp/takecyann2_40/69584883.html

出典:https://blogs.yahoo.co.jp/takecyann2_40/69584883.html

白ねこ版もあるらしい(笑)

http://yanobe.hatenablog.com/entry/2017/06/18/074128

こんなのもあるらしい。明かりが、きれい。どんどん変化している。

どうやら、ship’s catというらしい。「船の猫」。なぜシップスキャットができたかはご自身で探索をしてみるのも一興だ。このイラストがあることでまとまりが出てきた。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/y/yanobe/20170615/20170615085322.jpg

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/y/yanobe/20170615/20170615085322.jpg

シップスキャットがパリの展覧会に出た。
https://www.fashionsnap.com/article/2018-06-20/shipscat-yanobe-horiki/

いろいろ揃ってくると、これまた違う世界が見えてくるような気がして、面白い。ヤノベケンジさんの考えている、いわば、なんだろう。ボーダレスな「宇宙双六」とでも言えそうな作品が面白そうだ。やはり、くちゃくちゃした大人の屁理屈なんぞよりは、無邪気なこころが観て「わー!」とか「なにこれ!」というのが、いかにも楽しそうである。

わたし個人の意見を最後につけさせてもらえれば、わたしはいつも、「このまま世界最大の原発事故レベル7の被害ばかりを抱えて、それでも生きている、生きていくことを、だれにも伝えられず、共有もむずかしく、いったいどうしたら、道ゆく人々と、何かを共にできるだろう」と思っていた。あれは、目に見えないのである。

巨像の、ちょっとした驚きによって、だれかとサンチャイルド談義が出来る、それだけでも共有は始まっている。そこではむろん、賛否両論ひきこもごもがあって良いのであり、それを引き出すことこそが、現代アートの役割の一つだろうと私は考える。潜在化させると物事はろくなことがない。明るい社会へ。サンチャイルドへの愛称も募集してるそうで楽しみだ。

3・11ということを忘れないという風化対策も重要だ。忘れて良い個々人の気持ちと忘れるべきではないこと受け継がれるべきこと、老若男女、様々にある。そこをうまく次世代へ、リレーしていくことが福島の、道義的な責務ではなかろうか。われわれ人類の傷と希望と、両方を体現してくれる共通のアートが、3・11後、ちょっとぐらいあっても良い、いや、ずっとたくさんあってしかるべきだ。現実世界での異質感を楽しみたい。

いっそのこと、ネコが街にあふれかえるぐらいに!

NHK福島タイムラプス 吉田邦吉

福島タイムラプスというNHKのBS1スペシャル番組へ、私の出演している巻である大熊や会津へのご感想をいただけてありがたく存じます。20倍ぐらい台本なしで話続けたものを撮影して5%ぐらいのエッセンスが使われていると思いました。短くするのは大変な努力が要ると思います。多くの人達が大変な思いをして関わってくださった大事な思い入れのある作品です。皆様が知らない会津の話を、会津の人達から沢山教わって、広めていきたいですし大熊についても同じように思っています。郷土、というのは、ひとりひとりに、いわば、いつどんなときでも本当は味方で居てくれる、ごく小さな誇り、ごく小さな宝物であって、誰かを排除したりするために用いるものでは決してありませんし、誰かをイジメるためにあるものではありません。ひとりひとりの、こころのなかにそっと、ゆりかごの原風景のように、在り続けるもの、だと考えています。自分には故郷がないと思う人も、DNAに眠っている故郷の数多きことを、少しだけ想像してみるのも良いかもしれません。そう考えていくと、それらは人が絶えず授かって、創造していくものなのでしょう。人間、自己のみで生きているのではないようです。また何か思い出したら書きます。

世論調査:内閣支持率 吉田邦吉

2018年7月15日から7月22日までの一週間にわたって、ヴェルトガイスト・フクシマのFBページから、「現在の内閣を支持しますか。Do you like the Japanese Cabinet now?」というアンケートをとってみることにした。答えはYESまたはNOである。

1000ほどのライク数があるヴェルトFBページから、シェア数26件になり、実名会員が原則のFacebookにおける総計197人のユーザーが投票した。むろんこれをどう解釈するか、どう考えるか、人それぞれなのであろうが、相応の説得力があると私は考える。

20180722-2
ましてや今は「平成30年7月豪雨」中でもある(復旧活動に入ってはいるようだが気象庁によると豪雨被災の終期はまだ決まっていない様子)。お答え頂けた人達に御礼申し上げます。以上、多くの人達の大事な思いをお届けいたします。

犠牲道徳よりも政策提言を。吉田邦吉

私にはわからないことがある。何でも災害対応に「ボランティアありき」で政策が組まれているような気がすることだ。そもそもボランティアは、行政に手の届かない、そして、NPO法人ですら手の届かないところを、一般個人が自由に行いたいものを行えるもの、または、相手の同意で行えるもの、であるはずだ。

ところが、最初からボランティアを当て込んで政策が組まれていると、自衛隊の派遣される人員が減ったりするのではないだろうか。西日本水害。自衛隊は数百人派遣されたというニュースしか私は見ていない。テレビでは「人手不足」「ボランティア不足」ばかりが流れている。しかし実際は、「自衛隊の派遣を増加してくれる新しい考えの内閣が不足している」のではなかろうか。陸上自衛隊は十数万人いる。

総理は「スピードが勝負」だと言ったようだ。しかし有料ですら昨今の事業は人手不足による倒産なども言われるほど人手が足りていない。お金のためではないとはいえ、そこに無料でというか実費負担で人手が十分にいきわたると考えるほうがおかしいのではないか。私もボランティアをしてきたが、ボランティアが過度に美化されなくても私はボラをする。

そもそも災害が起きた場所では、クギ、ガラス片、刺突してしまうような物質がとにかく散乱していたり、建物が倒れてきたり崩れてきたりしそうな場所が沢山あって、素人の一般人がそんなにやたらと動きまわって合理的な場所ではない。今回の水害においても、真夏であることもあり、「災害ごみ」「異臭」「粉塵」「感染症」「熱中症」「危険」ということが盛んに言われている。気候の極端化もある。

昨今の情勢をいろいろ見ていると、あたかも美しい家庭とか、親への感謝とか、そういうのを、国家への感情とすり替えた、戦前の空気感が、憲法改正の思想のなかに入り込んでいるような気がしてならない。そこでは犠牲の道徳が尊ばれている気がする。「お国のため歴史」を繰り返すよりは、政策の提言でスマートな解決を希望したい。

犠牲が尊ばれても、
総理の年収4千万円。

犠牲道徳と言えば、自衛隊の訓練方法は現代の気象変化に対応しているだろうか。他国の武器は山ほど買うのに、どうして自衛隊に余裕がない動きをさせるのだろう。

参考
自衛隊員も熱中症相次ぐ 西日本豪雨の災害派遣7/17(火)朝日新聞https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180717-00000100-asahi-soci

この記事の前にFacebookで書いたことを併記。

それと、「ボランティア全然来てなくて平日には30人の場所も」というSNSの情報と、「連休でボランティアが2000人を超える見込みです」というテレビの情報と、隔たりがありすぎて、どうしてテレビは復旧復興の美談しか流さないのだろう。どこが不足してどこが足りているが分かって行きようがある。他にもボランティアセンターの仕組みだとか、まだまだテレビの役割は満タンのはず。

しかし、たりなさすぎるボランティアの話を永遠にしていても、ボランティア活動とは、そもそも慈善的な、あくまで好意的なことだろう。被災を肩代わりすることはできない。被災した場所で家々などのための費用は国会で出させなくてはならない。自然災害は、かなりの度合いで、国会や内閣の様子が問われ、かつ、政治的なことになるのである。それが社会的に良いバランスの保たれているとき、公平と言える。

以下、最近の記事を引用する。このテキストだけを見ても、間が謎なのであるが、とにかく派遣数は、19日ごろどっと増えたようだ。

西日本豪雨の発生を受け、自衛隊には1府7県から派遣要請が寄せられ、大雨災害としては「過去最大規模の態勢」(防衛省関係者)で救援救助に当たっている。8日には被害拡大に対応するため災害対策本部を設置。中四国を中心とした陸海空3自衛隊の隊員約2万7000人を投入し、人命救助や給水支援などを開始した。その後も態勢を拡充し、19日時点で隊員約3万1000人、艦船28隻、航空機38機を派遣している。元自衛官で民間企業などに勤める「即応予備自衛官」約300人も招集し、12日から広島を中心に生活支援活動を展開。即応予備自衛官の招集は平成23年の東日本大震災、28年の熊本地震に続き3回目で、大雨災害では初となる。防衛省によると、19日までに自衛隊が救助した人命や孤立者は約2300人、給水支援は約1万4000トン、入浴支援は約4万5000人に上る。燃料や水などの物資輸送、がれき処理、道路啓開、水防活動なども継続している。自衛隊員3万人を被災地投入、即応予備自衛官300人も招集 猛暑で半袖も容認 20180719 産経新聞

被災者生活再建支援制度、自然災害によりその生活基盤に著しい被害を受けた者に対し、被災者生活再建支援金を支給することにより、その生活の再建を支援し、もって住民の生活の安定と被災地の速やかな復興を手助けするという制度。まあ簡単に言うと、自然災害で10世帯以上住宅の全壊被害が出た市町村で使える制度だと。水害の場合は、今回水害ですもんね、住宅に床上1・8メートル浸水があれば全壊、床上1・8メートル未満から一メートルで大規模半壊、床上1メートル未満で半壊、床下は半壊に至らず、この4つの被害程度によってお金が支給される。

時間がないのであくまでざっくりですけれども、まず基礎支給金として、全壊の場合には100万円、大規模半壊の場合には50万円支給。加算支給金として、新たな住宅を建設、購入する場合には200万円追加だって。現在の住宅を補修して住む場合には100万円、公営住宅以外の賃貸住宅に転居する場合には50万円がそれぞれ支給される仕組み。大きいところだけ言うと、つまり、全壊の人が家を1から建て直すといったら300万円もらえる、大規模半壊の人が家を補修するんだったら150万円ねって。はっきり言って、桁違い過ぎるじゃないですか。足りるわけないじゃないですか、こんなので。

せめて、野党が提出している被災者再建支援法の改正案、先ほどの金額を増額する法案です、これも十分ではない、でも現行制度よりはまし。全壊で建て直して500万円、大規模半壊で補修して250万円。全然違いますよ。現行制度よりも200万円、1から建て直す場合は。大規模半壊で補修するならばプラス100万円現行制度よりも上積みされる。最低でもこっちじゃないですか。今国会で通してくださいよ、今国会で。カジノじゃないだろう。ばくちじゃないだろう。これが先だろう。どうしてこれを通してくれないんですか。お見舞い申し上げます。被災者に……

2018.07.19 内閣委員会(IR整備法案=西日本豪雨災害)2018年07月21日 山本太郎)

よくお金を受け取ることを悪い云々で自己責任云々というネットの人達が居るかもしれないが、私はそうは思わない。なんのために日々、税金を納めているのか。しっかりした対応を受けてこそ、しっかり、やる気をもって人は生きていくことができる。しぶることや政府持ち上げそして個人へのバッシングばかりネットに充満させず、しっかりとした、生きやすい日本列島というものの構築に寄与していこうではありませんか。

台風12号 被災者「くたびれた」 豪雨、猛暑と続き… 毎日新聞 2018年7月29日

毎日新聞調査 西日本豪雨、政府対応68%が不十分 毎日新聞 2018年7月29日

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=1789863007771582&id=100002436991004

若者に申し上げる 吉田邦吉

私はそろそろアラフォー。
10代20代に申し上げる。

「コミュ力重視」の若者世代はこうして「野党ぎらい」になっていく 「批判」や「対立」への強い不快感 野口 雅弘 2180713 現代ビジネス 講談社

野党への支持率が絶望的に低い。特に若者世代ではその傾向が顕著だ。そうした「野党ぎらい」の背景には、若者世代が「コミュ力」を重視している事実があるのではないか。コミュ力を大切にし、波風の立たない関係を優先していれば、当然、野党の行う批判や対立を作り出す姿勢は、嫌悪の対象となる。摩擦のない優しい関係が社会に広がるなか、野党の置かれた立場は難しいものになっている。引用

たくさんの調査が示しているように、年代別の自民党支持率では、「若者」の支持率の方が断然高い。近年、「政治に関心があります」と言って、講義の後に私に話しかけてきてくれる学生はだいたい「保守」だと名乗る。ジェンダー、歴史認識、憲法改正など、いずれの論点でも変わらない。かつてのように「問題意識がある学生は左」ではまったくない。引用

話題は新聞を読むか否かよりも、コミュニケーションのほうへ移されていく。

そこでは、疑義を呈したり、コミュニケーション上の衝突といったようなことは、避けられるから、野党のような方法論は、かなりの割合で忌避されるものだ、ということである。確かに、非常に説得的で、まっすぐな分析の仕方のように思われる。一般の生活で、野党のような言い方を会話の相手にしていたら、それは若干あり得ないことだと思う。抵抗の思想家を忌避するについても、日常生活で日常会話にそんなことをしていたら、生活できない。

しかし、野党の方法も、抵抗の思想家も、どちらも日常での方法ではないのに、日常の物事へ適用しようなどというあやまった考え方や理解から生まれていると思う。国会や文壇といった場所で、いちいち、空気を読んだような討論の仕方や書き方をする必要はない。しても良いが。時間が限られているところでは、基本的に最小限度で要領よく伝えることが求められる。それを空気を読んで調整して良い感じにやってくれとは無理がある。

たとえば、低収入の人達にとって悪い法案と思われるものは何としても「反対の姿勢」を「国民に国会で伝えること」で「国民が次の選挙で投票先を変えることによって、変わる」のであるから、一定程度の言論パフォーマンスは討論上、必須不可避のものだ。それを「感じ悪いからああいうのやめとこう~」などという扇動に乗せられる庶民の子らの嘆かわしいこと。自らの首を絞めている。

この記事の筆者は、与党と野党の緊張関係がうまく国民はつくれず、それどころか、どんどん野党叩きや野党バッシングが高まっているととらえている。しかしそれは「一人が匿名アカウントをいくつもっても許されるTwitterでのこと」であって、現実社会での選挙の得票数では、野党のほうが得票率が多いことのほうを忘れている。少なくとも半々だ。そのことの重みを簡単には「野党叩きのほうが強まっていき、バランスが完全に崩れた」とまでは言えない。

与党側のTwitterユーザーの一部のライターや言論人らは、徹底的に相手を「嘲笑・冷笑」のために「わかってない系」に陥れるような物言いだけに終始するようなことが多い。ほとんど中身がないのである。福島で言えば、常に「反原発が悪い」「デモが悪い」「風評加害だ」という調子であり続けるこの7年間。ななねんかんである。この重みをとくと味わって考えていただきたい。それはTwitterである。国会の中もそうかもしれない。

ーーー

思うに、若者が社会のなかで一定程度の「一人前」になろうとしたら、社会の仕組みに入っていこうとしているのであるから、社会のなかで、そんなにやたら波風を立てるような物言いをしないよう、つまり避けようとか、批判的検討といった考えを抱いている場合ではないと考えるのも、無理はない事情もある。就職氷河期などはその典型だろう。

社会の体制に入っていく以上、「入る前に体制批判をしたくない」と考えるのは自然だ。「自分たちを批判してくれる若者を採用します」と公言している会社がどれだけあるのだろう。むろん、私人間の就職の話と、公的な議論の話は、違うものだから、あまり一緒くたにはできない。

ただし実のところ、最新の本物の、国際社会で過酷な競争にいる企業は、波風たてないだけの凡人を心底必要としているか。現実、その替わりはいくらでもいるのではないか。といっても企業のほうではこう言うかもしれない、適材適所。それに、なにもそういう就職が全てではない。

若者にはそれぞれのターニングポイントがある。30歳になったら、一人前になったら、人生に一区切りついたら、収入がいくらになったら、人生に時間ができたら、といった、なんらかのモラトリアムが終わるとき、「社会という体制のなかで一定の立場を得たとき、ものが言えるものと思っている」のが、若者だと私は思う。

ただ、物事や社会への一切の疑問を持たずに、答案の点数が良くなるだけの勉強しかせず、特段、深い考察をし続けたり、抵抗して現実に勝ち取ってもきた、守っても来た、そういった先人の苦労に学ぶこともない若者が、次の社会で、どのような未来を作り上げることができるだろう。若者も想定してみてはどうだろう。

与党しか存在せず、翼賛しかせず、御用しか存在せず、賛成しか言わず、同調しかせず、すべては財産の過多と軍事力の過多によって決し、よわいものは泣き寝入りし、成績の順番から完全に就職は腑分けされ、批判をしようものなら刑罰ぐらいの社会になっていったら、おもしろいのだろうか。多分ほとんどの若者が、致命的な大損人生になるはずだ。つい最近まで日本はそういう国だった。

あまりに半人前で未熟すぎると自分で思う若者にすべてを考えてすべてを疑ってということを考えろというのは現実に難しいことだ。彼らが一定程度「翼賛っぽい良い子たち」なのも無理はない。与党的な大人たちに何をされるか分からないからだ。日本は投票用紙に自分の名を書かないから安心してもらいたい。

だれかと分かち合う幸せは倍増する。痛いものは痛い、辛いものは辛い、悲しいことは悲しい、貧しくて辛いなら辛い、そういった、ごく基本的なことを、素直に言える社会が、あってはどうなのだろう。それを誰かのためにも、みんなで少しでもなんとかしようとする社会はきっと。

闘っているように見えて、
やさしい社会だ。